5.墓地の男と女

 入口となる大きな門をくぐり、通路を進むと、数多くの墓標が並んでいるのが見える。

 新しいもの、朽ちかけたもの。

 墓地の中心となる場所には、暗い葉を茂らせる大きな木が立っていた。方々に伸びた枝葉の先には数羽の鴉が羽を休めている。

 彼らに見下ろされながら更に歩き進むと、特段大きな墓標が目に入った。


「有力者の墓かな……」


 イングヴァルは周囲の墓さえ蹴散らしそうな目前の墓標を見上げた。

 無意味なほどのその大きさを思うと、死んでも威厳と保とうとするそれに軽い嫌悪を覚える。しかし墓標は死人のものではなく、残された家族のものだ。

 彼らはここに来て、死んだ家族に会う。そう思えば墓の大きさも違った意味に感じられるものだった。


「……家族、か」


 イングヴァルは視線を落として呟いた。

 妹はあまりにも無残な最期を迎えた。

 叔父は死者のために日々働き、最期は掘りかけの墓穴の底で殺された。 

 二人とも望むべき最期を迎えられなかった。

 だが彼らにその死を与えたのは自分だ。叔父に関しては恩を仇で返した。

 そのことを思い返せば復讐への強い思いと、自らに向けた弛まぬ嫌悪が湧き立った。


「ねぇ」


 その声に振り返れば、女が立っている。

 灰色に支配された墓地の中で、彼女が纏う青いドレスが切り取られたように映えている。

 昨晩と同じくふらりふらりと歩み寄った彼女は、耳元で囁いた。


「連、あんた、『ゴート』を捜してるんでしょ?」


 赤毛を揺らすケイシャは、まるで全てを知っているかのように問う。


「……ゴート?」

「頬に疵のある男。あなたのこと、彼が呼んでる」


 そう告げて、こっちよ、と手招く女は寒々とした墓地の中を歩いていく。

 イングヴァルはゆらりゆらりと進む彼女の背を追った。


 突如として現れた彼女。

 しかしなぜ、と思う必要はなかった。

 知りたい真実は、この先にある。

 彼女と酒場で出会ったのは偶然か、必然か。でもどちらであっても、それは過ぎ去ってしまったものでしかない。目前に現れる事実のみを、自分は受け取ればいいだけだった。


 くすんだ十字架が見下ろす建物の前で、ケイシャが振り返った。

 彼女が背にするのは、死者を弔う場所。

 彼女はその扉をゆっくり開く。

 開かれていく扉のその向こうで、男は待ち構えていた。


「やあ、やあ、やあ、お嬢さん。どうもお初にお目にかかりまして!」


 苛立ちを誘う男の声が届く。

 祭壇に腰を下ろし、揶揄混じりの拍手を響かせる男はにやにやと笑いながら招かれた相手を出迎えていた。

 厳かな場所で行われるその不敬な振る舞いには、この神を信じていないとしても不快感が先立つ。イングヴァルは男に歩み寄り、鋭い目を向けた。


「異国の美しい娘さん、俺を捜してあちこち嗅ぎ回ってたようだけど、何用かな?」


 歳の頃は二十五、六。黒髪の短髪、薔薇の刺繍が入った趣味の悪い白いシャツを着ている。

 体格もよく、自身が生きていた頃と大差ない。だが現在のこの身では、体格に圧倒的差がある事実だけが残る。


「俺をどこかで見かけて一目惚れして追ってきた、って訳でもなさそうだなぁ。お前のクソみたいな殺意がクソ嫌になるほど、クソだだ漏れてるぜ。俺はあんたに会った記憶も見た覚えもねぇ。でも知らぬ間に恨みを買ったとしても、別に驚きはしねぇよ。だからその辺りの説明は必要ねぇぜ。俺にとってそんなこたぁ、どーだっていいからよ。俺は今からお前をぶっ殺して、内蔵を引き摺り出して、その後で犯す。それしか考えてないからよぉ」


 男は言い放つと、甲高い笑いを響かせた。

 夢の中と同じ笑い声、頬の疵、その顔。

 二度も確かめる必要はなかった。

 イングヴァルは復讐を果たすべき相手、『ゴート』の元に一直線に走り寄った。


「おっ、やる気か?」


 刀を抜き、祭壇に続く道を一気に駆ける。

 相手の首を取るつもりで刀を振るうが、動きの速い男に容易く躱される。

 体勢を取り戻して再度向かうが、その前に横腹を蹴られ、踏ん張れずに倒れ込んだ床上を無様に滑る。


「この俺が! 小娘に随分と舐められたもんだ!」


 強烈な打撃が骨の随まで響いて、酷く痛む。

 すぐには起き上がれず、床上で呻きを漏らす。

 その間に殊更ゆっくり歩み寄った男が、振り上げた足で顔を蹴る。

 続けて拳を落とされ、再び呻いたところで刀を持つ右手を躙り踏まれた。


「ぐっ……」

「狡いなぁ、こんなもん使って。俺は丸腰だぜ」


 思わず手放してしまった刀を奪われ、遠くに放られる。

 並んだ椅子の下に滑り込んで見えなくなったその行方を、追うことさえできなかった。


「ケイシャに聞いたんだが、お前、女でも男でもないんだって? それなら一体あそこはどんな感じになってて、俺はどうやってその身体を愉しめばいいんだ? なぁ小娘、この俺にもじーっくり教えてくれよ。そんでそんな辱めを受けたらお前の国では、ハラキリ? っていうのをするんだろ? それはここか? ここの所をぶっすりといくのかぁ?」

