第2話

「さてさて、場所を変える前に取り敢えずアイツをどうにかしようか」

 女性──グレースさんがドラゴンを指さして言う。

「倒すのは余裕なんだけど、アイツは多分話が通じる奴、というか知り合いだからね。一発殴るくらいにしておくか」

 パチンとグレースさんが指を鳴らすと、周りの風景が一瞬で色彩を取り戻す。同時に私に向かってドラゴンの顔も迫ってくるが、

「遅くしておくから、横に避けておくように」

 よく分からないが、言われるままに右に転がってドラゴンの顔の下から抜け出す。ドラゴンは殆ど動いていない様に見えるが、よく見るとゆっくり動いているみたいだ。

 件のグレースさんはどこにいるのかと、周囲を見渡す。いつの間に移動したのか、ドラゴンの頭上で拳を構えていた。

「さぁて、いっぺん頭冷やそうか」

 グレースさんは私の目にも止まらぬ豪速でドラゴンの頭を殴りつけた。

「いや、魔術師じゃなくってあれじゃあ物理使いでしょう」

 思わずそう呟く私。ドラゴンは頭部を地面に叩きつけられ、気絶しているようだった。一体どれだけの力で殴ったのだろうか。地面が陥没しているのを見る限りだと、相当人間離れした速度であるのは間違いない。

「よっと、まぁこれぐらいで大丈夫だろう。後はアイツが正気に戻るのを待つだけだ」

 何事もなかったかのように着地して、正気を疑うようなことを言い出すグレースさん。ドラゴンを殴りつけた右腕は肩から千切れかけており、指も欠損しているものや、おかしな方向に曲がっているのが分かる。あまりにも凄惨な状態の腕を見て、私が唖然としているのを悟ってくれたようだ。

「ああ、腕ね。これでいいかい?」

 一瞬で元通りに復元した腕を見ると、本当に時間を操れるらしい。

「はい、大丈夫です。あ、助けてくれてありがとうございます。おかげで命拾いしました」

 彼女が何者であろうと助けてもらった事には変わりない。お礼だけはしっかり言わないと。

「どういたしまして。ついでに色々と説明しておきたいことがあるんだけど、時間はいいかい?」

 首を縦に振って了承の意を示す私。今まではノリで動いていたが、説明してもらえるというのなら、当然聞いておきたい。あんなタイミングで都合よく現れることが出来る時点で、少なくとも私が喰われるのを阻止しないといけなかった理由は少なからずあるはずだ。これだけの力を持つ存在が何の理由もなしに訪れるはずが無いのだ。

「じゃあ、手短にいこう。ああ、魔法がどうとかはまたの機会に説明する。まずは何故君を助けたのかを教えておくよ」

 女性は、そこで一度言葉を切って一呼吸置いた後話し始めた。

「単純に言うと、君があのまま喰われていたら世界が滅んでたから助けたんだ」

「は?」

「だから、君があのまま喰われていたら世界が滅んでた」

「ちょっと訳が分からないんですけど・・・」

 あまりにも突拍子のない事を言われたので、当然困惑する。私は人よりちょっと身体スペックが高いだけの人間なのに、世界を滅ぼす要因=私みたいに言われても困る。

「まあ、困惑して当然か。分かった、この話もまた今度だ。取り敢えず私はアイツと話つけてくるよ」

「ドラゴンって喋れますっけ?」

「ああ、アイツは知り合いだしね」

 そう言って困惑する私を放置してドラゴンの方に歩いていくグレースさん。

「起きろっ!」

 目覚ましのつもりなのか、いきなり頭を蹴り飛ばした。ものすごく野蛮だが、実際にそれが目覚ましになったらしく、ゆっくりと頭を上げ、グレースさんを見ている。

「あー、乱暴に起こしといてなんだけど、一旦人の姿になって貰っていい?」

 ボン!と爆発音がしたと思ったら、既にドラゴンの姿は影も形も無く、そこに立っていたのは極東の島国の服・・・確か着物といっただろうか、それを纏った若い男が立っていた。

 着物越しだが、筋骨隆々なのは間違いないだろう。鱗と同じ黒い髪の長身の偉丈夫といったところか、顔立ちは文献で見た東方の人々と全く同じだ。

「まったく、いきなり殴りつけるなんざひでぇよ姐さん。普通に声をかけてくれれば分かるっての」

 殴られた割には親しげな声でグレースさんに話しかけている。殺し合いでも始まるのかと思っていたが、ちゃんと話が通じる様だ。どうやら知り合いという事に偽りは無いようだ。

