資本主義の限界

 17世紀前半にオランダで起こったチューリップ・バブルは、資産価値がその内在価値を大きく上回るバブル経済の典型である。ヨーロッパでは、この時点においてすでに金融経済の成熟を見ることが出来るが、資本主義経済が飛躍的な進展を見せるのは18世紀イギリスに起こった産業革命以降である。蒸気機関や紡績機をはじめとする様々な産業機械が発明され、工場制機械工業による大量生産が可能になり、イギリスは「世界の工場」と呼ばれるまでの隆盛を極めた。世界各国がイギリスに追随し、この時期に農村部から都市部への労働者の流入が進み、都市化が顕著になる。この流れが、大規模雇用と大量生産によって富を増幅させる大資本家を生んだ。資本家は余剰利益を投資に回し、事業を拡大させた。余剰資本は国内にとどまらず、海外への投資に回された。このように、開拓すべき市場が存在する限り、資本は外側に向かって膨れ上がって行く。

 ここで留意すべきは、市場経済と資本主義の違いである。市場経済は本来、必要な物資の需給のバランスが取れれば自己循環するものである。ここに資本の論理が加わると、資本の増幅のために市場は拡大して行かざるを得なくなる。地理上のフロンティアの消滅した近現代において、資本主義は新たな市場を創出するために人口の増加を促した。人口増加を人類の繁栄と捉える考えが間違いであることは先に指摘したとおりである。急激な人口増加は人類が直面している最大の問題であり、その根は資本主義に求められるのである。資本主義によって人類にもたらされる恩恵はそのまま人類破滅の元凶となる。突き詰めれば破綻に至るというのが、資本主義の抱えるそもそもの矛盾である。

 資本を増幅させることが資本主義の目的であるという視座に立てば、この原理の抱える他の矛盾も見えてくる。一つは、資本家と労働者の関係である。資本家は賃金を支払うことによって労働力を得るわけだが、効率よく資本を増やすためには生産性を高めなくてはならない。工場制機械工業において、工場の稼働時間を長くすれば生産性が高まるというのは単純な計算である。この考えの下、19世紀のイギリスでは、労働者の労働時間は14時間から20時間に及んだ。機械の稼働と人間の労働が混同された結果である。その一方で、賃金は可能な限り削られ、その結果、生産性は低下し、労働者の健康問題まで発生した。さらに、資本家と労働者の間に経済格差が生じ、貧富の差という社会問題に発展した。現代社会にも見られるこの現象は、「世界の工場」と呼ばれた19世紀のイギリスですでに起こっていた出来事で、資本主義の本質を如実に表している。

 資本主義の内包する不条理を看破したマルクスは、これに代わる社会システムとして社会主義を提唱する。マルクスは賃金の用途として次の四つを挙げている。


 1.家賃や食費などの生活費

 2.次の労働に向かう英気を養うレクリエーション(自己の再生産)の費用

 3.次世代の労働力を育てるという意味における、子供の養育費

 4.自らの知識・技能を向上させる自己研鑽の費用


 労働力の再生産を土台とするマルクスの主張は、適正な賃金のみならず、最適な労働環境、いかに合理的で生産性の高い社会を築くかまでをも見据えている。これは資本主義社会においてこそ失ってはならない視点であろう。19世紀イギリスの失敗に鑑み、現在は1日8時間週40時間が労働時間の世界基準となっているが、資本主義という社会システムはこのように規制をかけて制御していく必要がある。

 完璧ではないにせよ、資本主義がうまく機能している国の一つとしてドイツが挙げられる。この国に見られる厳しい労働時間の規制は、労働者の保護のみならず、高い生産性の維持にも貢献している。二度の大戦に敗れ、一時は国土を二分されたドイツが「ヨーロッパの工場」と呼ぶにふさわしい国へと変貌を遂げたのは、合理性を追求する彼らの姿勢によるところが大きい。ただ、EU内では国家間の経済格差が広がっており、ヨーロッパの繁栄を目指して立ち上げられたEU域内において、資本主義の抱える問題が解消されているわけではない。ギリシャやスペイン等財政上の苦境に陥っている国をどう立て直していくかは、EU全体が抱える問題である。ドイツの立場に立てば、一国の財務危機は一国の裁量で切り抜けるべきだという論調になるが、輸出大国のドイツの市場となっているのはEUの他の国々である。EUあってこそドイツの繁栄は維持されるのである。この視座に立つと、ドイツがギリシャやスペインの支援に乗り出すのは、長い目で見ればドイツ自身のためということにもなる。

 ドイツ人の持つ合理性や勤勉さは、生産性の高い産業機構を生み出したが、どれほど効率よく高品質の製品を生産しようと、それを消費する市場がなければ経済活動は成立しない。ドイツをはじめとする北ヨーロッパの産業基盤の整った国々と有力な産業を持たない南ヨーロッパの国々は、ある意味において相互依存していると見ることが出来る。北と南に経済格差が生じるのは、南が常に市場を提供する立場にあるためである。生産量よりも消費量の多い国が債務超過に陥るのは当然である。この状態であっても、北側の国々が南側の国々の財政支援を続けられるうちはよい。EU内において資本が循環する限り、経済活動は成立していると言えるだろう。しかし、財政の不均衡はすでに修正しがたい段階まで進んでいる。ギリシャの金融危機しかり、キプロスでは国民の銀行預金に課税する事態にまで及んでいる。北側の産業国で生産される物品をEU全体で消費しきれなくなっているということだ。仮に南側の産業後発国が産業振興を行い、貿易不均衡が解消されたとしても、EU域外に市場を求めない限り、期待するほどの経済効果は上がらないだろう。

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