ビデオカメラに映った男
《もしもし。私、メリーさん。今、貴方の家の前にいるの》
……うーん。
しばらく悩んだ後、俺はドアを開けた。金髪の外人の女の子が立っていた。紺色のふんわりしたドレスを着てて、レースのついたお洒落なつば広の帽子を被ってた。そして手にはチェーンソー。
間違いない。前に山の中で決闘を仕掛けてきた、あのメリーさんだ。
メリーさんは俺の顔を見ると、にっこり笑いかけてきた。
「久しぶり。今、お時間空いているかしら?」
メリーさんはチェーンソーを軽く持ち上げる。あの時の続きをやろうってことなんだろう。だけど。
「今、ちょっと面倒な事になっててな」
「あら。女の子を部屋の前に待たせておいて、そんな返事? つれない人ね」
メリーさんはチェーンソーのスターターに手をかけた。こっちの状況はお構いなしに戦いを始めるつもりか。だけど、今は本当に困る。
「やってもいいけど、邪魔が入るかもしれないぞ?」
俺の言葉にメリーさんは動きを止めた。この前のヤマノケみたいな事にはなりたくないんだろう。
「……そう。なら止めておくわ。でも、面倒事って何なの? お仕事?」
「いやそれは……」
答えづらい。何しろ、どうなってるのか俺にもはっきりとわかってない。後ろに視線を送る。部屋の中に異変はない、はずだ。
「……誰かいるのかしら?」
俺の視線に気付いたメリーさんが、部屋の中を覗き込もうとする。俺は慌ててメリーさんの前に立ちはだかった。
「待った、プライバシーだ。勘弁してくれ」
慌ててるのを気付いたのか、メリーさんはにんまり笑うと、俺の耳に囁いた。
「私、メリーさん。今、貴方の後ろにいるの」
目の前のメリーさんが消えた。振り返ると、メリーさんがリビングに向かって歩いていた。前に戦った時に見たのと同じ、瞬間移動能力だ。俺は慌てて靴を脱いで追いかける。
メリーさんはリビングに辿り着くと、部屋をざっと見渡した。三十路近い一人暮らしの男の部屋だ。面白いものなど何もない。すぐに、テーブルの上にあるノートパソコンと防犯カメラに気付いた。
「何見てたの?」
メリーさんは座ってパソコンを覗き込む。俺はメリーさんの隣に腰を下ろした。メリーさんと押し入れの間に座る形だ。
「防犯カメラだ」
「これ?」
メリーさんがテーブルの上のカメラを指差す。俺は頷く。パソコンの画面には、俺の部屋をカーテンレールの上から撮った様子が映っていた。
「この部屋じゃない。撮る意味あるの?」
「ああ。最近、部屋が変でな」
俺はマウスを動かして、一時停止していた映像を再生した。
「家に帰ってくると、洗った食器がまだ乾いてなかったり、靴やゴミ箱の位置がちょっと違ったり、あと食べ物の減りがちょっと早かったり……」
パソコンの映像は留守の部屋を映している。今の所、特に変わったものは映っていない。
「それで後輩に話してみたらさ。留守の間に誰かが家に入ってるんじゃないのか、って言ったんだ」
「部屋の鍵はちゃんと掛けた?」
「掛けてるよ」
「なら、警察に相談したら?」
メリーさんの正論に、俺は目を丸くした。
「……メリーさんって、妖怪だよな?」
「その呼び方は好きじゃないわ。怪異って呼んでちょうだい」
「お、おう……」
妖怪だか怪異だか知らないが、そんな人外存在から警察って言葉が出てくるのにビックリしたんだが。
「まあ、それはともかく。確かに警察だよ。でも、俺の話だけじゃ気のせいって言われるだろ?」
「そうなの?」
「そうだよ。そしたら後輩がさ、留守の間に防犯カメラで部屋を撮影しておいて、もし誰かが入ってたらそれを証拠に警察に持っていけば良いって言ったんだよ」
「なるほど。それなら立派な不法侵入だものね」
メリーさんも不法侵入の現行犯なんだが、黙っておこう。
「で、休みの日にカメラを買ってきて、玄関と部屋に置いて、今日の仕事を終えて帰ってきて、今見てるってわけだ」
そこで、パソコンの画面に目を戻す。
映像に変化があった。灰色のシャツを着た、禿げた中年男性がカメラの視界に入ってきていた。
「ちょっと……」
メリーさんは表情を強張らせた。俺は黙って、動画を見続ける。
オッサンはテレビをつけると、冷蔵庫から食べ物や飲み物を少しずつ取り出し、流し台で乾かしていた食器を使って食べ始めた。
マジかよ、このオッサン、他人の家の食い物パクってやがる。つーか俺、こんな禿げ散らかしたオッサンと同じ箸使ってたのか。気持ち悪い。後で捨てよう。
