霞を食う

九重 壮

前編

 俺がまだ小さかった頃、仙人だったおじいちゃんにこう聞いたらしい。

 霞ってどんな味?って。

 そのとき、おじいちゃんは自慢げな顔で「どうじゃろなぁ」なんてわざとらしく言ってたらしいけど、

 今の俺ならこう答えるな。

「おいしくないわけじゃないけど好んで食べるものじゃないよ。例えるなら硬水みたいなものかな」ってね。


「あー、ご飯バーガーみたいな感じ?」

 小枝恋はスマホから顔をあげると、そう聞いた。

「いい線いってるけど、そんな味濃くないかも」

「祐のじいちゃん、胃もたれしちゃうもんな」

 恋が軽く笑って言う。

 8時2分、車内にいつも通りのアナウンスが流れる。

 今日の電車はやけに空いていた。

「なんでこんな空いてると思う?」

 俺は聞いた。夏休みにはまだ早かった。

「分からんけど、台風の影響とか」

「こんくらいの雨と風で学校が休みになったことないだろ」

「市立の高校は全部休みだってよ」

「え」

 俺は目を細めてわざとらしくため息をつくと、窓の外を見た。

 それから一言、

「今日、学校サボらね?」そう言った。


 それが約2時間前の会話。

 俺たちは今、海に沿って伸びる線路の上を並んで歩いていた。

 右手の方には石のブロックがあって、その2、3m程下に雲で陰った青い海が、果てしなく広がっている。

 左手の方には2m程の高さのフェンスがあって、雨に濡れた緑の山が延々と続いていた。

 そして、眼前には終わりの見えない二本の線路が。

 自然で囲まれた一本道は、進むか戻るかの二択だった。そんな道を俺たちは30分程歩いていた。

「俺たちさぁ道間違えてね?」

「今さらかよ」

「どこで道間違えたんだろ」

「駅出たとこの踏切だろうな」

 いや知ってたなら言えよ、と思った。

「来た道戻る?」

「今さらでしょ。それに」

 それに?

「なんかおもしろいもの、あるかも知れないし」

 恋はニヤリとした。

「あー、お前って結構」

 ハプニングでテンション上がるタイプね。

 と、そのとき何やら轟音が聞こえた。

 ゴッーとなるようなその音は振動を伴って徐々に近づいてきている。

 正面にライトを光らせた顔が見えた。

 あ、ここ電車通るんだ。

「そっち寄れ寄れ」

「わかってらぁ」

 石のブロックの上に乗った俺らの目の前を、電車がごうごうと通り過ぎる。

 そして、あっという間に風だけを残して走り去った。

 俺たちは真面目な顔を見合わせる。

 それから、少し口角をあげて恋が呟いた。

「やっば」

 俺は高鳴った心臓のせいか、潮のにおいをさっきより鮮明に感じて、

 胸いっぱいに空気を鼻から吸い込んだ。

「やっばいな」

 俺も結構、ハプニングでテンション上がるタイプだった。


 ぽつぽつと降っていた雨は次第にザーザーと音を変えた。

「雨つよいな、海見ろよ」

「見なくてもわかるわ」

 そう言うと恋は続けた。

「雨宿りしたいなぁ」

「できるわけねーだろ、そんなもん」

 間髪いれずに俺は突き放す。

「あ、小屋ある」

 恋が言った。

 まじ。

 たしかに、俺たちの視線の先には小屋があった。線路より海側に、木で造られた小さなボロ小屋が。

「なんだあれ」

「多分だけど、漁師用の仮小屋」

 なんで分かんだよと俺が聞くと、それ以外ある?なんて恋はドヤ顔で言った。

「お前かしこいな」

「濡れるから軽く走ろうぜ」

「おう」

 線路の下に敷かれた茶色の石はごつごつしてて、人が走るのには向いてないみたいだ。

 ふいに潮風が吹いて、海を見ると数人がサーフィンをしているのが見えた。

 隣を向くと恋と目が合ったから、俺が「平日、昼間、台風、サーフィン」とだけ言うと、恋は笑って、俺も笑った。

「案外、自由なんだな」

 俺もちょうどそう思った。


 小屋は壁の一面がないタイプで、当たり前に暗かったけど屋根はあった。

 あと猫がいた。黒猫が。

 雨の音は2人と1匹を、小屋ごと包むように降っている。

「祐、俺腹減ったわ」

「昼前だし弁当食う?」

「俺、いつも購買で買ってんじゃん」

 そうだっけ。

「じゃあ俺のやつ食っていいよ」

「まじ?」

「うん、まじ」

 さんきゅと呟いた恋を横目に、俺はリュックを探って、そして手を止めた。

「弁当、わすれたぽい」

「まじかよ」

 ま、全然いいけどなんて言って恋は猫の方を見た。

「あのさ」

「ん?」

 恋が俺を見る。

「霞の食べかた教えてやるよ」

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