みどりさわ村の盆祭り

第一話

 八月の盆が翌週に迫る土曜日。

 孝志が駅前に向かうと、先に梓が待っていた。


「おはよ、孝志。それじゃ行こうか」

 今日の彼女はコンタクトではなく眼鏡をかけて、髪を後ろにゴムでまとめていた。

「なんだ、ちっとだけ昔の梓っぽいじゃん」

「急にすごい変化してると、親が遊んでるって心配するでしょ? 少しずつね」

「でも、叔母さんあたりから、普段の情報は入ってるんじゃないのか?」

「そっか……まぁ、それはそれよ」

 都内から列車を乗り継ぎ群馬県に入ると、わたらせ森林鉄道に乗り換える。

 四人掛けで向き合うボックスシートなのに、なぜか梓は孝志の隣に座った。

「この辺まで戻ってくると、ずいぶん見慣れてるわって感じするよね?」

「ん? そうか? まだ桐生ぎりゅうで乗り換えて運動公園らへんじゃん」

 既に夏休みのはじめに一度戻ったばかりの孝志には、二度目の景色だ。

 それでも久しぶりの帰省に興奮した様子の梓だったが、車窓からの代わり映えのしない樹々や川を見ているうちに移動で疲れたのか、孝志の腕に寄りかかって眠る。

 うんざりと彼女の方を向くと、首回りのゆったりとしたシャツからは胸元が見えた。

 我ながら情けないと思いつつ、孝志はそのまま眼前の光景を堪能する。


 やがて車内には、みどりさわ駅が近づくアナウンスが流れた。

「おい、梓ってば。そろそろ着くぞ、起ぎろって」

 目をこすった梓が車窓の外を見る。

「うわぁ、知ってる景色だ。五か月も経ってないのに、すごい懐かしい感満載だよ。ちょっとテンション上がるんだけど」

 外をぐっと覗き込む梓の身体が触れると、彼女の胸が右腕に当たる。

『マジでよしてくれよ……俺は加奈ちゃんのことだけ考えないといけないのに……』

 そのくせに孝志は微動だにせず、梓に任せるままに腕の神経に集中した。

「もうちょっと麓のあたりから、ここらへんは全部ダムに沈んじゃうんだよね」

「そうだな……電車でひとつ手前あたりからだもんな」

 わたらせ森林鉄道も既に、ダムを迂回する工事が始まっていた。

 自分の家も学校も駅も水の底に沈み、自分たちの生まれ育った村の景色が全て消えてしまうのかと思うと、ふたりとも神妙に車窓を眺める。

 ダム本体の着工がいつ始まるかはまだわからないが、みどりさわ村への帰省は、もはや数えるほどしか来られないのだろう。

「そういえば孝志んちは、おうちとか、お父さんの会社の移転先って決まったの?」

「まだだな……墓も動かさないとだし、親父もやること多いみたいだよ」

「そっか。ウチは少し麓に事務所と家を動かすみたい。お墓もそうだよね」

「そうなん? 梓んちも大変そうだな」

 はたして本当にここが水没してしまうのか、今はまだ現実感はない。

 国の施策とはいえ、いくばくかの補償金だけで生まれ育った思い出の村を取り上げられてしまうことに納得しろとは、まだ若い彼らには承服できないことばかりであった。


 じきに短い列車はみどりさわ駅に到着した。

 木造の駅舎がある簡素なホームに降り立つと、梓は背と腕をぐっと上に伸ばす。

「はあ、実家に帰るだけなのに移動だけでも大変って思っちゃうね」

「こうやって億劫になって、実家が遠くなるんだろな。とはいえ、ダムが完成したら実家は別の場所になっちゃうけどな」

 駅舎から改札を抜けると、赤いポストがぽつんとあるだけの開けた駅前広場の近隣には、店舗らしきものはまるで見えず、人の気配の代わりに彼らを迎えたのはセミの大合唱だ。

 夏の鋭い日差しに焼かれながら、街路灯もない急峻なアスファルトの坂道を登っていく。

 孝志は暑さと疲れで無言になるが、梓は初めての帰省なので足取りも軽い。

「いやぁ、みど中まで通い慣れた道だわ。すごい懐かしく感じちゃう」

 だが孝志の歩幅は小さく重い。

 前回は駅からタクシーにまんまと乗車したので、まさかの徒歩行軍に息を切らせる。

「コミュニティバズでよかったじゃん。なんで歩ってくんだよ」

「けっきょく、待って乗ってる時間より、徒歩のほうが早いって」

「こんなにギツい坂道だったか?」

「孝志は東京の道に慣れてダラけちゃったんでしょ?」

 やがて、互いの自宅へと別れる分岐までやってきた。

「そいじゃ、俺はこっちだから。また」

「せっかくだから、一回くらい孝志んちに遊びに行こうかな? お盆終わったら東京でもね」

「久しぶりなんだから、ほかの女子とでも遊んでろよ。じゃあまたな」

 手を振って別れると、先月末にもやってきた実家へと戻る。

 家に着くと母と祖母が迎えてくれた。

「おかえり、孝志。ちゃんとお盆には戻ってきたわね」

「おおかた、また『蔵』の方が気になったんだろ、孝志?」

 祖母の発言に首を傾げる母であったが、お見通しの様子に孝志も苦笑をする。


 孝志はさっそく仏壇に線香を供えると、祖母に話しかける。

「ねぇ、ばあちゃん。その、ひいひいじいさんの妹の写真ってないの?」

「まだ明治の頃だよ、それに大貫の家が商売で大きくなる前だから……どっかに頼んで肖像画を作ったらしいってお義父さんが言ってたかねぇ? 若くして逝ったのに眠り顔じゃ気の毒なんで目をぱっちり開けて、まるで起きてるように描いてもらったとかなんとか」

