第四話

 孝志のアパートを出て駅前までやって来ると、早紀は彼と向かい合う。


「さて、あたしに今日のデートプランをプレゼンしてください。どこかに行こうかって話をしてて、別にどこでもいいよって女の子が言いました。特に決まってないけど、おうちデートよりは、カレと一緒に外に出たいなっていう状況です」

「趣味とか、好みは?」

「それは今は排除していいわよ。普通で平凡な女の子ってことで」

 孝志は顎に手をあてて考え込む。

「パワーズポット?」

「それは加奈でしょ? カノジョがパワースポット好きだって言っても、年中、神社やお寺ばっかりのデートだと引くわ」

「どこでもいい……どこでも……」

 彼が考え込んでいる間にも、駅に到着した電車が何本か出発していく。

「そんなに難しかった? じゃあ、ちょうどあたしが服を買いたいから、ショッピングに行こうよ」

「わかりました、お姉さんの言う通りでいいでず」

「あとデート体験なんだから、今日だけはお姉さんって呼ばないで。早紀でいいよ?」

「だから僕の『二文字』は……」

「そっか。『詐欺』になっちゃうのか。仕方ないから、あたしが加奈ってことでいいよ」

「じゃあ、加奈さん。行ぎましょう」

「『行きましょう』じゃなくて『行こう』ね」

「はい、行こう」

 改札へ向かう途中で、早紀は孝志の腕に掴まってきた。

 彼女の胸の感触が自身の二の腕にしっかり伝わると、顔じゅうを真っ赤にする。

「付き合ってるカップルのデートなんだから、これくらい普通だって。慣れなさいよ」

「ずいません」


 電車を乗り継いで、やってきたのは渋谷駅。

 夏休みも終盤だがまだまだ休み期間とあって、孝志と同年代の学生や、少し先輩の大人たちが大勢歩いている。

「とりあえず『イチキューマル』に行って買い物したいから、寄ろう?」

「いいでずよ……あっ、いいよ」

 テナントのひとつである、女性アイテムが揃う店内に入る。

 早紀は気になる洋服を手に取っては、鏡の前で合わせたり、値札を見ては戻したりする。

 周囲は女性ものの服と女性客だらけで、孝志も所在なさげに後をついていく。

「じゃあ、ここでテスト。ねぇ孝志くん。これとこれ、どっちが似合う?」

「えっと……どっちも似合うんじゃないかな」

「はい、ダメー」

 早紀は片方の商品を戻すと、もうひとつの服を鏡に合わせて満足げに見る。

「純粋にどっちの服がよりあたしに似合うか、カレと一緒にいる時にどっちが映えるか、確認してるのよ。そういうキュートな服を選べちゃう女の子のセンスを褒めてあげるの」

「アレだと正解じゃないんずか? めんどくさいっずね」

「なんか言った?」

 年上らしい早紀の強い目線でぎろりと睨み返されてしまい、孝志は肩をすぼめる。

「例えば、僕が選んだほうが値段の高い商品だったら、どうなんずか?」

「そういうのはラインナップに入れないから。じゃあ、孝志くんが三千円と三万円のシャツを選んできて、カノジョが三万のほうが似合うって言ったら買う? そもそも選ぶ?」

「選ばないっずね」

「二着気になるのがあって、バイト代に余裕がある時だったら、二着買ってるわよ。そもそもデートでカレに見て貰いたいから事前に服を買うのに、わざわざデートでショッピングするってのは、次はこれを着てあなたと会いたいわって意味もあるの。わかった?」

 そう言い終えると、早紀は満足そうに会計へと向かった。

 孝志は呆然と立ったままその後ろ姿を見ると、首を捻る。

「奥が深いな」


 買い物を終えた早紀がまた孝志と腕を組むと、彼は早紀の買い物袋を預かる。

「そういう自然な心遣いはいいわよ。そういえばお盆に孝志くんちに行った時も、駅で荷物を持ってくれたもんね」

 照れ臭そうにしつつも、少しだけ嬉しげに頭を下げる孝志。

「じゃあ次。ねぇ孝志くん、そろそろお腹すかない?」

「そうでずね……そうだね、どこかでご飯食べようか」

「あたしはなんでもいいんだけどな。孝志くんはどうする?」

「僕もなんでもいいな……イタリアンとか。そこの安くてパッと出る『サイデリヤ』は?」

 途端に早紀は、孝志の耳を引っ張る。

「いててっ」

「それもダメ。『なんでもいい』なんて言ってて、なんでもいい訳ないの。例えば、最近食べたばっかりでかぶってるのとか、嫌いなものがないか聞くのがスマートね」

「なんで女性本位なんでずか? 男ばっかり苦労ずるのヘンでずよ」

「カレの前ではいつでもかわいくいたいんだから。カノジョがそういうかわいい女の子でいられる気回しが大事ってこと」

 孝志は溜息をつくと、改めて芝居に戻る。

「加奈さんは苦手なものってないの?」

 早紀は目をぱっちりと開き、わざとらしく人差し指をあごに当てて声を作る。

「辛いのじゃなければ平気かな?」

「じゃあ、このへんで美味しいラーメン屋が向こうのほうに……」

「ラーメンなんて、せっかくカレのためにオシャレしてきた洋服にスープが飛んじゃうでしょ! それはもっと交際が長くて気楽な仲になってからにして、デートでラーメンはやめなさいよ。脂とグロスで口回りが大変になっちゃうんだから」