「普通に喰う寸前だったし、止めてなかったら普通に世界が終わってたところなんだけどね」

 それにしても、ドラゴンから姐さん呼ばわりされるってことは彼よりは年上な訳だ。時間を操れるなら彼女が何歳でも別に不思議では無いが、少なくとも定命の者からは外れているのだろう。

「世界が終わったと言われてもな。俺はただ食事をしようとしただけだぜ。まあ、姐さんが現れたってことはそういう事なんだろうな」

 あと、なんか納得したらしい。割と物分かりがいいタイプなのか、単純に自分よりも強い物の言う事を聞くのか。どちらかと言われると後者だと思う。

「ああでも姐さん、喰っちゃマズい理由は教えてくれよ。勿論そこでボーっと突っ立ってる嬢ちゃんにも分かるように頼むわ」

 こっちを指さしながら言うドラゴンさん。ボーっと立ってるのはさっきから色々起こりすぎて思考が現実に追い付いていないだけだからほっといて欲しい。

「わかったよ。サリア、移動するからこっちに来てくれるかい?」

「は、はい。わかりました」

 少々ビビりながらもグレースさんの方に向かっていく。何も分かっていないのに自分を捕食しようとしていた者の近くに行くのは正直怖かったが、グレースさんが止めてくれると信じて男の隣に並んだ。

「そうそう嬢ちゃん、俺の名前は黒丸って言うんだが、クロでもいいぞ」

 男は気さくに自己紹介してきた。あの図体に似合わず、想像以上に可愛い呼び名だった。なんか犬っぽいあだ名だ。

「私はサリアです。食べないで頂けるとありがたいです」

 対して私も自己紹介を返した。後半は自分の願いも混ざっていたが、これはしょうがないだろう。いくら人より動けても上位存在にはどうあがいても食われるしかないので、できれば食べないでくれと言うしかできないのだ。

「ぷっ、食べないでとは面白いこと言いやがる!安心しろ、姐さん直々に食べたらヤバい物認定食らってる以上大丈夫だ。長く生きてるような奴にとって姐さんの言う事は絶対みたいなもんだからな」

 クロさんは笑いながらそう返した。なんでも、長命種の大半はグレースさんの事を知っているらしく、彼女がヤバいと言ったものには手を出さないのが一種の掟みたいになっているそうだ。そうこうしているうちにグレースさんが声をかけてきた。

「お互いの自己紹介は出来たみたいで良かったよ。じゃあ、行こうか」

「行こうかってここまだ森の中ですよ?」

 隣のクロさんがかわいそうな生き物を見る目で見てくるが、何も知らない私をそんな目で見ないでほしい。さっきから意味不明の連続コンボなのだ。年端も行かない一般女子に理解を求めないでほしい。

「あー、こういっちゃあなんだが、一々突っ込むのは馬鹿らしくなるからやめといたほうがいいぜ。姐さん含む魔法使いの連中ってのは、俺たち以上に常識外れな奴らばっかりだからな」

「クロ?余計なこと言って、私に対するイメージを壊さないでくれるかい?」

「イメージって言っても、多分突然現れた訳の分からないぐらい強い人程度の認識じゃねーの?」

「もっと他に無いの? まあ、こんな所でいつまでも話すのもなんだし、場所を変えようか」

 グレースさんが無造作に手を振るだけで空間に穴が開く。一瞬光が渦巻き、直後に別の場所が見えていた。

「さあ、ついてきて。話は私の家で」

 グレースさんはさっさと先に行ってしまった。私が先に進むことを逡巡していると、クロさんが私をひょいと持ち上げて肩に担いだ。

「ちょっと、なにするんですか?自分で歩けますって」

 そんな私の言葉も意に介さずにグレースさんの後に続いて穴を通り抜ける。その直後に穴は消滅していた。私の抗議に対してクロさんは、

「嬢ちゃんがいつまで経っても動かねぇからじれったくてな。まあ、大人しく担がれておけ。嬢ちゃん結構いい体してるから俺も役得だしな」

 セクハラ混じりだったが、気だるげな口調でそう返された。

「それにしても、ここは綺麗な場所ですね」

「そうだなぁ。何回かここに来たことはあるが、本当に綺麗だと思うぜ」

 その場所は、色とりどりの花が咲き誇り、地平線の彼方にまで広がっていた。しかし、鳥や虫などの生き物は一切存在しておらず、まるでこの場所だけが世界から隔絶されているような、それこそまるで時間が止まっているような印象を与えてくる。そして、小高い丘になっている場所にポツンと立っている一軒家。あれがグレースさんの家なんだろう。彼女は既に中に入っているようだ。家は屋敷というほどの大きさはないが、一人で住むには十分に大きい家だった。

