8.二つの復讐 その1
「今からどこに?」
「俺の家だ。街に来た時以外は空き家だから多少汚ねぇが、どうせヤるだけだ。ボロ屋だろうが何だろうが気にしねぇだろ?」
答えた半蔵はそのまま手を伸ばして、こちらの尻を撫でてくる。イングヴァルは咄嗟に指を掴み取ってへし折りたい衝動に駆られたが、どうにか堪えて作り笑いで返した。
酒場を出た後、男は街外れの森の方へと向かっていた。
夜も更け、周囲には静寂が広がっている。
この男に誘いをかけ、二人きりになれる場所まで行く。こちらがどうこうする前に自らひと気のない場所に誘ってくれて、助かっていた。
しかし距離を詰めた相手に荒い息を吹きかけられる度、いちいち怒鳴り散らしたい気分にも襲われる。全てを台無しにするであろうその衝動を必死で堪えていると、男はふと怪訝な顔をした。
「しかしなんだ、お前、荷物はなしか?」
「ああ、えっと……スリに遭う前に宿は取ってたから、そこに置いてきた」
「そうじゃなくて、得物もなしで一人旅かって訊いてるんだよ。いや……そんなこたぁどうでもいいか、どうだろうが一晩きりの付き合いだ。一応まぁ、すぐには野垂れ死なねぇよう願っててはやるよ」
男はそう言うと愉しげに笑いながら、先を歩いていく。
イングヴァルは男の背を見送り、一度足を止めて振り返った。
背後の道端の茂みが何かに驚いたようにゆさゆさ揺れたが、前を行く男は気づいていない。微かな舌打ちをその場に残して、イングヴァルは再び男を追った。
しばらくして数軒の家が建ち並ぶ集落に辿り着いていた。だがとうの昔に打ち棄てられた家屋ばかりなのかどの家も人の気配はなく、灯りも点いていなかった。
「ここだ」
半蔵がそのうちの一軒を指した。
月明かりの下で家屋を見上げるが、お世辞にも立派と言えない粗末な小屋のような平屋建てだった。「入れよ」と言われて戸口に立って室内を見渡すと家具と呼べるものは何もない。部屋の中央に古びたベッドが一つ置いてあるだけだった。
「本当に何もないしボロい」
「だからそう言ったろ」
イングヴァルは室内に歩み入って、目についた窓を開け放った。
冷たい夜風が入り込んで髪を揺らす。
獣の遠吠えが隣接する森の奥から響いていた。
「おい、窓なんか閉めて早くこっちに来いよ」
振り返れば半蔵が舌舐めずりでもしそうな顔でこちらを見ている。ベッドに歩み寄ると、早速手が伸びてきた。
「さぁて、何からしてもらおうか」
「あー、えっとー……」
「何だ? 今更尻込みでもしてんのか? ここまで来て舐めたマネすんなよ。お前が嫌って言っても無理矢理にでもヤるからな」
「えーっと、そういうんじゃなくて……」
「そういうんじゃないならごちゃごちゃ言うな、さっさとやれよ」
半蔵は靴を脱ぎ捨ててベッドに上がった。壁に背をつけるとこちらの目を見ながら、手際よくズボンの前を寛げる。一応平静を保ったが、見たくもないものが視界にまざまざと入り込んで思わず「うわ……」と声が出そうになる。
一体どうすればいいんだと、イングヴァルは今更焦った。
逃げる訳にも目を逸らす訳にもいかず、でもどうにかして相手の隙を作らなければならない。だが下手にやれば疑われて、そこで終わりだ。茶を濁す程度の生半可な誤魔化しでは効かないはずだった。
「どうした連、早くしろよ」
イングヴァルは覚悟を決めると、自らもベッドに上がった。
膝立ちのまま男の下半身に跨がり、上から見下ろす。
相手の物欲しそうな顔を間近に見て、「うげ」と声が出そうになるが再び堪えて無言で唇を重ねる。待ち構えたように相手の舌が入り込んできて鳥肌が立ちそうになったが、ここは我慢の時だった。
「……ふん、ガキかと思ったが悪くはないな……」
一旦唇を離した男の呟きが届く。直後に貪るように唇を重ねられ、唾液の絡まる音が塞げない耳元に響いた。
望みもしない行為。
イングヴァルは虚ろな思いで相手に身を任せながら、ぼんやりそう思った。
生前にこんな体験はしたことがない。
奪われる方ではなく、奪う方の立場にいたからかもしれない。連と身体を共有することで感じた奇妙な感覚。この状況を思えば仕事とは言え、好きでもない男と身体を重ねる毎日を送る娼婦達には畏敬の念を抱くしかなかった。
「うわっ」
「おい、色気がないな。もっと萎えない声を出せよ」
そんなことを考えていると、腰を掴んだ男に身体を反転させられていた。
改めて組み敷かれ、今度は見下ろされる。
欲望にまみれた表情で胸に触れられ「小さいな」と呟かれる。自分のことではないが少しムッした思いでいると、不意に趣の異なった声が届いた。
「着物か……とうに忘れたと思ってたが懐かしいもんだな。こうやって触れるのは久し振りだ……」
意外な呟きにイングヴァルは男の顔を見た。にやけ顔か不機嫌顔しかなかったその顔に違う感情が見えた気がした。
「あんたが国を出たのは随分前なのか……?」
「そうだな……故郷を離れたのは十七になったばかりの頃だ、それから十数年は経ってる。じじいもばばあももう死んだかな。みんな俺のことなんかとっくに忘れてるだろうな……」
「……故郷はどの辺りなんだ?」
「北の果てのどえらく寒い所だ……冬になれば村から出られる手段もなくなって、蓄えのない家からは凍死する者も出る。ひでぇ話だろ? 人の住む所じゃねぇ。だから俺はそんな所おん出てもっと暖かくて食い物や金や毎日の生活に……っておい、一体俺に何喋らせてんだ? なぁ小娘、よく聞け。俺は西洋の女も好きだが口数の少ねぇ女はもっと好きなんだ。てめぇの口は俺のをしゃぶる時以外はおとなしく閉じてろ」
質問で時間稼ぎをしたが、結局悪足掻きにしかならなかった。
言い捨てた男に食らいつくように唇を塞がれ、上から唾液を垂らされる。首筋にむしゃぶりつかれ、犬のように舐め回された。手が膝を割り、間に忍び込む。それには嫌悪しかなかったが、這い上がるその手が到達するのを待った。
「なっ!……お、お前、もしかして、おと……?!」
驚愕の声を上げた男が慌てたように身を離した。イングヴァルはその隙を狙って身体を起こすと体勢を崩した男の顔面を掴んで、引き倒した。そのまま背に跨がり、隠し持っていたナイフを男の右の掌に突き立てた。
「うがぁっ!」
「ニカ!」
イングヴァルはベッドを飛び降りて窓際に駆け寄った。
「連!」
闇の中から
彼はずっと自分達の背後を追い、闇の中で機会を待っていた。
彼から手渡された連の刀をイングヴァルは受け取った。
その背後では半蔵が自らの掌とベッドを縫い止めたナイフを床に放って、立ち上がっていた。
「畜生っ、女だと思ってたのに男だった! 最悪だ!」
「それはこっちの台詞だ! 俺の方は最初からずっと最悪だったよ!」
イングヴァルは言いながら相手に駆け寄り、その首元へ刃を向けた。
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