「難しいっず」

「でしょ? 女の子って不思議な生き物なんだから。頑張りなさい」

 結局は、またも早紀が行きたいというハンバーグステーキの店に行くことにした。

 理由としては、当然ながらカレとは行きにくいということだった。

「じゃあ、あたしは成人してるから失礼して……もちろんカレの前じゃ飲まないわよ」

 そう言って、早紀は自分だけちゃっかりとビールをオーダーした。

 ふたりはメニューの到着を待つ間も雑談を続ける。

「そういえばさ、こないだお父さんったら会社の付き合いですごい酔っぱらっちゃって、帰ってきたら間違えてお風呂場でオシッコしちゃうんだもん」

「マジっずか。それはダメでずね」

「そっちこそダメ。女の子の家族や友達のことを悪く言うのはダメね」

「ひでぇ、ひっかけ問題じゃないっずか! 自分から言い出したくせに」

「女の子が言う分はいいのよ。そういう時は『大変だったね』とか『お父さんもお付き合いで忙しそうだね』って共感してあげるの。冗談言うタイプの子じゃなければ乗っかってディスるのは絶対にNGね。女どうしの話は共感と共有と肯定、これよ」

 不服そうに腕を組む孝志が睨み返すと、ふっと余裕の笑みを浮かべてビールを飲む。

 その少し大人びた早紀の仕草に、思わず孝志の鼓動が乱れる。


 やがてオーダーしたメニューがテーブルに運ばれてきた。

「ほら見て、孝志くん。このあふれ出る肉汁。中がちょっとレアで肉肉しいじゃない」

「ラーメンのズープはダメで、なんで鉄板にはねる肉汁はいいんずか?」

「今日くらいワガママ言わせてよ」

 早紀は嬉しそうにナイフを入れると、ハンバーグをおおぶりにカットする。

「カレの前じゃおちょぼ口だかんね。孝志くんには悪いけど、しっかり味わうから」

 疑似デートの設定はどこに行ったのか、早紀は大きな口を開けてハンバーグを食べる。

「きゃーっ、これこれ。サイコーっ!」

 よく知った普段の彼女らしい振る舞いで、至福そうにハンバーグを食べていく様子は、同じ姉妹でも、いつも大人しく物静かな加奈とは全く違っていた。

 とても素直で飾らない早紀の反応を見ているうちに孝志も胸を熱くする。

「ほら、孝志くんも冷めないうちに食べな」

 すっかり妹の友達の面倒をみるモードに戻った早紀は食事をうながす。

「いただぎまず」

「どう? 美味しいでしょ? バイト先の女友達から聞いてて、絶対に来たいなって思ってたのよ。でもカレシとは来にくいでしょ? 孝志くんのおかげで助かったわ、ありがとね」

