2.デイジーとリリー

 開けた目に最初に飛び込んできたのは古びた天井だった。

 意識を取り戻したイングヴァルは、自分がどこかの部屋のベッドに寝かされていると気づいた。

 周囲を見回せばくすんだ白壁、火の入った暖炉、使い古された小さなテーブルが目に入る。どうやら一軒家の一室のようだが、傍に人影はない。

 自分を見下ろすと依然裸だったが、身体には毛布が掛けられている。腕に違和感を感じて見上げれば両手首はそれぞれ紐で縛られ、その先はベッドの脚に括りつけられている。何度か試してみたが連の身体を傷つけずに解けそうもない。一体どうすればいいかと思案していると家の扉が開いて、長身の少女が入ってきた。

 

「やっと目が覚めた?」


 亜麻色の髪を三つ編みにしたその少女は、靴裏についた泥を落としながら呼びかけた。

 その声には聞き覚えがあった。森で自分を殴りつけた少女の声だった。

 彼女の背後にはもう一人少女がいる。

 癖のある黒髪を肩まで垂らした彼女はあの時自分が襲った少女だった。


「あたしはあんたなんか置き去りにしても構わなかったんだけど、リリーが反対したんだよね。あんたにあんな目に遭わされたっていうのにさ。どうしてか知らないけど、リリーはあんたに同情してる。急に一人で喋り始めたと思ったら突然泣きそうな顔になって、きっとあの後すぐに手を離してくれたはずだったって言うんだよ。でもそんなの結果論だよね? だからあんたからも言ってやってよ。あたしが殴らなきゃ、あのままリリーを強姦してたってね」

「デイジー……そんなことは……」

「同情なんか必要ないよ、リリー。こんな奴には強く言って分からせなきゃならない。もっと罵倒して叩きのめしたっていいとあたしは思ってるんだ」


 続く二人のやり取りをイングヴァルは黙って聞いていた。

 窓の外はもう陽が落ちていた。獣も徘徊するであろうあの場所に放置されても当然だったにも拘わらず、彼女達は家まで自分を運んでくれた。

 口調は少し乱暴だが三つ編みの少女、デイジーの言葉は正しい。あの時もう一人の少女、リリーを襲うつもりだったのは間違いない。連に止められるまでは。

 頭はまだ多少ぼんやりしていたが、彼女達に言うべき言葉は分かっていた。


「……本当にすまなかった……一応本気ではなかったと言い訳しておくが、通用はしないよな……だけどあのままあの場所に放置しないでくれてありがとう。本当に、悪かった……」


 言い伝えるとデイジーは未だ憮然としていたが、当然の反応だった。

 しかしリリーは首を横に振ると、こちらに一歩歩み寄った。


「私こそ、あなたの持ち物を盗もうとしてごめんなさい……」

「いや、そっちが謝らなくても……」

「そうだよ、リリーが謝る必要なんかない。こいつが全部悪いんだから」

「だけど盗もうとしたのは確かだよ、私が間違ってた……だから心から謝罪するしかない……間違った行いをしたなら正さなきゃ駄目だよね? 神様もそう言ってる……」

「それはそうだけど、大体リリーは何であいつの持ち物を盗もうとした訳? もしかしてあたしが今月分の食費が少し足りないって言ったから? もしそうならリリーじゃなくて、あたしが悪い。こいつとあたしが全部悪い。リリーは何も悪くない」

「デイジー、庇ってくれるのはうれしいけど、今願うのはこの人が盗みを働いた私を許してくれることだよ。だからもう……」


 イングヴァルは彼女達の会話を再び無言で聞いていた。

 リリーをまるで壊れ物のように大切に扱うデイジー。初めはデイジーの方が年上で主従関係の上位にあると思っていたが、もしかしたら逆なのかもしれない。

 顔も似ておらず姉妹ではないようだが、それに近い関係なのかもしれなかった。


「紐、解きますね」


 片足を引き摺って歩み寄ったリリーが拘束を解く。イングヴァルは礼を言うために身体を起こしたが、その時に毛布が外れて上半身が露わになる。


「ご、ごめんなさい!」


 リリーは慌てて謝ると後退って目を逸らした。その後回収されていた着物を纏う間も二人の少女は一様に視線を部屋の隅に向けていた。

 彼女達が目を背けたかったのはこの忌まわしくも見える痣からか、男と女が入り交じったこの身体からか。でもどちらにしても森の奥で慎ましく暮らす彼女達には気を遣うべきだった。いつものように羞じらいもなく振る舞った自分の行いをイングヴァルは反省した。


「今日はもう日が暮れた。あんたがどう思ってるか知らないけど、あたしもそこまで非情な人間じゃない。外の小屋の床なら貸してあげるよ。一晩だけならね」

「デイジー、泊まる場所ならこの家にも……」

「リリー、知らない人間に過度な情けを向けちゃ駄目だ。相手はつけ上がるだけし、あたし達もきっといつかそれのしっぺ返しを食らう。他人とはある程度の距離が必要なんだ」

「だけど……」

「だけどじゃないよ、リリー」


 それ以上反論できずにリリーは黙ってしまったが、イングヴァルはデイジーの言葉に同意していた。

 リリーの優しさも時に必要であるが、少女二人で生きて行くにはデイジーのような慎重さと容赦のなさが必要であるはずだった。


「助かる。夜明け前には出ていくよ」


 声をかけると、少女達が同時にこちらを向く。

 二人からはそれぞれ相反する表情が戻っていた。

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