絡まり、空回る、僕ら。

第一話

「じゃあな、梓。またな」

「うん、孝志もありがとね。なんかあったら連絡ちょうだいよ。ていうか、あたしも連絡するからね、既読スルーしないでよ」


 互いに手を振って別れると、孝志は久しぶりの自宅へ到着した。

 すっかりと室内は蒸された空気で充満しており、不快な熱気が襲ってくる。

「あっつ……長いこと家を空けると、これだけが手間だよな」

 ふみはさっそく本棚にある書籍を漁り出すと、ちょこんと座り読書を始める。

 この夏で二度目の荷ほどきを終えた孝志はスマートフォンを手に取る。

 そして加奈に向けて、メッセージを送信した。

『こないだはありがとう。東京に戻ってきたよ』

 ほどなくして返信音が鳴る。

『おかえり。孝志くんのおうちにすっかりご迷惑になっちゃったね。今度お礼をしたいから、落ち着いたら連絡ください』

 それを読むと、またもうすら笑いを浮かべる。

 梓とは付き合いが長いし、彼女がいいやつだというのは重々承知しているが、やはり女の子らしい加奈の振る舞いは、非常に心地よい。

 ひとりヘラヘラとする孝志の顔とスマートフォンを、ふみが交互に覗きこむ。

「たかにぃ、これじゃ前となんにも変わってないよ」

 ふみの指摘に、はっと我に返った孝志は、彼女の頬をむにっと引く。

「ちょっと、すぐほっぺた引っ張るのよしてよ!」

「そういうこと言うお前が悪いんだよ。これからだっての、よく見てろって」



 翌日。

 空腹感をおぼえたので孝志は自宅のキッチンを見回すも、カップ麺やレトルト食品ばかり。

 祖母のおかげでいくらか懐も温かくなったので、スーパーに行ってもう少し人の手作り感を味わえる食材を求めることにした。

 外出の準備をしていると、本を置いてふみが駆け寄ってくる。

「あたしもお買い物についていく!」

「チャリンコのふたり乗りはお巡りさんに怒られるからな。ズーパーに着いたら実体化ずるか、そのままオバケのままでもいいぞ」

 スーパーに到着すると、人気がないところを見計らってふみは自分の頬をぺちぺち叩く。

「よっしゃ、入ろう」

 孝志が買い物かごを片手に店内を物色してまわっている時だった。

「あら、孝志じゃん。昨日の今日で偶然だね」

「おぉ、梓……よく会うよな」

 先日のみどりさわ村でのキスを思い出すと、無意識に梓の唇ばかりを目で追ってしまう孝志だったが、バレないように避けようとしてもつい視線は元に戻ってしまう。

 一方の梓はすぐに孝志の隣にいる小さな女の子の存在に気づいた。

「いまどき着物って珍しい。かわいいね。もしかしてこの子が親戚の子?」

「そう。前に言ったけど、いとこのふみ」

 梓は膝を曲げて、ふみの頭を撫でる。

「こんにちは。あたし葉月梓っていうの。よろしく。孝志とおんなじ中学だったのよ」

「みどりさわ村で炭売りの葉月さんだよね。ふみも知ってるよ」

「すごい、小っちゃいのにウチの昔のこともよく知ってるね。今はガス屋だけどね。ねぇ、孝志。舞も言ってたけど、大貫さんの親戚って村にいたっけ? 母方の子?」

「ん? あぁ、俺らが小さい頃に引っ越した家の子みたい」

「ふーん、そうなんだ。そうだったかな?」

 適当に誤魔化す孝志の発言に、梓も首を傾げる。

 梓は彼の買い物カゴを覗きこむと、いくつかの生鮮野菜が入っていた。

「どうしたの? あたしのおかげで食生活の改善に目覚めた?」

「まぁな、たとえばカップ麺にほうれん草や刻みねぎを入れるとか、レトルトカレーなら茹でたブロッコリーを入れるとか、くらいしか思いつかないけどさ」

「茹で野菜だと栄養がお湯に流れちゃうことがあるからね。例えば、カップ麺を袋麺にして、野菜と一緒に煮込むとかでもいいんだよ」

「なるほどな、相変わらず梓もたいしたもんだ」

 逆に孝志が梓のカゴを覗きこむと、肉や鮮魚、野菜に調味料といった商品がバラエティ豊かに詰めこまれていた。

「叔母さんとあたしの料理の当番は半々ってとこかな? いろいろレシピを教えてもらえるから、料理って慣れると楽しくなるよ」

「男の料理はダメだわ。ものぐさか、凝り性のどっちかしかいないもんな」

「ねぇ、あたしが孝志んちに行ってもいい? 料理したのタッパーに入れて冷凍しておけば、食べる時にチンして必要なぶんだけ温めればいいんだから。それにふみちゃんのご飯はどうしてるのよ? まさかインスタントばっかりじゃないでしょうね」

