忍者

 1週間前から変なことが起こってる。ちょっと聞いてくれ。

 最初に言っておくが俺は妄想癖でも総合失調症でも病気でもなんでもない。

 笑わないでくれよ。ガチだ。


 最近チェーンソーの忍者に狙われてる。


 うん。おまわりさん帰ろうとしないで。気持ちはわかるけど。

 1週間前のことから順に話していく。夜の9時ごろだったと思う。山の仕事が終わってから、麓の倉庫で重機のメンテナンスとかしてて遅くなったんだ。

 で、帰ろうと思って外に出たら、後ろからドルドルドルって音が高速で迫ってくる。

 なんだと思って音がする方向を見ると、そいつがいた。


 忍者だった。

 えっ、忍者? ニンジャナンデ? ありえねぇだろ? なんか持ってるし。

 もう訳わかんねえよ。

 えっ、忍者? あんな早く走れんの? 黒い服? 忍者装束? 忍者みたいな格好だ。なんか持ってる。なんだ?

 そんな感じにパニくってると、忍者がジャンプした。

 その時、持ってるものが見えた。


 チェーンソーだこれ。


 俺に向かって突き立ててる。これ刺そうとしてるよな? さっきから聞こえてるドルドルドルって、エンジン音だったのか?

 やっと理解して、上体を捻って突きを避けたよ。チェーンソーの忍者は宙返りして足から着地した。身軽だった。

 俺は自分の車に駆け寄ると、後部座席から仕事道具のチェーンソーを引っ張り出した。すぐにエンジンを掛けて、忍者のチェーンソーを受け止めたよ。

 チェーンソーの忍者は俺よりも軽かったから、パワー負けはしなかった。思いっきり押し返してやると、バク転しながら間合いをとられた。猫に負けないくらい身軽なやつだった。

 こりゃ相手にしてられねえ、と思って、車に乗り込んですぐに駐車場から逃げた。チェーンソーの忍者は追ってこなかった。

 家に帰って落ち着いて、いろいろ考えてる内に、あれは錯覚だったんだ、って自分を納得させてそのまま寝た。それから3日経ったけど、何事もなかったからやっぱ夢か錯覚だろうな、って思ってたんだ。


 3日後の夜、あいつが家に来た。 

 夢じゃなかった。そうですよね……夢ならこんなにはっきり覚えてませんもんね……。


 その日は仕事が普通に終わって、普通に家路についた。7時頃だったかな。

 駐車場で車から降りたら、妙に猫が多いんだ。塀の上とか電柱の影とか、ゴミ捨て場のゴミ箱の上とか。しかもどいつもこいつも俺の顔を見て、シャーってずっと威嚇してた。気味が悪いから全員にガン飛ばしながら家に帰ったよ。

 塀の上の猫がシャーシャーうるさいから、俺もあぁん? って返してやったんだ。そしたら、下の塀が剥がれ落ちた。


 いたんだよ、忍者が。


 あれだ、隠れ身の術ってやつ。そのまんまだった。もちろんチェーンソーも持ってた。

 いやもうガンダッシュで逃げたな。ヤバいヤバい殺されるって。

 タクシーに乗って隣町まで行って、そこから電車で別の駅に行って、そこのネカフェで一晩過ごした。

 朝になったらそのまま仕事に出たよ。家には怖くて帰れなかった。


 次の日は山で襲ってきた。いやまあ、車に乗ってたからそのまま逃げたけど。

 その次はコンビニに来た。窓見たらこっちを覗いてたんだよ。死ぬほどビビって、買い物もしないでコンビニから飛び出しちまった。


 それでもう限界だって思って、警察に来たんですよ。マジでヤバい奴だから、捕まえてくださいよ。せめて見回り……。

 え、自分のチェーンソーで迎え撃てばいいんじゃないかって?

 ……いや、いつもその件でお世話になってますけど、確かに。

 でも、持ってない時を狙って襲いかかってくるんですよ、あいつ。だからおまわりさんに頼んで、何とかしてほしいって思ったんです。

 ホントお願いしますよ。人死が出てからじゃ遅いんですからね?


――


 警察署を出た俺は電車に乗った。今日もネカフェだ。もう3日もアパートに帰っていない。冷蔵庫の中の生モノはダメになっているだろう。

 電車に人はほとんど乗っていない。少し離れたところにスーツ姿のサラリーマンがいる。それだけだ。携帯を取り出し、ツイッターを眺めながらぼんやりと物思いに耽る。


 警察署に行ったが、おまわりさんの反応は芳しくなかった。まあ確かに、正当防衛とはいえ俺の日頃の行いが悪い。チェーンソーを持った男がうろついているって言われたら、勘違いして俺を捕まえに来てもおかしくない。

 だけどこっちはマジで命の危機を感じてるんだ。少しはマジメに対応してほしい。


 ツイッターの反応が途切れた。電波が悪い所に入ったらしい。たまにある。俺は溜息をついて顔を上げた。

 視界に違和感がある。何だ。

 電車の中。変わっていない。

 外の光景。夜闇と街の灯りだけ。

 乗客。サラリーマンの代わりに忍者。俺をじっと見ている。


「アイエッ……!?」


 変な悲鳴が出た。

 黒装束の忍者は立ち上がると、チェーンソーを携え、俺に向かってお辞儀をした。


「ドーモ、オーガ=サン。ネズミめいて逃げ回る時間は終わりだ。ハイクを詠め」


 えっ、今の日本語?

