後編

「霞の食べかた教えてやるよ」

 祐は不敵な笑みを浮かべている。

「俺にもできんの?」

 俺が聞くと、祐は自慢げな顔でやる気次第と言った。

「大事なのは気持ちだな」

「きもち?」

「一つはできるって信じること。もう一つは自然に感謝すること。それだけ」

「おっけ。よく分からんけど」

「ま、習うより慣れろか」

 祐は目を瞑って、大きく息を吸い込んだ。

 そのとき、たしかに見えた。

 口元へ向かう大きな気の流れが。

「海の霞はしょっぱいな」

 祐は苦笑いして、目を開ける。

「ほら、やってみろよ」

「できる気しないけど」

 俺は小言を言いながらも目を瞑った。

 そして、自分を信じ、自然に感謝して、息を大きく、吸い込む。

 スぅぅぅぅ

 俺はゆっくりと目を開くと、言った。

「できねーよ」

 目の前の祐が吹いた。

「お前さーもっと自分信じてけよ」

 祐はにやにやしながらそう言う。

 論理的じゃない熱血監督じみた言い方だ。

「俺はさ、お前と違うんだよ。俺のじいちゃんは仙人じゃないの」

「あぁ知ってる。でも恋はできるよ」

 俺はなんで?と聞く。

「恋はかしこいからさ、分かるだろ。世界は思い通りだって」

 分かんねーよと言った。

 何が言いたいのか全く分からない。

「分かんないかぁ」

 祐はそう言うと、微笑んで続けた。

「じゃあさ、見せてやるよ」

 見せてやる?

「手出せよ」

 俺は手を出す。

「何すんだよ」

「俺が霞食えるのはさ、たしかにすごいかも」

 俺の手に祐は自分の手を重ねた。

「でもさ、恋が俺より勉強できることとか、雨の中サーフィンできるやつがいることとか、そんなのと変わんないから」

 祐は顔をあげる。

「分かるよ。俺たちはなんでもできるって」

 祐と目が合ったとき、俺は吸い込まれてしまうような気がして、

 俺は目を瞑った。


 ひどく長いまばたきをしていたような気がして、俺は瞼を開ける。

 眼前には、ひたすらに碧色の空がひろがっていた。

 空?

 隣にいた祐が飛んでいるから、俺も飛んでいるのだと分かった。

 その祐はいつもとなにか違った。

 たしかに祐なのだけど、もっと子供のようにも、もっと大人のようにも見えた。

 祐はじっと、どこまでもひろがる碧空を見ている。

 俺も同じ方向へ視線を向けた。

 碧空に懸かる白の雲が流れている。

 流れて、気づけば波へ変わっていた。

 碧は海の蒼色に。雲は泡に。

 そして、泡は星へと姿を変えた。

 俺たちは星に近づいていく。

 そこには俺たちがいた。

 見慣れた校舎の中で、馬鹿みたいに笑って、馬鹿みたいに食べてる。

 星の中の俺たちは楽しそうだった。

 自由に見えた。

 きっと彼らなら空も飛べるのだろう。

 そう思えるくらい。

 どこからかチャイムの音が聞こえて、俺は瞼を閉じた。


 俺が目を覚ましたとき、祐は小屋の外で空を見上げていた。

「なにしてんの」

「お、起きたか」

 祐は足元の猫を指さす。

「ネコちゃんが抜け道教えてくれた」

「ぬけみち?」

「そこの茂みの山道から住宅街出れるって」

 なんで分かんだよ、なんて聞こうと思ったけど、野暮だったから止めた。

「俺、夢見たわ」

「面白かった?」

 祐は意味もなく猫と目を合わせてる。

「今なら霞食えるかも」

「そりゃ良かった」

 祐は微笑む。

 俺は欠伸をして、いま何時?と聞いた。

「1時前とか」

 祐は立ち上がって言う。

「恋、昼飯行こーぜ。俺腹減ったからさ」

 俺は伸びをして、おうと言った。

 空にかかった雲は相変わらずだったけど、雲間からは青色の天井が覗いていた。

「てか祐は腹減ったなら、霞食えばいいじゃん」

「あんなん思い込みみたいなもんだし」

 祐はがはがは笑う。

 早く行こうぜ、なんて言って祐は俺のリュックを持ち上げた。

「昼飯なに食べたいかな」

 独り言を言って、名残惜しげに俺が振り返ると、

 雲に隠れた、青色の空と海の、その水平線のすぐそこから、間近に迫った夏のにおいがした。

「海の霞はやっぱ、しょっぱいんだな」

 俺が笑ってそう言うと、

 昼はハンバーガーにすっか、なんて言って祐は笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

霞を食う 九重 壮 @Epicureanism

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