第四話

 孝志は、メッセージに記載されていた住所を頼りに、加奈の家に向かった。

 玄関の『鈴木』の表札を確認し、インターホンを鳴らす。


 扉が開くと、出迎えてくれたのは小学校の高学年くらいの男の子。

「あ、どうも……加奈さんいまずか?」

 彼は家の中に向かって声をかける。

「おーい、加奈ねぇちゃんに男のお客さんだよ」

 だが、やってきたのは見知らぬ年上の女性だった。

 加奈と同じようにストレートの黒髪を背中までおろしているが、歩き方や立ち居振る舞いは、少しだけおおざっぱだ。

 夏らしい藍色のノースリーブのブラウスと白のパンツという服装で、女の子っぽい服を好む加奈とはまた違う大人の雰囲気を演出している。

「ごめんね、いま加奈は買い物に出ちゃったの。あたしは姉の早紀さき。よろしくね」

「あの……おおぬぎ孝志っていいまず、よろしくお願いしまず」

「おもしろい。加奈から聞いてた通り、ちょっと訛ってるんだ、かわいいね」

 年上の女性から『かわいい』と言われ、孝志は照れ臭そうにうつむく。

『遊び人かと思ってたけど、ウブで純朴っぽいし、いい子そうじゃん』

 早紀は手招きして、孝志を家に招き入れる。

「どうぞ、あがって待っててよ」

「あっ……お邪魔しまず」

 彼の背中に触れると少し緊張した様子だったが、ぐっと押して玄関へと入れる。

『反応よし。女慣れもしてないみたいね』

「あの、これ……つまらないものでずけど」

「うそっ、駅前のパティスリーのやつだ。あそこいつも混んでるんだよね、ありがとう」

 早紀はケーキの入った白い紙箱を受け取る。

『なかなか気が利くじゃないの。しかも回り道して駅前に寄ってからここにくるなんて。そこもマルってとこね』


 リビングにあるテーブルに孝志を案内すると、氷を入れたコップに冷蔵庫から出したアイスティーを注いでいく。

「えっと……孝志くんだっけ? 孝志くんはガムシロとミルクいる?」

「いえ、そのままでだいじょうぶでず、ありがとうございまず」

 早紀がちらと冷蔵庫の足元を見下ろすと、加奈がL字型のシステムキッチンの裏で膝を丸めて、息を殺している。

 妹と目を合わせてにやりと笑うと、グラスをふたつ持ってテーブルの向かいに座る。

「暑かったでしょ。どうぞ」

「…っみません、いただぎまず」

 彼も、なにやら祟りの影響で『彼の二文字』を喋れないのは、妹から聞いていた。

 必死に誤魔化そうとするその様子もまた、早紀には可愛いらしく見えた。

「いやー、まさか、奥手な加奈がカレを連れてくるなんて思わなかったな」

 それを聞いた孝志は、思わず飲んでいたアイスティーでむせる。

「いえ、まだ加奈さんとはお友達で……ちゃんと交際をしてないでず」

「でも、加奈と一緒にデスティニーランド行ったのって、孝志くんでしょ?」

 いまここで隠し立てをしても仕方ないので、孝志も素直にうなずく。

「ねぇ、孝志くんって群馬県の子なんだよね? どのあたりなの?」

「みどりさわ村っていう……渡良瀬わたらせ川の上流なんでずけど。高校はないんで、卒業したらみんな街まで出るしかないんでず」

「へぇ、それで受験して東京に出てきたんだ。エライね。親戚の家にでもいるの?」

「父がアパートを借りてくれて、そこに住んでまず」

「そうなんだ、ひとり暮らしじゃ孝志くんもなにかと大変でしょ? でも男の子だから、親元を出ちゃったほうが、かえって気楽かな?」

 早紀はテーブルの上に両腕を置いて組む。

 ノースリーブなので、白い肌の二の腕がどうあっても孝志の視界に入った。

「ごめんね、エアコンの効きが悪くて。南向きの部屋って夏はあっついよね」

「いえ、だいじょうぶでず」

「そう? あたしはあっついわ、ここ」

 早紀は、ブラウスの一番上のボタンをはずす。

