第二話
リビングに戻った孝志はクッションを用意して梓に座るよう促す。
そして彼も丸テーブルの脇に腰を下ろした。
「ふみは、俺の家の蔵にいたご先祖の霊なんだ。ざしぎわらしみたいなもんでさ。ふみの力は、ある特定の文字を言えなくさせられるらしいんだ。子孫繁栄のため、俺が女の子と付ぎ合わないと、この祟りは解けないらしい」
孝志はスマートフォンを用意して、メールで『す』と『き』を打つ。
「俺はこれが言えない。おおぬぎたかし、ざしぎわらし、ずぎやぎ、デッティニーランド……ほかに言い換えたり、濁点をつけたり、わざと訛らせて誤魔化してる」
「孝志は東京いっても訛りが抜けないんじゃなくて、そのせいだったんだ」
「でも『ふみ』なんて、あんまし出てこないからいいじゃん。俺なんか大変だよ」
「そんなことないでしょ! それにしたって言えないって事実は変わらないんだから!」
そのあとしばらく孝志も逡巡していたが、正直に加奈のことも伝えることにした。
「あとさ、俺のクラズメイト……夏やずみに実家にいた子。あの子も『たか』って喋れないんだよ。あれはなんか、ふみの秘密ってよりは、こいつのぎまぐれって感じでさ」
「あたしは、たかにぃとかなねぇちゃんが、ふたりにとって大事なことばを言えなくても、お互いにすきになるようにしてあげたんだから!」
ぷんぷんとお門違いに立腹するふみだったが、それを聞くと梓も瞳を揺らす。
その女の子が言えない言葉が『た』と『か』だなんて、まるで孝志の名前を連想させるような今の話に動揺していた。
ふみのいたずらで非礼を働いてしまった孝志も申し訳なさそうに頭を掻く。
「おい、ふみ。俺はこないだも怒ったろ? しかも今度は梓まで……お前がだいずぎだった、はづぎさんの子孫に迷惑かけてどうずるんだっての」
「さっきも言ったじゃない。葉月さんちの男の子はホントに優しくていい子だった。あたしが病気になる前はいつも『ふみをおよめさんにしたい』って言ってくれたし、お布団で休んでてもお見舞いにきてくれたの。だから子孫のたかにぃたちが、くっついてよ!」
「ふみ、梓の前で加奈ちゃんのことまでベラベラ喋っといて、その言い草はなんだよ!」
「まぁまぁ。大貫さんのご先祖と子孫でケンカしないでよ」
なぜか被害の当事者だというのに、仲裁に入る羽目になった梓。
「とにかく、さっきの話だと孝志にカノジョが出来ればいんでしょ? だったらさ、しっかり決めてくれないと。別にその子でも……あたしでも誰でもいいから」
梓の本心は、夏祭りの晩に聞いていた。
それゆえ孝志は、ホイホイとアドバイスに従って加奈に注力し、無下に彼女を放置してよいものかどうか躊躇してしまう。
「わかった。梓には前に伝えた通りだよ。まずは俺自身のぎもちをしっかり……」
「日常生活に支障があるから、なるべく早くしてよ。と言っても、意識しないで喋ってるんだけど、ホントにあんまり出てこないのね、あの『二文字』って」
「出たとぎがツライぞ。グッと声が止まるし、必死に言い換えを探したりしてな。おかげで舌がよく回るようになったよ」
梓はここにお邪魔した用事をはっと思い出して、立ちあがるとキッチンへ向かう。
「そうだ、孝志に栄養のあるご飯を食べさせようと思って作りにきたんだった。結果的に……ちゃんは座敷童ってことで、ご飯は食べないんだよね? ちょっとキッチン貸してよ」
「そうなん。そりゃありがてぇけど、とんだ災難で悪いね」
しかし、いかにも男のひとり暮らしといった光景で、キッチンにはまな板と包丁はあったが、鍋とフライパンは小さなものがひとつずつ。
冷蔵庫を開けると、調味料はソースとケチャップとマヨネーズだけだった。
「さすがに孝志の食生活は偏りすぎじゃないの?」
「なんでさ? 食パンにケチャップと溶けるチーズとハム乗せてトーズトしたら万能よ?」
「百均でタッパー買ってきて良かったわ。これに小分けして入れとくから」
梓は手際よく野菜を茹でたり、一個だけのフライパンで何種類かの炒め物を作ると、タッパーに入れて冷凍庫へ並べていく。
「おかずはチンして順番に食べなよ。あと孝志が買った野菜だけど、ほうれん草は茹でて、ねぎは刻んでおいたから、カップ麺にでも足して食べてね」
