5.悪夢のような男、再び

「やあ、いい天気だね」

「お前……」


 もうじき正午、街中は昨日と同じく人で溢れていた。

 ニカの家は陽が昇る前に出ていた。それ以降、こそこそと身を隠しながら街中を移動していたが、一番避けるべき相手とばったり出会してしまった。

 それは相手の引きの良さか、自分の悪運が要因か。どちらにしてもイングヴァルは血の気が引くのを感じていた。


「連、今日もきれいだね」

「や、やめろ! それ以上近づくな!」

「やだなぁ、そんなにつれなくしないでよ。一体何を警戒しているんだい、連。いくら僕でも昼日中の街中で、君にむしゃぶりついたりはしないよ。もちろん心の中では、君との情事を四六時中考えてるけどね。僕の×××を君の奥の奥まで届かせたいとか、君の×××を失神するまで可愛がってあげたいとか、君の×××の初めては絶対僕が奪うんだ! とか、もうそれはとめどないほどにね」

「だからそういうのをやめろって言ってるんだよ!」


 イングヴァルはつい声を張り上げてしまったが、直後に後悔した。

 大声を出したことで余計に腹が減ってしまった。

 昨晩は屋内で睡眠が取れたおかげで疲労は回復できたが、腹の方はニカが恵んでくれたスープだけでは足りなかった。空腹を少しでも満たそうと人目につかない安食堂を身を隠しながら探していたが、それを為す前に見つかってしまった。こう何度も易々と発見されてしまうとは、この相手には何も通用しないのかと絶望すら感じそうになっていた。


「何だか怒りっぽいね、連、もしかしてお腹空いてる?」

「す、空いてない!」

「まぁそれなら好都合かな。君に声をかけたのは昼食に招待したかったからなんだよね」

「ふ、ふざけるな! 誰がそんな……」


 相手に言葉を叩きつけようとしたが、絶妙なタイミングで腹がぐぅ、と鳴る。

 イングヴァルは腹立たしさと自らの意志の弱さに落胆するが、でも同時に別の考えも過ぎっていた。

 どうせ見つかってしまうなら、ここでタダ飯に預かった方が得である気もする。腹が空きすぎて誤った判断をしている気もするが、連も同意したのか沈黙を通している。

 頷くのが癪で渋々顔を作って承諾を返すと、早速優男は歩み寄って当然のように肩を抱こうとしてくる。もちろんそれは無言で阻止した。


「相変わらずつれないね。でもこうやって君と陽の下を歩く。以前からの望みが一つ叶ったよ」

「そりゃよかったな」

「そうだ連、昨晩はあの後どこに行ってしまったんだい? 僕、ベッドで君をずっと待ってたけど、独り寝が寂しかっただけだよ」

「あの安宿の寝床で永遠に眠ってればよかったのにな」

「ああ! なんて冷たい言葉! 益々君を好きになるよ、連! 絶対僕のものにしたい!」


 イングヴァルはもう呆れしか感じなかった。

 頭のネジがぶっ飛んだ奴は、ただただ面倒臭いだけだ。まともに相手をしても疲れのみが残る。

 久しぶり出会ったそんな相手にそのことを実感していた。


 隣の男はこちらの内心も知らず、ご機嫌な様子で鼻歌混じりに歩いている。

 改めて観察すれば、上質なシャツにカスタムメイドのスウェードの上着、髪も清潔に整えられている。 

 顔の造作も自分より劣るとしても、決して悪くはないとイングヴァルは思う。黙っていれば何もしなくても女性が寄ってくるだろう。

 身のこなしから、育ちの良さも垣間見えた。男の家が裕福だと連は言っていた。なのにその生活も将来もかなぐり捨てて、一方的に熱を上げた女の尻をこうしていつまでも追い続けている。同情など欠片も存在しないが、憐れみぐらいは感じた。


 しばらくして到着したのは、昨日の広場近くの宿だった。大きさからして街一番の宿泊施設であるらしい。立派な扉に広いロビー、周囲の客達も普段見るごろつきなどではなく、裕福そうな人達ばかりだ。

 こちらの姿を見つけた宿の主人らしき人物が「どうもどうも、ゲリア様」と満面の笑みで近づいてくる。出会う従業員達も皆ファブリシオに一礼する。この男がここで特別待遇を受けるほどの上客であるのは、間違いないようだった。


「どんどん食べてよ。僕は君が食べるところを舐めるように見ながら愉しむから」


 恭しく先導する主人に案内されたのは、宿の中庭だった。

 周囲には花が咲き誇り、鳥達の美しい囀りが響く。

 造りのいいテーブルには、次から次へとおいしそうな食べ物や飲み物が運ばれてくる。

 