 さらに髪をバサッと手で後ろに流していくと、彼女の腋が丸見えになる。

 孝志は内心どきっとしたが、視線をそちらに合わせないように、グラスに視線を落とす。

『高校生なんだから、こういうの絶対気になるハズなのに、わりとマジメね』

 だが、いかにも姉妹という感じの控えめな早紀の胸よりも、さらに大きな梓の谷間を目撃していた孝志は、そこにはさほど意識は向かなかった。

 早紀はグラスに挿したストローからアイスティーをひとくち飲むと、また会話を続ける。

「孝志くん、自炊とかもするの?」

「いえ、あんまり……レトルト以外はチンジャオローズとズープカレーくらい……」

 本当はどちらも、梓が作ってくれた料理を咄嗟に言葉にする。

「でもエライね。掃除とか洗濯もできてる?」

「そのあたりはだいじょうぶでず。ばあちゃんに言われて、よく手伝ってたんで」

 それにはズボラな早紀も感心してうなずく。

「聞いたけど加奈とおんなじクラスで、委員会も一緒にやってるんでしょ? あたしもあそこの高校に通ってたから、よく知ってるよ」

「ホントでずか? 加奈さんと同じ美化委員会なんでずけど。ボランティアでお寺の掃除したとぎに、加奈さんめちゃくちゃ怖がって。ウチは田舎なんで、お墓が近くにあるのが普通でしたけど」

「あー、わかるわ。あの子ビビリなのよ。とにかくホラーとか怖いのがダメでね」

 キッチンの裏でしゃがむ加奈も話を聞いて顔を赤らめるが、学校で共に生活している時や、デスティニーランドに一緒に行った時よりも、孝志はよく話をしていた。

 それは自分の友達をもてなす姉の技量とも思えるし、自分が男子慣れしてなさすぎるという反省もあった。もっと彼のことを知らないといけないが、それにしても姉と楽しそうに会話をしている孝志に少しだけ嫉妬する。


「ねぇ、孝志くん。すごいしゃべり方が面白いし、かわいいんだけど、やっぱ標準語って慣れない? 訛らないでしゃべれるの?」

 早紀は、妹から聞いていた『祟り』の話をそれとなく切り出す。

「それが得意じゃないっていうか、その……」

 頭を掻きながらもごもごとお茶を濁す孝志だったが、早紀はさらに詰め寄る。

 文字通り、顔を近づけて彼の目をじっと見ながら。

「なんか、孝志くんの地元って、『す』と『き』だけが訛るよね」

「はぁ、そうなんかねぇ? 自分じゃわっかんねぇっず」

 わざと方言を強くして誤魔化し笑いを浮かべるが、早紀は会話をとめない。

「濁らないで、キレイな音で『す』って言ってみて」

「……ッス」

「それ、英語の『TH』の発音でしょ。前歯にベロを当てたやつ。そうじゃなくて、普通にちゃんと喉を鳴らして言ってみてよ」

「…」

 孝志は口を動かしているが、音にならず喉が震えない。

「どうしたの? じゃあ『き』は?」

「…」

 エアコンが効いたはずの室内なのに、孝志の額にはじわじわと汗がにじんでくる。

 ハンドタオルで額を拭いながら、黙ってアイスティーを飲んだ。

「なんでしゃべれないの? なんか加奈も最近になって急に『あっし』とか言い出すし、あの子は『た』と『か』が変に舌たらずになるんだよね」

 じっと見つめる早紀の視線に居たたまれず、孝志はうつむき加減に顔をそむける。

「……ごめんなさい」

「どうして? なんで孝志くんが謝るの? べつに怒ってないのに」

「申し訳ないでず」

 キッチンの裏に隠れる加奈もさすがに彼が気の毒に思えて、立ち上がろうかと躊躇していた時だった。

「すごいよね。孝志くんが『すき』で加奈が孝志くんの『たか』って言えないなんて。しかも、孝志くんが誰かと付き合わないと解けない祟りなんでしょ? 祟りっていうより、おとぎ話みたいなファンタジーよね。障害の多い恋を成就するお話ってあたしも興味あるわ、それ」

