僕がすきだと言いたいワケは

前編

 加奈は驚いた様子で室内にいた梓を見るが、すぐに頭を下げる。

「あっ、あの……あたし鈴木加奈って言います。孝志くんと同じ高校で、その……」

「知ってます。孝志のカノジョさんですよね?」

 梓の言葉に、加奈は顔じゅうを赤くしてしどろもどろになる。

「あたしは葉月梓。孝志の地元の同窓生で、こっちに住んでるんですけど」

 以前、彼のスマートフォンに入ったメッセージの子だと、加奈もすぐにぴんときた。

 そして渡りに船の、同じ地元の子。

 加奈は梓に向かってまた頭を下げる。

「あの、孝志くんの実家の連絡先って知りませんか? 風邪がひどいんで治るまで安静にする必要があるから、看病の人が要るって……」

「そしたら、あたしの実家から孝志の実家に伝えてもらいますけど……看病はこっちにいる、あたしたちで交代でしたらいいんじゃないですか?」

「えっ?」

 医師や姉の言う通りのみに動いていた加奈も、梓からの突然の提案に驚く。

「カノジョさんの邪魔になるようにはしないですから」

 そう言うと、洗濯済みの新しいシーツを布団に掛け直し始めた。

 その梓の後ろ姿を見ていた加奈は、おずおずと声を出す。

「そちらが……孝志くんのカノジョさんじゃないんですか?」

 肩越しに少しだけ振り返った梓はふっと笑うと、作業を続ける。

「別にカノジョじゃないですよ。それにあたしじゃ、付き合いが長いぶん無神経に孝志のこと傷つけちゃうから……鈴木さんみたいに優しそうな子のほうがいいと思うな」

 梓もついさっき知った、孝志が想いを寄せていて早くに別れた幼馴染のこと。

 それが彼の弱さでもあり、村から自立したいという強さでもあった。

 なんとなく自分のことばかり考えていた我が身が恥ずかしく、すんなりと加奈と向き合うことが出来ずにいた。

「あいつ、臆病で弱いところがあるんです。それを東京で隠してたみたいだけど……あたしたちの地元はどうせダムに沈んじゃうから、孝志の新しい拠り所になってあげてください」