「でもこの部屋には無いよね? どういうことだろ?」

 いま腰をおろしている仏間には、ふみの肖像画や遺影は見当たらなかった。

 孝志は蔵の鍵を取り出して、重い戸を開ける。

 先月、父とともに掃除と荷物整理をし、また収蔵品の陰干しもしたので、蔵はホコリやカビの不快な臭気は軽減していた。

 中を見回してから書籍が積まれた一角へと向かった孝志は、そこで膝を曲げる。

「やっぱここに逃げてたのか、ふみ」

「だって、たかにぃが怒ってるから……」

「そりゃまぁ……ふみがしたことはいけないことだよな。でも、ふみがいなくなって俺を心配させたことにも怒ってるんだぞ」

 言葉とは裏腹に、孝志は右手を小さな頭にそっと乗せて、髪をくしゃっと撫でてやる。

「そいでさ、ふみの肖像画を見たいんだよ。こないだの大掃除で俺が触ってないところだから、親父がやってたエリアかな?」

「あたしの絵はここ」

 思わぬ盲点であったが、肖像画は積まれた本に囲まれるように裏向きに壁に立てかけてあった。

「ありゃ、こないだ掃除しそびれてたのか。悪い悪い」

 孝志は持ち上げるだけでホコリが舞う額縁をくるりとひっくり返す。

 おかっぱ髪の女の子が、お気に入りだった赤い着物を着た、上半身の肖像画。

 その特徴は間違いなく、ふみと同じだった。

 ところが、肖像画の女の子の瞼は眠るように閉じられていた。

 祖母の話では、高祖父やその先代は目を開けた肖像画を描いてもらったと聞いており、孝志も近くにいるふみと肖像画を交互に見返す。

「マジかよ……どういうことだよ、こりゃ」


 孝志は自転車に乗り、実家の墓へと向かう。

 以前と同様に彼の肩には、オバケ状態になって重さのなくなったふみが乗る。

 墓石は一度新しく造り替えを行った際に、埋葬されていた祖先の名が刻みきれなくなったため、碑石が別に用意されていた。

 孝志は指でなぞりながら、時間を遡って一番古いあたりを読む。 

『優徳清文童女 明治四十年二月没 行年七』

「ここに刻まれてるのがふみだよな……数え年で実際は六歳ってことか」

 その横で自分が埋葬された墓に手を合わせているふみは、孝志には奇妙な光景に映ったが、大好きな兄であった高祖父に向けてのものなのだろうと思った。

「でもひいじいちゃんと親父は、ふみを見たり感じたりしたことなさそうだって、ばあちゃんも言ってたけど、俺やじいちゃんにはふみを確認できた。この差はなんだろう?」

「大貫のおうちでも、特に奥手で女心のわからなそうな男の子!」

 幼女から単刀直入に言われて、孝志もがっくりとうなだれる。

「ってことは、じいちゃんも苦労してばあちゃんを射止めたってことか……」

「もしかしたら最初は、はつえちゃんじゃない女の子とだったかもしれないよ?」

 唐突に孝志の祖母の名前を出してにやりと笑うふみの頬を、彼も不機嫌そうに引っ張る。

「別にそこはいいだろ! じいちゃんもばあちゃんも、ふみの祟りのおかげで一緒になれた純愛ってことで! お前がそれを言うなよっ!」

 ふみはそう言って茶化したが、祖母は先祖を自称する座敷童の存在に、妙に理解ある態度を示していたことに、なんとなく安心した。

 だとすると、若い頃の祖母も『大切な文字』を失った状態の祖父と、結ばれたのかもしれない――。

 思わず笑みを浮かべた孝志は、あらためて墓地から周囲の光景を眺める。

 村を見下ろすと、住宅や樹々の合間からわずかにみどりさわ中学校の白い校舎が見えた。

「学校からあんなに坂道を登る俺んちは、川からも遠いし高台だって思ってたのに、そんなのも飲み込む量の水で、ここいら全部ダムの底になっちゃうんだよな……ふみのお墓も」

「でも、あたしは六年くらいしかみどりさわで暮らしてないから、ここがお水にしずんじゃうのは、しょうがないかなって思ってるけどね」

 なんとも淡々とした先祖の意見に、孝志も感傷に浸っていた気持ちが壊される。

 すると、ふみは小さな手を繋いできた。

「子孫が大貫のおうちをつなげてくれれば、そこがあたしのおうちだし、お墓なんだよ? いま目に見えるものとか触れるものとかも、ぜんぶシャボン玉みたいなものなんだから」