「俺たちも行こうぜ、あまり姐さん待たせるとマズいからな」

 クロさんが玄関ドアを開けて家に入り、私も後に続いた。

「おじゃまします…」

「邪魔するぜー」

 内装はかなり凝っているようで、どう考えても王宮などにありそうな高級そうな調度品が置かれていたり、壁に掛けてある剣は煌びやかな装飾が施されており、かなり価値のある物だろう。しかし、必要以上に華美にならない様に上手くバランスを取られていて、お洒落だと思った。そのままリビングに行くと、エプロン姿のグレースさんがいた。服も最初に私の前に現れた時の服では無く、村で母親が身に着けていた素朴な服装だった。

「取り敢えずそこに座っててもらえるかな?お茶菓子を持ってくるよ」

 そう促されたので並んで椅子に掛ける。しばらくクロさんと世間話をしていると、グレースさんがクッキーを乗せた皿と人数分の紅茶を持ってきた。

「───さて、何から聞きたい?」

「カッコつけて言ってるところ申し訳ないんですけど、グレースさんさっき自分で話すって言ってませんでしたっけ?」

 グレースさんは静止してしまい、クロさんは呆れた顔を私に向けている。

「嬢ちゃん、あれは姐さんの恒例のノリってやつだから突っ込んじゃ駄目だ。ほら、すっかり落ち込んじまってるだろ?」

 クロさんは恐らくフォローのつもりで言ったのだろうが、それが逆に完全に止めを刺す形になったようだ。グレースさんはピクリとも動かない。

「今思いっきり止め刺しましたけど、どうするんですか?」

「・・・・・・取り敢えずクッキーでも食べて復活を待つか」

「そうですね」

 クッキーは今まで食べた物の中で一番美味しかった。私はあまり食材にこだわったりしないのだが、こればっかりは格別だった。思わず意識が飛んでしまうほどに。長い生の中で料理を極める機会でもあったのかもしれない。

「さて、改めて話をしよう」

 復活したグレースさんが、ようやく本題を切り出した。その前に私も要望を伝えることにした。大事な話なのは重々承知だが、これも大事な事には変わりない。

「はい、私も早いとこ家に帰りたいから手短にお願いします」

「帰るってどこに?」

 グレースさんの顔から表情が消えていた。とてつもない嫌な予感と絶望的な確信が私の心の中に渦巻いていたが、それを振り払いたい一心で私は答える。

「もちろん、私の家です。義理とはいえ両親も待ってる私の家です」

 しかし、無情な現実をグレースさんは告げる。厳しい口調だが、優しい口調だった。

「君の住んでいた村は既に無いよ。君が連れ去られたその日に魔物の大群に滅ぼされた」

 多分私の表情は唖然を通り越して無表情だったと思う。いきなりの情報についていけない。嘘だと思いたいし夢だと信じたい、でも間違いなく嘘は言っていないのだ。でも今は悲しんでる場合じゃない、それはこの話を聞き終わった後でもできるはずだから。

「おい、嬢ちゃん。ひどい顔してるけど大丈夫か?なんなら気持ちが落ち着いてからでもいいんだぜ?」

「心配してくれてありがとうございます、クロさん。でも、大丈夫です」

「そうか」

 そう一言だけ言うとクロさんもグレースさんの方に向き直る。再びグレースさんが話を始めた。

「君の故郷の事は本当に不幸だった。でも、申し訳ないけど君の事について話さないといけない。本当は泣いたってしょうがないのに、私の事情を押し付けてしまって本当にごめん」

「大丈夫ですよ。今だって碌に状況を飲み込めてないんです。現実だってのは分かってますけど、いまいち実感が無くって。だから、今のうちにお願いします」

 悲痛な表情を浮かべながらも、グレースさんは話をしてくれるようだ。すぐに真面目な表情に戻って、「わかった。まずは魔術と魔法を簡単に説明する。じゃないと分からないことが多いからね」と前置きを置いてから話を始めた。

「魔術は魔力を媒介として炎を出したり等の様々な現象を起こす技術の事を指すんだ。それとは対照的に、魔法は魔力と関係なく世界の法則そのものを自由に操る方法の事を指す。例えば、私の場合は時空を好き勝手弄れたりする。この空間も私が創ったものだし。他には、魂、エネルギー、精神、現実、元始と終焉の魔法があるかな」

