第二話
「すごい、割と新しくてキレイなアパートだね。家賃たいへんじゃない?」
加奈は孝志が住む建物の外観を見るなり、感嘆の声を漏らした。
「家賃や光熱費は親父が払ってくれてるから、だいじょうぶ。先祖からずっと田舎で商売してたおかげだよ。この部屋がウチ。汚れてるけど、あがって」
「お邪魔します」
加奈が部屋を見回すと、キッチン付きのワンルームだが、その広さは充分だった。
男の子のひとり暮らしだったが予想よりも室内は片づいており、加奈も感心する。
「中も広いし、孝志くんちすごい片づいてるじゃない。あんな言い方するからもっとヒドいのかと思ったけど」
「そう? 大してギレイじゃないけど、どうぞ」
幸いにもふみが同居し始めたおかげで、初夏の頃の荒れ果てた状態からは改善しており、なにより家主から見ても、やましいものは視界の先には何もない。
すっかり安心した孝志は、悠然と加奈を案内する。
「でも、なんかキッチンのまわりはカップ麺とレトルト食品ばっかりだね。ふみちゃんのご飯はどうしてるの?」
「仕送りがちょびっとなんだよ。俺ひとりならいいんだけど。でも、ふみがいる間は栄養のある料理を作らないとって思ってさ。それで料理を始めたっていうか」
もちろんふみは普段、食事をしない。
だが、彼女が先祖の座敷童であるとの秘密がバレると、さらなる罰ゲームとなるため、適当な会話で誤魔化す孝志。
「そいじゃ、料理を始めるよ」
「あたし、恥ずかしいけど料理ってまだしたことないの。お手伝いしたいけど……あ、じゃあ、お部屋の掃除してもいい?」
「マジで? ありがとう」
キッチンに立つ孝志は、手元に置いたスマートフォンでチンジャオロースのレシピを見ながら、先日、梓がしていた調理手順を必死に思い出す。
その間、加奈は掃除機をかけて、ふみが読み散らした本を棚へ戻し、テーブルの上を拭く。
『これって、なんつーか……まるで新婚みたいじゃん』
さっさとふみが成仏していなくなれば、改めてここに来てもらって、その先は二人で――。
夢のような光景に、孝志もひとりうすら笑いを浮かべる。
「すごい、孝志くん。だんだんとできてきたね」
掃除を終えた加奈がキッチンに様子を見に来た。
梓が調理していた際に自分がしたのと同じように、少し後方から見守られると、若干の緊張と共に優越感に身を躍らせる。
「うん、もうあとちょいで完成だね」
火が通ったチンジャオロースと、炊きあがった米を取り分けたあと、インスタントの味噌汁をマグカップに入れて湯を注ぐ。ところが並べられた食器は種類も枚数も全てバラバラだ。
「なんせひとり暮らしだからさ……皿やお椀もコップも充分になくて、ごめんね」
「すごい、ホントに自炊できるんだね。孝志くんえらいよ」
「はは、まぁね……母さんの受け売りレシピだけど。加奈ちゃんもどうぞ」
本当は梓から教わった料理だが、そこは敢えて語らない。
「たかにぃ、ご飯食べる前はちゃんと『いただきます』しよう」
ふみはデスティニーランドの昼食と同じように、お供え物でないと口をつけられないため、芝居でもいいから子孫の孝志に手を合わせろ、と合図していた。
「えらいね、ふみちゃん。じゃああたしたちも『いただきます』しないとね」
「あっ、そうだったな。『いただぎまず』」
それを受けて、ふみはさっそく料理を口に運ぶ。
孝志と加奈もそれぞれ、ひとくち食べる。
「うん……もうちょっと強火でサッとでもよかったね。ピーマンがくたっとしちゃった」
「でもおいしいよ、あたしも孝志くんを見習わないとな」
本当は彼のために料理のひとつでもできれば、ひとり暮らしのフォローもできるだろうに、手際よく済ませた彼の腕前を見て、役に立てなかったことに少し落ち込む加奈。
「おいしいね、たかにぃ。前に作ってもらった時と同じ味付け……」
「こら、ふみ。口が汚れてるぞ。物入ってるとぎは喋るなって」
ふみを黙らせるように彼女の口元を拭いてやったりする孝志の姿を見た加奈は、パパのように振る舞いながらデスティニーランドでパレードを待っていた彼を彷彿とさせた。
「今度はしょっぎとか、カップや皿も、ちゃんとある程度は用意しないとな」
テーブルの上を見ながらぼやく孝志の発言を聞いて、加奈の胸もざわめく。