 梓は精一杯の勇気を振り絞ると、加奈に笑顔を向けて玄関へと進む。

「じゃあ、実家には連絡しておきますから。孝志をよろしくお願いします」

 そう言って頭を下げてから、室外へと出ていった。

 アパートから少し歩いた梓は、振り返りその外観を見る。

 両手で口元を押さえると、溢れる涙とともに堪えきれない嗚咽をあげた。

 すべては彼のため、それでいい。

 そう自分を言い聞かせるように、叔母の家へと戻っていった。



 早紀からの連絡で、点滴がじきに終わりそうだということで、加奈はふたたび病院へと向かった。

 孝志をアパートへと送り届けると、布団に横にさせる。

 抗生剤と解熱剤のおかげか、孝志はいくらか落ち着いた表情で静かに眠っていた。

「これでホントの一件落着ね。しかしまぁ、いっつも人騒がせよね、孝志くんも」

 とぼける早紀だったが、加奈は孝志のそばに座り、じっと彼の容態を見ている。

 そんな妹の姿を見て含み笑いをすると、早紀はひとりで声をあげた。

「じゃああたしは帰るわ。駐禁きられちゃうし、あんたも歩いて帰ってこれるでしょ?」

「うん……もう少し孝志くんのそばにいる」

「さきねぇちゃん、ありがとうね」

「じゃあね、ふみちゃん」

 ふみに向けて手を振りながら早紀が部屋を出て行った後もずっと、加奈は彼のそばで看病をしていた。

 氷水に浸したタオルを絞っては額に乗せ、彼が身体を動かせば、布団を丁寧に首元まで掛け直す。

 彼の寝顔を見ながら、加奈はただひたすらにじっと見守る。

「かなねぇちゃん、もう遅いから。それくらいならあたしでもできるよ?」

 ふみの声でふと顔を上げると、窓の外はすっかりと黄昏時となっていた。

「じゃあ、おかゆだけ作っておくから。孝志くんが起きたら食べさせてね」

 しかし、彼の容態が心配で粥を作った後もしばらくはまだ家にとどまっていた。

 その様子を見ていたふみが、加奈の手をぎゅっと握る。

「かなねぇちゃん、あのね。じつはたかにぃ……」

 突然に神妙に語り出すふみに驚いて、加奈も彼女の顔を見返す。


 その頃。

 みどりさわ村の孝志の実家では、電話を終えた母が受話器を置く。

 そして、近くで一部始終を聞いていた祖母に仔細を伝えた。

「孝志が風邪をひいちゃって、ずいぶん高熱が出たらしいんですけど、葉月さんちの梓ちゃんや、こないだ東京から来た子たちが看病するから心配するなって……」

「おやまぁ、あの孝志も女の子の人望だけはあるようだね」

 祖母は忍び笑いをしながら仏間に向かい、仏壇に手を合わせる。

「座敷童ってのはホントにありがたいもんだね……惣吉さん」



 暦は九月になり、学校は始業式を迎える。

 ホームルームでは担任が出欠をとるが、孝志の机は不在であった。

「大貫は親御さんから連絡があって風邪だそうだが……たしかひとり暮らしだったな。誰か連絡を取り合ってる者はいるか? 私が様子を確認しに見舞いに行こうと思うが」

 咄嗟に加奈が手を上げる。

「せんせっ! ご近所なんで、あたしが大貫くんの様子を見てきます!」

「そうか? じゃあ鈴木、頼めるか?」

 彼女の雰囲気を察して、仲良しの女子たちはニヤニヤと笑みを交わし合う。

 どうやら加奈が大貫くんに惚れたのは間違いないであろう。

 今度の休み時間にでも吊るし上げる、よい話題の投下に喜んでいた。


 同日の午後。

 加奈は孝志のアパートへと向かう。

 その手には、自宅に戻ってから作った夕飯の弁当箱とバナナを大切に抱える。

「孝志くん、だいじょうぶ?」

「いつもありがとう、加奈ちゃん。横のままでごめんね」

 彼は布団から上半身を起こして、加奈を迎えた。

 孝志を病院に送ってからというものの、彼の看病と身の回りの世話は、ここ数日の加奈の日課であった。

 こうして、ひとり暮らしで身体が弱っている時に優しくされると、孝志も彼女の思いやりに触れて感謝するとともに、加奈が帰宅すると切ない感情が頭をもたげてくる。

 ただ、自分が臥せっている間に夢うつつの中で、彼女と梓がここで鉢合わせをしていたような気もして、それにはあまり深くは触れにくかった。

 加奈は孝志の額に手をあてて、体温を確認する。

「熱は下がったね。咳や息苦しさも取れたみたいでよかった」

 孝志もそうして触れられると上気して、またも発熱がぶり返すようであった。

「もう、ずっかりよくなったよ」

「……孝志くんは、どうしてまだあの『二文字』を言えないの?」

「あぁ、それは……今回みんなに迷惑かけたのは、俺のせいでもあるから」

「もし、言えるようになったら……ふみちゃんはどうなっちゃうの?」

 孝志とふみも、互いに目を合わせる。

「やっぱ……成仏ずるのか? また蔵に戻るのか?」

「もしこれでお空に行ったとしても、それは大貫のおうちのためにがんばってきたんだから、あたしはいいんだけどね。たかにぃが残ってって言っても、もう明治って大昔だから、だんだんあたしもオバケのまんまこっちにいる元気がなくなってきたし、どうなるんだろ?」

 加奈はそれを聞くなり、思わずふみをぎゅっと抱きしめる。

「ふみちゃんがいなくなったら、それはそれで寂しいね」

「でも、かなねぇちゃんにもご迷惑いっぱいかけたから、ホントにごめんなさい」

「ぜんぜんだいじょうぶよ。そんなお別れみたいなこと言わないで」

 孝志の願いは先祖の本懐でもある。

 ただしそれが叶ったら、ふみとはお別れとなる。

 最初はふみを早く成仏させようと、彼は無理にでも女の子と付き合おうと思っていた。

 だが、今は本当にそれでよいのかと自問してしまっていた。

 そこに由宇の影があったから躊躇していた可能性も自分で否定はできない。

「まぁ、ともかく……俺も明日には学校に行けそうだから。ホントにありがとう」

「よかった。やっぱり孝志くんと学校でも会えないと、寂しいよ……」

 無意識に口をついて出た言葉に、加奈も顔を紅潮させる。

 そう言われた孝志も、瞳を揺らしながら彼女を見返す。

 互いに見つめ合ったまま硬直するふたり――。

「あっ、じゃあ、あたしはそろそろ。今晩までゆっくり身体を休めてね。お大事に」

「うん、ありがとう」

 加奈が部屋を出てしばらくすると、ふみは孝志の布団にぴょんと飛び乗る。

「かなねぇちゃんに感謝しないとだね。もう、さきねぇちゃんだのあずねぇちゃんだの、坂本さんちの子だの言ってらんないよ?」

「ありがたいもんだよな、加奈ちゃんにはあんなにヒドいことしちゃったのに、まだ俺に手を差し伸べてくれるんだからさ」

 すると、ふみは頬を膨らませて孝志の顔をぺちっと叩いた。

「だから、あたしはそばで最初から見ててずっと、かなねぇちゃんはたかにぃのことを、すきだって思ってたの! 大貫のおうちで一番奥手で一番鈍感なんだもん!」

「そうなん? 俺はてっぎりふみのおかげで……」

「だから、さっさとびょうきを治して、かなねぇちゃんにすきだって言ってよね!」

 とはいえ、加奈に告白する勇気がまだ持てないのも彼も悩みだった。

 それは早紀のことを綺麗さっぱり忘れられるのか、梓や由宇のことを考えて彼女たちに悪いだなどと、勝手に偽善者気どりになっていたり、自分の贖罪のつもりでいるのではないか――。