 タダ飯を食ってやろうとそんな思いでいたが、ここに来てこれでよかったのかと思い始める。

 だが食欲の方は素直だった。食い溜めなどできないのは分かっているが、食べられるうちに食べておくべきだと自らの心に結論をつけて、イングヴァルは豪華な食事に次から次へと手を伸ばした。


「ねぇ連。初めて僕と出会った一年前こと、覚えてる?」


 イングヴァルはその問いに手を止めた。そう言われても自分には答えようがない。とりあえずこの場は頷き返すことにした。


「当時、君は一人の男を捜していた。ミカエル・グレイという名の男をね。だけどこの半年は、グレイとは別の三人の男も捜してるよね? その男達が君の生き別れた兄でも、恋い焦がれる相手でもないのは分かってる。一体僕の知らない間にどんな事情の変化があったんだい?」


「……それをお前に言う必要が?」

「まぁ答えないのは分かってたけど本当に寂しいねぇ……身体は繋ぐことができても、心は全然繋がってない」

「だからいちいちそっちに繋げるな、気色悪ぃ」


「でも僕は君のそんな秘密めいたところに惹かれてるんだ。だけど、連」

「何だよ?」

「君って、こんな瞳の色だったっけ? 僕の記憶では闇みたいな黒だったと思うんだけど。もちろんこの悪夢のような紫も悪くないけど、これってどういうことなのかな?」


 ファブリシオは笑みながら不意に手を伸ばして、こちらの頬に触れた。その瞳にはいつものにやけた様子もなく、抜け目なく光っている。

 連の過去の知る男。そんな相手が何らかの違いに気づいてもおかしくはなかった。

 しかしイングヴァルは無言でいた。どんな言い訳をしても承諾するふりは見せるだろうが、心からは納得しないだろうと思っていた。それならばそんな無用なやり取りは省いてもよかった。


「まぁ、言わなくても別にいいよ。僕にとってそんなことは微々たることでしかないからね。それより連、お腹の方は充分満たされたかな? だったら次は性欲だね。今から僕の部屋においでよ。ベッドの上でなら君の知りたかったことを教えてあげるよ」

「ベッドじゃなく、ここでなら聞いてやるよ」


「いつまでそうやって強がっていられるかな? 君にとっても有益な情報だよ。一年前、君はミカエル・グレイをなぜ捜しているのか、決して教えてくれなかった。呪いを解くことができる男だとも無論教えてくれなかった。だけど僕は君が言ってくれなかったいろんなことを知ってるんだよ。君には六つ年上の姉さんがいて、彼女には娘がいる。そして君の身体に広がるあの痣、放っておけば全身に広がり、いずれ死に至る。それは君の家にかけられた呪いのせいだ。その呪いは君だけではなく最愛の姪にも及んでいる。だから君は姪や姉さんや大事な家族を守るために、呪いを解くことができるグレイという男を捜している」


「今お前が言った情報ってそのグレイのことか?」

「そうだよ、だから……」

「それとその話、一体お前はどうやって知った?」

「その話って?」


「姉や姪や呪いの話だ。お前なんかに話すとは思えない」

「ああ、そのことかい? ちょっと正攻法じゃないけど、薬を使わせてもらったんだよ。北方の戦時中に開発された特別な薬で、本来は捕らえた敵兵に自白させるためのものなんだけど、僕の立場なら容易く手に入れられたしね。君とのあの熱い三日間。君は連続情事で半分気を失ってたからその時にね。まぁ姑息といえばそうだけど、僕、君のことが全部知りたかったか……」


 相手の言葉が終わる前に、イングヴァルはその顔面に拳を叩き込んでいた。

 薬まで使って、連から秘密を聞き出そうとするこの男の正気が信じられなかった。

 男は拳をまともにくらって、椅子ごと倒れ込んだ。その様子を見て宿の者が慌てて駆けつけてきたが、鼻血を手で抑えたファブリシオが制していた。


「痛った……久しぶりに君に殴られたけど、ちょっと重くなってない? だけど連、僕の情報、聞きたくないの? これを逃したら……」

「うるさい! 放っとけ!」


 イングヴァルは言い放つと相手に背を向けた。


「ねぇ連、僕はまだ暫くこの宿にいるから気が変わったらいつでもおいでよ」


 背後からは性懲りもなくその声が追いかけてきたが、当然振り返ることはなかった。

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