「いや、いまは宅配とかいろいろあるからさ。ふみの飯も困らないよ。それに部屋がまだ片づいてないからさ。悪い」

 梓も先日のことがあるので、ここで無理を通して彼に嫌われたくないとの想いが湧く。

 やむなく今日は素直に引くことにした。

「じゃあ、落ち着いたらご飯は作りにいくからね。たしか消防署の裏のほうでしょ?」

「あぁ。でも無理しないでいいからな」

「じゃあね、ふみちゃん。バイバイ」

 手を振り返すふみと、黙って見送る孝志。

 まだまだ予断を許さない展開に肩を落とす彼を、ふみも呆れたように見つめる。



 そして、二十日を迎えた。

 孝志と加奈の学校はここで一度、登校日となる。

 夏休みの前半に出た課題の回収をしたり、追加で配布される新学期までの課題を貰ったりと、在校生にはとても気が重い日だったと、先輩の早紀から聞いていた。

 孝志が電車を降りると、駅前のバス停でばったりと加奈に出会う。

「おはよ、大貫くん。こないだはありがとうね。バスと電車、一緒についらみらいね」

「加奈ちゃん、こっちこそありがとう。あと、その『二文字』のこと、ホントごめん」

 ふたりはそのまま一緒に校門を抜け、教室へと向かう。

 だが、よそよそしく偶然に居合わせたような芝居で、それぞれの机に座った。

 孝志はとにかく余計なことを喋らないように、口元に拳を当てて黙っていた。

 加奈も自分がヘマをしないように、注意深く友人と会話する。

「おいっ、大貫。ぜんぜん元気ないじゃん。どうしたんだよ」

「別になんにもないって。また九月には学校が始まるなって思っただけだって」

 クラスの仲の良い男子から声をかけられても、孝志は必死に素っ気ない態度を取る。

 そんな風に友人に囲まれている彼の様子を案じて、加奈もわずかに視線を送る。

「ちょっと、加奈も大貫くんのこと気になるんじゃないの? 一緒に委員会活動してるうちに、まさか好きになったとか?」

「あ、あっしはそんなんじゃないよ。大貫くんとは委員っ……のやつだけだし」

「焦って『あたし』って言えないくらいじゃん! 正直になりなよ!」

 大なり小なりの山場はあったが、ふたりともこの登校日を乗り切った。

 下校もタイミングを合わせたわけではないが、なんとなく秘密を共有する仲間のように頃合いを見計らって、友人たちをうまく撒いて一緒に学校を出る。

「ぎょうはなんとかなったよ。ごめんね、加奈ちゃん」

「うぅん、あっしもうまくいっらよ。大貫くんも早く治るといいんらけどね」

 駅まで向かう間も、ふたりはぴったりとくっついて歩く。

 先日の軽井沢のように、不意に手を繋ぎたくなる衝動に駆られた孝志だったが、他の生徒に目撃される恐れもあるので、己を律する。

「ふみちゃんはどうしらの?」

「もう帰ってぎてるよ。一緒に連れてぎたんだよ……なんか加奈ちゃん、『二文字』を誤魔化ずの、上手くなってるね」

「お姉ちゃんがアドバイスしてくれらの。喋る前にいちど深呼吸して、がんがえてがら喋ろって」

 互いに自分が出せない『二文字』を含む会話に、妙に可笑しくなってしまった二人は一緒に笑い出す。

「あと、こないだのメッセージで送っらお礼のこと。お姉ちゃんも気にしてるんで、なるべく早く連絡欲しいな」

「うん、わかった。早めに連絡ずるよ」

 駅で別れたあとも、加奈とした会話を反芻する孝志。

