おあげが温くて油が抜けてて
吉岡梅
段ボールの上の口福
私、
もちっとした平麺にかつぶしを感じるつゆ。
それに、おあげ。
つゆを存分に吸ってぷっくり膨らんだ熱々のおあげ。
ジューシーなそれを口に運んで軽く噛んだとき、じゅわっとおあげの油とつゆが溢れだしてくる瞬間がたまらない。
幸福で、口福で、しあわせ。
このままおあげを噛み切って味わおうか。
はしたないけど器に戻してもう一度つゆを吸っていただこうか。
悩むこともしばしばで、大体はしたない方を選んでしまいます。積極的に。
そんな熱々ぷっくりなおあげが大好きな私ですが、定期的に違う食べ方をしたくなるのです。
粉末スープを入れ、お湯を注いで、2時間くらい待ってから食べる、という。
それって、伸び伸びで冷たくなってるんじゃないの、と思うでしょう。それがその通りなんです。
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大学を卒業した私は、新しい部屋に引っ越したばかりでした。
ワンルームの部屋の中はまだ開けていない段ボールだらけ。
さて、整理する前にいっちょ腹ごしらえでもしますかとコンビニで買ってきた赤いきつねを取り出し、段ボールの上にでーんと載せます。
この段ボールお食事スタイル、一回やってみたかったんだよね。なんて思いながら鼻歌交じりで部屋のレイアウトを考えているまにお湯が沸きます。
カップに粉末スープを入れ、お湯を注いで、ふた代わりのお皿を乗っけてきっかり5分のタイマーをセットしようとしたとき、ちょうど手の中のスマホから呼び出し音が鳴りました。
相手はと言えば、サークルの後輩。すでに引退した私に電話してくるとは何事? と不思議に思って電話に出てみると、慌てた声が聞こえます。
「みどりさん! サークルの通帳と印鑑が無いんですけど知りませんか」
「あ! そうだった。私まだ持ってるかも。ごめん、ちょっと今私、引っ越してて。荷物の中探してみるね」
「あー……、やっぱり。あってよかったです」
「今日は
「はい。急がなくても大丈夫ですよ」
電話を切って、大慌てで荷物の中を探し回ります。どこにしまったっけ。そもそも本当に私が預かっていたっけ。いやいや、とにかく探さねば。
積み上げていた段ボールを開けては覗き、覗いては開け、あれー? あれー? と思いながら引っ掻き回します。
でも、見つかりません。
研究室の机かな? と思った私は自転車に飛び乗って大学へと向かいました。かつての母校で、今は職場となった校舎に。
大学4年時。私は、周りが続々と就職先や進学先を決めているのにも関わらず、全然進路が決まりませんでした。
いちおう就活はしていたのですが、自分の中で何がやりたいのかが定まらず、どうしよう、どうしようと思っているうちに時間だけはどんどこ流れ、あっという間に取り残されてしまったのです。
親は心配し、以前は笑いながら冷やかしていた友人たちもなんとなくピリッとして腫れ物扱い感が漂い始めます。
いつもの他愛のない会話。中身なんて無い、呼吸とリズムを合わせるだけでいいおしゃべりすらぎこちなくなり、その空気がますます私に突き刺さります。
頭では行動しなくてはと焦っていた私なのですが、体が全然動かないという悪循環に陥ってしまっていました。
そしてまるで身動きが取れなくなってしまっていた当時、私を見兼ねたゼミの先生が声をかけてくれました。
「竹内、お前就職まだ決まってないんだったら、学校の事務やらないか。丁度来年度の募集あるぞ」と。
今考えると、とても情けない話なのですが、私は
学校に着き、研究室へとかけこんで、かつて私の席だった机を探し回ります。無い。ありません。大事なサークルのお金なのに。私はもう、焦っていて、自分が恥ずかしくて、叫び出して泣きたいような気持になっていました。
結局、学校では見つからず、もう一度新居に戻って段ボールを引っ掻き回します。と、あった。ありました。一度見たはずの段ボールの中に、ちょこんと通帳と印鑑がセットになって入っていました。
安堵感と共に、どうして私はこう駄目なんだ、という想いが溢れだします。でも、そんなのは二の次です。
私は再び自転車にまたがると、後輩たちがサークル活動をしている草薙のテニスコートへと急ぎました。
「ごめんねー。遅くなってー」
「いいですよー。あって良かったです。てか先輩、相変わらず抜けてますよね。本当に社会人になって大丈夫なんですかー?」
