第五話

 加奈と別れた東京デスティニーランドの帰り道。

 孝志が自宅に入ると、たぬき寝入りをしていたふみが、彼の背中からぴょんと飛び降りる。


「かなねぇちゃんと遊べたし、すごく楽しかったね、たかにぃ!」

「なんだ、起ぎてたのかよ」

「あたし、オバケだから寝ないもん」

「それよか……どうだ、もう完全に俺の勝利だろ! はやく祟りを解け!」

「ダメ。たかにぃがかなねぇちゃんのこと、すきじゃないもん。心からだいじでたいせつに想ってないから、ダメ」

「よし、わかった。じゃあ次は海だな。ずずぎさんの水着を見たら俺もゼッタイ惚れる自信ある」

「そういうエッチな気持ちでドキドキするのもダメなの。もうほんとうにかなねぇちゃんじゃなきゃムリってくらいに、心からすきにならなきゃ。なんか、かなねぇちゃんへの気持ちが、あたしの祟りを解く前提だもん」

 ふみの厳しい判定に内心を言い当てられたようで、孝志も観念して頭を掻いた。

 無言になった室内にエアコンの吐き出す息が大きく響くと、蒸した空気を冷ましていく。

 ふみは、いまいち乗りきれない子孫の顔を不思議そうに覗き込んだ。

「かなねぇちゃんじゃ、ダメなの?」

「いや、ずずぎさんはいい子だと思うよ。クラズでも同じ委員会だし、一緒にいることも多いし、そこそこ可愛いし……」

「たかにぃに、だれかほかにすきな女の子がいるの?」

「俺のずぎな子……?」

 そう聞かれると、一緒に過ごしたある少女の残像が蘇ってくる。

 孝志はわずかに瞳を揺らしたが、ふみには悟られぬよう、ひょいと肩をすくめた。

「いやぁ、いないよ。ふみの祟りに引っ張られて、純ずいに見れてないのかも」

「ゼータク! 明治、大正なんかかってにお見合いさせられたりするんだから!」

 ふみはぷんぷんと頬を膨らませると、洋服をパッと脱いで慣れた着物に替える。

「たかにぃがモタモタしてると、罰ゲームでもう『一文字』しゃべれなくしちゃうからねっ! ねぇ、はやく帯しめてよ」

「へいへい、わかりやしたよ。まったく……」

「もし、ちゃんと祟りを解きたいなら、たかにぃがかなねぇちゃんと真剣に向き合って、お互いをすきになるしかないんだから」

「しかし、ずぎって言えずに、ずずぎさんと付ぎ合えねぇだろ。この濁音だぜ?」

「『たいせつに想ってます』とか、『僕と一緒にいてください』とかは?」

「高校生の告白でそれは、ちっと重くね?」

 幸いにも夏休みなので、むしろ個別に接触するチャンスは多い。

 諦めて、孝志も次の作戦を考えることにした。

「要ずるに、ぎ成事実の積み重ねだぃな。ぎづいたら付ぎ合ってるみてぇな……そしたらふみ、またざしぎわらしってかオバケの状態に戻ってくれよ。ふみがいると、どうしても会話がお前中心になっちゃうからさ」