「えっ、お姉さん、なんでそれを……」

「孝志くんは加奈のこと、真剣に『好き』なの? 付き合ってみたいと思える?」

 彼がそれきり黙ってしまったのは、早紀が試してくるせいではない。

 それよりも恐ろしい可能性を考慮していた。

 以前にふみが言っていたこと。

 この祟りがバレたりバラしたりしたら、彼女いわく罰ゲームがあるということを。

「お姉さん、マズいでず……それを知っちゃうと……」

「なんで?」

「罰ゲームっていうか、別の祟りが……」

「どうしたのよ、孝志くん。キミに好きな子ができたら祟りが無くなるんじゃないの?」

 すると、まるで空に夏の夕立雲が立ち込めたかのように、室内はみるみる薄暗くなっていく。

 焦った様子で孝志は周囲をせわしなく見回し、声を上げる。

「おい、よせよ、ふみ。お姉さんにはバカなことずるなよ」

 やがて、深い残響に包まれた小さな女の子の声が室内に響く。

『さきねぇちゃんはあたしの秘密、知っちゃったんだ』

「やだ、なにこれ、オバケ? 孝志くん、これも祟りなのっ?」

 姿なき幼女の声に、早紀もにわかに狼狽する。

『それに、たかにぃのことをもてあそんだから、さきねぇちゃんも罰ゲームね!』

「なんなのよ、いったい! 孝志くんってば!」

「おい! ふみ、よせ!」

 小さな手をぺちっと合わせる音が響くと、それっきり室内は明るくなっていった。


 孝志は早紀に向けて深々と頭を下げる。

「んだよ、ふみ! ずいません、お姉さん。あれは実家のオバケっていうか、ウチのご先祖のざしぎわらしでして」

「ホントにユーレイっているん…ね。ちょっとさす…に…ックリしたよ……?」

 自身の違和感に気づき、震える手で頬や喉に触れる早紀。

「なにこれ! …うなってるの…ん…んしゃ…れない。『…くてん』、点々のついたの、しゃ…れない! ちょっと、孝志くん!」

 早紀は錯乱しイスから立ち上がると、孝志の肩を掴んだ。

 うずくまっていた加奈も、それを聞いてキッチンから駆け寄って来る。

「お姉ちゃん、だいじょうぶっ?」

「あっ、加奈ちゃん。どうしよ、お姉さんがふみのせいで……」

 髪を搔き乱した早紀は、途端にがっくりと妹にもたれかかる。

「点々か、せんふ言えなくなっちゃった……あたしたってカレと会ったり、キャンパスてしゅきょうかあるのに……それに、アルハイトはとうしたらいいの……」

「お姉さん、ずごい……もう喋りなれてまずね」

「こう見えて、あたし教職を目さしてるんたから。こくこの先生になりたいのよね」

 狼狽しつつも早紀が比較的普通に会話できるのは、事前に祟りの内容を聞いていたせいか、やはり国語の教職課程にいるという技術と経験ゆえか。

 加奈は姉に寄り添ったまま、視線を定めることなく中空に向かい声をあげる。

「ふみちゃん、聞こえる? 怒ってららごめんね。ホントにウチのお姉ちゃんが悪いの。でも、お姉ちゃんだけは元に戻してあげて。あっしが何でもするんがら!」

 額に手を添えてがっくりとうなだれる孝志も、低く強めの声を放つ。

「おい、ふみ。これじゃおおぬぎ家の恥だぞ。お前は他の家にへいぎで迷惑をかける、そんな失礼なご先祖だったのかよ」

 しばらくすると、また残響と共にふみの声がする。

『……お盆の十三日に、大貫のおうちのお仏壇にお線香とおまんじゅうをあげて。ごめんなさいって三回言ったら、さきねぇちゃんの罰ゲームは止まるから』

「いくいく! もちろん行きます、すみませんてした! たから許してくらさい!」

 早紀もすっかり色を失い、なぜか孝志に向かって首を振って返事をする。

「ふみ、ついでに俺らのも治してくれよ……」

 早紀は、孝志と加奈の手首を握ると、強引にふたりの掌をぎゅっと合わせた。

「あんたたちも付き合ったら治るのよね? あたしと弟の康輔こうすけはこれから家をいなくなるわ。ふたりともキスなりお風呂なりセックスなり、好きなようにしてていいから」