 彼女に礼を言われると、またも孝志は胸の奥にこみあげるものを感じた。

 食事を終えた後も、ぶらぶらと渋谷の街を散策する。

「やっぱ、孝志くんとお出かけは楽しいね」

「えっ?」

 思わぬ早紀の言葉に、孝志も緊張して息を呑む。

「ちがうわよ、デート中の雑談なんだから、キャッチボールしてよ」

「あっ、そうでずね……そうだね、楽しいね」

「オウム返しでもいいけど、他に言いようがあるでしょ?」

 しばらく黙って考え込んだ孝志は、顔を紅潮させて視線を揺らしながら言葉を紡ぐ。

「やっぱり、加奈さんと一緒にいられると、僕も嬉しいな」

「まぁまぁってとこだけど。どう嬉しいの?」

「やっぱりずごい自然で飾らなくて、でもかわいいから……一緒に歩いていると僕もドギドギしまず」

「ホント? あたしもウレシ~……ってそういうの女の子に言えれば、これモンよ」

 早紀は腕を組んだまま孝志の左肩に頭を預けると、彼は全身を震わせる。

「さて、ぼちぼち帰ろっか。あんまり孝志くんを拘束してると加奈がうるさいからさ」

「もう終わりでずか? これで女の子のことわかったのかな……」

「今日の授業の成果で、ちゃんと加奈を安心させてよね」

 夏の終わりを迎え、日没も早くなった夕陽の中を電車は自宅方面へと向かう。


 最寄り駅に戻ると、早紀は組んでいた腕をぱっと離した。

 その瞬間、彼女の胸だけでなく、身体の感触そのものが消えると、孝志もわずかな虚無感をおぼえた。

「じゃっ、多少は参考になったかな? 孝志くんももう少し加奈のこと頑張ってよ」

「ずいません、お姉さん……ありがとうございました」

「それじゃ、あたしはここで。くれぐれも加奈には早めにね」

「あのっ……」

 孝志に呼び止められた早紀は、くるりと振り向く。

 彼は顔を紅潮させながら、震える指先をぐっと握った。

「僕……お姉さんともっと一緒に練習したいでず」

「はあっ?」

「お姉さんと一緒にいると、ドギドギして楽しくて、こんなに幸せな時間はなかったでず……僕、お姉さんとまたシミュレーションでもいいから会えまずか?」

 まったくの想定外の展開に、早紀も動揺した。

 妹のためと思ったが、年下の男の子を少し刺激しすぎたかと後悔する。

「うん、嬉しいけどさ。そもそも女の子に奥手な孝志くんが加奈と付き合って、ちゃんと元通りに喋れるようになるって話だったでしょ? それであたしも協力したんだけど」

「練習だってのもわかってまず、カレシがいるのもわかってまず……でも、もうずこしだけ、僕と一緒にいてもらえませんか?」

「だから、加奈と付き合ってくれたらウチに遊びにくればいいじゃない? そしたら、あたしと会えるよ?」

「お姉さんがいいんでず!」

「ちょっとやめてよ。まさか、孝志くんって年上好きじゃないわよね?」

 彼がここまで勇気を出せるということがわかったのは収穫だったが、この流れには早紀も頭を抱えてしまった。

 無下に振って彼を恋愛に臆病にさせても悪いが、自分にももう恋人がいる。

 妹のことを考えたら、ふみの祟りの元凶である孝志を幸せにするべきだが、それは自分の役目ではないというのは重々承知していた。

「あのね、ホントにごめんねだけど、あたしじゃ……」

 その時、日没前にもかかわらず上空がどんよりと暗くなると、ふみの声が響き渡る。

『さきねぇちゃんも参戦するの?』

「ふみちゃん、参戦なんかしないわよ。あたしにはカレがいるし、孝志くんと加奈が付き合ってもらわなきゃいけないんだから」

『じゃあ、たかにぃをもてあそんだ?』

「違うって。孝志くんは確かにいい子だし、実家はお金持ちだし、かわいいとこもあるけど、練習だってふみちゃんも聞いてたでしょ? あたしはそもそもカレがいるんだってば」

『でも、たかにぃはさきねぇちゃんのこと、すきになったよ?』

「あたしも嬉しいけどさ。でもそれは加奈が引き受けるっての」

 ぶ厚く垂れこめた黒い雲が現れると、さらに周囲は暗澹とした。

『じゃあ、さきねぇちゃんがカレシより、たかにぃを選びやすくするように「かれし」って言えなくするね!』

「ちょっと待ってよ、孝志くんもふみちゃんを止めてってば! なんであたしだけ二回なの? それに三文字ってズルいよ!」

 早紀の訴えもむなしく、ふみの小さな手のひらを叩き合わせる音が周囲に木霊する。

「……! ちょっと、また…ゃべ…なくなってる! た……くん、どういうこと!」

「ずいません。でも僕、お姉さんとまた一緒に遊びたくて、ふみのことほったらかしにしたくなりました」

 早紀はがっくりと膝から崩れ落ちると、恨みがましく顔を上げる。

「ホントにわぁってる? たっくんのこと、マジで嫌いになりそうよ? 罰ゲームならまた、たっくんのウチでお仏壇にお線香あげぇばいいんでじょ?」

「いえ……たぶんこれは罰ゲームじゃなくて、普通にふみの『恋愛縛り』かと」

 大きな溜息をついた早紀は孝志を睨みつけると、こんどは上空をきょろきょろと見回す。

「ふみちゃん、こんじゃ逆効んがよ! このままだとあたい、たっくん大嫌いだわ」

 だが、その問いかけにふみの声は返ってこない。

「もう、なんなのよ! ふみちゃんってば! おいこらっ、ふみ!」

「お姉さん、あのぉ……」

 恐る恐る声をかける孝志の顔を見るなり、早紀は反射的に頬を叩いてしまった。

 呆然と叩かれた頬に手を添える孝志。

 早紀も『しまった』と苦い顔を一瞬したが、涙を浮かべた彼は落胆して歩き出す。

「たっくん、あのね……ちょっと、たっくん!」

 早紀の声に振り返るでもなく、頬の痺れる痛みと、掻きむしられる心の疼きとともに、失恋した孝志の姿はやがて消えていった。

 夏の夕立雲はどんよりと重苦しい彼の心のように、街を薄暗く染めていく。

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