アケミちゃん(2)

「おじゃましまーす」


 ビビった一瞬で、ドアがこじ開けられて、手の主が入ってきた。アケミだった。


 ……あの、あれだ。前にニュースでやってたストーカーのやつ。狙いの相手の部屋の近くで待ち伏せて、鍵を開けて中に入った瞬間押し入るっていうの。あれをやられた。お前も気をつけろよ?

 うん。話の続きな。すまん。


 アケミはドアの鍵を後ろ手に締めて、チェーンまで掛けて、少し頬を染めて言った。


「私、男の人の部屋に入るの、初めてなんだ」


 頭おかしいよお前。アケミが例の大きいバッグを持ってなかったら、間違いなくそう言ってたと思う。

 俺が靴を脱ぎながら後ずさりすると、アケミは靴を脱いで、俺の靴も一緒に揃えて、家に上がってきた。リビングまで来ると、アケミは言った。


「男の人の部屋って、やっぱ結構散らかってるんだねー」


 ……今考えるとおかしな話だ。何がって? 俺の部屋は片付いてるんだよ。前におっさんが不法侵入してた話、あっただろ? あの時おまわりさんから、片付いてる部屋ですねって言われたんだ。だから、俺の部屋は片付いてる方だと思うんだ。

 嫌味じゃねえよ。そもそもあんまりモノ買わないから、部屋はスッキリしてるし。

 だから、あの時のアケミは、見てるようで何も見てないか、覚えたセリフをそのまま使ってるか、どっちかだったと思う。

 ただ、その時の俺は凄いビビっててな。おいおいどうすんだよこれ、このままバッグの中のチェーンソーでバラバラにされるのか俺、とかずーっと考えてた。


「部屋散らかっているし、片付けてあげるね」


 混乱する俺を無視して、アケミはそんなことを言い出した。俺が止める間もなく、アケミは本棚に手を突っ込み、中にあった本や雑誌を引っ張り出し始めた。


「これはいる、これはいらない、これもいらない……」


 どう見ても散らかしていた。その上、高校のアルバムとか、昔から取ってあるバイクの雑誌とか、そういう大事なものばっかりいらないもの扱いされてた。マジで勘弁してほしい。

 ただ、その時気付いた。アケミは俺に背中を見せて片付けに集中している。こっちを見ていない。なら、今のうちにコッソリ逃げられると思った。


「逃げるの?」


 一歩踏み出したらそう言われた。後ろに目がある、って感じだった。ごまかさないと殺される、って思って答えたよ。


「いや……トイレ」

「あ、そっかあ。それならしょうがないね。いいよ、行って」


 トイレはリビングから出て玄関の側にある。アケミがリビングにいるなら逃げられる位置だ。だけどアケミは俺の後ろにピッタリくっついてきた。

 まあそんな事だろうと思ってたよ。だけど、トイレに入ればこっちのものだ。ポケットには携帯が入ってる。これで警察に通報すればいい。そう思ってたんだ。

 トイレに入って、ドアを閉めようとしたら、アケミに抑えられた。


「え?」

「ドア閉めちゃダメ」

「いや、閉めない方がダメだろ……何言ってんだ……?」

「だってドア閉めたら、電話するの止められないじゃない」

「いや、でも、あの、大、なんだけど……」

「いいよ」


 アケミは頬を赤く染めて、薄く笑いながら言った。


「見ててあげる」


 ……ヤバいヤバいっていっつも言ってるけど、あれは別格だった。多分、本当にトイレに行こうとしてたら、漏らしてたと思う。

 トイレを諦めて部屋に戻ると、アケミはまた本棚の物色を始めた。俺は何も言えず、仕事道具のチェーンソーの側に立ち尽くしていた。


 本格的にヤバかった。今は本棚に夢中になってるけど、これが終わったら何を始めるかわからない。そして、何をしようとろくでもないことになるのは間違いない。どうしようかって考えてたら、気付いたんだ。

 カチ、カチ、って変な音が鳴ってた。電車の中で聞いた、キーホルダーがバッグにぶつかる音だと思った。だけどおかしい。バッグは今、アケミの足元に置かれていて微動だにしていない。

 じゃあ何がぶつかってるんだよ、って思ってたら、アケミが髪を掻き上げた。本棚の上の方を片付けてて、髪が邪魔になったらしい。

 その時、俺は信じられないものを見た。

 今までは髪で隠れて見えなかった首筋に、うっすらと線が入ってた。傷跡じゃない。隙間だ。繋ぎ目、って言ったほうがいいかもしれない。首の後ろに繋ぎ目があって、アケミが首を動かした時にカチと鳴った。

