7.女衒の男

 イングヴァルは再び娼婦街にいた。

 あの時、ニカが見ていた宿に向かいながら男の姿を思い出す。


 家族が殺された晩、逃げ惑う自分の背に何度も引き鉄を引いた東洋系の男。暗がりで垣間見たその顔を蘇らせれば、叔父の死に顔と妹の絶叫も過ぎった。

 湧き上がる怒りに握った拳に力がこもる。

 忘れるはずなどなかった。

 少年が殺意を抱いた相手は、自分にとっても復讐の対象だった。


 娼館に着いたイングヴァルは、建物の裏手に回った。男は客というよりこの店の〝出入り業者〟なのかもしれなかった。

 垣根の向こうを覗き込むと、下働きらしき少女の姿が見える。彼女は大きなたらいに水を張って、娼婦達の衣類を懸命に洗っていた。


「あの、すみません」

「はい、何でしょう?」


 呼びかけると少女が顔を上げた。連より二つ三つ年上に見える彼女は作業の手を止めると、律儀にも垣根の傍まで歩み寄ってくる。

 素朴なその表情にはためらいも怪訝さもなく、これから彼女を謀る気満々のイングヴァルは多少の罪悪感に見舞われる。でもそんな余計な思いは背後に追いやって、困窮の表情を装うと少女に話しかけた。


「すみません、私、訳あってある人を捜してます。私と同じ東洋系の男で、歳は二十五、六、短髪で身の丈はこのくらいです。この辺りで見かけたって話を聞いて来てみたのですが、ご存じないですか?」


 イングヴァルは手振り身振りを交えて、男の容姿を説明してみせた。この国で東洋系は驚くほど珍しくはないが、そう多くもない。一見でこの店に来たとしても、覚えがあれば思いつくはずだった。目前の相手はその期待通りに大きく頷いた。


「ええ、知ってます。その人、半蔵はんぞうさんって名前じゃないですか?」

「そうです! その人です! もしかして彼、今この店にいたりします?」

「あ、いえ、少し前に出かけられたみたいです……でも多分この近くにある『ブラックバード』ってお店にいると思いますよ。お気に入りの店だって前に言ってたので。だけどちょうどよかったですね」

「えっ?」

「彼、明日にはここを立つって言ってましたから、一日遅かったら会えなかったかもしれないですね。半蔵さん、お店の新しい女の子を連れてくる人なんですけど、時々しかこの街に来ないんです。滞在もいつも三、四日で、またいなくなるって姉さん達が寂しがってました。いろんな土地の話をしてくれるんで、人気があるんですよ。私もちょっぴり寂しいです……」


 彼女はいなくなる男を思ってか、最後に寂しげな表情を見せた。

 イングヴァルは礼を言ってその場を後にしたが「会えるといいですね」と背後から届いた少女の優しげな呼びかけに、また要らぬ罪悪感を背負うことになった。


 教えられた酒場『ブラックバード』は四軒隣にあった。窓から中を覗くと案外広く、外からでは男の姿を確認できない。

 賑わう店内に歩み入る前にイングヴァルは連に呼びかけた。


「なぁ連、望まない相手に身体を触らせることになると思うが、許してくれるか?」

『ああ構わない。必要なんだろう? 私に気にせずやれ、イングヴァル』


 届いた返答に頷いて、イングヴァルは店の扉を開いた。

 酒と煙草のにおいが充満するフロアを横断し、目的の相手を捜す。

 店の片隅で人目を避けるように酒を呑む男の姿が目に止まった。

 短く切り揃えた黒髪、身に纏うのは連のような着物ではなく、革のベストにシャツ、臙脂色のズボン。

 その男はニカが復讐心を燃やした相手であり、自らの復讐相手でもある。

 イングヴァルは微かな笑みを浮かべると、相手に歩み寄った。


「どうも、こんばんはー」


 気軽さを装って声をかけると男、半蔵は顔を上げる。


「チッ、なんだ、小娘か……」


 だがすぐに舌打ちと落胆が戻る。

 招かれざる客であるのは充分伝わったが、イングヴァルは構わず隣に腰を下ろした。


「おい、誰が座っていいって言った?」

「お兄さん、一杯奢ってくれない?」

「あのな、お前耳が悪いのか? 俺は勝手に座るなって言ってんだ、このクソガキが」

「ガキじゃないって、名前は連」

「レンだかリンだかどうでもいいし知らねぇが、ションベン臭ぇ小娘に用はねぇよ。とっととどっかに行きやがれ。俺は東洋のガキじゃなくて西洋の大人の女が好みなんだよ」

「あのさぁお兄さん、それちょっと了見狭くない? ションベン臭いかどうか見ただけで分かる? もっと肌寄せ合ってじーっくり試してみなきゃ分かんないと思うけど」

「ふん、お前結構言うな、ションベン臭ぇガキのくせしやがって」


 言いながら半蔵はようやくにたりとした笑みを見せる。

 鼻筋の通った顔立ちはそう悪くはないが、性根が滲み出ているのか時折下卑たものがそこに混じる。

 イングヴァルはこの男に好感を抱けたあの少女を少しうらやましくも思う。しかし同時に心配にもなる。いつかつまらない男に騙されやしないだろうか。でもそんな要らぬ心配は他人の余計なお節介でしかなかった。


「ねぇお兄さん、暇なら私のこと買ってくれない?」

「はぁ? 急に何言ってやがる」

「私、ここに来て早々にスリにやられて、今は一文無し。一人旅の若い女が手っ取り早く金を手に入れるにはそれが一番でしょ。でも誰だっていい訳じゃない。できれば優しそうな人がいいなぁ。それでお兄さんに目をつけたって訳」

「ハッ、優しそう? お前どこに目ぇつけてんだ? この俺が優しそうに見えるか?」

「ふふ。ちょっと言い方が悪かったかな。最初からこう言えばよかったね。ねぇ、お兄さん……」


 イングヴァルは男に身を寄せると、その耳元に囁いた。

 男の耳に流し込んだのは過去、自分がある女に囁かれた誘い文句だった。

 一夜だけ共にしたあの相手は、今でも時折思い出すほどいい女だった。豊満な身体も、、彼女以上の技巧を持った相手にそれ以降出会うことはなかった。あのように言われて落ちない男はいない。実際、自分は落ちた。目の前にいる男もご多分に漏れず、同じ道を辿ったようだった。


「けっ、しゃーねぇな。ガキは好みじゃねぇが可哀想だからこの半蔵様が慈善活動してやるよ」


 男は不機嫌そうに鼻を鳴らしたが、口元はにやけている。


「善は急げだ。こっちだ、ついて来い、連」


 男は椅子を引いて立ち上がると、さっさと店の出入り口に向かう。扉の前まで行くがこちらがもたついていると「おい、早くしろ」と急かしてくる。

 あの時の自分も彼女からはこう見えただろうか。イングヴァルは過去を思い出して密かに笑うと、やや浮き足立っても見える男の背を追った。

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