ⅴ.最後の地
1.紫堂連
祭壇の前で、自らの血と肉にまみれて死んだ男。
遠い異国の地で、自らが捨てた同じ刃で貫かれて死んだ男。
教会で人々に説き続ける男は、自らの上を通り過ぎた死を横目に寂れた地で生きる……。
「イングヴァル」
焚き火の炎が周囲の闇を照らしていた。
これまで幾度も繰り返されてきた同じ夜。
見上げた森の木々の切れ間からは、月と崩壊しかけた塔が覗く。
隣の少女は一呼吸置いた後に静かに告げた。
「イングヴァル、言っておきたいことがある。私自身の話だ」
隣には意思のこもった強い瞳がある。
彼女の生い立ちについて興味を持ったことは確かにあったが、今はもうそれがなくとも自分は〝彼女という人間〟を知っている。
幻の姿を燻らせるイングヴァルは、そう言い伝えるために隣の少女に向き直った。
『連、その必要はない。俺が明かしたからといってお前にも語れとは言わない』
「違う、イングヴァル。話すのは私の意思だ。私の意思で話すと決めた。あの場所に向かうその前に」
彼女は眇めた瞳で塔を見上げた。
その後、赤々と燃え盛る炎を見つめながら淡々と自らの生い立ちを語った。
******
紫堂連は十七年前、極東のとある島国で生まれた。
彼女の家は代々土地を治める権力者だったが、威厳と温厚さを双方備えた歴代の主達は皆に慕われ、人望も厚かった。
先代達と同様に、立派な人格者である父の
暖かい陽だまりのような平穏な毎日、そのような日々がいつまでも続くと思われた。でも紫堂家は遠い昔からある昏い秘密を抱えていた。
代々紫堂家には常に女児しか生まれない。そしてもし二人姉妹であるならそのどちらか、三人姉妹ならその内一人、当該の子供が十才になった日、必ず身体のどこかに黒い痣が現れる。
それは最初は小さなものでしかない。しかし歳を得るごとに痣は広がり、次第に身体の内側まで蝕んでいく。終には全身を腐食させ、耐えられぬ激痛で対象者を苦しめる。『選ばれた一人』となった者の行く末にあるのは、安らぎの欠片もない死のみだった。
この悲劇的な事実は数百年もの間、紫堂家に昏い影を落とし続けている。
静かにゆっくりと這い寄る、この家にかけられた終わりのない呪いだった。
今回、『選ばれた一人』となったのは連だった。だが連は薫子が発症しなかった六年前の時点で既に覚悟を決めていた。
けれど薫子の方は違っていた。妹が確実に『選ばれた一人』となった日に彼女は悲嘆に暮れ、泣き続けた。呪いが妹へと手渡された六年前から、彼女は自らに痣が現れなかったことをずっと悔やんでいた。
連は泣き続ける姉に寄り添うと彼女を慰めた。彼女が悲しむ必要などないと思っていた。こうなったのは誰のせいでもなく、運命だと連は思っていた。
『可哀想に、今回の生贄は妹の方か』
『いやいや、両親は安心したろう。まともな方が残ったのだから』
『恐らく最初からその運命だった。選ばれたことがその証とも言える』
周囲の大人達が放った言葉を連は時折耳にしていた。
いつの世も心ない大人は存在するものだった。彼らの語る遠回しな言葉の意味合いは、幼い連にも伝わっていた。
しかしそれらを受け取っても、連の中に悲観はなかった。
〝運命だった〟
無情な言葉ではあるが、それが真実だとも思っていた。
この運命は確かに自分のこれからの道筋をつけた。
だがその通りに進む必要などない。
そこから進む術と歩む道を見つけるのは自分だった。
ただ徒に運命に身を委ねるのは、愚かな行為でしかない。
前を見据え、抗い続けることが、これからの自分の人生に必要だと感じていた。
しかしそれから三年後のある日、運命が自らの歯車だけを狂わせていたのではないと連は知ることになる。
きっかけは姉、薫子の結婚だった。彼女の結婚相手は
翌年には
家の呪いは今も脈々と続いている。
いずれ水葉か、彼女の妹が自分と同じ運命を辿る。
自分さえ抗えばいいと思っていた。だがそんなはずなどなかった。
いつか必ず起こり得るその不幸は、あってはならないことだと感じていた。
そんな中、連はある噂を耳にした。
遥か遠くにある西方の国、そこにはこの世に存在する全ての呪いを解くことができる男がいるという。
男の顔も、居場所も分からない。分かっているのは名前だけ。
本当に微かな可能性しかなかったが、連はその男を捜しに行くと決めた。
無論両親も姉夫婦も強く引き留めた。しかし決心が決して揺らがないと知った後は何も言わなかった。
旅立ちの日、皆がまだ寝静まっている間に連は家を出た。
小さかった痣は五年の間に、肩から腕へと広がろうとしていた。
自らが望むものを手にできる保証など何一つなく、この身体が朽ち果てる方が先かもしれない。
でも身体中を痣が蝕むその前に、この命が潰えるその前に、大事な人達を守る方法を手にするために踏み止まることも、振り返ることもしなかった。
******
「確かに私は遠回りをしているのだろう。でもイングヴァル、私はお前の行く末を見届けると決心をした。この先どんなことが起ころうと全て受け入れる。そう決めた」
焚火の炎が爆ぜ、火の粉が散る。
風に流されたそれはイングヴァルの幻の身体を通り抜けていった。
単身故郷を出た彼女は大きな目的を持ってこの地を旅していた。
望まず運命づけられた大きな回り道。
いつでも自分の身体を取り戻すことができたとしても、彼女は目的とも永遠に遠離ってしまう可能性も孕む道を選ぼうとしている。
『連』
イングヴァルは暗い空を見上げながら呼びかけた。
自ら始めた復讐の旅。
この旅の行く末には、正義も正気も存在しない。
そんなことは最初から分かっていた。
辿り着いた最後の地で、自らの最期を見届ける。
それが自分に課せられた理であり、運命だった。
『明日、あの塔へ向かう』
告げた声は闇に溶けながら消える。
返事は戻らなかったが、必要もなかった。
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