『それってこれからも、あたしにここに来ていいよって言ってるんだよね、きっと。だんだんお皿とかカップもお揃いにしていったり、そのうち歯ブラシとかタオルも置いたり、お泊まりは色違いのパジャマを買って、おんなじ布団で……』
ひとり想像に耽るうちに、みるみる顔を赤らめていった。
「……だよねぇ、加奈ちゃん?」
彼の発言が聞こえていなかったため、慌てて意識を向けた加奈はうなずく。
「孝志くんがいいなら、それでもいいよ」
「そっか。ホームセンターのじゃなくても百円ショップでも充分いいものがあるのか」
なにやら、適当な相槌になってしまったようだが、とんちんかんな返事をしないで済んだようで、加奈もほっと息を吐く。
その時、部屋のインターホンが鳴る。
「あ、ごめん。ちょっと待ってて」
やってきたのは工事業者で、水道工事に関する通行止めの説明だった。
すると、玄関で立ち話をしている孝志のスマートフォンがメッセージを受信する。
悪いとは思いつつも、加奈がほんの興味本位でトップ画面を覗くと、受信したメッセージの一部が表示された。
それを見た加奈が息を呑む。
『孝志、また今度あたしがそっちに行ってさ』
そこで途切れているが、サムネ画像を見ても明らかに女性からのメッセージだった。
すぐに五月雨式に次の通知が鳴る。
『新しいテクをおぼえたから、試したいのよ』
『絶対に孝志も好きだからイケると思う』
『夏休みの間に、いろいろやっておいた方が』
読み進めていくうちに、みるみる表情を曇らせていく加奈。
自分以外にも同じように互いに名前で、かつ呼び捨てで言い合える仲の女性がいる。
しかもこの部屋に女性を連れ込んで、あれやこれやと夜な夜なオトナの楽しい実験をしているのではないだろうか。
瞳を揺らしたまま固まってしまった加奈を、ふみも不安そうに見ていた。
「ふぅ……学生だから車なんて持ってないって言ったら、自転車の迂回とか丁寧に説明してくれてさ。マジメな業者だったけど、時間とってごめん」
孝志が戻ってくると、加奈は慌てて彼のスマートフォンをテーブルの元の位置に置く。
「うぅん、だいじょうぶだよ」
先程と違い、少しだけよそよそしく振る舞う加奈に、孝志も首を傾げる。
「何度もごめんね。ちょっとトイレ」
席をはずす際の彼の声を改めて聞くと、わずかに涙を浮かべる加奈。
その様子を案じたふみは、彼女に寄り添う。
「かなねぇちゃん、たかにぃのこと、すき?」
「えっ? あっ……ごめんね。うん、好きだったんだけど、孝志くんのこと好きな女の子が他にいるのかな、って思っちゃって……」
「たかにぃも、かなねぇちゃんのことを真剣にすきになるって決めたんだよ」
「こんなこと、ふみちゃんに言っちゃいけないよね……」
ふみは加奈の膝の上に乗ると、にこっと笑顔を作った。
「かなねぇちゃん。たかにぃの優柔不断でフラフラした性格のせいでごめんね。でも、もっと自信もって。『恋はしょうがいが多いほど燃える』から!」
「でも、孝志くんはあたしのこと、本当に好きになってくれるのかな」
「たかにぃとかなねぇちゃんなら、ぜったいだいじょうぶだよ」
突然にふみの瞳がぎらりと深紅に光る。
「だから、かなねぇちゃんも『しょうがいの多い恋』でたかにぃのこと、すきになって。かなねぇちゃんにはたかにぃの『た』と『か』を言えなくしてあげるから!」
トイレに入っていた孝志は、扉の向こうから加奈の悲鳴を聞いた。
慌ててチャックを上げて、室内へと戻る。
「どうしたのっ、加奈ちゃん!」
室内にはふみの姿は無く、加奈は口元を押さえて震えていた。
「あれっ? おい、ふみ。どこ行ったんだ! 加奈ちゃん、なにかあったの?」
「……しくん」
涙を浮かべた加奈が、孝志の両腕を掴む。
「えっ、どうしたの? 加奈ちゃん」
「やだ、ホントに喋れない! ふみちゃんが急に変なこと言うのよ、そし…らあ…しが『…』と『…』が喋れなくなって! どういうことなの……しくん!」
「あいつ、やりやがったな。自分でバラして勝手に罰ゲームとか、最低だな」
「……しくん。あ…しどうなっちゃっ…の?」
「加奈ちゃん。ちょっと、待ってて」
孝志は眉間を押さえて考え込んだが、自分と彼女の喋れない文字を考えながらよりは、筆談の方が早いと判断して、手元にノートを用意する。
