甘き黄昏のヴァルプルギス

@Saint-Germain

第1話

 パチパチと何かが燃える音がする。

煙の臭いが充満する中、倒れていた少女──サリアは目を覚ました。

「うーん、これは一体どういった状況なんでしょうか?」

 周りを見渡すと、木々が燃えている。どうやら私は森の中で倒れていたらしい。私の着ていた服も煤塗れ、周囲の温度も上昇しているためか、汗もかなりかいていた。

 自分が何故こんな場所に居るのか、何故周囲が燃えているのか、気になる事はいくらでもある。

しかし、いつまでもここに留まっていても焼け死ぬだけだ。

「まずは、少しでも遠くに逃げないと。考えるのはその後ですね」

 だが、この森がどれだけの広さかも私はわかっていないが、とりあえずそこらに落ちていた太くて長い枝に火を灯す。

 燃え尽きる前に枝を替える必要がありそうだが、これで暗くなっても先に進むことは出来そうだ。その場でできる限りの準備を整え、私は燃え盛る森の中を生き延びるために走り出した。

「ふぅ、この辺りはまだ炎が迫ってきてはいないようですね」

 二時間ほど走っただろうか、私はひとまず炎が回って来ていない場所に着いていた。

 空を見上げると星が見える。時刻はすっかり夜になっているようだ。

 やはり枝に火を灯しておいて正解だったようだ。途中で何本か替えたが、無かったら恐らく遭難していただろう。下手をすれば獣や魔物に襲われていたかもしれない。

 そのことに安堵したが、状況は何一つ好転していない。むしろ悪化していると言える。

 森を出るどころか、より深くまで入ってしまっているようだ。

 明かりがあるだけ良いが、水も無ければ食料も無い。身体能力だけならずば抜けているが、歩き続けてから今まで、兎などの投石で仕留めれそうな小動物も水場も一切見当たらなかった。

 空腹はまだ耐えられる範囲だが、水分補給は致命的な問題だ。

「だからといって、今水辺を探しに行って見つけたところで夜行性の魔物か獣に食べられるのが落ちですから・・・。焚火でも作って夜を越すしか無いですね」

 ただ、ある程度開けた場所に行かないと、今度こそ焼け死ぬことになる。

 そろそろ火を点けた枝が限界だったので、手頃な枝を近くの木から折って調達する。

 開けた場所は意外と直ぐに見つけることが出来た。嬉しい事になんと、水場まであった。

 周りに私以外の生物はいないようだ。早速小さめの枝をかき集め、火を点けて焚き火を作る。流石に疲れていたのか、いつの間にか眠りに落ちていた。


 チュンチュンと鳥の鳴き声で翌朝は目を覚ました。日は昇ったばかりで、朝焼けが綺麗だが、いかんせん喉が渇いてしょうがなかったのでまずは水を飲み、ついでに顔も洗った。

どうせなら体も綺麗にしようと、汚れた服を脱ごうとしたところで、私はあるものを発見する。そう、水辺に二羽の兎がよってきていた。

 チャンス!!私はこれまたいい感じの石を数個手に取って、全力の10分の一くらいで投げつける。

「よし!」

 一匹は逃がしてしまったが、一匹は仕留めることが出来た。

 人並み外れた身体能力があってもやっぱりお腹は空くのだ。私は十四歳になったばかり、当然食べ盛りの時期である。

 正直なところ非常時だったから無視出来ていたが、安全な所で眠ってある程度落ち着いたためか、空腹で堪らなくなっていた。

 早速刃物の代わりになりそうな石を見つけて皮をはぐ。内臓は取り出し、棒を頭からさして丸焼きにする。もう既にこの世にはいないが、冒険者だった父と母から狩りの方法や獲物の調理などの事は習っていたのだ。

 本当の非常事態で実践することになるとは思っても見なかったが、いざやってみると存外上手くいって良かった。

「でも、お母さんたちには感謝ですね。まさか私がサバイバル生活を送るなんて・・・予想外ですよ。」

 肉が焼けるまで時間があるので、何故森の中にいたのか考えてみよう。確か一人で家の中にいて、そのまま後ろから殴られて気絶して、目覚めたら森だったという流れだったはずだ。

 果たして何故私は殴られたのだろうか?両親は人から恨みを買うような人じゃないし私自身人と関わることが少なかったため、恨みを買う謂れも一切無いはずだが…。

 いや、これ以上考えても答えは出なさそうだ。肉も焼けた匂いがしているし、森から抜け出さないと、いつ魔物に襲われるか分からない。オーガ程度なら殴り殺せるが、スライムやキラービー等の麻痺とか毒を使ったり物理で殴り殺せない相手は天敵みたいな物。

