花と手品

みよしじゅんいち

花と手品

 十七時前だというのにすっかり暗い。このごろ急に日が短くなった。もう少し厚着してくればよかったなあと思いながら、品野久留美しなのくるみはバイト先の「亜門堂フラワーマーケット」に向かっているところだった。駅前の広場、バス停から少し離れた街灯の下に人だかりがあって足をとめる。弾き語りのミュージシャンならたまに見かけたが、マジックショーなんて珍しい。タキシードの青年が造花をステッキに変えて拍手をもらっていた。空中から次々と花を取り出す。シルクハットで投げ銭を集金する。紙飛行機を飛ばしてマジシャンが指を鳴らすと、それが花束に変わって久留美の腕の中におさまった。喝采を浴びて久留美の顔が赤くなる。子供のころこんな手品を見たような気がする。あの手品師は誰だったのだろうか。思い出せずに見とれていたら、いつの間に時間が過ぎてバイトに遅刻してしまった。


 フラワーマーケットは駅ビル改札のすぐ隣。カウンター奥のスペースで白いあごひげのオーナーが作業している。遅刻を詫びて、無口な口ひげのチーフとふたりで店番をする。来店したスーツの男から母親の菩提寺ぼだいじに花を送りたいと相談を受ける。

「十三回忌の法要があるので明後日必着で」

 仏花を選ぶ。宅配便の伝票を書いてもらって代金を受け取る。


 しばらくして、次の客が店を訪ねる。

「すみません、明後日がお袋の十三回忌なんですが——」

 軽いデジャブを覚えながら、花を選び宅配便の伝票を書いてもらう。よく見るとさっき駅前広場で会った手品師だった。普段着だとこんな感じなんだ。伝票を受け取る。

「あ、この住所——」思わず久留美が声を上げる。

「どうかしました?」手品師が尋ねる。

「いえ、あの、さっきのお客さんと送り先が一緒だなと思って」

「ああ、真方組まがたぐみのスタッフの誰かかなあ。どんな奴でした?」

「普通のサラリーマンみたいな感じでしたけど。あ、でも母親の菩提寺って言ってたような気が——」

「——まさか」手品師の顔色が変わる。「その伝票見せてもらえますか」

「いや、それはちょっと、さすがに。お客さまの個人情報なので」

「いいから見せて」強引にカウンターに入ってこようとするのを、チーフが割って入って腕力で止める。

「お、お客さま? ――困ります」

「あのクソ兄貴、いまさらどういうつもりで」と手品師がわめく。

 真っ白なあごひげを撫でながら、店の奥からオーナーが声を掛ける。「事情を聞いてみたらどうだい。ここじゃ何だから、三人でお茶でも飲んでおいで。店番はわしがやっとくから」


 駅ビル内のカフェラウンジ「松の実」の奥のテーブルに手品師を案内する。立ち入ったことを聞いて、また暴れたりしないだろうか。

「ここケーキが美味しいんですよ」チーフが無口なので久留美が間を繋ぐ。

「取り乱してしまってすいません。あの、おれ、絹田千代丸きぬたちよまるっていいます」バツが悪そうに手品師が言う。「その、さっきの話。五つ上の兄貴だと思うんです。賀集夏彦かしゅうなつひこっていうんですが、ひどい奴なんです、あいつは」

 コーヒーを三つ頼んで話を聞く。さっき思い出せなかったマジシャンの名前が分かった。絹田の母親の真方美亜まがたみあだった。


 その当時、真方美亜を知らない人はいなかった。真方組という一座を率い、大仕掛けのイリュージョンでマジックブームに火をつけたが、十三年前、五十歳の若さで体を崩して亡くなった。テレビでも連日追悼特番が組まれた。

 主のいなくなった真方組をどう立て直していくか。まだ十八歳の千代丸が組のみんなを励ましていたとき、兄の手で手品の大道具が売りさばかれていることが分かった。抗議に行くと遺言状を盾に「法的には何も問題ない」と追い返された。

 遺産のことはお金に詳しい兄にと任せ切っていたのが失敗だった。兄とはそれっきりで音信が途絶えた。母親の遺産は千代丸のもとには一円も入って来ず、真方組はあえなく解散することになった。


「それは——。大変でしたね」冷静な絹田にほっとしながら相槌を打つ。

「家族みたいだった真方組がボロボロになってしまって。あれは人間の屑です。許せない。それが今ごろになって母に花を贈るなんて、意味が分からなくて。それで詫びてるつもりかと腹が立ったんです。遺言状っていうのも、兄貴の偽造だったんじゃないかと思っています」

