あの娘もなにやら言えなくなって
第一話
時刻は正午。
孝志は昨日買い出しをしたスーパーに向かうと、すでに梓が待っていた。
当然、すぐ足元には姿を消したオバケ状態のふみが監視している。
「急に呼び出してごめんね。でも孝志のために、あたしがひとり暮らしでも役立つ料理を教えてあげるからさ」
「あぁ、まあその……そこそこでいいよ。梓も忙しいだろうし」
さっそく二人は店内に入って食材を選ぶ。
普段の孝志ひとりの買い物であれば、あまり興味もなく通り過ぎるような青果や鮮魚のコーナーもじっくりと見て回る。
「ピーマンは、火を入れてもビタミンCが壊れないようにビタミンPが守ってるから、野菜のなかでも加熱処理に向いてるんだって」
「へぇ、そうなん?」
「しめじってシジミよりオルニチンっていう肝臓に優しい成分が多いから、お父さんとかお酒が好きなひとに食べさせるといいらしいよ」
「そりゃいいな」
とりあえず祟りを解くなら時間も体力も分散せずに加奈に注力しようと、この場を早く取り繕って終わらせようとする孝志の無関心さを見抜いたのか、梓は不満そうに見返す。
「ぜんぜん興味なさそうじゃない。結局、自炊なんかしないでレトルトで終わらせるつもりでしょ? 孝志の身体のためなんだから、真剣に聞いてよね」
「あぁ、はいはい。悪いって」
やがて会計を終えると、孝志たちは店の前で立ち尽くす。
「そいで、このあとはどうなん? 俺んち行くのか、梓んちに行くのか」
「ひとり暮らしだと、ガス代や水道代も大変でしょ。あたしの叔母さんちに来なよ。ちょうど……外出してて誰もいないしさ」
光水熱費も父の口座から引き落とされているので苦労を感じたこともないのだが、今は無難に終えるため、仕方なしに孝志は彼女の叔母の家へと向かう。
「まったく、それにしても孝志がそんなに雑な生活してるなんて。男の子ってホントに横着だよね」
「洗濯と掃除は、ばあちゃんの教えでしっかりやってるっての。メシはカネの問題だよ」
商店街を抜けて、彼女が下宿する叔母の家に到着した。
当然ながら表札は『葉月』ではない住宅に、堂々と鍵を開けて入っていく。
「おいおい。勝手にお邪魔していいのか?」
「あたしの叔母さんちだもん。構わないよ」
梓を先導にキッチンに向かうと、購入した食材を並べて調理を始める。
「今日のメニューはチンジャオロース、しめじのお味噌汁とご飯ね。しめじはここの根っこの堅い石づきを切り落として。ピーマンはまず半分にしてヘタと種をくり抜くの。ホントは細切りにした牛肉とピーマンを最初に素揚げするんだけど、ヘルシーに鶏むね肉を唐揚げ粉と多めの油で炒めるだけで食感も似るし、値段も安いからね」
「はぁ……たいしたもんだわ」
「バカ。感心してないで孝志も手伝うんだよ。次は自分で作るんだから」
オバケに戻ったのをいいことに、ふみは一緒に料理をする孝志の姿をにやにやしながら眺めたり、流し台のそばに腰をかけて足をぶらぶらさせていた。
孝志は恐る恐る包丁を握りながら、梓の指示で食材をカットしていく。
「ちょっと、孝志。その包丁の使い方あぶないよ? 指切らないでよね」
「俺、料理なんてやったことないもん。レトルトや総菜だって美味いもんだぜ?」
「ラクをするのと孝志の横着とは違うからね。こうやって今はカット野菜やだしパックもあるし、調理の素だってあるから、こういうのを活用するのよ」
水を張った手鍋を火にかけてだしパックを入れて沸騰させる間に、フライパンではカットされて売られた細切りタケノコをピーマンや鶏肉とともに炒めていく。
「やっぱ手際いいな。梓がそんなに料理やるなんて知らなかったわ」
「叔母さんちにお邪魔してるんだから。こっち来てから家事をやるようになったね」
梓は得意げにフライパンをふると、こんどは煮立った鍋に味噌をといていく。
孝志が調理をする様子を後ろから見ていると、ふと彼女の胸元に視線が行ってしまった。
タンクトップに薄手の半袖パーカーを羽織っていたが、前開きのチャックははずしていたので、身長差でふくよかな胸の谷間がはっきりと見える。
『地味だったから意識しなかったけど、梓ってこんなに胸おおきかったか?』
悲しいかな、孝志は男のさがでバレないようこっそりと拝んでしまう。
「どう? これなら孝志でも簡単に料理できるでしょ?」
急にくるりと振り返る彼女に慌て、目線を悟られぬよう取り繕う。
「うん、いや、たいしたもんだ。なんか、梓……おかあさんみたいだな」
「ちょっと、せめてお嫁さんみたいって言ってよ。バカね」
梓は呆れ気味に溜息をついて、また鍋をかき混ぜていく。
料理が完成したら皿に盛りつけられた料理を並べると、食卓に向き合って座る。