「べつにいいよ。そのかわりご本はいっぱい用意してね」

 ふみは自分の両頬をぺちぺちと叩く。

「はい、おわり」

「……もう見えてないんだな。よし、ずずぎさんに安心して会えるな」



 翌日の午前。

 食材の買い出しと本の仕入れのため外出する孝志の肩には、肩車をしていても何の負荷もない幽体に戻ったふみと共に、颯爽と自転車を漕ぐ。

 ふみは孝志の頭をしっかりと抱えたまま、風を受けておかっぱ髪を揺らす。

「ピューと走ると気持ちいいね。デスティニーランドのジェットコースターみたい」

「オバケだからケガしねぇと思うけど、ずっ飛ばされるなよ」

 まずは加奈のいる古書店へと向かった。

「もう、ふみの声も形も見えないんだろ? 世話ねぇよな?」

「うん。入ってみなよ」

 店番をしていた加奈は商品のホコリを落としていたが、彼が入ってくる姿を見つけると手を止めて嬉しそうに笑顔を浮かべる。

「あっ、おはよう孝志くん。昨日はありがとうね。今日はふみちゃんいないんだ」

「加奈ちゃん、こっちこそありがとう。そう、ふみが読む本を探してるんだ」

 無事にふみが見えていないことを確認すると、低価格の書籍が並ぶ棚やワゴンから、適当に作品を選んでいく。

「すごい難しい本も混ざってるけど、ホントにふみちゃんってすごいね?」

「あぁ、どうせ意味なんかちょっとしかわかってないんだから。俺が読んでやるだけ」

「じゃあ孝志くんの趣味でもあるんだ。すごいね、感心しちゃう」

 ふみはむすっと口を尖らせると、孝志の足を思いっきり踏む。

 しかし幽霊に戻っていたふみの足蹴は痛みを感じず、彼は勝ち誇ったように笑う。

 加奈に本を袋詰めしてもらっている間に、孝志は予定通りに次の作戦を始める。

「あのさ、まだ夏休みあるからさ。こんどふみを家族に預けて、加奈ちゃんとふたりで出掛けたいな、と思ってて。もしよかったら」

 昨日の今日でさっそく次のお誘い。しかも今度はふたりで。

 積極的な彼のアプローチに、加奈も少し照れた様子でうなずく。

「べつにあたしは、だいじょうぶだよ。孝志くんがよければ」

「よかった。じゃあ家族の都合がついたら連絡っ……ずるからね」

 本の入ったビニール袋を受け取る時に、互いの指先がわずかに触れ合う。

『孝志くんって思ってたより、すごいグイグイと来るし大胆……おんなじクラスで一緒の委員会やっててよかったかも』

 精一杯の爽やかな笑顔を湛え、さっと手を振り店を出た孝志は、安堵の息を吐く。

『ごめん、鈴木さん。俺の祟りとふみの成仏のためだ。俺も好きになる努力するから』

「もちろん、あたしはユーレイのまま、たかにぃと一緒にいるからね。かなねぇちゃんのこと、ちゃんとホントに好きになったかジャッジするから」

 やはりふみの監視のもと、完全にふたりきりとはなれないと知ると嘆息する孝志であった。


 次に自転車で向かった先は食品スーパー。

 帰省の折にもらった仕送りと、祖母からの小遣いのおかげで懐には余裕があった。

 しかし、ふみの祟りを解くには活動費が足りない。

「ずずぎさんとのデート代のために節約しなぎゃな」

 仕方なしに保存のきくレトルト食品や、特売のカップ麺などを購入していく。

 ふみはといえば、食品には大して興味もなさそうに買い物に同伴する。

「ふみはなんか欲しいもんあるか?」

「あたしは、お供え物じゃないと食べらんないし、食べないからってお腹へることはないの。べつに気にしないでいいよ」

「便利な身体だよな、ホント」

「でもオバケだよ? たかにぃもすぐになりたいとは思わないでしょ?」

「う~ん、今はまだな……」

 店内を物色していると、甘味コーナーに和菓子があった。

 実家の蔵でふみと出会ったために早めに東京に戻ったが、まもなく盆だ。

 いちおうは彼女もご先祖であるのなら、お供え物のひとつくらいあっても困るまい。

 そう思い、孝志はいちご大福もカゴに入れた。



 会計を終えて店を出たところで、孝志は唐突に後ろから肩を叩かれる。

 不意を突かれて驚いた彼は、肩をすくめて後ろを振り返った。

「やっぱり孝志だ。久しぶりじゃない?」

 耳が隠れる程度に首元で切り揃えた髪に、ボーダーのカットソーシャツとデニムパンツを着ており、快活そうな雰囲気に加え、腰に手を当ててやけに慣れた距離感の佇まい。