「ええと、たしか遺留分とかって言って、遺書があっても請求すれば一定額を取り戻せたんじゃなかったかな」大学で教わった付け焼刃の知識を伝える。

「いえ。期限を過ぎていたとかでダメでした。お金のことでは強欲な兄貴には敵わないんです」絹田がコーヒーを飲み干す。「ごめんなさい、仕事中なのにここまで付き合ってもらって——。もう無理は言いません。いま兄貴がどこで何をしていたって、いまさら何も変わる訳じゃないんで」伝票を持ってレジまで行こうとする。

「いいえ、こちらこそ、立ち入ったことを聞いてしまって、すいませんでした。ここは割り勘にしましょう」

 伝票の奪い合いは、しかし手先の器用な絹田に軍配が上がった。絹田はもういちど詫びながら、支払いを済ませて立ち去った。


 フラワーマーケットに戻り、伝票を確認しながら久留美がオーナーに報告する。

「あの、さっきのお客さんなんですが――」ひとしきり説明する。伝票には確かに賀集夏彦の名前があった。

「ほほっ。そうか。それでやっこさん兄を恨んでおったのか。——しかし、妙だなあ。わしの記憶では真方美亜にはそんな蓄財はなかったはずだが」

「えっ?」

「いや。当時、真方のイリュージョンには生花が使われておってな。うちの花を定期的に納めておったんだ。それがあるときぷっつりと途絶えた――」

「オーナー、あんな有名人と付き合いがあったんですか」

「うん。大口の客だったからな。きいてみると大道具への投資失敗やら、自分の医療費がかさんだことやらで、一座の資金繰りに苦労していたらしい。真方組のみなには心配を掛けたくないからと口止めをされていたが、なに。もう時効だろう」

「待ってください。それじゃもしかしてお兄さん、借金を相続したんじゃないですか?」

「考えられんこともない」

「それじゃ、絹田さん大変な誤解をしていることに」

「そうかもしれん。が、どうする?」

「絹田さんのこと、さがしてみます。このままじゃお兄さんが可哀そう」

「ほほっ。お節介だが、それもよいかもしれんな」

「はい。これも花屋の仕事です」ふたたび出掛けようとする久留美をチーフが引き留めた。

「今日は無理。ときどき駅前広場にいる。またこんどさがそう」


 数日後、久留美が早めに出勤しようと駅前広場を通りかかるとショーの準備をしている絹田を見かけた。勇気を出して声を掛ける。

「あの、お兄さんのことなんですけど」

「ああ、あのときの花屋さん」絹田が微笑む。

「やっぱりちゃんと会って話をした方がいいと思うんです。たまたま絹田さんのお母さんと知り合いっていう人に話が聞けたんですが、もしかしたら誤解があるのかもしれないと思って」

「何のことですか。こっちは話すことはないですよ」

「その、お母さん、亡くなる前に借金があったなんてことは——」

「あんまり他人の家のことに首を突っ込まない方がよくないですか」

「でも——」

「これからショーが始まるので、——すみませんが」絹田が忙しそうに機材のセットを再開して、話しかけられなくなる。


 いつものフラワーマーケット。チーフとふたりで店番。心ここにあらずの状態で、客が来たのに気付かずチーフから小突かれる。

「いらっしゃいませ——」顔を上げ挨拶をして固まる。客は賀集夏彦だった。明日、長期出張から帰ってくる妻に誕生祝いの花束を買いたいのだという。

「少々お待ちください」奥のスペースでチーフに賀集の引き留め工作を頼み、段ボールの切れ端にマーカーで「お兄さん来店、いますぐ花屋まで来て」と大書する。駅前広場に走って向かう。ショーの最中の絹田と一瞬だけ目が合う。祈るような気持ちでメッセージを見せる。

「最後は消失マジックです。何が消えるのか、よく見ていてくださいね。ワン、ツー、スリー!」煙とともに絹田が消失し、観客が喝采を上げる。シルクハットに投げ銭が集まる。肩を叩かれて振り返ると普段着の絹田が立っていた。