「ちょっと、お姉ちゃんってば!」

 加奈は顔じゅうを紅潮させて姉の肩を叩く。

 それでも、孝志と繋がったほうの手は決して離さなかった。

「そういう単純なもんでもないんずよ。ずぎ……ラヴがないとダメみたいで」

 頬を赤らめつつも嘆息をする孝志の肩を掴んだ早紀は、ぐっと指に力を入れる。

「コメンね。孝志くんのこと、うたかってた。来週のしゅうさん日ね。予定は空けとくからさ。ホントに加奈のこと好きになってよね。よろしくね」

 睨み返されたとも言えるような鋭い視線と指の力強さに、孝志もただ愛想笑いを浮かべるばかりだった。

 そのまま早紀は階段まで向かうと、二階に向かって叫ぶ。

「こうすけぇーっ! お買い物いくから、付き合いなさい!」

 姉の命令に渋々一階に下りてきた弟は、面倒くさそうに返事をする。

「なんでさ、いまゲームしてんだけど?」

「加奈のお客さん来てるから行くの! いいからついて来なさい。察しろ、このアホ!」

 弟の耳を引っ張って、そのまま早紀は家を出ていく。

 唖然と見守ってた孝志と加奈だったが、互いの手を握ったままなのに気づき、ぱっと離した。

 気まずそうに頭を掻いた孝志が引きつった笑みを浮かべる。

「どうしよ? お風呂沸かしてみる……とか?」

 加奈は耳まで真っ赤にすると、孝志の腕を強く叩いた。


 ソファーに寄り添うように座るふたりは、まだ手を繋いだままだった。

「なんかいろいろごめん、加奈ちゃん……」

 すると、加奈が孝志の肩に頭を預ける。

「どうしらら、あっしと大貫くんの呪いが解けるんだろ」

『た』の言えない加奈が、祟りを呪いと表現したのを察した孝志は、彼女の肩をそっと抱き寄せた。

 加奈はおもむろに立ち上がると、手を引いて彼にも立ちあがるよう促す。

 それから孝志に抱きつくと、目を潤ませて語る。

「大貫くん、これでもあっしのこと、好きにならない?」

「いや、加奈ちゃん……俺もどうしたらいいのか」

 全身を包む女の子の柔らかな肌の感触に、瞳を揺らしながらも狼狽する孝志だったが、静かに首を振る。

 すると加奈はワンピースのボタンを上からはずしていくと、下着姿になった。

「あっし、これで大貫くんに好きになって欲しいな」

 孝志の背中に腕を回すと、彼の胸に身を預ける。

「まだダメだよ、加奈ちゃん。俺らそういうことじゃ……」

「これでも……?」

 背中に手を回すと、ブラジャーのホックに手を掛ける。

 緊張と興奮で唾を飲む孝志は、黙って彼女の仕草を見守っていた。

 加奈は片腕で胸を隠したまま、ブラジャーを持つ指を離す。

「あっしのだいじなもの、大貫くんにぜんぶあげる……」

 孝志も堪えきれずに加奈の華奢な肩を掴むと、互いに顔を寄せた。

 胸の高鳴りを抑えられぬまま、目を瞑って受け入れる彼女の唇に近づいていく。

 やがて、がさがさとした荒い感触が頬に触れた。

『あぁ、加奈ちゃんの肌ってわりとゴワゴワして音もザラザラと……』

 違和感に気づき瞼を開くと、それは枕だった。


 孝志は目をこすりながら、周囲を見渡した。

 あの騒動の後、加奈の家を退散して自分の部屋で昼寝をしていたのを思い出す。

「……んだよ。あとちっとだったのに。そんなら、ついでだから……」

 そのままティッシュの箱を手元に寄せていると、スマートフォンの受信音が鳴る。

 それは梓からのメッセージだった。

『孝志はまた帰省すんの? わたしは今週の土曜に帰るから、一緒に行こうよ?』

 結局はふみも戻って来ずに、さらには早紀の祟りも解くために、実家に向かう用事ができてしまった孝志。

 そこに加えて、梓からの催促だった。

 彼も面倒くさそうに頭を搔きながら、スマートフォンでメッセージを打つ。

『来週のお盆に実家に戻る予定はできたけど、梓と時間が合うかな?』

 それに対して、すぐに返信が入った。

『そんなに別の用事で急ぐの? なにもないんだったら一緒じゃダメなの?』

 メッセージを見るなり、孝志はがっくりと肩を落とす。

「なんだって、梓はこんなにタイミング悪いんだよ……頼むから、加奈ちゃんに集中させてくれってのに」

 しかし、ふみが指定したのはお盆の十三日だった。

 敢えて、そこに合わせて加奈たちと合流して向かう必要もない。

 しばらく思案すると、メッセージを打つ。

『親戚の子に会って東京に戻るってなったら帰りは別々になるかも。それでもいいか?』

 すると、すぐに梓から返信がきた。

『全然いいよ。一緒に帰ろうよ』

『わかった、そいじゃ土曜な。駅前に十時集合とかでオッケー?』

 溜息をつきながら、今度は加奈へメッセージを送る。

『実家からお盆より前に戻れるか連絡がきたから、先に帰省してるね。加奈ちゃんとお姉さんは十三日に、最寄りの「わたらせ森林鉄道」のみどりさわ駅前に着きそうになったら、連絡ください』

 そのあと届いたどちらからの返信も、違和感や疑いもなさそうな文面であった。

 ほっと息を吐く孝志だったが、わずかな罪悪感も覚える。

「まさかこんな、ふたまたみたいなことをズルズルしてっから、ふみの祟りが解けないなんてことないよな……」

 不安を消すように頭を振ると、スマートフォンを布団のうえに放り投げる。

 カレンダーを見ると、土曜日はもうじき。

 夏休みも間もなく、折り返しであった。

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