アケミちゃん(1)
先週起きた話だ。
土曜日に飲みに行った帰り、電車に乗ってたんだ。
乗客は土曜日の割には少なくて、席はまばらだった。ほとんどが酔いつぶれて寝てる客だったな。
携帯を弄りながらぼーっとしていると、俺の向かいに高校生か大学生ぐらいの女が座った。
まあ、うん。人気が出そうな顔だったな。どんな人だったかって? 黒のセミロングくらいの髪型で、ちょっと大人しめな感じ。清楚系ってやつか。大きなバッグを持ってて、スポーツ系の部活なのかなって思ったよ。
え、俺の好みかどうかって? いや、俺より背が低いかったからなあ。背の高い人がタイプなんだよ。……わかってるよ。身長186cm以上の人なんて滅多にいないって。でも夢見るぐらいいいだろうが!
……ゴホン。話、続けるぞ。向かいに座った女から目を離して、携帯にを見ようとしたら、クスクスと笑い声が微かに聞こえてきた。
「見てたでしょ?」
確か、そう言われたな。最初は何かの間違いかと思って無視してたんだ。だけど、もう一度言われた。
「見てたでしょ?」
って。間違いなく俺に話しかけてきてた。変なのに絡まれたって思ってたよ。
だけどそいつが、
「私のこと見てたよねー」
って言いながら隣に座ってきた時は、流石にマジでヤバいどうしようってなったよ。
何でって? 状況考えてみろ。深夜の電車。まばらな客。男と女。
痴漢冤罪しかねえだろ!
考えすぎって? いやあ、あの状況になって、お前が男だったら絶対そう思うぞ。
大体、深夜の電車で初対面の男に近付いてくるってのがマトモじゃない。
……いや、あのなお前。そこは疑問に思え。危ないから。怖くない? バカ言うんじゃないよ……。
ああ、もういい。話を進めるぞ。
隣に座られたから、流石に無視はできないと思って、返事したんだ。
「知らねえよ。見てない」
「そうかなー。キミ、私の顔見て清楚系だ、って思ったでしょ?」
「見てない。知らん。何だ、清楚系って」
「テレビ見てないの? 神崎未來っていう、月9のドラマに出てる人なんだけど……」
まあ、こんな調子で、普通に世間話を始めやがった。
どうした? 神崎未來は月9じゃない? 何だそれ。今は朝ドラに出てる?
ちょっと調べてみる。
朝ドラだ。いや月9にも出てる。11年前。古いな。
……あー、なるほど。そういうことか、なるほど。わかった。話を先に進めるぞ。
とにかくそいつは、痴漢冤罪じゃなかった。
話を聞いてみると、そいつはアケミって名前で、東京の大学に通ってるって言ってた。
何で俺に声をかけたかっていうと、たまに朝のゴミ出しで顔を見ていたからだと。つまりご近所さんだ。
それを聞いて俺は言ったよ。
「なら早く言ってくれ。ここで叫ばれたら一発でアウトだぞ」
「叫んじゃおうか?」
「やめて」
本当にやられそうだったから必死で止めたよ。
でもまあ、少し安心したな。少なくとも変なのに絡まれてるわけじゃなかったわけだし。
で、安心したら妙なことに気付いたんだ。
カチ、カチ、って変な音が鳴ってた。電車の音じゃない。もっと軽い、プラスチックがぶつかり合うような音がしてたんだ。
なんだろうな、って思ってたら、アケミがバッグを開けた。
「あ、LINEだ」
カチッて音がしたからバッグを見てみたら、バッグに大きい猫のキーホルダーがついてたんだ。ああ、それがぶつかってたのかって思ったんだ。
その時、バッグの中身がチラッて見えて、俺は固まった。
ボロボロに錆びついた異様にでかいチェーンソー2本。
うん。一発でわかったわ。俺、また変なのに絡まれてる。
気付くと、アケミは俺の顔を真っ直ぐ見つめていた。LINEが来たって言ってたのに、携帯に見向きもしない。
「見てたでしょ?」
最初と全く同じ声色だった。顔は笑ってるけど、それは笑いの形を作ってるだけで、全然笑ってなかった。
「いや、あの……」
「見てたよね、ね?」
ヤバいとんでもない奴に絡まれちゃったよどうしよう、って思ってたらさ。すげえ天才的なひらめきがあったんだ。
もう後先考えずに話題を振った。
「見たよ……その、キーホルダー」
「キーホルダー?」
「猫のやつ」
アケミはカバンに目を落とした。自分のバッグのはずなのに、初めて猫のキーホルダーに気付いた、そんな感じだった。
「これ」
「いや実はな、最近猫に興味があってな。
ペットって訳じゃないんだ。ただ、何か家の近くが野良猫の集会場になっててさ。見てるうちになーんか気になっちまって。
餌付けとかはしてないぞ? 悪いことだからな。ただ、たまに近付いてきたやつを撫でたり、遊んだりしてる。
こう、あれが良いんだよ、肉球。柔らかくてな。ほっぺたを猫パンチされたこともあるけど、何ともいえない柔らかさでな……」
よく口が動いたと思う。あの時は大阪芸人にも負けない喋りだったな。
アケミは呆気に取られてた。多分、俺が中身を見たのには気付いてたけど、俺がいきなり話し始めたから聞き入ったんだと思う。
つまり、時間稼ぎは成功した。
《ドアが閉まります、ご注意ください》
「このままではジリー・プアーだ! って思ったらさ……っと、ここで降りる! それじゃ!」
俺は立ち上がって、閉まりかけのドアから車外に飛び出した。案の定、アケミは反応できず、電車はそのまま発車した。
ひとまず難を逃れる事ができた俺は、とんでもないものに出会ってしまったと思いながらも、さてこれからどうしようかと考えた。
家の近くの駅まではまだ結構距離がある。歩きで帰るには遠い。かといって次の電車に乗っても、アケミは降りる駅で待ち構えているだろう。近所に住んでるって言ってたから、下手したらアパートの部屋の前にいるかもしれない。
だからタクシーで家の近くまで行って、アパートの様子を遠くから確認することにした。部屋の前に誰かいるようなら、そのまま逃げてネカフェに直行だ。
アパートに着いたが、人の気配は無かった。念の為、隠れられそうな場所は確認したけど、誰もいない。
ひとまず安心したが、アケミがこの近所に住んでるっていうのが怖かった。ゴミ捨て場で見たっていうことは同じ地区に住んでるってことだ。警察に相談したほうがいいかもしれないって思ったよ。
いや、この前の忍者騒ぎじゃいろいろ言われたけどさ。一応見回りとかしてくれてたし、アイツがまた出たって言えば対応してくれると思ったんだよな。
え、チェーンソーの忍者はあの後どうなったかって? 普通に帰ったよ。妖怪かと思ったけど人間だった。俺の買ったキャットフードに味を占めた猫が懐かなくなったから、逆恨みで襲ってきたんだとさ。
メリーさんと猫が一緒に説教したから、もうあんな事にはならないと思う。っていうか、野良猫に餌付けするってダメだよな、確か?
ああ、アケミの話な。すまん。
誰もいないことを確かめて、俺は自分のドアを開けた。ひとまず助かったって思って、ドアを閉めようとしたんだよ。
閉まりかけたドアの隙間から手が伸びてきた。
「おじゃましまーす」
ビビった一瞬で、ドアがこじ開けられて、手の主が入ってきた。アケミだった。
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