かさなり、まじわる。

  □


 できれば見なかったふりをして通り過ぎたかった。

 しなだれかかるように男に何やら話しかける女。男の方は少々困っているようにも見えた。

 休日の昼過ぎの人通りの多い場所ではなく、もう少しひっそりとしたところでやってほしいものだ。

 たぶん向こうは気が付いていない。このままスルーしても非難されることはない。

 それでも二人の足下に重なる【道】を見てしまったら無視をする選択はできなかった。

 どうやって声をかけようか。

 距離の近い二人に割って入る面倒に溜息を一つこぼして顔を上げた。



 ■


「おじさん。何してるの?」

 声の方に顔を向けると女子高生が呆れた顔で近づいてきた。

 良いタイミングというべきか間が悪いというべきか。

 まぁでもいつもは呼ばない呼び方で声をかけてきたということは助け舟なのだろう。

 ずっと年下の理世りせに手助けが必要だと思われているのは少々情けなさを感じるが、困っているのを見かねる程度には身内扱いしてもらえているのは嬉しい。

「なぁに、倫。おじさんって。こんな子供にも手ぇ出してるのぉ?」

「ちがうよ。姪。姉の娘」

 腕にしがみつこうとする手をさりげなくかわす。

 大学卒業以来、連絡したこともなかった相手の距離感に辟易する。

 在学時も友人と言えるほど親しかったわけではなく、あくまで知人の域を出なかったはずだ。

「やだ、こんな大きな姪っ子がいるのぉ? おじさん取られると思って、慌てて来ちゃったの?」

 小馬鹿にしたような口調に気づかないはずもないのに理世は特に感情を見せず、こちらをまっすぐに見る。

「おじさん。お母さんから連絡入ってるの見てない? 私の方にまで見つけたら連れて来いってライン来てるけど」

「しまった。忘れてた。じゃ、松本さん」

「え。ちょっと待ってよ、倫」

 呼び止める声は聞こえないふりで姪の手を掴んで足早にその場から離れた。



 □


「助かった。理世ちゃん、ありがとう」

 二人で電車に乗り込み、ようやく一息ついた。

 『おじさん』も同じ気分らしい。ほっとしたようにお礼を伝えてくる。

「さっきの、凪埜なぎのさんの友達?」

 いつも通りの苗字呼びに戻して尋ねる。

 父の再婚相手の弟で、血のつながりが全くない人を叔父と言って良いのか毎度のことながら疑問になる。

「いや。大学の時の知り合い。偶然会ったんだけど、宗教の勧誘か、デート商法か、美人局つつもたせかねぇ」

 普通に恋愛的な誘いだという考えはしないのだろうか。凪埜はそれなりに見目は良いのだし、幅広くお付き合いの経験はあったようだし。

「何か不名誉なことを考えられてる気がするんだけど?」

「別に。蓉子ようこさんに聞いたことを考えてただけ。で、蓉子さんから連絡があったって言うのは嘘だから凪埜さんは一緒に帰らなくても良いんだけど」

 流れで一緒に電車には乗ったけれど、凪埜の家の方面ではない。

「確かにそうだね」

 にこりと笑顔を浮かべる凪埜に、どことなく不穏なものを感じて理世は一歩距離を取る。

「休みなんでしょう? 用事があったんじゃないの?」

「暇だから買い物でもしようかと出てきただけで特に用事があったわけじゃない。理世ちゃんは土曜なのに学校?」

「模試」

「おつかれ。じゃ、その疲れを癒すのとさっき助けてくれたお礼に甘いものでも食べて帰らない?」

 相変わらず笑顔のまま、凪埜は首を少しかしげる。

「……遠慮します」

 嫌な予感しかない。

「そう言わずに。おれもおなか空いてるし。ね?」

 有無を言わさない視線。

「……蓉子さんに言いつけてやる」

 お母さんに言いつける、なんて子供っぽいとはわかっていても、つい口をついた。

 蓉子に頭の上がらない凪埜は情けない顔をする。

「それは出来れば勘弁してほしいなぁ」

 それでも一緒に食事するのをやめるとは言われず、理世は深い溜息で遺憾を表した。



 ■


「で、理世ちゃん、さっきは何で助けてくれたの?」

 落ち着いた雰囲気の喫茶店に入り、オーダーしたものが届いてから口を開く。

「……何でって、凪埜さん、困ってそうだったし」

 最初は自分もそう思っていた。が、よく考えるとその程度のことで理世が口を挟んでくるだろうか。

 相手は女性一人だ。振り切って逃げようと思えば逃げられたし、適当に躱すこともできた。あの時点ではまだ少し様子を窺っていただけで。

