遣書

@0910800

遣書

 もううんざりだ。間違いばかりの人生は。

 もう疲れ果てた。このまま会社の不正に加担して生きていくのは。

自分の犯した過ち、そしてこの会社の過ちをさらけ出して死んでしまおう。

どす黒く汚れたものが浄化され、美しく光輝くことを願い、ここに全てを記す。







 「いしょ」の漢字が思い出せない。

 遺書だったか、遣書だったか。




 家に置いてあったノートとペンを持って衝動的に本社の屋上まで来たはいいが、携帯を持って来なかった。旅行でもあるまいしあれは持った、これも持ったなどと確認をする余裕もなくここまで無心で駆け上がって来たのだから。

 だからといって一度家に戻るということは考えられない。ようやく決心がついたのだ。この「いしょ」を書いて、そしてここから飛び降りて汚れた世界から去ると決めたのだ。

 この屋上まで来るのも大変だった。勤続二十二年だというのに警備員に入館を制止され、延々と押し問答が続いていたところ、運良く帰社する荻野おぎの君が間に入りようやく入館することが出来た。入社以来、会社の看板を背負う気概で二十二年尽くした末がこれでは、と最後までこの世界は私を失望させる。

 とはいえ最後に会った人となるであろう荻野おぎの君には感謝しかない。去り際に軽く話をしたが、荻野おぎのではなく萩野はぎのだと申し訳なさそうに彼は優しく私に言った。長年言い出す機会がなく、今度こそはと次に私と会った際には話そうと決めていたそうだ。謝るべきは私のほうだ。それにしても最後の会話でさえ過ちとはなんとも私の人生らしいことか。

 兎にも角にも早く「いしょ」を書いてしまおうと思ったが、一度閉じたノートの表紙を見て冷や汗が出てきた。このノートは一時、魔が差して小説家に憧れ、ネタ帳として使っていたものじゃないか。表には「絶対売れる」と大々的に書いてある。裏には将来の為にと練習したサインときた。まったく冗談じゃない。こんなものが誰かに見つかった日にはジ・エンドだ。いやこれから死ぬのだけれども。せめて何枚か千切って持って来るべきだった。

 「いしょ」を書く前からこんなにも躓くなんて本当に情けない。普段からろくに本も読まず携帯やパソコンに頼ってばかりでいたことが死の間際まで響くとは。

そうだ、携帯やパソコンといえば私が死んだ後、遺品は中身を詳しく調べられてしまうのだろうか。それはあまりよろしくない。それを見ただけで私のひん曲がった性癖が分かる程にアダルトな内容ばかりなのだ。あれを見つけ出された先に待っているのは即、死だ。いやこのあとすぐ本当の死が待っているのだけれど。

 あれこれ焦って考えはするが、冷静になればどれも死んだら関係のないことか。

ただ過ちを記す為、全ての過ちを正す為にこの「いしょ」を残そうというのに、万が一こちらだと決めてかかって書いた初手の漢字が間違っていようものなら、この「いしょ」の信頼性や説得力は一気に地に落ちるのではないか。いやこれから自分が飛び降りるのだけれど。




 遺書だったか、遣書だったか。




 冷たい冬のビル風が強く吹き上げてだんだんとこれから向かう死を実感させる。




 でももう怖がることはない。私は最後に善い行いをするのだ。神様というのが存在するならば、悪を正すという私が今まで生きてきた中で一番の善行をこの屋上のもっと上から見守っているはずだ。間違いばかりの人生で最後の最後、正しい道へ導いてくれる気がして、私はようやく「いしょ」を書き始めた。

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