「いや、ホントにたずかった」
梓は玄関に向かうと、靴に足を入れる。
「じゃあ、孝志。この『二文字』のこと、ホントによろしくね」
「うん、ホントごめんな」
近くでふみが見守っているので、梓もそれ以上の突っ込んだ会話はせず部屋を出て行った。
ドアが閉まると、孝志はふみの両頬をくいっと引っ張る。
「このいたずらもんが。どうしてくれるんだよ?」
「さっさとかなねぇちゃんとキチンとしない、たかにぃがいけないの! じゃあデートしたりチューしたりエッチなことしただけで、カノジョって言えちゃうの?」
腹を立てた孝志は、スマートフォンから加奈にメッセージを送る。
「よーく見てろよ。おおぬぎの家のために、俺自身のために、ふみにぎゃふんと言わせてやるからな」
加奈たちが夏休みに彼の家に宿泊させてもらった礼をしたい、との話だったので、まずはその予定を決めることにした。
それはすぐに決まり、翌日、孝志は加奈の家に向かう。
手ぶらで良いと念押しされたものの、さすがにはばかられるので菓子を持参した。
インターホンを鳴らすと、またも早紀が応対した。
「やっ、大貫家の未来のご主人様。加奈も中で待ってるよ」
案内されて再びリビングへ向かうと、加奈がキッチンで飲み物を用意していた。
「ごめんね、大貫くん。わざわざ来てもらって」
「ううん、だいじょうぶ。こっちこそごめん」
室内には香ばしく甘い匂いが充満している。
「せっがくなんで、大貫くんのらめにケーキ焼いらの……もう!『あっしの二文字』が多くて、ちゃんと大貫くんに言えないじゃない!」
孝志は自分の『二文字』を濁点などで誤魔化しているが、これまでもしていた加奈の言い換えは少し舌足らずに聞こえた。
「ふみのせいでごめん……でもちょっと、かわいいと思っちゃった……なんて」
加奈はオーブンから焼きあがったパウンドケーキを取り出す。
その間、テーブルでは孝志と早紀が雑談をしていた。
「加奈がまだちゃんと喋れてないってことは、ふみちゃんの祟りは残ってるのね。ホントしっかりしてよね、孝志くん。あたしだって年中、加奈と一緒じゃないんだし、ウチの中で誤魔化すのもわりと大変なんだから」
「ずいません……お姉さん」
「あと、それ。義理の姉になるんだから、もっとラクに早紀って呼んでもいいよ?」
「加奈ちゃんと結婚しないと解けない祟りじゃないでずって。それにダメでず……ほら、俺の『二文字』って」
確かに、彼のよくやる言い換えだと、彼女の名前は『詐欺』とも取れる音になってしまう。
「そうね、それはまたの機会にしましょうね」
加奈がケーキを切り分けていくと、断面にはドライフルーツがたくさん顔をのぞかせる。
早紀はそんな妹を見ながら、孝志に小声でささやく。
「急に料理やお菓子づくりまで始めて、加奈ったらどうしちゃったんだろね? ありゃあ、いい嫁になるよ?」
「はぁ……そうなんずね」
おそらく、自分が梓に教わった料理をつくった影響だろうと孝志も思ったが、敢えて黙っていた。
「じゃあ、あたしは二階の部屋に戻ってるから。弟の康輔も塾でいないし、あたしもイヤホンでラジオ聞いてるから、物音は聞こえないわよ。孝志くん、『ごゆっくり』ね」
早紀は不敵な笑みを投げると、そのままリビングを去っていく。
加奈は孝志の正面に座り、アイスティーのグラスと、ケーキの乗った皿をふたつ用意してテーブルに置いた。
「大貫くんの口に合うといいんだけど。失敗しちゃってららごめんね」
孝志はフォークで一口大に切ると、口に入れる。
パウンドケーキというものを食べ慣れていれば、レシピ通りのいかにもな味だろうが、焼きムラも無くふっくらと仕上がっており、それ以上に加奈が手作りで焼いてくれたということが、彼にとっては無上の喜びだった。
「うん、美味しいよ。しっかり焼けてるし、このフルーツの甘さも量もちょうどいいね」
「ホント? よがっらぁ」
孝志は同じようにケーキを口に運ぶ加奈を見る。
調理に邪魔にならないようにしたのか、後ろ髪はゴムでまとめていた。
さらに、彼を待たせないためにエプロンを取り忘れて、一緒にケーキを食べる彼女の姿も非常に愛らしいものだった。