「あああああっ」


 腹部を思いきり踏まれ、呻きしか漏れない。

 まだ自由な左手で男の足を殴りつけるが、びくともしない。

 だがその左手も押さえ込まれ、身体の上に乗った男の顔が近づく。

 腐った肉のような臭いが漂い、顔を背けるが、顎を掴まれ、無理矢理向き合わされていた。


「俺だって、いたいけな小娘にこんなことしたくない。だからほら、愚鈍な小娘らしく俺のものをうまそうにしゃぶってみせろよ。俺のはでかいから慣れるまで大変だが、やみつきなるぜ。あ、やっぱやめとくわ。最中に食い千切られちゃあ、俺がもう愉しめなくなる。やっぱりお前を動けなくしてから、存分に愉しむことにするかぁ」


 男の顔がより近づく。

 イングヴァルは、夢と現実を重ねていた。

 妹はきっと同じ目に遭った。この男の生臭い息を嗅がされて、真綿で絞めるように呼吸を止められた。

 妹が感じた恐怖を折り重なるように受け取って、その思いが深く身に染み込んだ。


「ふざ、けんな!」


 降りかかる現実は非情でしかなかった。

 イングヴァルは残った力で相手を蹴り上げると身体を横に滑らせ、素早く立ち上がった。

 できるだけ距離を取り、相手を見据える。


「おお? まだやるのか?」


 体勢を取り戻した相手が、再度拳を送り込んでくる。

 それを避け、身を躱すと見失った刀の方へと駆ける。


「待てよ!」


 しかし襟ぐりを掴まれ、足止めされる。鳩尾に肘を打ち込んで蹴りを繰り出すが力が至らず、決定的な反撃になっていないのは分かっていた。

 このような状況になった今、連の身体でいることがもどかしかった。

 元の自分であれば互角に戦えた。連は体術も会得しているが、人殺しを生業にする相手には向かない。身体能力はあっても、体格の差にそれは消される。


 再び拳、蹴りと、連続で来て、全てを避けられずにいつしか壁際に追い込まれていた。

 逃げ場もなく、もう一度襲いかかった拳が背後の壁を破壊して、戦慄を覚えた。

 刀にはまだ辿り着けていない。

 イングヴァルは意を決して、逆方向になる祭壇の方に駆けた。


「おーい、どうした? そっちに得物はないぜ」


 向かった祭壇には供物や燭台、香炉が雑然と並んでいる。

 左手で香炉の灰を掴み、追ってきた男に投げつける。

 視界は一瞬奪えたが、相手の腕が喉元を押さえ込んだ。

 抵抗も叶わず、祭壇の上で仰向けに身体を捉えられていた。


「なんだ今のは? 何も利きやしねぇ。お国のまじないか?」

「いや、ただの目眩ましだよ」


 イングヴァルは右手に隠し持った儀式用のナイフを、男のこめかみに突き立てた。

 灰と同時に奪い取ったそれは殺傷を用途したものではなかったが、意思があれば可能だった。

 男はびくりと身を震わせ、ナイフが深々と刺さった顔に笑みを浮かべる。

 それも刹那に掻き消え、ぐるりと白目を剥いた男は、どうと床に倒れ込んだ。


 イングヴァルは男を見下ろすと一旦その場を離れ、すぐに刀を手に戻った。

 倒れた男の傍らに立ち、掲げた刀を真っ直ぐその身体に突き立てる。

 両手に伝わるのは肉と骨の感触。

 男が即死だったのは、知っていた。

 だがここにはない、見えない墓穴から二度と這い上がってこないように、二度と目の前に現れることがないように、イングヴァルは死んだ男の身体に何度も刀を突き立てた。


『イングヴァル、もうやめろ』


 届いたその声に、イングヴァルはようやく手を止めた。

 目の前には肉塊と化したものがあるだけだった。

 四方に飛び散った血と肉片が自分の身体だけでなく、祭壇と床を汚している。

 この場所で最も不敬な行いをしたのは他の誰でもなく、自分だった。


『もう終わったんだ。男はとっくに死んでる』

「ああ、分かってる……」


 イングヴァルは消え入る声で答えた。

 心には昏い影だけが残る。

 心の空くような展開が訪れるとは決して思ってなかったが、あるのは本当に言い難い思いだけだ。


 外に出ると墓標の傍に立ったケイシャが顔を上げた。

 その顔には悲しみも、怖れもなかった。彼女が火をつけた手巻き煙草の独特な香りが辺りに漂い、それは絶望の色とにおいをまき散らしているのかもしれなかった。


「あの人、この件が終わったら外に連れてってくれるって言ったんだ。でももうそれは、無理みたいね」


 呟く彼女の瞳からは光が失われている。


 灰色の中に立ち尽くす彼女の傍を通り過ぎ、門に向かう。

 木の枝ににとまる鴉達が、屍肉を攫おうと待ち構えている。

 祭壇の前で死んだ男だけでなく、自らの魂をも啄もうとしてるのかもしれないとイングヴァルは思った。



〈ⅱ 一人目の男、ゴート 了〉

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