「俺にはまだ、そこまで達観はでぎねぇ」

 風に揺れる夏草の声を聞きながら、孝志はふみと一緒にじっと墓石を見つめる。

 敢えて盆の時期をはずして、夏休みに入ってすぐ帰省したのは、こうして思い出したくない事を意識してしまう雰囲気が嫌だったからだ。

 そんなふうに考えているうちに、孝志は一筋の涙がこぼれているのに気づく。

「んあっ? なんだよ、全然しらないうちに……」

 ばつが悪そうに涙を拭く孝志の顔を、ふみが見上げる。

「たかにぃ、どうしたの?」

 ふみの姿と碑石を交互に見ているうちに、孝志も胸に熱いものがこみあげてきた。

 膝を折ると、ふみをぎゅっと抱きしめて頭を撫でてやった。

「ふみだってホントはつらかったんだろ、ちっちゃいのに大変だったよな……」

 お返しにふみも、孝志の頭を撫でる。

「たかにぃは、お兄さまみたいにやさしいね」

 ふみを慰撫するつもりが、不意に溢れる堪えきれない涙を隠すように、孝志は彼女の肩に顔を埋めた。



 二度目の帰省こそ実家でゴロゴロして怠惰に過ごすと決めていた孝志は、居間の畳の上で大の字になり、扇風機の風を浴びながら、うちわで顔を扇ぐ。

「ねぇ、ばあちゃん、母さん。こんど友達が遊びにくるから、そんとぎくらいはエアコン点けていいでしょ?」

「別にエアコンのある客間をご案内すればいいでしょうに……みどりさわの子たち?」

「うぅん、とうぎょうの子。あのさ……女の子なんだけど……」

 おやまぁ、とばかりに目を丸めて互いに顔を合わせる祖母と母。

「いちおう、年上のお姉さん。あっ、もしかしたら俺と同い年の女の子とふたりかも」

「孝志みたいにフラフラしてて頼りない男なら、姉さん女房の方がいいね」

「違うよ、ばあちゃん。別に……カノジョじゃねぇし、友達だっての」

 孝志は居心地悪く、ごろんと寝返りを打って背中を向ける。

「これ、孝志。あんた、他人と話すのにお尻を向ける人がありますか。そういうところをお相手に直してもらうようにしなさい」

「はいはい、そういうわけでよろしくね、ばあちゃん」


 そして、日付は十二日となった昼過ぎ。

 加奈からメッセージが届く。

『孝志くん、明日はお姉ちゃんと一緒に行くから、よろしくね。おまんじゅう買っていけばいいんだよね?』

 彼女が『た』と『か』が喋れなくなってからは『大貫くん』と呼ばれていたが、文字でとはいえ、久しぶりに名前で呼ばれたことに高揚しながら返信する。

『ふみの言ってるおまんじゅうって大福のことなんで、よろしく。着いたら駅まで迎えに行くんで、おおよその時間がわかったら教えてね』

 実家には家族がいるため、東京で単身暮らす自宅に迎え入れた時とは違う緊張に包まれる孝志。