 困惑する俺を余所に、忍者はチェーンソーのスターターを引いた。列車の走行音にも負けない、ドルドルドルというエンジンの音が響き渡る。

 俺は立ち上がると、忍者から猛ダッシュで逃げ出した。こっちは素手だ。防刃作業服も着ていない。勝ち目がない。

 忍者はチェーンソーを掲げて追ってくる。ドアを開けて後ろの車両へ。酔っ払いがいた。


「逃げろ逃げろ!」


 忍者は客に目もくれず、チェーンソーを掲げて追ってくる。ドアを開けて後ろの車両へ。老人が席に座っていた。


「逃げて逃げて!」

「はい?」


 忍者は客に目もくれず、チェーンソーを掲げて追ってくる。ドアを開けて後ろの車両へ。若いカップルがいた。


「逃げろ逃げろ!」

「え?」

「おう?」


 忍者は客に目もくれず、チェーンソーを掲げて追ってくる。ドアを開けて後ろの車両へ。

 先頭車両だ。これ以上の逃げ場はない。振り返ると、いよいよ追い詰めたといった様子で、忍者がゆっくりと歩を進めてきた。後ろでカップルが携帯を掲げて動画を撮っている。いや、通報して。


 電車が揺れる。俺は下がる。忍者は前に進む。

 揺れがゆっくりになる。俺は更に下がる。忍者は早足になった。

 揺れが止まる。忍者が、踏み込む!


「イヤーッ!」


 俺は横に跳んでチェーンソーを避けた。そして、ドアが、開く!

 ホームに転がり出た俺は、全力ダッシュで階段を駆け上がる。忍者も追ってくる。改札でICカードをタッチし、駅員に叫ぶ。


「警察呼んで警察!」

「えっ、うわっ!?」


 階段を駆け上がってくるチェーンソーの忍者を見て、駅員は慌てて電話を始めた。俺は改札をくぐって外へ。とにかく走って逃げる。

 一旦振り切って路地裏に逃げ込む。そして携帯を取り出し、110番、しようとして手が止まった。

 猫に囲まれていた。20。30。もっといる。それもただの猫じゃない。チェーンソーを持った猫だ。時刻はまさに午前二時ウシミツアワー。妖怪たちが現れるには、うってつけの時間だった。

 猫たちの動きに注意しつつ、俺はゆっくりと携帯を操作する。掛ける相手は警察じゃない。

 6コールの後、相手が出る。


《……もしもし》

「もしもし、メリーさん?」

《私、メリーさん。何よ、こんな夜中に》

「助けてくれ! 猫のチェーンソーとチェーンソーの忍者に襲われてる!」


 沈黙。3秒。電話が切れた。


「おいおい!?」

「遺言は済ませたか」


 振り返ると、チェーンソーを持った忍者がいた。挟み撃ちだ。しかもこちらは丸腰ときた。


「俺が何をしたってんだ!? いきなり後ろから襲いかかってきて、毎日毎日付け回しやがって! ストーカーか!?」

「何をしたか、だと?」


 忍者の目が一層険しくなる。


「私の猫をたぶらかした。わかるか」

「ね、ねこ?」


 後ろを振り返る。猫のチェーンソーたち。まさか、こいつの飼い猫なのか。


「たぶらかしたって、いや、俺は襲われたんだけど……?」

「その時、高いキャットフードを与えたな?」


 確かに、命乞いのために与えたけど。


「だから?」


 忍者はチェーンソーを構えた。何か物凄い怒っている。


「殺す」


 忍者が決断的に歩みを進めてくる。ダメだ。キレてる。どうしようもない。

 俺は振り返ると、破れかぶれで後ろの猫たちに両手を合わせた。


「すいません! この前のキャットフード、またあげますんで見逃してください! お願いします!」


 猫たちの間に動揺が走る雰囲気があった。マジかよ、ダメ元で頼んでみたけど、忍者より猫の方が話が通じるのか。


「ヌウーッ!」


 忍者が怯んでいる。これは、いける?


「2倍あげます!」


 人差し指と中指を立てて指し示す。

 思いは通じた。猫たちは頷くと、俺の横を通り過ぎて一斉に忍者に襲いかかった!


「何をする、やめ、グワーッ! 肉球グワーッ!」


 忍者の悲鳴が聞こえる。筆舌に尽くしがたい光景が広がっているのだろう。心臓の弱い俺は振り返らないようにしておいた。

 ともかく、これで安全だ。立ち去ろうとする俺の前に、猫のチェーンソーが立ちはだかった。


「あれ?」


 囲まれている。戸惑う俺に、猫が手のひらを上にして差し出してきた。意味を理解するのに少し時間がかかった。


「え、ここで?」


 キャットフードを渡せというのか。


「わかった。コンビニ行ってくるから、ちょっと通して」


 だが猫は動かない。俺がキャットフードを持っていないことに気付いた猫たちは、徐々に包囲の輪を縮めてくる。


「いや、待って。買ってくるから、本当に!」


 逃げるつもりはない。約束は果たす。だが、困ったことに猫がそれを信じてくれない。チクショウ。畜生だったわ。

 痺れを切らした猫たちが四方八方から一斉に飛びかかってきた!


「うわーっ!? ちょ、やめ、肉球ウワーッ!?」


――


 午前三時。


「電話が気になったから来てみれば……」


 道路に立つメリーさん。その足元には猫の山が2つ。そして、それに埋もれる成人男性2人。


「何してるの?」

「ねこです」

「それはわかるけど」


 俺はごわごわの猫の毛と、柔らかい肉球の感触と、野良猫の鼻がひん曲がりそうな臭いに囲まれながら、メリーさんに一万円札を差し出した。


「キャットフード、コンビニで買ってきて。1番高いやつ。いっぱい」

「はあ……」

「よろしくおねがいします」

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