『信じられないかもしれないけど、ふみはオレんちのご先祖のざしきわらしでおばけなんだよ。オレは「す」と「き」をしゃべれなくさせられた』
書き終えた孝志がペンを置くと、今度は加奈がそのペンで文字を書く。
『わたしは「た」と「か」って言われた』
またペンを交換し、孝志がノートに走らせていく、
『ふみのせいで本当にごめん。それでふみはなんて言ってた?』
加奈がその先をペンで綴ろうとするが、わずかに手を止める。
ふみから聞かされた孝志の質問とは違うことを書き出す。
『さっきスマホにきてたメッセージの女の子ってだれ?』
それを読んだ孝志が、慌ててスマートフォンを起動させると、梓からのメッセージがいくつか入っていた。
『ぐんまの地元のやつ。近くに住んでるだけで、別にたいした仲じゃないよ』
『でも、おうちを行き来してるんでしょ?』
『たまたま会って、メシをくいながら話をしただけ。それっきりだよ』
またしても涙を浮かべて孝志の顔をじっと窺う加奈は、筆談をやめて声を出す。
「そんなこと言って、恋人じゃないの? あっしよりな……なが良しっぽいし」
「ちがっ、そんな、加奈ちゃんとは全然ちがうよ。ホントに大したことなくて」
「ハッキリして! どうせ次も会うんでしょ?」
「うん、いや、まぁ、会わないようにしたい……けど」
「ちゃんと言って!」
「あいつも小学校から一緒だからさ。もう完全に会わないっていうのも……」
加奈はぽろぽろと涙を流すと、急に立ちあがる。
「……しくん。うぅん、大貫くん。ごめんね、あっし
「加奈ちゃん!」
「あっしの名前で呼ばないで!」
「だって、俺は『あの二文字』言えないんだもん……ちょっと、…ず…さん! ずずぎさんってば!」
ばたんと強く閉められる扉を呆然と見る孝志。
がっくりと肩を落として玄関先で背中を丸めていると、ふみがけらけらと笑いながら、その姿を現した。
「これから、えらいことになりそうだね、たかにぃ!」
孝志は能天気なふみを鋭く睨みつけると、頬を強く引っ張る。
「お寺でお祈りをしてもらった荒塩でもブッかけてやろうか? それとも神社の井戸の水でも浴びせたら成仏しそうか?」
ふみは頬を引く孝志の腕を力いっぱい叩き返した。
「たかにぃや、大貫のおうちのためにやってるんじゃない! なんでわかんないの!」
「段取りってもんがあるだろ。しかも加奈ちゃんまで祟りやがって……」
今度は、孝志の足の先を強く踏んで、手を払おうとするふみ。
「だから、それでもすきってきもちをかなねぇちゃんに言わなきゃ。お互いに大変なことがないときもちがひとつにならないでしょ!」
「お前がやってるのは、俺や加奈ちゃんのためじゃなくて、単にひっかぎ回してるだけだろ! そもそも、お前の力なんか無くてもカノジョくらいでぎたってんだ!」
「大貫のおうちが心配だから、たかにぃに協力したのに。なんで怒るの?」
「ご先祖だからって許されねぇよ。お前は……ガギだよ! しょせん子供だっての!」
「……つまんない」
そう言うと、ふみの姿は次第にぼんやりと薄らいで消えていく。
「おいっ! せめて戻してからにしろよ、おい、ふみっ!」
なんの反応もなくなった室内で、孝志は力無く座り頭を抱える。
「ばかやろ……」
翌朝。
加奈にメッセージアプリで謝罪の文を送るものの、既読にはなるが返信がなかった。
そして、相変わらずふみの姿もなく、孝志は寝転んだまま溜息をつく。
「梓に会ったタイミングも悪かったな。まぁ元はと言えば、ふみのせいだけど」
悶々とした気持ちも晴れずに、布団の上でごろごろと寝返りを打っていると、メッセージの受信音が鳴った。
待望の加奈からの返信かと、孝志は慌ててスマートフォンを起動する。
だが、それは梓からのものであった。
『返信なかったけど、だいじなの? 生きてる?』
「んだよ……あいつもヒマだな。多少はお前のせいなんだからな」
しばらくは無視しようと思ったが、これ以上放置するのもまた面倒なので、適当に返事をすると、すぐにまた次のメッセージが届く。
『ウチきなよ。ご飯食べようよ』
「……面倒くせぇな」
そう言いつつ、財布とスマートフォンをショルダーバッグに入れて自宅を出ていく。
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