7.本当に罪深いのは
森に夜が訪れていた。
家から出てきた影は二つ。
先導する大きな影が、片足を引き摺るもう一人を急かすように歩いていた。
「待ってヤネン、私まだ一緒に行くとは……」
「俺のこと、愛してるんだろう?」
「あなたのことは好きよ、だけど……」
「だったら、俺と来い、リリー」
「……」
強く手を引く相手に少女はそれ以上何も言わず、うつむいて追随していた。しかしその足取りには相手の強引さに対する戸惑いがある。けれど彼女が完全な拒否を示さないのは気の弱さからではなく、相手を思う優しさがそこにあるからだった。
イングヴァルは草陰から出ると、闇の中を急ぐ二人の前に立ち塞がった。
降り落ちる僅かな月の光の下には、男の驚愕の表情がある。
心にわだかまっていた迷いをイングヴァルは振り切った。
行く手を阻むために闇で刀を抜いた。
「お、お前……」
「こんな夜中にどこに行こうってんだ? ヤネン」
「お前……彼女の前で俺を殺すつもりか……?」
「夜更けにコソコソやってこんな状況にしたのはそっちだろ? 俺が望んだ訳じゃない」
ヤネンは無駄な努力と分かっていても少しでも距離を取ろうと、リリーを自分の背後に隠す。懇願の表情を浮かべると嘆願の声を上げた。
「頼む、見逃してくれ」
「死んだ〝彼〟の家族もそう言ったかもな。それを考えたことはあるか?」
「もうやめてくれ! 俺だって死にたくなかった! それだけなんだ!」
「〝彼〟もそう思ったかもな」
「頼む……もう許してほしい……なぜあんたはここまで俺を追い詰めるんだ? 理由は何だ……? 奴とは……イングヴァルとは人種だって違う、歳も違う、生まれた国だって違うはずだ。なのにどうして奴の死にここまで執着する? あんたとあの男に一体どういった繋がりがあるっていうんだ!」
「それを言う必要があるか? 言ったところでお前の罪が消える訳でもない。同じ言葉は昨日も言ったはずだ」
再び声を上げたヤネンに、イングヴァルは冷淡に返した。そのまま刃先を向けると、男は殺意から逃れようと背後の少女を庇うように一歩下がろうとする。その時それまで黙っていたリリーが声を上げた。
「ねぇ連……こんなことを言える立場じゃないのは分かってるけど、私も訊きたい。どうしてそこまでヤネンを恨むの? そのイングヴァルって人に、彼は一体何をしたの? 許せないほどの罪って、一体彼はどんな……」
「訊きたいなら言ってやるよ、こいつのせいで俺の家族は死んだ、俺も死んだ、死は当然の報いだ」
「えっ?……〝俺も〟って、それは……?」
「やめてくれ! あんた、もういい加減にしてくれ! 連とか言ったな、あんたの言ってることはどうも変だ! もしかして頭がイカレてるのか? それともこれは全部ただの言いがかりなのか? いや……もうどっちでもいい! あいつも俺も聖人君子じゃなかった。それは確かだ。どっちも後ろ暗いことをたくさんしてきた脛に傷持つ身で、偉そうなことなんて何一つ言えたもんじゃない。だけど俺はあいつほど罪深い人間じゃない! 悔い改めればいつか赦されるようなことしかしてこなかった。でもあいつは違う。誰にも言えない、神にも背くことをしていた。奴とは随分近しいようだが、あんたはあいつの罪深さを知ってるのか? 奴はな、自分の妹と……」
「黙れ! お前はもう喋るな! 俺が何をしてきたかは関係ない。ここにある事実は一つだ。俺は今からお前を殺す。ここからどこにも行かせない!」
「クソ! この人でなしが!」
「その場から誰も動くな! 特に連! 一歩でも動いたら、撃つ!」
闇を裂くように深夜の森に少女の声が響いた。
膠着状態が破れられたその場に慎重に歩み寄る相手の手には銃がある。
デイジーが握るその銃にイングヴァルは見覚えがあった。
「そうだよ、連。これはあんたが持ってた銃だ。意外と間抜けなんだねぇ。盗られたのに今の今まで気づかないなんて」
デイジーが闇に声を響かせる。その声は大きく、堂々としていたがイングヴァルは引き金にかかった彼女の指が小刻みに震えているのに気づいた。
銃口を向ける相手の顔に再び目を向けると、彼女はにやりと笑う。馬鹿にしたようなせせら笑いが続いた。
「連、あんたさぁ、あたしに銃は撃てないと思ってるんだろう? 違うよ。あたしは子供の時から
対峙する少女の顔には、強固な意志がある。
はったりでも何でもなく、彼女は自らの言葉どおり何かあれば間違いなく銃弾を放つだろう。
再び陥った膠着状態の中でイングヴァルは動けなかった。しかし彼女の意思を僅かでも崩せる手段はあった。
「デイジー、なぜ俺の方を止める? この男とリリーが逃げれば、お前は一人になる」
「何よそれ。そんな言葉であたしを説得しようっての?」
「ヤネンは元ギャングだ。あんたなら、そんなことにはとっくに気づいてたろう? 人はそう変われるものじゃない。ろくでなしなら尚更だ。なのにあんたは、大事なリリーと奴を行かせるのか?」
「うるさいな。あたしはリリーを悲ませたくない、それだけだ。ヤネンがどんな奴だろうと死ねばリリーが悲しむ。ヤネンがどんな奴だろうとリリーが選んだ相手ならそれで構わない。あたしがどう思ってるかなんて、そんなことはどうでもいいことだ。あたしはリリーが幸せならそれでいい。だからそれを邪魔する奴がいるなら、あたしが排除する。今あんたはこの地上の誰よりもリリーの幸せを邪魔してる。黙って二人を行かせるんだ。もしまだ追うつもりなら、あたしはあんたを撃つ!」
そこにいる誰もが動けなかった。
沈黙の闇に響いたのは少女の小さな声だった。
「デイジー、私は……」
「早く行って、リリー! それとヤネン! もしこの先少しでも彼女を不幸にしたら、あたしがあんたの息の根を止めに行く。どこにいようともね!」
男と少女は連れ添うと、闇の向こうに消える。
彼らの姿が完全に消え去るまでデイジーは銃口を外さなかった。
「今追いかければ、すぐに追いつく」
イングヴァルは刀を収めると、未だ警戒を解かずにいる少女に視線を向けた。
「連、あんたはもう追わないよ。本当に殺すつもりなら、あたしが現れる前にとっくにやってた。これは返すよ。あたしには必要ないから。それと最後の警告だ。とっととあたしの前から消えろ。また見かけたら斧で頭をかち割ってやる」
少女は草むらに銃を放ると、森の深い闇に消えた。
場に残っていた微かな殺意は吹いた風が攫っていった。
一人取り残されたイングヴァルは、闇で自らの過去を思った。
五つ下の妹、アンネッテ。ヤネンが示唆したとおり、彼女とは兄妹以上の関係だった。それが間違ったことだと分かっていたが、彼女のことが本当に愛おしかった。許されるはずもないことだと知っていたが、感情を止められなかった。
自らの行いが招いた家族の死。
そうなったのは他の誰のせいでもなく、自らの犯した罪のせいかもしれなかった。
全ては人ならぬ道に足を踏み入れた自分に与えられた罰。
全てはその報い。
ならば今自分がしようとしている
深い闇に包まれながらイングヴァルはいつまでもその場に佇んでいた。
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