 それに、年頃の女子として、早いところ風呂に入りたかった。

「まあ、そううまくいくわけないですよね・・・」

 当面はここを拠点として出口を探そう。この場所には水はあるし、時々獣たちもやって来るため食料もある程度は安定して調達できる。

「いただきます」

ちょうどいい感じにこんがりと焼けていたので、早速かぶりつく。鶏肉に味は似ているが、空腹は最高のスパイスと言われるわけが理解できた気がする。今まで食べた肉の中で一番美味しく感じた。ペロリと二羽とも平らげた後、一応の寝床として落ち葉を敷き詰めておいた。土の上だと石が当たって体が痛むのだ。

さて、探索するにしても目印になるものが無いといけない。何か使えるものは・・・あった。剥いだ兎の皮を部位ごとに分ける。合計で十二個、間隔をあけて木にでも括り付けておこう。

 恥ずかしい話だが、この時の私は腹が満たされ、探索も無事に進みそうであることにすっかり油断しきっていた。周囲への警戒すら碌にしていなかったのだ。

 その時は探索自体は順調に進んでいた。目印は百メートルごとに括り付けることにし、

半分ほど目印をつけ終わったところでまた兎を狩ることが出来たので晩飯も確保できた。

 空を見るといつの間にか茜色に染まっていたのでこれ以上の探索は危険だと思い拠点に帰ろうと踵を返そうとした。

 直後、バサバサと鳥が羽ばたく音がした。思わず空を見上げると森中の鳥たちが一斉にどこかに去っていた。

「うわっ!」

 横をイノシシが駆け抜けていった。その後も魔物や動物たちが何かから逃げるように走り去って行ってしまった。これはマズい。ゆっくり帰るつもりだったが全力で走る。勿論獲物と残りの目印も急いでひっつかんでからだったが。拠点に帰ってから最初に焚火に火を点けて調理する。終わるまで時間があるので、おもむろに寝転がって空を見た。

 夕日に照らされるその姿は、あまりに巨大だった。少なくとも五十メートル以上はあるだろうその巨体は悠然と空に君臨している。

鱗は光を飲み込むかのような漆黒で、その金色の目は静かに大地を見据えており、その姿を見たものに無条件で畏怖の感情を植え付けてくる。ドラゴン──この世界でも最強クラスの生物が眼前にいた。

 確かドラゴンの強さは大きさに比例するんだったっけ。お父さんにもらった本だと史上最大のドラゴンは三十メートルだとか。つまりあれは最強クラスということになる。その内彼はどこかに着地したらしく、ズシンと地面が揺れた。

「あ、肉が焼けてますね。いただきます」

 まあ、余程の事が無い限りドラゴンが矮小な人間を襲うことは無いので呑気に肉を食べていたのだが。その内夜になったので、今日はもうさっさと眠ろう。でもその前に水辺に行って口をゆすぎ、顔も洗っておいた。集めておいた枯れ葉の上に身を横たえる。ガサガサしてて寝にくいが、疲れていたこともあって眠りに落ちるのはかなり早かった。

 来たる翌朝はグルルルルという唸り声で目を覚ました。時間は日の出前といったところだろうか?まだ辺りは暗い。

 そして、やたらとデカい呼吸音もちょうど私の上から聞こえてくる。ボトリと液体が垂れる音もした。

 覚悟を決めて目を開くと、ドラゴンの顔があった。逃げ出そうとするが、相手が逃してくれそうな雰囲気を纏っていない。むしろ食べる気マシマシである。

「あー、これは駄目なやつですね」

 ドラゴンの顔はこちらに迫ってくる。なぜ私が喰われないといけないのか、そもそもなぜこの森に私は来ていたのか、誰が私をこの森に連れてきたのかなど分からないことばかりだった。だが、それもこれもここで命を落とす私には関係ない事だった。

「まぁ、思い残すことが無くてよかったですね」

 それだけが唯一の救いだった。ドラゴンの顔は私を食らうために迫ってくる。大人しく目を閉じてその時を待つが、いつまで経っても私が喰われることは無かった。

 不審に思って目を開くと、ドラゴンの顔は口が開かれる寸前で静止していた。それどころか横で燃えている焚火の炎も、宙を舞う木の葉すらも空中で止まっている。世界は静寂に包まれており、自分が立てる音以外の音は一切しない。


「私が時間を止めたんだ。君がそいつに喰われる直前でね」

 凛となる鈴のような美しい声がした。


そして、いつの間にか目の前に長身の女性が立っていた。

 腰まで伸ばした輝く銀髪にすらりと伸びた手足、瞳は透き通るような蒼色で女神もかくやといわんばかりの美しい女性だった。ちなみにナイスバディだった。古典的な表現をするのなら、ボンキュッボンというやつだ。

思わず私が見とれていると、女性が再び口を開く。


「私の名前はグレース・クロノスフィア、時空を統べる魔法使いだ。気安くグレースさんとでも呼んでくれ、サリア」


 この胡散臭い女性と出会ったこの瞬間、私の運命は動き始めたのだった。


















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