 その晩はそわそわと寝つけず、翌朝になると、家じゅうのあらゆる所を掃除して回る姿に、母たちも苦笑を浮かべる。

 畳を入念に水拭きしていた時、スマートフォンが鳴ると慌てて飛びつく。

 それは加奈からのメッセージで、これからわたらせ森林鉄道に乗る、というものだった。

 孝志は時計を見たあと、玄関に貼ってあるみどりさわ駅の時刻表を確認し、列車が到着する時には余裕でホームで出迎えをしていようと、掃除の続きを急いだ。



 一方、同時に帰省していた梓は、同じみどりさわ出身の同級生と久しぶりに再会して、遊ぶ約束をしていた。

「うわー、千里ちさとまいもみんな久しぶり。元気にしてた?」

「梓、東京行ってえらいオシャレになっちゃったじゃん! やっぱいいなぁ都会って」

「みんなはまだダムのせいで引っ越ししてないんだね。会えてよかった!」

「それにしても梓、なんか訛り抜けたね? まるで東京の人だね」

 旧知の仲である女子どうし、立ち話に盛り上がる。

「孝志もいま帰ってきてるみたいだよ。これで、みど中のみんな揃ったじゃん」

「ホント? そうなんだ……すごいね」

 一緒に帰省してその事実を知っている梓は、素知らぬふりをする。

 長いバラバラの時間を埋めるように雑談をしながら、女子三人は駅へと向かう。

 今日は電車で街へ下りて『イヨンモール太田おおた』でショッピングとランチを楽しむ予定だ。

 駅に到着すると、ホームに入ってきたのぼり列車に乗り込む。

 単線のため、待ち合わせでくだり列車を待つ間も、ワイワイと歓談の華を咲かせる。

 すると、同級生の舞が車窓の外を指差す。

「あ、あれ孝志じゃない? もしかしてこれに乗るのかな、こっち気づかないかな?」

「うそっ、どれどれ……あー、電車きちゃった」

 千里も慌てて外を見るも、入線してきたくだり列車に彼の姿は一旦消える。

 先に出発したくだり列車が居なくなると、ホームにいたのは孝志だけではない。

 梓にはうっすらと見覚えのある女性。

 デスティニーランドのお土産袋を持って、一緒に歩いていた子。

 そして、さらにもう少し年上のお姉さん。

 孝志はのぼり列車には乗らず、ふたりを出迎えると改札を抜けていった。

「なんだろ、孝志のお客さんなのかな? お母さんのほうの親戚の子とかかも?」

「でもさ、孝志もちっとカッコよくなってたよね。東京いくとそういう効果あるの?」

「あーねぇ、他の男子よりはさ、地味で一番田舎くさかったのにね」

 はしゃぐ千里と舞に、胸騒ぎが抑えられない梓は静かになる。

「……ねぇ、梓?」

「あっ、そうだね。そうかもしれないね」

 梓は遅れて出発する列車の車窓から、寂れた駅舎をじっと見ていた。

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