「あはー、自分でもそう思うよー。じゃ、頑張ってねー」
「はい。またご飯でも食べに行きましょう」
「わかったー。じゃーねー」
にこやかにそんな会話を交わして私はひとり、アパートへと向かいました。ともあれよかった。本当に。
――でも、駄目だなあ……。
そう思ってる矢先、石に乗り上げて派手に転びました。自分でもびっくりのクラッシュ具合です。
咄嗟についた掌は砂まみれになり、血が滲んでいます。膝を打ったのか足も痛み、掌の傷もずきずきと痛いんですけど? と主張を繰り返します。私はそれら一切を無視して無言で自転車を起こし、部屋へと向かいました。
帰ってきた部屋の中は、段ボールまみれで散らかっています。私はその部屋の真ん中にぺたんと座り、しばらく動けませんでした。
どれくらいそうしていたでしょうか。まだカーテンの無い窓の外は薄暗くなっています。
――あ、片づけなくちゃ。せめて寝る場所くらいは作らなきゃ
窓の外を見つめ、頭の中ではそう考えているのですが、身体が全然動きません。と、お腹がぐぅと鳴りました。
――お腹減った。
こんな時でもお腹って減るんだな。私はちょっと自分にびっくりしました。そして、段ボールの上に逆さに伏せてあるお皿に気付きました。
お皿を取り除けるとそこには赤いきつね。かれこれ2時間は前にお湯を入れたままの、カップ麺。
蓋を取ってみると、中の麺はでろっと膨らんでいます。あるはずのつゆは全然見えず、膨張した麺の上に、おあげが寂し気に乗っています。
まったくおいしそうじゃないそれを見て、私はぼんやり思いました。
――なんかこれ、私みたい。
強い意志も持たず、ふにゃふにゃで流れるままで、時間だけを浪費して周りの皆と同じ事の出来ない私。引っ越して、心機一転頑張ろうとした矢先にこんな体たらくな私。情熱が無いわけではないけどその温度は低くて、うまくいかない私。そんな私みたい、と。
私は自嘲気味に笑いました。そして、割り箸を手に取りました。
――そうね。こんな私が新居で食べる最初のご飯なんて、これくらいが相応しいのかもね。
なんて思って。
カップを持っても温もりはなく、発泡スチロールのしょりっとした手触りだけを感じるだけです。
すくい上げようとした麺はすぐに切れ、口元まで運べません。仕方なく私はおあげを摘まんで口に入れました。そして、びっくりしたのです。
――おいしい……。
そのおあげは、冷たくて、油を全部出しきってしまったみたいにぺしゃりと潰れていて、あまりつゆも吸っていなくて。いつもの熱々ぷっくりとは全然違います。
でも、それでも、おいしかったのです。
まるで、おいなりさんの皮のように油抜きされたおあげ。ぺらっとしていて、ほんのりしるを含んでいて、それでもスッキリしていておいしいのです。
もちろんいつものおあげの方が断然おいしいのですが、こちらも捨てたものではありません。
なにより、もうマズくて全然ダメと思って口にした私にとって、それは驚きの味でした。
夢中になっておあげを食べ、麺を崩さないように慎重につまんで食べます。伸び伸びでめちゃくちゃ柔らかい。にゅるっとしている。それでも、食べられなくは無くて、思っていたよりは美味しい。そしてなんだか、やさしい。
私は嬉しくなりました。
――なんだ、いけるじゃん
時間が経って伸び伸びででろでろで油が抜けててパサパサでしょうがない麺。そして全盛期のぷっくら加減がなくなって、ぺらっとしてさっぱりしたおあげ。それでも、まだ、全然いけるんじゃん。
そうわかって、嬉しくなったのです。
――よし。いける。いけるじゃん。……頑張ろうっと。
薄暗い部屋の中で、私はひとり、そんな事を考えながら温くなった赤いきつねを食べていました。なんなら、ちょっと半泣きで。
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あれから何年か経ち、拙いながらも一歩一歩階段を上ってなんとか人並みの生活を送れるようになりました。いろいろな夢や欲も増え、目標に向かって楽しく日々を送っています。
歳を重ねるにつれ、カップ麺を食べる回数も随分減りました。それでも時々、手に取ってしまうのです。赤いきつねを。
私はお湯を入れてタイマーをセットするのです。きっかり5分。そして、たまに、きっかり2時間に。
おあげが温くて油が抜けてて 吉岡梅 @uomasa
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