「さぁ、どうぞ、めしあがれ」
「おおっ、ずげぇ。いただぁいまっ」
孝志はまず味噌汁をすすると、おかずをひとくち食べる。
「うんめぇ。鶏肉のチンジャオローズってのもアリだな」
「ホント? よかった。孝志の口にあうか心配だったよ」
「それにしてもピーマンってもっと苦い食べ物だったよな? 俺らもオトナになったな」
「ピーマン食べたくらいでオトナにならないでよ」
冗談も交えつつ食べ進める彼の様子を、嬉しそうに微笑を浮かべて眺めている。
「そういえばさ、親戚の子が来てるんじゃないの? 今日は孝志ひとりでだいじなの?」
「あぁ、いま児童館に預けててさ。そこで遊ばせてるよ」
「孝志は村に帰省するの? あたしは塾がお休みになるお盆しか行けないけど」
「俺はもう一回、帰った。そいでその子が遊びにくるっつうんで、またこっちに戻ってさ」
食事をしながらも、孝志は改めて向かいに座る梓をじっくりと見る。
長い黒髪で眼鏡だった中学の時よりもだいぶ明るく、よく喋るようになり、私服もすっかりと小洒落て、少しだけ痩せていた。彼女もまた自分を変えようと努力したのだろうと察すると、彼も素直に感心する。
「梓はコンタクトにしたの?」
「そっ。でも面倒くさいときは、たまに眼鏡に戻すけどね」
そう言ってテーブルの上に置かれた眼鏡をかけるが、以前のようにフレームの太いものではなく、細身のレンズに抑えめの赤で彩られたデザインのものだった。
「あっ、あの頃の梓だわ。でも眼鏡もオシャレになったな」
「孝志だってなにさ、その髪型。センターの分け目でおかっぱみたいだったのが、斜めにチョイチョイって流しちゃってさ」
『たかにぃもおかっぱだったの? おそろい!』
ソファに退屈そうに寝転んでいたふみが声をかけるが、梓の手前、リアクションを取れずに無視する孝志に、また頬を膨らませてごろんと横になる。
「どうもごっそうさんでした。はぁ、そろそろ児童館に迎えに行かねぇとな」
「いつでもあたしに連絡ちょうだいよ。せっかくご近所なんだから」
「あいよ、わかったよ」
梓は玄関先で孝志を見送ると、ドアを閉めてリビングに戻る。
室外から彼の気配が消えたあと、残った皿を洗いながら切なそうに溜息を吐いた。
「いいなぁ、孝志のカノジョ……うらやましい」
帰宅した孝志は床にあぐらをかく。
そのまま今日の出来事を反芻しながら、ひとり深く思案していた。
『あれ? 俺ってもしかして、梓のことちっと気になってるんじゃねぇの?』
腕を組んだまま動かない孝志の顔を、ふみが覗き込む。
「あずねぇちゃんと会ったけど、たかにぃはかなねぇちゃん一本でいくんでしょ?」
「いや、それがさぁ。俺もまさか梓があんなに可愛くなってるって思わなかったからさ」
「たかにぃ、しっかりしてよ!」
ふみは叱責しながら小さな掌で孝志の背中をぺしぺしと叩く。
「もっかい確認ね! じゃあ、かわいいのは?」
「そりゃ、ずずぎさんだわな」
「たかにぃのすきなおっぱいは?」
「……梓」
「性格はどう? どっちがすき?」
「う~む……」
「もう! 罰ゲームで『おっぱい』も言えなくするよ!」
「よしてくれよ! その六文字はある意味、男のロマンなんだから!」
孝志はまた腕を組みなおし、考え込む。
よもやこんな展開になるとは彼自身も予期できず、すっかり思考の迷路に入ってしまった。
どちらを本心から好きになれそうかどうか、まだ自分でもわからない。
もしかしたらふみの指摘通り、顔や胸で選んではいまいか、と我ながら情けなくなった。
「仕方ねぇ。次もずずぎさんと会って、また俺自身のぎもちを確認してみるか」
「そんな、ふたまたみたいにフラフラしててへいきなの?」
ふみの言葉に自分の行為がそれほどの大罪なのか、とわずかに孝志も逡巡する。
『ふみが言うような、ふたまたのゲス野郎みたいか? でも別にまだどっちとも付き合ってるわけじゃないんだし、別にかまわないよな』
孝志はあぐらの姿勢のまま腰を浮かせると、くるりと身体をふみに向ける。
「ふみ。ちっとお前の力を借りるぞ。またオバケから見えるようにしてくれよ」
そしてスマートフォンを取り出すと、加奈へメッセージを送信する。
後日。
図書館の前でふみと共に待っていると、加奈がやってきた。
「孝志くん、おはよう。連絡くれてありがとうね。ふみちゃんもおひさしぶりね」
「やった、かなねぇちゃんだ!」
「ごめんね加奈ちゃん。宿題したいのに、ふみが本も読みたいって騒ぐからさ」
メッセージアプリで交わした会話では、何気ない雑談から話題は夏休みの宿題となり、どうせなら一緒に図書館で課題に取り組もう、という方向に持っていった。
ふみも本を読んでいれば大人しいので、加奈とも会えるし一石二鳥と考えた。