 とても分かりやすかったが、これだとどこが私に関係するのかが分からない。いや、わざわざ話すくらいだから間違いなく関係ある事なのは理解できるが、情報の濁流に私のポンコツな脳はついていけてない様だ。

「すいません、ちょっと情報が多すぎていまいち整理できないです」

「ごめん。じゃあ、分かりやすく簡潔に行くよ」

 こほん、と咳払いして続ける。

「私は、クロが君を食べたら世界が滅ぶって言ったろ?君に宿っている魔法は終焉。文字通り全てを一方的に終わらせる魔法だ。そんな魔法が暴走したら世界なんて簡単に滅んでしまうよ」

 実に簡潔で分かりやすい説明だった。私が魔法使い?世界を簡単に滅ぼす?突拍子も無い話だ、あり得ないと思いそうになるが、当の魔法使い本人がそう断じている事が、事実であることを嫌というほど私に理解させてくる。どこか冗談めかした話し方だったが、内容が内容なので流石に嘘ということは無いだろう。

「そして、魔術は次代に継承することができるが、魔法はそうはいかない。魔法の継承方法は魔法使い、または魔法を宿している物体を取り込む事だ。でも、魔法使いを食らったところで大体は耐えきれずに爆散するか、体は耐えきっても意識が途絶えて暴走するだけになるんだ。まあ、魔法使いの血族は断片的に魔法を使えたりするけどね」

 そう説明してくれたが、正直そんな大層な力は要らないとしか思えない。私一人のせいで世界が滅ぶなんて言われたら、ますますそんな力は捨てたくなる。

「魔法って捨てたりできませんか? 私はこんな危険な力は要らないし、耐えきれないです」

「残念ながらそれはできないよ。できるならそうしてあげたいけど、無理なんだ」

「そうですか…。じゃあ私はどうしたらいいんですか?」


「話が早くて助かる。具体的には魔法を使いこなせるように修行を積んでもらう。幸い君の体は不老不死だし、多少厳しくやっても大丈夫だろうから」

 グレースさんが言っていることには概ね納得できた。しかし、一か所だけサラッと流されたがとても重要な事を言われたので、そこを追求する。

「不老不死? 確かに傷の治りは人より速いですけど、そんなことってあります?」

「その魔法に耐えきれる条件って不老不死でもないと、宿してる時点で自己崩壊を起こして消滅するからだよ。見た感じ君はホムンクルスとかじゃあ無さそうだし、私達と同じく先天的な物だと思う」

「それが本当なら納得するしか無いですけど、ちゃんと成長はするんですよね?」

 他にも、何故私に宿ったのかだとか、両親は私を何処から引き取って養子にしたのか、なんで不老不死なのかなどの疑問は次々に生まれたが、流石に十四歳から体が成長しないのは困る。

「ああ、ある程度成長してから止まるからそこは安心して良いよ。あと、君の魔法に回復能力は多分無いから、体の十分の九以上吹っ飛んだら死ぬか、再生にかなり時間がかかる事になるし、あまり過信し過ぎないでね?」

 十分過ぎるのではないだろうかそれは。そして、グレースさんの場合は全部吹き飛んでも戻れると言っているような物だった。

「まあ、何はともあれ君は家も無いわけだから、今日からここに住むと良い。まあ、私は君の家族になる訳なんだけど、これからよろしくね、サリア」

 ちょっと申し訳なさそうな、色々な感情がごちゃ混ぜになったような笑顔で手を差し伸べてくるグレースさん。

「はい、よろしくお願いします。グレースさん」

 私も少々ぎこちなかったが何とか笑顔で手を握ることができた。そして、いい加減に私の心も限界だ。


「すいません。今からみっともない姿を見せてしまいますから、許してください。ちょっと許容量オーバーです」

 その直後に私の膝は崩れ落ち、精神は決壊した。堰き止めた悲しみが溢れ出し、子供のようにわんわんと泣いた、泣きじゃくった。グレースさんは何も言わずに後ろからそっと抱き締めてくれていた。今はその温度が何よりも有難かった。

「あのー、姐さん。俺はどうすればいいっ」

 そう発言しようとしたクロさんは突如自分の真下に空いた穴から故郷に強制送還された。上空に放り出されても多分死ぬことは無いだろう。合掌。




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甘き黄昏のヴァルプルギス @Saint-Germain

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