3.二人の男 その1

 周囲が明るくなる前に少女達の家を出たイングヴァルは森を抜け、近くの町に到着していた。 

 辿り着いた小さな町の名はサルマ。 

 

 砂埃が舞う通りには古びた家々が建ち並び、干し肉や雑貨を扱う店がいくつか並んでいる。

 少女達の家を出たのは早朝だったが、見上げれば太陽はもう真上に昇ろうとしていた。家から町まで距離はそれほどなかったが途中方向を見誤って森で迷ってしまい、思うより時間がかかってしまった。

 辺りを見回すが、昼だというのに通りに人の姿はほとんどない。恐らく町の中心通りであるはずだがどこかしこも寂れて見える。時折すれ違う人の顔にも覇気がない。けれど町を牽引する産業もなく、特に用もなければ誰も立ち寄ることもない片田舎の小さな町はどこもこんな感じだった。


 ひと気のない通りを歩き進めると、しばらくして教会と思しき建物が見えてきた。

 決して立派とは言えない建物だが、大事にされている気配がある。

 近くまで歩み寄れば中から声が聞こえてきた。

 扉を開けると二十人ほどの人々が、整然と席に着いている。

 屋内は薄暗かったが、蝋燭の炎が揺れる簡素な祭壇の前に一人の男の姿がある。

 イングヴァルは前方の人達に気づかれないよう静かに歩み入ると、最後列の席に座った。

 

 男が語る話に町の人々は一心に耳を傾けているようだった。

 前方を再度窺うと、そこに見覚えある少女達がいることにイングヴァルは気づいた。

 デイジーとリリー、彼女達も他の人達と同じく男の話に聞き入っていた。


「どれほど強く願っても叶わない事象は多くある。この過酷な地でそれは常套化している。しかし私を含め、皆、この地で生きてゆかねばならない。多くの逆境と戦い、抗い続ける日々を送らなければならない。それらを放棄すれば自身だけでなく、自らの愛する家族にまで波及する。脱落すればそこにあるのは死のみだ。けれど人は常に強くはいられない。泣きむせび、絶望から抜け出せない日もあるだろう。立ち竦み、永遠に前に進めないと分かっていても、動けない日もあるだろう。だが〝彼〟はあなた達を見ている。あなた達の行動一つ一つを見ている。額に汗して働く時も、絶望に足を止める時も、あなた達を見ている。だから時に立ち止まることはあっても、澱みに足を踏み入れたままでいることを続けてはいけない。誰もそれは望んでいない。それは〝彼〟も同じなのだ」


 イングヴァルは人々に滔々と語りかける男の姿を見ていた。

『サルマって小さな町でなにやら高尚な職に就いてるらしい』

『あの殺しを請け負ったのは俺とゴートって奴と、エイデン・タウンゼントって男だ』

 死んだあの男はそう言った。


 前方に見える男は五十半ば過ぎ、タイはしていないが、質のいい黒の上下を着ている。長身で髪には白いものも混じり始めているが、体格も含めてそこに老いて枯れた気配はない。 

 男の冷然としたその横顔には覚えがあった。

 あの男が三人目の男、エイデン・タウンゼントであるのは間違いないとイングヴァルは思った。

 傅く町の人々を従えるようになにやら高尚な言葉を説いているのは、復讐を果たすべき男だった。


「ヤネン……?」

 しかしその呟きが思わず漏れた。

 視界の先にもう一人、イングヴァルは覚えのある顔を捉えていた。

 その体格のいい若い男は黒髪の少女、リリーの隣に座っている。


 全ての元凶となったあの一晩だけの仕事。その口添えをしたのが昔の仲間でもあるヤネンという男だった。

 だが彼はあの晩に自分よりも先に殺されたはずだった。こんな遠く離れた片田舎の町にいるはずがなかった。

 でも焦げ茶の髪に、右腕に僅かに見えるタトゥー。

 あの顔も、ギャングであることを顕すあのタトゥーも見間違えるはずはなかった。

 前方で少女と並んで座る男はヤネンで間違いなかった。


「……あいつ……」

 イングヴァルは呟きながら、爪が剥がれそうなほど椅子の背を握りしめていることに気づいた。

 全てをヤネン一人に押しつけるつもりは無論なかった。だが自分は死んだにも拘わらず、あの男はこうして生きていた。

 自分は家族を殺され、全てを失ったというのに奴は今ものうのうと生きている。


 説教が終了し、人々が帰り支度を始めていた。

 エイデンも教会の奥へと引き上げようとしている。イングヴァルはその姿を追うことはせず、立ち上がると外に出て入り口傍の茂みに身を隠した。

 

 あの男の居場所を知った今、急ぐ必要はなかった。

 帰宅する人々が教会の建物からぞろぞろと出てくる。各々散っていくその最後尾にデイジーとリリー、ヤネンが姿があった。

 三人は家に帰るでもなく、連れ添ってどこかに向かおうとしているようだった。

 イングヴァルは彼らと距離を取ると、密かにその背後を追った。

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