 理世にだって、どういう会話をしていたかはわからなかったはずだ。その状況で間に入ってくるというのは理世らしくない、非常に。

「何か、見た?」

 一応訊ねる形をとったが、ほぼ確認の意味しかない。

 案の定、理世は視線を落とした。

 理世には人の行く末、来し方が【道】という形で見えるらしい。

 普通に考えれば眉唾なその能力で、実際に解決できたこともあるので凪埜はそれが確かにあるのだと信じている。

 今回割って入ってきたのも、未来へつながる【道】を見たからだろう。

「あの人にはもう会わないで」

 言葉だけだと嫉妬っぽいよなぁと少し思った。不謹慎にも。

 もちろん理世自身にそういう意図はまったくないだろう。ただ、その口調にかすかな心配の色が含まれていた。

「まぁ、また偶然でもない限り会うことはないと思うけどね。連絡先も知らないし」

 友人の誰かに聞けば、掴めるだろうけれど。

 案じてくれている理世を不安にさせる必要もない。

「で、理世ちゃん。そんなにまずい未来だったの?」

「…………二人が進む道が重なってて、それが良くない感じだった。離れたら、薄くなったから、向こうの人も」



  □


 不穏、としか言い表せない【道】だった。

 そのまま吸い込まれて落ちてしまいそうなほどに濃い黒色が二人の足下から延びていた。

 【道】が見えるとは言っても、実のところいつでもどこでも誰のものでも見えているわけではない。

 基本的に見ようとしなければ、何も見えない。

 それなのに今日は何もしていなくても目に飛び込んできた。

 その原因があまりに強い【道】だったせいなのか、一応身内である凪埜が関わっていたせいなのか、それ以外なのか、ひっくるめて全部のせいなのかはわからないけれど。

 柄にもなく人の話の間に割って入って、凪埜とあの女性を引きはがした。

 その後【道】は目を凝らさないと見えない程度にまで薄くなったから、とりあえずは大丈夫だろう。

 実際のところ【道】が見えても出来ることはほとんどない。何が起こるか、はっきり見えるわけでもない。

 このまま進むと悪いことが起こりそうだから回避できるならした方が良い、程度だ。

「理世ちゃん、そんなに難しい顔しなくても。……面倒なことに巻き込んじゃってごめんね」

 こういうところ、凪埜はやさしいというか、こちらを子供扱いしていると思う。悪い意味ではなく。保護対象にされているというか。

「別に、勝手に首を突っ込んだのは私だし。凪埜さんが謝ることじゃない」

「そう? じゃ、心配してくれてありがとう」

 柔らかな笑みを浮かべる。

「……そういうのじゃ、ないし。見て見ぬふりして、何かあったら、寝覚めが悪い」

 本音だ。心配しなかったわけでもないけれど。

「そっかー。それは残念ー」

 あまり信じていない風な口調に少々イラっとした。



 ■


 その【道】の行き先がどこだったのか、気にならないわけではなかった。

「クスリかな」

 もともと男に対して距離が近いタイプではあったけれど、それなりに空気を読んでいたはずだ。

 久しぶりに会った学生時代の知人にテンションが上がったにしても、少々行きすぎていた。

 何らかの違法薬物のせいだというなら納得もいく。

 声をかけてきたのは金蔓にしようとしたのか、単に仲間を増やそうとしたのか、何も考えてなかったのか。

「放置が賢明か」

 警察官としては、もう一度会って確認して、薬物を使用しているなら更生を促すべきだろうけれど。

 簡単に更生できるものでもないし、下手に巻き込まれて『同類』とみなされたら社会的に死ぬ。

 世間は警察官の不祥事に厳しいし、既に閑職に飛ばされている凪埜だと署内からの援護も厳しいだろう。

 理世の見た良くない道の先には路頭に迷う自分がいたのかもしれない。

「君子危うきに近寄らず」

 とりあえず忘れることにした。



  □


 酔っぱらうような足取りの女性を、すれ違う人たちが遠巻きに避けていく。

 ちいさな後姿だったけれどあの時の人だと分かった。

 その足下からあの時と同じような黒い【道】が延びていた。

 何もしなければ見えないはずの【道】が見えたのはたぶん一度見てしまっているからだろう。

 彼女の歩いたあとに残る蛇行した黒い【道】をなんとなく踏まないようにして、その背中を追う。

 相変わらずよたよたと歩く彼女に追いつくのは簡単で、あと数歩の距離まで近づいて、理世は逡巡する。

 追いかけてはきたものの、どうしよう。声をかけるにしても、何て?