 すこしだけ間を置いたが、よく知る人物だと気づき、孝志もほっと胸を撫でる。

「あの、えっと……あ、なんだ、あずさか。久しぶり。驚かさねぇでくれよ」

 声をかけたのは彼も良く知る、葉月はづき梓。

 故郷のみどりさわ村で、小学校から中学校まで九年間の同窓生だったが、高校進学のために県内の都市部へ通う他の生徒と異なり、孝志と同じように東京の高校を受験した。

 ただ、彼女はより偏差値の高い女子校を目指し、中学の卒業式で別れたのが最後だ。

 数少ない学生しかいない集落の子供たちは九年もの間、学園生活や村での時間を共にしていたため、皆が気さくに名前で呼び合う。

「梓、長い髪カットして眼鏡やめたんだな。前みたいにモジモジとかオドオドしないで、なんか明るくなって、しっかり都会デビューしてるじゃん」

「へぇ、あたしにそういうこと言う? 孝志のほうこそチョケちゃってさ、すっかり東京に染まってるんじゃないの?」

 梓は彼の肩に手を置くと、にやりと不敵な笑みを浮かべる。

「昨日、あたし塾の夏期講習で遅くなったんだよね。そしたら、孝志ってば女の子と一緒に歩いてたじゃない。なんか大人しそうで可愛い子とさ。あれカノジョ?」

「見てたのかよ、いまの高校の友達だよ」

「ふーん……デスティニーランドのおみやげ袋を持って、お互いに名前で呼び合って、それで単なる学校のお友達なんだ」

 そこまで見られていたかと、孝志も気まずそうに表情を引きつらせる。

「うん、まぁ、そうなん。特に仲良しにさせて頂いている友達ってとこで……」

「授業中にガマンできずにオシッコ漏らしてた孝志が、まぁ立派になって」

「小一の頃だろ! お前だって作文の発表が恥ずかしいって先生に当てられると、いつも泣いてたじゃねぇか!」

「それを言うわけっ? あたしの話だって低学年まででしょ!」

 互いに一歩も引かず睨み合うが、あまり無闇に喋りすぎて『例の二文字』を含む単語が頻発しても苦しくなる。

 孝志は場を仕切り直すように咳払いして、冷静さを取り戻すよう努めた。

「とはいえ、梓とまさかこんなとこで会うとはね。家が近くなのか?」

「この近所の叔母さんのうちに下宿させて貰ってるのよね。孝志は?」

「俺は仕送りでアパート暮らしだよ」

「そういえば卒業前に言ってたね。ひとり暮らしじゃ大変でしょ」

 梓はふと、彼が持つスーパーの買い物袋をのぞく。

「なにそれ? レトルトとカップ麺ばっかじゃない。栄養バランス取れてるの?」

「贅沢させてもらってないんでね。仕送りも無限じゃないから苦しくてさ」

「大貫さんちでお金の苦労もないでしょうに。お父さんたちがしつけに厳しいの? そしたら、たまにはウチの叔母さんちにご飯食べに来なよ。それともあたしが孝志んちで、ご飯つくってあげようか?」

 ぎょっとして彼女の顔を見返すうちに、男所帯のアパートに梓が来てくれた後の展開を妄想してしまい、孝志も顔を赤らめてしまう。

「まぁ、今は別に困ってねぇよ。世話ねぇから」

「じゃあせっかくの縁だし、連絡先くらい交換しようよ。お互い東京に居るとは思ってたけど、同じ街に同窓生がいるのって、なんかホッとするじゃない」

「そいじゃ、電話番号でいいか?」

「なにさ、よそよそしくない? メアド交換とメッセージの友だち申請もしようよ」

 やむなくスマートフォンを出して、互いの連絡先をやり取りする。

「あたしの叔母さんちは、この商店街の先にあるスポーツクラブの近くだから」

「なんなん、えれぇ近いんだな。俺は大通りを挟んだ、消防署の裏だよ」

 梓からの催促で、さっそく現住所もメッセージアプリで交換していく。

「そいじゃあね、孝志。いつでも連絡ちょうだいね」

「あいよ、梓もげん……ぎでな」

 別れの挨拶をして彼女とは別方向に自転車を漕ぐが、緊張で気が動転する孝志。

『なんだよ、梓。昔は大人しくて地味で、髪がぼさぼさに長くて眼鏡だったのに、東京に来たらめちゃくちゃキレイになってたじゃん……』

 反対方向へと自転車を進める梓も、ハンドルを握る手が震える。

『まさか孝志にここで会えるなんて……中学まではわりとモサッとしてたのに、ほんの四か月くらいであんなにカッコよくなるの? 田舎出身だってナメられたくないから、せっかくあたしもイメチェンしたのに、孝志にはもうカノジョできたんだ……』