 まだ、孝志の背中を押してくれるだけの動機づけにはなっていなかった。

「たかにぃ、また悩んでるの?」

「ん? あぁ、なんというか……俺の『ずぎ』って……」

 その時、ドアノブが回されて玄関の戸が開く。

 加奈が忘れものでもしたのかと見ていた孝志は、それが梓だったことに仰天した。

「あっ、孝志。だいぶ元気そうになったじゃない」

「なんだ。梓も俺がモーローとしてる間に、いろいろやってくれたのか」

「そうだよ、カノジョの鈴木さんとも連絡先を交換して、交代で世話してたんだから感謝してよね」

 梓がいったい何を言い出したのかと、目を丸くする孝志。

「なんで、梓が加奈ちゃんのこと……」

「いいんだってば。あたしはもう割り切ったんだから」

 梓は冷蔵庫の中身を確認してから、キッチンで洗い物を始める。

 シンクのそばには加奈が持ってきた弁当箱とおやつのバナナがあった。

「孝志が熱でフラフラだったときに、ふみちゃんから聞いたよ。由宇のこと」

「あぁ……そうなん」

「孝志は由宇のほうを向いてたからあたしは気づかれなくて、今回だって孝志の気持ちもわからないで勝手にフラれて……結局あたしのひとり相撲だもん、バカみたいだよ」

「でも、別に俺はお前をフッてない……」

 洗い物を終えた梓は、水気の切れていないびしょびしょの両手で孝志の頬を挟む。

「ひえっ! おい、病み上がりだぞ!」

「あたしのひいひいおじいちゃんだって、ふみちゃんを亡くしたツラさを乗り越えて他の女の人と一緒になったから、こうして子孫のあたしがいるの。孝志も後ろばっか見てないで、前を向いて歩きなさいよ。どのみち、みどりさわは無くなるんだよ」

 孝志は両頬を挟まれたまま、ぽかんと口を開けて梓の顔を見る。

「村がダムで無くなっても、賢一や翔太たちとバラバラになっても、過去のことまで無くならないんだから。後は孝志が新しい道を作らないと、由宇に怒られるよ?」

「梓……」

 頬を押さえつけた腕をはがしながら、梓の瞳を見返す孝志。

 もうすでに彼女は、次の道を歩き出しているかのような毅然とした目だった。

「そうだな」

 中学を卒業して自ら村を離れたのに、村での美しい記憶や悲しい別れがいつまでも残り、その呪縛や昔の幻影に憑かれていたのかもしれない。

 それを振り払うのも忍びない気がしていたが、経験した思い出はずっと胸の中にある。過去のことまで無くなるわけではない――そう言った梓の言葉が繰り返される。

「梓ぁ……俺は……」

 突然に男泣きを始めた孝志に、梓も不意を突かれて動揺した。

「どうしたのよ、孝志! 村なんて人生のほんの十五年間でしょ! 親の転勤や引っ越しで、ふるさとを離れてる子なんて日本中にたくさんいるんだから!」

 それにつられて、思わず梓も瞳を潤ませる。


 同窓の心優しい『僕ちゃん』、孝志は大いに泣いた。

 村での思い出を色鮮やかに心に留め置き、そしてこれからの長い人生、前を見て歩いていくための一旦の清算として泣き続けた。

 孝志が落ち着くまでの間、梓はずっと彼の背中に手を置いて寄り添った。




 翌朝。

 学校の教室に入った孝志は、いつもの癖で加奈に話しかけた。

「おはよう。加奈ちゃんのおかげで、ずっかりげんぎになれて良かった」

「孝志くんが戻ってきてくれて、あたしも嬉しいよ」

 通学カバンから洗った弁当箱を取り出した孝志は、それを加奈に返す。

「玉子焼ぎがとくに美味しかったよ」

「ホント? すぐ焦げちゃうし、ふんわり焼くのってすっごく難しくて、お母さんに聞きながらなのに、何回も失敗しちゃって……」

 はたと気がつくと、周りを加奈の仲良しの女子たちに取り囲まれていた。

「これはスクープだわ! 大貫くんと加奈が付き合ってるなんて!」

「うわっ! 大貫くんに手作りのおべんとあげたの?」

 肩や腕を小突きながら茶化す友人たちに、加奈は顔じゅうを紅潮させた。

「ちょっと! そんな大きな声でやめてよ!」

「焦ってる加奈のほうが声がデカいじゃん!」

 途端にクラスじゅうの生徒が一斉にふたりを見た。

 クラスの女子でも清楚な鈴木さんと、無難なところで委員会つながりでくっついた孝志は、友人の男子から羨望と嫉妬の視線を受ける。

 喧噪と騒乱の冷めやらぬなか、ホームルームが始まった。

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