 すると、アケミが振り返った。


「なあに? 恥ずかしいよ」


 カチ、カチ、と音がする。


「お、おう」


 呆気にとられている俺を確かめて、アケミは満足げな笑みを浮かべると、また棚の上の方をいじりはじめた。

 その時、気付いたんだ。アケミが動くのに合わせてカチ、カチって音がしてるのを。首、手首、腰、膝、その辺だったかな。首以外は服に隠れて見えなかったけど、さっきと同じように繋ぎ目があるんじゃないかって思った。

 どういう事だよ、って思ってたら、いよいよアケミが棚の一番上に手を付けた。


「この箱は、何なのかなー? えっちな本が入ってたりして」


 からかうように言いながら、アケミが箱を下ろそうとした。違う意味でヤバいと思った。

 あれ、工具箱なんだよ。普段は使わないから棚に上げてるんだ。ドライバーとかレンチとか入ってるから、結構重いんだ。

 案の定、予想外の重さにアケミはバランスを崩して、工具箱を取り落した。


「きゃっ!?」


 床に落ちた工具箱の蓋が外れて中身が散らばった。俺の足元にも何か転がってきた。

 人間の手首だった。


「は?」


 そんなもの入れるわけがない。まさかと思ってアケミを見ると、左手が無くなっていた。


「おい、え……!?」

「あれ? あっ、あはは……」


 アケミは照れくさそうに謝って、俺の足元に転がった手首を拾い上げた。そして自分の手首に押し付けると、まるで人形のパーツみたいに嵌め込んだんだ。

 そうしたら、アケミの手は何事もなかったかのように動いた。血は一滴も出てなかった。


「ごめんね?」


 アケミは耳元で囁くと、工具箱の中身を拾い集め始めた。

 もうわかったよ。こいつは人間じゃないって。いや、最悪人間だったとしても、やるしかないって。後片付けとか辻褄合わせとか大変だ、って思ったけど、言ってる場合じゃなかったからな。

 俺は足元にあった仕事道具のチェーンソーを手に取ると、スターターを引いた。ちゃんとメンテナンスしてたお陰で、エンジンは一発で掛かったよ。アケミが気付いて顔を上げたけど、もう遅い。唸る回転刃を頭に叩き込んだ。


「いったーい、何するの?」


 アケミは、まるでふざけて小突かれて、ちょっと怒った振りする、そんな感じの返事を返してきた。

 ただ、その見た目は、どう見てもそんな軽い返事に似つかわしいものじゃなかった。

 俺のチェーンソーはアケミの頬から入って、頭を切り飛ばした。鼻から上は床に転がっている。


 つまり、鼻から下だけ残った顔がそんな事を言っていた。

 ありえない。前に俺の部屋に押し入ってきた、ガリガリの子供みたいな奴だって、顔にチェーンソーを叩き込んだら怯んで逃げていったんだぞ? 何でこいつはピンピンしてんだ!?


 アケミの体がチェーンソーのバッグに手を伸ばした。俺は慌てて玄関までダッシュして、チェーンを外して逃げ出した。

 家の外に飛び出して振り返ると、またとんでもないものを見た。俺の部屋からアケミが出てきてたんだが、片手に例のバッグを、もう片手に自分の頭のパーツを掴んでいた。そして頭のパーツを自分の切断面に嵌め込むと、俺の方に顔を向けたんだ。


 手に負えない、って確信した。斬ってもダメならどうしようもない。俺はチェーンソーを持ったままガンダッシュで逃げたよ。

 走って走って、チェーンソーのエンジンが掛かりっぱなしだったことに気付いて切って、また走って。何度か後ろを振り返って、追いかけてきてないことを確認して、走るのを止めた。でもまだ怖かったからしばらく歩いてた。


 歩くのを止めたのは、駅に着いた時だな。いつも使ってる駅の、ひとつ隣の駅だった。終電はとっくに過ぎてるから駅は閉まってて、コンビニもない小さな駅だから誰もいなかった。

 どうやってここまで来たか全然わからないけど、ここまで逃げてくれば大丈夫だろって思って、俺はフェンスに寄りかかって一息ついた。


 呼吸が整うと、これからどうしようかって考え始めた。化け物なんてどうすればいいかわからない。いや、妖怪には今まで何度も会ってきたけど、頭を叩き割ってもピンピンしてる奴は初めてだったからさ。お前も銃が効かない化け物に出くわしたら、ヤバいだろ? だよな、うん。

 それで思いついて、メリーさんに電話した。警察じゃどうにもならないと思ったからだ。深夜だから怒られるとは思ったけど、相手が相手だからな。

 番号を呼び出して、通話ボタンを押して、携帯を耳に当てて顔を上げたんだ。


「みーつけた」


 鼻から上が少しずれたアケミが、目の前にいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る