2000年問題
メリーさんの家は府中のタワマンの最上階だ。
……一言で言うと意味がわからないが、順を追って説明すれば理解できる。
まず前提として、妖怪には住民票も戸籍も無いので、タワマンを借りることはできない。じゃあなんでメリーさんがタワマンに住んでいるのかというと簡単な話で、書類上は他人の家になっている。
部屋の持ち主は
……立派な強盗殺人なのだが、妖怪には住民票も戸籍も無いので法で裁くことはできない。まあ、俺もあんまり他人のことは言えない身だし、黙っておこう。
さて、現実逃避はほどほどにするとして。
タワマン1階のホールにある、エレベーターのドアに目をやる。張り紙が貼られている。
『点検中』
エレベーターが動いていない。
「おい、どうすんだよこれ……」
「私に聞かないでよ……」
俺とメリーさんは途方に暮れている。きさらぎ駅の埋め合わせで、メリーさんに付き合って買い物をしてきた帰りだ。どっちも買い込んだ洋服や食べ物を抱え込んでいる。これを持って、階段を上がれと? 34階まで?
「……どっかで時間潰してくるか?」
「何のんきな事言ってるのよ! そんな事してたら、アイスケーキが溶けちゃうじゃない!」
そうだった。帰りに洋菓子屋でアイスケーキとかいうものを買ったんだった。ドライアイスが入っているからすぐには溶けないが、点検が終わる頃には効果がなくなっているだろう。
「メリーさん、瞬間移動で上まで持っていけないか?」
「無理よ。こんなに大きくてたくさんのものは運べないの」
「いつもチェーンソー持って瞬間移動してるじゃねえか」
「チェーンソーは体の一部だもの」
そんなのあり? どういうルールなんだよ一体。
「……ってことは、上るのか?」
「上るのよ」
「マジか」
「マジよ」
そういうことになった。
――
10階を越えた辺りで、足が疲れ始めた。
20階を越えた辺りで、うんざりしはじめた。
30階を越えた辺りで、もう勘弁してほしい気分になった。
それでも頑張って上って、34階。メリーさんの住む部屋の前まで来た。
「あ゛あ゛……」
「う゛お゛お゛……」
もはや悪態をつく気力もない。メリーさんも同じだ。これ、明日は筋肉痛間違いなしだよなあ……休もう。
「……ねえ」
メリーさんは鍵を探してポケットを探りながら言う。
「なんだ」
「雁金さんって、怖い話を集めてるのよね?」
「そうだが」
なんで今聞いてくるんだ?
「それじゃあ、とっておきの怖い話があるんだけど、聞いてくれる?」
「中に入ってからにしないか?」
「ううん。すぐ終わるから」
そう言うと、メリーさんはゆっくりと俺の方を向いた。涙目になっていた。
「1階に……鍵を忘れた……」
えっ……。
――
「早く気付いて助かったわ」
「荷物を降ろして瞬間移動すりゃ良いだけだからな。危なかった……」
よくよく考えたら、荷物を持っていると瞬間移動ができないわけだから、荷物を全部玄関前に降ろして、メリーさんがひとりで1階に行けば済む話だった。
家の鍵はメリーさんの鞄の中に入っていた。そしてメリーさんはその鞄を車の中に忘れていた。瞬間移動ができなかったら地獄のタワマン往復マラソンが始まるところだった。
そういうわけで、俺たちは鍵を開けて無事に中に入ることができた。
「荷物どうする」
「ここに置いといて」
言われた場所に荷物を置く。ようやく体が軽くなった。メリーさんも大分疲れているようで、そのままソファに倒れ込む。俺も足にかなりキてるので、クッションの上に座った。太腿を揉む。パンパンだ。こりゃ明日は筋肉痛だな。
「おーがー」
メリーさんはソファに埋まって呻いている。本当に疲れてそうだな。
「おーがー」
……そんな何度も呻かなくても、と思っていると、メリーさんが顔を上げた。
「……無視しないでよ」
「え、俺呼んでたの?」
「当たり前でしょ。あなた、
「そうだが……いや、てっきり疲れて変な声出してるだけかと」
「わかりなさいよそれぐらい……おーが……いやわかりにくいわね。オーガ、っていうとなんか人食い鬼っぽいし。下の名前で呼んでいい?」
「別にいいけど」
メリーさんは口を開け、閉じて、考え込んだ。
「……下の名前なんだっけ?」
そういえば教えてなかったか。俺は自分の名前を口にする。
「
すると、メリーさんは目を丸くした。
「……そんな名前だっけ?」
「そうだよ」
「女の子みたいな名前ね。全然似合ってない」
「そこまでストレートに言うなよ……」
訂正。メリーさんほどボロクソに言われたことはない。気分が凹んで、ガックリと肩を落とした。
「あー……」
メリーさんは何やら考え込んでいたようだが、やがてソファから立ち上がるとキッチンへ歩いていった。
……そういや、なんで俺を呼んだんだ? と思っていると、メリーさんが戻ってきた。
「……翡翠」
手に皿を2枚持っている。その上には切り分けられたアイスケーキと、フォークが乗っていた。
「食べる?」
「……いいのか?」
「まあ……その、買い物手伝ってくれたし。車も出してくれたし……お礼よお礼」
「……んじゃあ貰う」
アイスケーキの皿を受け取り、テーブルの上に置く。それからフォークで一部を切り取り、口に運ぶ。ひんやりと甘い味がした。
「……ごめんね?」
メリーさんが、ぽつりと呟く。
「うん?」
「だから、その。名前のことで酷いこと言っちゃって。ごめんなさい」
「……別に。よく言われるから、気にしてない」
本当は気にしてるんだけど、子供にそんな真剣に謝られるとそう返すしかなかった。
「ほんとに?」
「本当だ」
強く頷くと、メリーさんはホッとしたような顔をして、アイスケーキを食べ始めた。
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