 盛夏の空の下、火照った顔を焦がす太陽光にさらされ、ふたりの額には汗がとめどなくにじんでいた。



 孝志は帰宅してエアコンの電源を入れると、食品をキッチンにしまっていく。

「ねぇ、たかにぃ。あのおねぇちゃんはおともだちなの?」

「うん? あぁ、梓のことか。みどりさわの学校で一緒だった子だよ。べつに単なるクラズの仲間ってだけだっての」

「もしかして、あずねぇちゃんって薪や炭を売ってた、村の葉月さんち?」

「そうだよ。よくわかったな。今はプロパンガズの卸売やってる、はづぎさんな」

「あたしが病気になる前は、あそこのウチの男の子とよく遊んだよ。すっごいやさしい子でね、『ふみをおよめさんにしたい』って言ってくれたの」

「おしゃまな子供だな、お前ら。いまよか明治の方が恋愛が盛んだったのかよ」

「だから、たかにぃもがんばらないとね」

 まさか幼い子供から鼓舞されることになると、彼も落胆の色を隠せない。

「あずねぇちゃんとかなねぇちゃん。どっちがすき?」

 それを言われると、孝志は口元を押さえて途端に黙ってしまう。

 どちらが可愛いといえば加奈であろう。だが、垢抜けてシュッとした梓とは付き合いが長いぶん意外性が強く、心を揺さぶられてしまったのは事実だった。

「まぁ、どっちも……ずぎになってやるよ。ふみの成仏のためだし、俺の祟りのためでもあるもんな」

「『恋はしょうがいが多いほど燃える』ってホント?」

「知らねぇって。子供のくせに、そんなこと考えるな」

 加奈の店で買った本とともに、いちご大福をテーブルに置くと、彼はおざなりに両手を合わせる。

「ほれ、たまには甘いもん食えよ。お盆も近いから」

「ホントっ、うれしい……あっ、そうやって手厚く供養して、あたしを喜ばせて成仏させようとしてもダメだよ。でもこのおまんじゅうは食べるからね」

「大福な。そんな裏心ないって。子孫のぎもちはずなおに受け取れって」

「じゃあサービスで、一文字だけ祟りを解いてあげようかな?」

「おいマジでかっ! そしたら、どっちの使用頻度が高い? どっちが日常でよく使うんだ?『…ぅっ』か『…ぃっ』か、どっちにしようかな?」

 彼が真剣に悩む間に、いちご大福をぺろりと平らげたふみは口のまわりを粉だらけにしていた。

「このしょうがいをのりこえたら、たかにぃが幸せになれるように祟るね」

「なんだよ! それを祟るって言うなって。デッティニーランドの魔法使いみたいに、幸せの魔法くらいに言えよ」

 ふみとの会話をやめて、ふて寝を始める孝志のスマートフォンが鳴る。

 それは先程、連絡先を交換した梓からだった。

『さっきはどーも。ビンボーで栄養失調の孝志のために、お昼ご飯用意するから、よかったら明日食べにこない?』

 もちろん、彼が集落の中でも大きな商家の息子であるのは梓も知っている。単身東京に出てきて質素な生活を余儀なくされている、自分を案じてくれてのメッセージなのは、すぐに孝志にもわかった。

「うぅ……面倒くせぇ。ずずぎさんに集中してぇのに。パッとメシ食って終わらせるか」

 とはいえ、妙に可愛くなった梓の容姿を思い返すと、孝志もにわかに心が乱れる。

 それでも余計な苦労は回避しようと、無難な言い訳を送信することにした。

『夏休みの間だけ親戚のちっさい子を預かってるんだよ。そいつを置いて出歩けないし、梓に悪いから』

 ほっとしたのもつかの間、すぐに返信が入る。

『その子も連れてきたら? それも難しかったら、あたしがそっち行くから!』

「いったいなんだよ、梓のくせに妙にアクティブになりやがって。んあー、しょうがねぇな。ずずぎさんと同じ匂わせ作戦でいくか」

 髪を掻き乱した孝志は、すぐにメッセージを送信する。

『できれば、梓とは二人きりの時に会いたいよな。親戚の子がいなくなったら、是非ウチに来てほしい』

 そこで、既読がついたきり返信はなくなった。

「よかった……なんとかなったな」

 胸を撫で下ろす孝志のスマートフォンを、ふみが横からひょいと眺める。

「たかにぃ、ふたまた?」

「うっさいよ、お前のせいだろ。梓のことは完全に予想外だったな。どうずっか」

 ところがそこで終わらなかったのが、付き合いの長い梓に対しての盲点だった。

 やがて彼女からの返信が届く。

『じゃあ、あたしのうちで料理を教えてあげる。今日のスーパーに十二時に集合ね』

「マジかよ……よしてくれって」

「もう、たかにぃは逃げられないね。どうする?」

 すっかりと頭を抱えて、黙ってしまう孝志だった。

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