「っ!」

 ためらいは理世は彼女の進む先にある【道】をみて吹き飛んだ。

 飛びつくようにして彼女の腕をつかまえ、思い切り引っ張る。

 抵抗するように暴れる彼女を抱え込むようにして留める。

「っ痛」

 二人で地面にしりもちをついてしまい顔をしかめる。

 そのすぐ脇で車がクラクションを鳴らして走り去った。

 じたばたと暴れる女性をどうにか抑え込みながら、黒い【道】の行く先を確認する。

 さっき気づいた時と変わらず、ほんの数メートル先で【道】は途切れたままだ。

 誤差程度の伸び縮みがあるのは車と接触する位置が変わるからだろう。

 完全に交通事故による死亡だ。

 どうしよう。

 彼女を捕まえている手から力がぬけ、だんだんと緩んできているのが自分でもわかる。

 少しずつ抜け出している彼女を抱えなおしたいけれど、そんなことをしている間に完全に逃げられそうだ。

 そして目の前で……。

「誰、か」

 たぶん遠巻きにしているであろう通行人の一人でも手を貸してくれたら。

 ふ、と抵抗がなくなる。

「大丈夫? 今、救急車呼んだから」

 逃がしてしまったかと焦ったところに声をかけられる。

 四十代くらいの男の人が代わりに彼女を捕まえていてくれた。

 彼女の足下の【道】は向きを変え、徐々に伸びていく。

 そのことにほっとして息をついた。

 


 ■


 彼女が捕まったのを知ったのは学生時代の知人からのメールだった。

 詳細を聞き出したそうなそのメールには『何も知らない』と返しつつ、伝手をたどっていくつかの情報を仕入れた。

 三日前、錯乱して道路に飛び出そうとしていた彼女は保護され救急搬送。その後薬物所持で逮捕。

 それは良い。ただ気になる点が一つ。

「さて。出てくれるかな」

 一度の着信履歴では折り返さないかもと適当に間をあけ三度目の電話で少し不機嫌そうな声が耳に届いた。

「何度も、なに?」

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、時間作って……お宅訪問でもいいんだよ、おれは」

「わかった。明日。塾のあと」

 不満気なまま理世はそれでも了承した。



「危ないことしないでって、おれ言ったよね?」

「不可抗力だし。今にも轢かれそうな人放っておけない」

 若い女の子が飛び出さないように彼女を捕まえていたという話を聞いて、まさかとは思ったけれど。

 家に来て欲しがらない時点でほぼ察しはついていたけれど。

「周りの大人に助けを求めるとか」

「そんな余裕なかったし」

 その状況を見て見ぬふりをしていた通行人にも腹が立つが。

「そういえば、救急車呼んで、捕まえるの手伝ってくれた人。凪埜さんに声が似てて一瞬、来てくれたのかって思った」

 そんなはずないのにと笑った顔が、妙にあどけなくてかわいくて、絆されそうになる。

「だから、そうじゃなくて。危ないことはしないの」

「わかってるよ。今回だってケガをしたわけじゃないし、大丈夫だったでしょ」

 運が良かっただけだ。一緒に引きずられて、車道に出て巻き添えを食らう可能性だってあった。

 じっとりとにらむと理世はそっぽを向く。

「GPSどころか盗聴器も仕込まれたのかって、凪埜さんが来たと勘違いしたとき本気で思ったよね」

「ほんとにつけるよ。おれは出来るよ」

 話を変えようと誤魔化すように言った理世に半ば本気で告げる。

「犯罪だよ。警察の人が」

「もみ消すのは得意だよ」

「笑えないよ、凪埜さん……わかってる。気を付ける」

「ほんとに、お願い」

 同じような状況になれば、きっと同じことをするのだろうけれど、心配している気持ちだけはわかってほしくて。

「でも、よく頑張ったね。お疲れさま」

 労うとはにかむように理世は笑った。


                                   【終】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

その道の先にある moes @moes

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