梓も部屋に押しかけて来て料理を作ったり、彼女の叔母の家で食事をともにしたが、みどりさわ村からの付き合いの長さのせいだろうか、加奈の厚意はやはり素直に嬉しく新鮮に感じられた。
『やっぱ加奈ちゃんは純粋でかわいいよな』
アイスティーをひとくち飲んだ加奈は滔々と語り出す。
「もう、最近はお姉ちゃんが大貫くんのこと、しつこくて。もう一度どこら遊びに行きなよって、あっしにずっと言ってくるの」
「あぁ、お姉さんね。確かに夏やずみもあとちょっとだもんね」
「叔父さんちのお店番も終わっらんで、あっしも予定は少し空いらの」
この会話は、まさに時間がありますアピール。
すなわち『どこかに連れてって』のお誘いではないだろうか。
孝志もアイスティーをぐっと飲み込み、改めて加奈の顔をじっと見る。
「もし加奈ちゃんがよければ、どこか行こうよ……でも、デッティニーランドも行ったし、ほかの所もパッと思いつくのがなぁ……」
「あっし、行ってみらいところがあるの」
恥ずかしそうに取り出したのは、女性向けの雑誌。
「パワースポットに興味があって。飯田橋にある神社なんだけど……男の子ってそういうの嫌じゃない?」
「神社? べつに嫌じゃないよ」
「詳しくは言いにくいけど、あっし『ひとり』だと、すごく行きにくいの。その……もし大貫くんがよければ、一緒にきてくれない?」
「全然いいよ、行くよ。任せて」
だらしない笑顔を浮かべながら、孝志は首を縦に振る。
「じゃあ、夏休みも少しだもんね。あしらでもいい?」
「もちろんだいじょうぶ。じゃあ明日ね」
孝志は家を出たあとも、陽気に鼻歌まじりで帰宅する。
そんな彼を見送った加奈がキッチンで洗い物をしていると、早紀が二階から降りてきた。
「あら、孝志くんもう帰っちゃったんだ。全然進展しないわねぇ、あんたたち」
「うん……」
「でもデートする約束はできたんでしょ?」
黙って洗い物を続ける加奈の様子に早紀もなにやら察して、妹と肩を組む。
「ちょっと、加奈。どうしたのさ?」
自宅に着いても、まだ鼻歌を鳴らす孝志に、ふみは本を読んだまま視線も合わせずに問いかける。
「かなねぇちゃんと上手くいきそうなの?」
「俺の実力よ。お子ちゃまのふみにはわかんねぇだろうな」
有頂天になる孝志を、ふみは怪訝そうに見つめる。
「じゃあ、かなねぇちゃんにはたかにぃのきもち、ちゃんと言えたの?」
「これからだって。ずぐに間合いを詰めてくんだよ」
また鼻歌とともに洗面所の鏡の前に立つと、前髪を指で整えだした。
そしてあくる日。
孝志と加奈は駅の待ち合わせ場所で合流する。
「大貫くん、あっしのワガママでごめんね」
「ぎにしないでよ。じゃあ行こうか」
都内の電車を細かく乗り継ぎ、飯田橋駅に降り立つ。
しばらく歩くと高層ビルの中に建つ神社の前に到着する。
鳥居を抜けると、都心のビル群に居るのを忘れるような、空の青が広がっていた。
境内にはあらゆる年代の女性グループが大勢いる。
加えてカップルも多く、男性のみの参拝客は数えるほどだ。
「あの……加奈ちゃん。ここって?」
「縁結びにご利益があるっていうパワースポットなんだけど、学校のみんなとは来にくいし、お姉ちゃんは乗り気じゃなくて……大貫くんならお願いできるがもって」
神社の由緒も由来も調べてこなかった孝志は、唖然と女性だらけの周囲を見回す。
それにしても縁結びで男性と一緒にくる、ということはそういう意味では。
そう思うと、孝志もここで確実に恋仲になれるよう、がぜん張り切り出した。
加奈はまず手水所へと向かう。
「このひしゃくで水をすくって、左手を洗っらあとは右手を……」
彼女の説明を聞きながら、見よう見まねで孝志も同じ動きをする。
手を清めると、拝殿へと繋がる人の列の最後尾に並ぶ。
「なんか、デッティニーランドより混雑してそう……」
「ご利益あるって有名だもん」
孝志たちの順番がようやく回ってくると、賽銭を入れて参拝をする。
『加奈ちゃんと付き合えますように、加奈ちゃんと付き合えますようにっ!』
両目を瞑り必死に祈った孝志は、途中で瞼を開き横にいる加奈の姿をうかがう。
