5.少女の思い その1

 殺意が消えた訳では決してなかった。

 けれど何もせずに場を立ち去った自分の行動をどう捉えればいいか、イングヴァル自身も考え倦ねていた。

 町外れの枯れた噴水の傍に腰を下ろし、気づけば辺りは暗くなっていた。思考をこねくり回している間に一日が終わってしまっていた。

 感情は整理がつかないままだが、一つだけ分かったことがある。ヤネンに対する感情は恨みと言うより、嫉妬に近い。朧気にそう感じていたが認めたくはなかった。自分が追い続ける三人の男達と犯した罪は同等であると、思い続けたかった。


「あの……」

 

 その声に顔を上げれば、前方に見覚えある少女が立っている。


「……私、リリーです。覚えてますよね……?」

「……ああ」


 応えると彼女は左足を引き摺りながら歩み寄ってきた。

 隣に腰を下ろすと言葉を続けた。

 

「あの……大丈夫ですか?」

「えっ? 大丈夫って、何が?」

「あ、すみません。ちょっと不躾だったですよね……でも暗くなってもこんな所に座って、途方に暮れているように見えたんです。この町、小さいから宿屋と呼べるものはないんです。あそこの雑貨屋が去年まで兼業してたんですけど、今はもうやってなくて……だから少し心配になったんです」


 他人とはある程度の距離が必要だ。

 もう一人の少女が言い放ったその忠告の意味合いは、この少女にも分かっていたはずだ。

 でも彼女は敢えて近づいてきた。

 生まれついての善人。この少女、リリーがそんな類いの人間であるのはイングヴァルにも嫌というほど伝わっていた。

 野蛮な行いをした相手にも彼女は寄り添って、情を向けようとしている。


「それでよければなんですが、また私達の家に来ませんか? もちろん今晩は床に寝ろなんて言いませんよ。と言ってもあの家はデイジーの家なんですけどね。私、こんなだから小さい頃に親に捨てられて、でも三年前にデイジーと出会ってからは毎日が幸せです。デイジーは私よりずっと大変な境遇だったのに、こんな私の傍にいてくれて、守ってもくれる。だから私も困ってる人がいたら助けたい……そう思ってるんです。けどまだまだそんな偉そうなことを言える立場じゃないのも分かってるんですけどね。えっと、ごめんなさい、名前まだ訊いてなかったですね」

「……連」

「大したことはできないけど私達の家においでよ、連。この場所は夜はとても寒いですよ」


 彼女は隣で微かな笑みを浮かべる。 

 イングヴァルは何も答えられずに、自分の足元を見るしかなかった。

 リリーの表情には純粋な親切心しか見えない。

 だが慈愛に満ちたそんな彼女でも、相手が自分の思い人に恨みと殺意を抱いていると知ったらどうするのだろう。

 ふと、イングヴァルは妹のアンネッテを思い出す。どんなことがあってもいつも彼女は兄である自分を許した。でも自分の軽率な行動が元で彼女は死んだ。

 妹と同じように、いずれリリーも不幸に陥れる可能性がある。妹もケイシャもリリーも、そして連も、自分と関わった女性は皆不幸になる。そう思えば、返す言葉は何も浮かばなかった。


「ほら、行きましょう。早くしないと足元が見えなくなるほど暗くなっちゃう」


 リリーは立ち上がると腕を取って促す。その手を振り払うことも、彼女の誘いを断ることもできずにイングヴァルは立ち上がった。

 森を抜けて彼女達の家に到着するとデイジーはあからさまに感情を露わにしたが、イングヴァルはそれに関して考える気力さえなくなっていた。

 身体が酷く疲れていた。そのことを察したリリーが奥の部屋に案内してくれたが、彼女に礼を言ったかどうかの記憶も曖昧なほど疲労に思考を奪われていた。

 身体をベッドに横たえると、瞼がすぐに下りてくる。

 ずぶずぶと何かに呑み込まれていくような眠気に襲われていた。

 連の声は昼間以降聞こえていなかった。その後すぐに泥のような眠りに落ちてしまったせいもあるのか、この夜、彼女が姿を現すことはなかった。

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