『最初はふみのせいでなんだよって思ったけど、逆にトラブルのおかげで、加奈ちゃんとわりと仲良くなれたんじゃないのかな?』

 妙に得意そうにうなずくと、こんどは自分の読書のために書店に寄ってから自宅へと戻った。


「おかえり、たかにぃ。またご本を読ませて」

「ふみ、いい子にしてたか?」

 室内に戻りエアコンをつけると本棚へと向かうが、ふみが望むような書籍もないので、今しがた書店で購入したライトノベルを彼女に手渡す。

「たかにぃ、ちゃんとあっちの『お話』も進んでる?」

 呑気に読書をするふみのせいで気苦労を強いられた孝志は、盛大な溜息をついた。

「なに言ってるんだよ。だから、ふみの祟りを解くために、こうして加奈ちゃんのことをがんばってるんだろ」

「たかにぃががんばるのは、かなねぇちゃんを真剣にすきになること!」

 それは、自分が加奈を異性としてしっかり認識し、交際することではないのか。

 いまいち彼女が何を言っているのか理解できず、孝志も不満そうに睨み返す。

「デッティニーランドや図書館デートだけじゃなく、ウチまで遊びにぎてくれたんだぞ。もうこれは加奈ちゃんも、そういうことだろ?」

「でも、かなねぇちゃんのきもち、ちゃんと聞いたことあるの? たかにぃはかなねぇちゃんにはきもち伝えたの?」

「こんだけ仲良くなったんなら、もうぎもちは届いてるっての。ふみみたいな子供には、オトナの恋愛はわかんねぇって」

 子供代表のふみは不満そうにぷくっと頬を膨らませた。

 そして、どこで読んだのか大人向け雑誌の記事について、孝志に講釈を垂れる。

「女の子の恋愛コラム『そのカレシで平気? 恋愛ではなくカラダ目的な男かも?』で、すきだとかって言葉にだしてキチンと言われないのが、女の子は不安なんだって!」

「だから、ふみはおませさんなんだよ! 心が通じ合ってればいいんだろ?」

「それが一番ダメなパターン。ちゃんとお礼とかきもちとか言われないと、女の子はダメなんだからね。勝手に勘違いしてるのはいつも男の子のほう」

 ふみも自分の胸元に手を当てて、嬉しそうに目を瞑る。

「だから、葉月さんちの男の子は、すごいあたしのこと心配してくれてやさしかったよ。その玄孫のあずねぇちゃんも、やさしそうだもんね」

「それがどうしたってんだよ。梓のご先祖もふみが死んじゃったあと、しっかり他の女の子と結婚してるんだぞ? 男なんてその程度なんだよ。子供が知った風なこと言うな」

「んごふぅっ!」

 またもふみは大量の喀血かっけつをしてから、呆然と自分の手元を見る。

「なんじゃあ、こりゃあぁっ!」

「うるさいよ。ふみはこないだ図書館で、少女マンガ『太陽にポエろ!』のジーンズ刑事デカが殉職のポエムを詠む回を見たろ? わかってるんだからな」

「さすが『僕ちゃん』たかにぃ。女の子のお話もちゃんと読んでるんだね」

 くすくすと笑うふみに、若干の怒りとともに呆れて目元を押さえる孝志。

「『太陽にポエろ!』の話はいいんだよ。ほら、また服が血だら真っ赤じゃねぇか。洗濯ずるから脱げよ。そのツノトカゲみたいな技よせって」


 ちょうどその頃、彼のアパートのエントランスに梓がやってきた。

 スマートフォンと建物を交互に眺めて、物件名と部屋番号を確認する。

 部屋の扉の前に立つとインターホンを鳴らそうとした時に、中からわずかに孝志とふみの賑やかな会話が聞こえた。そのままドアノブを回すと施錠もされてなかったので、開けて入ることにした。