彼女もまた両目を閉じて、神前に祈る。
――これで、我々はもう無事にカップルということで良いのだろう。
孝志も上機嫌で一礼する。
「大貫くん、あっし御守りを見てもいい?」
「うん、俺もおみくじ引こうかな?」
孝志は授与所に向かうと何種類かある恋愛みくじではなく、ごく普通のものを引いた。
番号を伝え、巫女から手渡されたものを読む。
「おっ、だいぎちじゃん。こりゃ調子いいわ」
全般的に良いことが書かれていたので、機嫌良く読み進めていくが、恋愛のところにはただ一言『叶うが慢心するな』とあった。
これまでの流れと実績があれば、問題ないであろうと孝志もさほど気にしなかった。
「ごめんね、お待らせ」
いくつかの御守りを手に持った加奈が戻ってくる。
彼女もしっかりと恋みくじを引いていた。
「大貫くん、大吉じゃない。いいなぁ、あっしは普通の吉だよ」
「しかし、ずごい人の多さだね。ホントに話題のパワーズポットなんだね」
「あっしの伯父さんがここで結婚式しらんだって。縁結びのパワースポットだけじゃなくて、恋愛全般にご利益あるんだよ」
「へぇ、そうなんだ……とうぎょうじゃ有名なんだ」
境内を出た二人は、ふたたびビルが林立する都心の街並みを歩いていく。
「ねぇ、加奈ちゃん。まだ時間早いしせっかくだから……ちょっと違うとこ行かない?」
「そうだね、いいよ」
電車ですぐ隣の水道橋駅へ向かうと、ドーム球場に併設された遊園地でクレープを食べたり、ゲームセンターに寄ったり、アトラクションを楽しむ。
ふみもいない、ふたりきりのデートに孝志も感極まる。
これこそ、いよいよ加奈と距離を詰めた証拠ではないか、と小躍りする勢いだったが、しばらくすると、加奈のスマートフォンからメッセージの受信音がした。
「お姉ちゃんだ……さっき言ってら伯父さんが遊びにくるんだって。みんなで晩ご飯にするんで、早めに戻ってきなって」
「そうなんだ、そりゃそっちを優先しないとね」
「ごめんね、大貫くん。あっしのお願いで予定空けてもらっらのに」
「構わないよ、じゃあ戻ろっか」
孝志と加奈はやむなく駅に向かい、互いの自宅のある方面へと向かう。
電車の中で加奈はさっそく買い求めた御守りを、私物のバッグの内側に結びつけていた。
「それで、加奈ちゃんはなんのお願いしたの?」
「……大貫くんと同じこと」
――これはキタだろう!
ついにふみの祟りともおさらばではないか。
孝志は内心、天にも昇る気持ちになり笑みがこぼれそうになったが、ぐっと堪える。
そのうちに電車は彼らの最寄りの駅についた。
「じゃあ、加奈ちゃん。ぎょうはありがとう」
「うぅん、大貫くんこそ、ありがとうね」
孝志はその先の展開を考えこんでしまい、ぼんやりと加奈の顔を見る。
ふみを見返し、さらに祟りも解くために一気に間合いを詰めて行こうと決心したものの、わずかな躊躇が彼の行動を止めさせていた。
今ここで胸に秘めた想いを伝えたほうがいいんだろうか。
しかし、これから伯父も含めた家族団らんだというのに、彼女の負担になってしまわないかと躊躇する。
それでも、やはりここで伝えないと、と口火を切ろうとした時だった。
「ふみちゃんに聞いらの。男の子とお付き合いできると、あっしの『二文字』が喋れるようになるって……」
加奈が突然になにを言い出すのか、先手を打たれた孝志は狼狽した。
また、ふみの妙な入れ知恵ではないか、と思考を巡らせる。
「だがら、大貫くんも頑張って、いい子と付き合えるといいね。あっしも頑張るがら」
「えっ、加奈ちゃん……俺は、あの……」
「じゃあ、ありがとうね」
笑顔で手を振りながら去っていく加奈の後姿を、孝志は呆然と見続けた。
よもや、加奈に言い寄る男がいたのか、彼女が想いを寄せる男がいるのか。
あれだけの濃密な夏休みを過ごしてきたのに、自分は脈ナシだったというのか。
ではなぜ、手を繋いだり、ふたりだけで外出したりしてくれたのだろう。
頭の中が混乱してしまい、それ以上は加奈に向けて、何の言葉もかけられなかった。
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