 絹田とふたり店に戻るとチーフがひとりで店番をしている。賀集は帰ってしまったのだろうか。ラッピングに時間がかかると伝えたところ、その間にカフェラウンジ「松の実」でケーキを買うことにしたらしい。また帰ってくるとチーフは言ったが、気にせず松の実へ向かう。果たして賀集はケーキの代金を払い終えたところだった。

「兄貴」

「なんだ、千代丸か。——久しぶりだな」

「あの、再会記念でお茶でも飲みませんか?」走りすぎて息の上がった久留美がカフェの奥を指差す。

「あなたは——お花屋さん?」

「はい。お二人のお母さんのことでちょっとお伝えしたいことがありまして」

 怪訝そうにしている賀集を絹田とふたりで店の奥へ押し込む。紅茶を三つ頼む。


「お前まだ手品なんかやってるのか」絹田の化粧を見とがめて賀集が言う。

「手品なんか、か」

「ばかなことはやめろ。母さんは手品に殺されたんだ」

「ちがうね。俺たちは手品に育てられたんだ」

「えっと。まあ、あの、お茶でも飲みましょう。そうそう、ここのケーキ美味しいんですよ。チョコレートとか甘すぎないのがよくて」久留美が店員に声を掛ける。「あ、チョコレートケーキ三つ追加お願いします」

「それで、あなたの伝えたいことって何ですか?」賀集が面倒くさそうに尋ねる。

「あの、真方美亜の借金についてです」

「——どうしてそれを」賀集の表情が変わる。

「やっぱり、借金があったんですね」

「なんだよ兄貴。借金? 聞いてないぞ」絹田の声に、賀集がしまったという顔をする。

「うちのオーナーが真方組に花を仕入れていたんです。大道具への投資失敗や、真方美亜の医療費のことがあって資金繰りが大変だったそうですね」

「ああ。でも、それだけじゃない」観念して賀集が話し始める。「いちばん痛かったのは離婚した親父の借金だった。お袋が連帯保証人になっていたんだ」

「じゃあ」

「死の直後に分かったから、お袋は知らずに逝ったと思う。さいわい遺書では全財産を長男にとあったので借金は独りで返すことにした」

「なんだよそれ。どうして言ってくれなかったんだ」絹田の語気が強まる。久留美が立てた人差し指を自分の唇に当てる。

「ばか。お前未成年だっただろう。そんな奴に背負わせてどうするんだ」

「なんだよ。それじゃおれや真方組がばかみたいじゃないか——」

「そういえば真方組は?」

「もともと個人事業みたいなものだったから強引に解散させた。本当のことを言えば組のみんなが苦しむ。おれが憎まれればいいと思った」


 再会して、ふたりともただ辛い思いをしただけではないのか。沈黙の中、ケーキが配られる。ひとくち紅茶を飲む。

「そういえば、どうして賀集さんは手品が嫌いなんですか?」久留美が尋ねる。

「——こいつが生まれてすぐ、おれが五歳のときにお袋が離婚した。仕事で無理をして体を壊したが、子供二人を育てるためとお袋は病気を押してステージに立った。マジックを見るのが辛くなったのはその頃だ。早く一人前になって、自分の仕事でお袋を支えてやろうと思った」

「あ、でも、兄貴お袋の最後のステージ見に来てくれたよな」

「お前がしつこく誘うからだ。行かなければよかったと後悔してる」

「お袋よろこんでたぜ」

「それではりきって死期を早めたんだ。病室のベッドで『お陰で最後にいい仕事ができたよ。ありがとう』なんて礼を言われたが、おれは謝りたかった。どうしたらいいか分からなかった」賀集が険しい顔をしている。ふたりを会わせて本当によかったのだろうか。

「賀集さん、本当は手品好きだったんじゃないですか?」

賀集が反論しようとして顔を上げるが、言葉にならない。

「そんなにすごいステージだったら、賀集さん感動してない訳ないなと思って。あ、そうだ」久留美が手を叩く。「花屋の仕事ってご存知ですか?」

「花を売る事じゃないのか?」

「人と人とを結ぶことです。このあと絹田さんのステージ見に行きませんか?」

賀集は黙っている。絹田が顔を上げて頷く。

「おれは一生兄貴を恨み続けるんだと思っていた」ケーキをフォークで持ち上げる。「兄貴は一生手品が嫌いなんだろうって思ってた。兄貴、手品師の仕事って知ってるか?」

「いいや」

「あり得ないことを起こすことさ」ケーキとフォークが花に変わる。

久留美は賀集が小さく笑うのを見逃さなかった。

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