オッサンは食べ終わると食器を洗って元の場所に戻した。それからテーブルもティッシュで掃除した。使ったティッシュを捨てる時に、手がぶつかってゴミ箱が少しずれた。
その時、玄関の方から音がした。オッサンは驚いたようで、すぐにテレビを消すと押し入れに潜り込んだ。少しすると、カメラの視界にまた誰かが入ってきた。
「え……」
そいつの姿を見たメリーさんは呆然と呟いた。
部屋に入ってきたのは、チェーンソーを担いだ俺だった。俺はチェーンソーを置いて部屋を見回した後に、防犯カメラの方に近付いてきた。カメラに手を伸ばす。
そして映像は終わった。
メリーさんは俺の方に顔を向けた。正確に言うと、俺を挟んだ向こう側にある押し入れにだ。
うん。いるんだよ。
メリーさんはチェーンソーのスターターを引っ張った。エンジンが唸りを上げる。
「待て、待て待て待て!」
俺は慌ててメリーさんから押し入れをかばった。
「どきなさい。ズタズタにしてあげるわ」
「落ち着け、人間だったらどうする!?」
「鍵のかかった部屋に入れる人間なんているわけないじゃない! 怪異しかないわよ!」
チェーンソーのエンジン音にも負けないぐらいの大声で、メリーさんが叫び散らかす。
「テレビ見ながらキムチと焼酎で晩酌する幽霊がいるか!?」
「大体あなた、何でそんなに落ち着いていられるのよ! 自分の部屋に気持ちの悪いオジサンが入り込んでるのよ!?」
「先に玄関のカメラの映像を見てたから、いるってのはわかってたんだよ! なのにお前が入ってくるから……!」
「あーもー、どきなさい! とにかく不法侵入よ、ズッタズタにしてやるんだから!」
「マジでヤバいから止めてくれ! 家の中で殺すと、後片付けが面倒なんだよ! 俺に作戦があるから、協力してくれ!」
必死の説得で、メリーさんは少し落ち着いてくれた。チェーンソーは止まっていない。
「どうすればいいのよ」
訝しむメリーさんに、俺は財布の中から千円札を2枚取り出した。
「コンビニで殺虫剤買ってきてくれ。煙がブワーって出るタイプのやつ」
――
はい……はい。いや、それについては本当に反省してます、大家さん。殺虫剤ってあんなに煙が出るんですね。火事と間違われるのもしょうがないですよ。
でもね、刑事さん。これだけは信じてくださいよ。中に人がいるなんて知ってたら、殺虫剤なんて焚きませんでしたよ。
いや、びっくりしましたよ。殺虫剤を焚いて、外で飯食って帰ってきたら、警察と消防がアパートの前に集まってるんですよ? それで見てみたら、俺の部屋が火事になって、知らないオッサンが窓から飛び降りて重症だって話じゃないですか。
火事は殺虫剤の煙の見間違えですよ。今説明した通りです。本当にごめんなさい。でもオッサンは知りませんよ。確かに前から部屋の中に誰か入った感じがあって、防犯カメラを置いてたんですけど、初日から引っかかるなんて思いませんでしたもん。
しかもそのオッサン、昔あの部屋に住んでて、その時の合鍵で俺の部屋に出入りしてたって言うじゃないですか。大家さん、これ、ミスじゃないですか? 鍵は取り替えるって法律か何かで決まってるんじゃないですか?
何、刑事さん。その話はこっちで問い詰める……? わかりました、キッチリ調べてくださいよ。お願いしますね。
で、オッサン、俺が帰ってきて押し入れに隠れてたら、俺が殺虫剤を焚き始めてビビったんですね。それで窓から逃げようとして、落っこちてケガしたと。
でも何でドアから逃げなかったんでしょうね? ふむ。ドアの方が煙が濃かったから、怖くて進めなかった、って言ってたんですか。あー。確かに、リビングの入り口に起きましたからね。キッチンとかトイレとかも一緒に、家全体を燻そうとしましたから。
それに、女とチェーンソーが待ち構えてるから怖かった……?
何の話ですかそれ。押し入れに隠れてる時に、女の話し声とチェーンソーのエンジン音がした?
いやいや、勘弁してくださいよ。チェーンソーはわかります。仕事で使ってますから。それに帰ってきた時、刃が気になったからちょっとだけエンジンかけて確かめましたし。でも女は知りませんよ。人間は俺1人でした。間違いなく。殺虫剤で頭がおかしくなってるんでしょ、きっと。
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