「おーい、孝志。ご飯作りにきたんだけど?」

 ドアが開いた物音に気づいて、孝志が振り返ると玄関に立つ梓と目が合う。

 彼は腰ひもをほどいて着物を脱がせ、ふみをあられもない姿にしようとしていた。

「孝志、やっぱそういう趣味で親戚の子を呼んだんだ……」

「違うって! ふみがその……鼻血を出しちゃってさ。洗濯のためだって」

 ふみは真っ赤に染まった両手を梓に見せた。

 梓は持参した食材をキッチンに置くと、代わりにふみの世話をする。

「とはいえ、あんまし健全じゃないよ。孝志はお洗濯と替えの洋服を準備して。あたしがふみちゃんの血を洗い流してくるから。さっ、ふみちゃん。お風呂場にいこ?」

  梓はふみの手を引いてバスルームへ向かうと、靴下を脱いでスキニーパンツの裾をまくる。

「あったかいシャワーにする? 夏だから冷たいほうが気持ちいいかな?」

「どっちでもいいよ」

 梓はふみの顔や首回りをシャワーで流していくが、ふみはしばらくすると梓に向けて質問を投げる。

「あずねぇちゃんは、たかにぃのことすき?」

 ふみからの唐突な発言にどぎまぎしながらも、梓は回答をはぐらかす。

「孝志はみどりさわの頃からの大切なお友達だからね。もちろん学校の他のみんなも好きよ」

「じゃあチューとかする仲じゃない?」

「最近の幼稚園ってそんなにおませさんなの? ふみちゃんがもっと大きくなったらチューしたいかどうか、心配すればいいよ」

 孝志はクローゼットを開けて替えの服を用意する。

 といっても、デスティニーランド用に買った一着だけだ。

 洗濯機に衣類と洗剤を入れていると、浴室の中で交わされている会話が漏れ聞こえ、孝志も呆れたように頭を抱える。

「ふみちゃんにこんなこと聞いても、わかんないかもしれないけど……孝志から聞いたけど、ふみちゃんは親戚の子なのよね? 気になって実家に確認したんだけどさ、大貫さんってずっと男の子のひとりっ子だったんでしょ? ふみちゃんは誰の親戚なの? お母さんの方の子って今まで村に遊びに来たことあったっけ?」

「あーあ……あずねぇちゃん、あたしのこと知っちゃったんだ?」

「ふみちゃんのことを知ったってよりは、逆に詳しく知りたいんだけど……」

 両手で顔の水滴を拭ったふみが瞼を開くと、その瞳は怪しく紅の光を放つ。

「あたしの秘密を知っちゃったあずねぇちゃんには、あたしのことをお外で言えないようにしてあげる!」

「えっ? やだ、ちょっ、なに……」


 孝志がバスタオルを準備していると、浴室から梓の悲鳴が聞こえる。

「この展開は、ヤバいやつかも……なんかあったな!」

 慌ててバスルームに向かい、戸をノックする。

「おい、梓! ふみ! なんかあったのか?」

 戸が開くと、顔面蒼白になった梓がよろよろと出てきて孝志にもたれかかる。

「孝志……ちゃん……ちゃんが」

 加奈や早紀と同じ状況だと察した孝志は、ふみにバスタオルを放る。

「ふみ。お前、梓にもなんかしたろ?」

「たかにぃ。あずねぇちゃんにあたしの秘密バレちゃった。だから罰ゲーム」

「どういうことだよ!」

「葉月さんちは大貫のおうちのこと詳しいから、親戚の子なんていないってバレちゃったの! だから黙っててもらうことにしたの」

 孝志は梓の肩を揺すり、声をかける。

「梓、どの文字を言えなくされたんだ?」

「……ちゃんのことを言えなくさせるって」

「もうわかった。『ふ』と『み』だな」

「どういうことなの、孝志! ……ちゃんってもしかして悪霊とか地縛霊じゃないの! 」

 頭を掻きながら嘆息を漏らす孝志は、改めて梓と互いの目を合わせる。

「そうだな。こうなったら梓にもちゃんと言わないとダメだな」

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