「孝志くんは宿題はもう結構、片づけたの?」
「いや、まだまだだよ。だから加奈ちゃんと一緒にでぎれば嬉しいなって」
ひんやりと心地よい冷房の効いた館内へと入り、テーブルにつく。
ふみには子供らしさを演出するために、本人の不満そうな顔を無視して、孝志は比較的ひらがなの多い学習本を与えた。
「ふみちゃんは今日はどんな本を読んでるの?」
「おまわりさんのおしごと」
加奈には見えないよう縦に置いた派出所やパトカーの図解をした学習本の裏では、刑事もののハードボイルド小説を読んでいる。
やがて宿題に取りかかると、孝志は加奈の様子をこっそりと窺う。
そして脳内で、先日会った梓と眼前の加奈を比較していった。
物静かで大人しく純粋で可憐といった風情の加奈だったが、小綺麗になった梓には妙な色香があった。
胸のサイズも少し小ぶりで梓には負けるが、いかにも清楚で清純派。
ただ、長い黒髪や女の子らしい振る舞いは、孝志に限らずクラス男子の好みだ。
わりと派手で賑やかで社交的な、いかにも今どきなクラスの女子と比べると目立たないが、そこが深窓の令嬢っぽい良さとも思える。
ましてや、夏休みには叔父の店で手伝いをし、ふみを利用したとはいえ、孝志の誘いに乗って一緒にデスティニーランドまで来てくれた。
彼女にはいま交際する相手もいないフリーなのは間違いないであろう――。
『やっぱ鈴木さん……加奈ちゃんは静かで可愛くていいよな。それに、梓があんだけ垢抜けて元気になってたってことは、きっと、もう男でもいるんだろうな』
なにかを確信したかのように、孝志は瞳に力を込める。
『よし、俺は加奈ちゃんのことを真剣に好きになろう。あとはまた男の妄想力だ』
孝志は自分でも理解できている問題を、わざとわからないかのように振る舞う。
「ごめん、加奈ちゃん。ここ教えてもらっていい?」
「この問い? これは前のページを参考にして解くと……」
周囲に気を配りつつ小声で会話するため、孝志はわざと顔を近づけて耳をそばだてる。
彼の顔がどんどん近づいてくると、加奈も緊張して言葉を詰まらせたが、彼女もほんの少しだけ孝志に身体を寄せていく。
ふたりの身体がぐっと近くなると、さすがの孝志もわずかに胸の高まりを覚えた。
『あぁ、やっぱ加奈ちゃんがそばにいるとこっちもドキドキするわ。でも、加奈ちゃんの性格を考えて、慌てずにちょっとずつ、ちょっとずつでいいんだよな』
向かいで大人しく本を読んでいたふみは、まるで彼の心の声が聞こえるかのようで、幼子のくせに先祖らしい慈しみの笑顔を見せた。
ある程度の宿題を終えて、図書館を出た三人が歩いていると唐突にふみが声を上げる。
「おなかへったから、ご飯食べよう!」
もちろん幽霊であるふみは、空腹を感じることはない。これは加奈と一緒に食事をしろという彼女のアシストパスだと察した孝志は、加奈に尋ねてみた。
「なんか、ふみが腹減ったって言ってるけど……加奈ちゃんも一緒にどう?」
「お邪魔していいの? そしたらあたしも行くね」
「マジで? じゃあみんなで行こうか」
視界の隅でドヤと得意顔を決めるふみを無視して、孝志は近くの店を指さす。
「そんじゃ、そこのファミレっズでも」
「あたし、たかにぃの作ったお料理がいい!」
「はあっ? 俺の料理だって?」
ふみの発言に孝志も仰天して彼女を見返すが、驚いたのは加奈も一緒だった。
「すごい! 孝志くん料理もするんだ。しっかりしてるね」
「うん、ホントさいぎんね。『クックパッと』で検索したやつ」
ふみは無言のまま、つい先日に梓から教わったばかりの料理をしろ、と目で合図をする。
「だから、かなねぇちゃんもおうち来て、たかにぃのお料理食べて!」
「バカ、無茶言うなって。加奈ちゃんに悪いだろ……それに掃除してないし、洗濯物もそのままだしさ……」
苦笑を浮かべて加奈に釈明するが、それでも彼女は少し紅潮した顔でうなずく。
「別にいいよ、孝志くんちでも」
「ホントにいいの?」
まさか、ふみにはバレまいとクローゼットにエロ本を隠しておいたことが、こんな場面で役立つとは――。
心の中で自分のファインプレーにガッツポーズを決める孝志。
「じゃあウチに行く前に買い物しよう。とは言っても俺が作れるレシピはまだ……チンジャオローズだけなんだけど」
「結構、本格的なのを作るんだね。孝志くんすごいよ」
「牛肉のかわりに、ヘルシーに鶏肉とピーマンを炒めて調理の素を入れるだけだよ」
三人はスーパーに寄って食材と米、調味料を購入する。
やがて彼のアパートの前に到着した。
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