刺し屋稼業

ゼフィガルド

刺し屋稼業


「ちょっと。発送用の――詰めといてって言ったよね!? なんでやってないの!? ――までにやっといてって。私、言ったよね!?」


 小さく『はい』と返事をしながら、河本桜は俯いていた。大声が張り上げられているが、彼女の耳には具体的な問題点については何も耳に入って来なかった。

 ショックで何も分からないというよりも、彼女は昔らから人の会話を聞き取るのが苦手だった。まるで聴覚の乱視と言わんばかりに、声がしている事が分かっても。その内容を聞き取る事が出来なかった。


「はい。って、分かってないから怒られているんでしょうが! メモ取るなり、何かしたらどうなの!?」


 そんな性質の彼女が、今までに何度叱責されたかは数えるのも諦める程だった。仕事の失態から、人格否定の罵詈雑言に移るのに時間は掛からなかった。

 周囲もそんな空気の悪さを煙たがるばかりで、決して彼女を助けようとしない。目の前で繰り広げられている光景に問題はあっても、根幹の業務内容に対する指摘自体は間違っていなかったのだから。


「はぁ……」


 メールで謝罪文を送り、その後の対応に追われて1日が終わった。アパートに戻れば、そこにはゴミ屋敷の様な惨状が繰り広げられていた。

 明日は休みである物の、部屋の片づけに時間を使っては寝ている時間も削られてしまう。散乱したゴミの隙間を貼って行く平べったい物を見たが、もはや叫ぶ元気も無かった。


「酒……」


 嫌な事があった日にはいつもそうだった。寝ようとしても、その日の失敗が際限なく自分を責めて来る為。アルコールで誤魔化して無理矢理に寝ることも少なくはなかった。

 しかし、冷蔵庫に常備してある分は無く。近隣のコンビニへと買いに出かけた所、そこでは従業員と客がトラブルを起こしているのが見えた。


「うわ。財布忘れた……」


 見れば、レジカウンターでは初老の男性がポケットを必死に探していた。店員も困った顔をしているのが見えた。

 それを見た河本が動いたのは、初老の男性を助ける為と言うよりも、さっさとレジ前からどいて欲しいという考えがあったからだった。


「代わりに払っておきます」

「え? あ、はい」


 彼女の突然の提案に二人は驚いた。代金を建て替えた彼女はアルコール飲料を何本か購入して出て行こうとしたが、先程の男性に呼び止められた。


「いや、助かりました。家に戻るのが面倒だったので」

「そうですか。良かったですね」


 自分を苛み続ける不安から解放されたい一心で、彼女はさっさと離れようとしたが。そんな彼女の様子を見た男性が声を上げた。


「何やら、お疲れのようですね。もし、よろしければ私。力になれるかもしれません」

「は?」

「申し遅れました。私、こう言った者でして」


 差し出された名刺は標準的な物だったが、そこで目を引いたのは彼の名前ではなく。彼の職業が書かれた所だった。


「株式会社『刺し屋』。お刺身でも作っているんですか?」

「いいえ。私達は『刺し屋』と言うサービス業を営んでおりまして。クライアントの方を、刃物で刺させて貰うのです」


 穏やかに平淡に物騒な内容であったが、河本がその話を聞いても引かなかったのは、その内容が彼女の琴線に引っ掛かる物だったからだ。


「なんでそんな事を?」

「はい。世の中、休みたくても休めない人達が沢山います。そんな真面目過ぎる皆さまが、休む為の理由作りに協力させて頂いております」

「つまり。会社とかを休みたい人が、自分を刺して欲しいって依頼してくるの?」

「その通りです」


 倫理観も法律も破綻している業務内容であったが、その需要を察することは出来た。河本も体がだるい時は、自らの体温を測っては、平熱であることに落胆していた覚えがあった。

 しかし、彼女は自らの中で興味が湧いて来るのを感じていた。不安と絶望に襲われているのに。熱も疾患も無く、会社に行かない理由が無い現状をどうにか出来るかもしれないと。


「でも、刺されたら痕が残るかもしれないし。痛そうだし。それに、下手したら死んじゃうかも」

「その辺りを心配されるお客様も多いですね。しかし、ご安心ください。我が社で雇っているのは、元外科医を始めとして人体の構造に詳しい者達ばかりです。今までも死者が出たことはありません」


 そのPRに増々期待を高めた河本は考え込む素振りを見せた。

 奨学金の返済などもしているが、貯金には問題ない。受け持っている仕事もあるが、それらも全て放り投げられるのなら。使用を躊躇う必要も無かった。


「あの。サービスには幾ら掛かるんですか?」

「本来なら一口、10万からなのですが。貴方には代金を立て替えて貰ったお礼もありますし、初回はサービスしますよ」

「それなら。直ぐにでも利用したいんですが」


 と、彼女が言った瞬間、軽い衝撃が走った。見れば、初老の男性が手にしていた刃が自らを刺し貫いていた。そして、彼は穏やかに笑みを浮かべながら言うのであった。


「ご利用。ありがとうございます」


 不思議な事に痛みは無かった。と言うよりも、痛みを感じるよりも先に。彼女は気を失ってしまったのだから。


~~


 彼女が目を覚ましたのは病院のベッドだった。誰も見舞いには来ていなかったが、代りにやって来たのは医者だった。


「目を覚ましましたか。落ち着いて聞いてください」


 そこで、彼女は自らが刺されたこと。命に別状はないが、暫くは安静にしている様に言われた。彼女はそのいう事をよく聞き、病室で雑誌を読んでいると。次に訪れたのは警察だった。


「すみません。お話の方を聞かせて貰ってよろしいでしょうか?」


 彼女は自分が病院に運び込まれた経緯を聞いた。その時に犯人を見ていないか等が問われた。それらの質疑はかなりの配慮を持って行われていた事が察せられたが、彼女はその全てに対して知らないと答えた。


「すみません。私もよく覚えていなくて…」

「いえ、大丈夫です。ただ、全国的に似たような事件が起きている物なので」

「全国で。ですか?」

「はい。被害者は大体会社員であることが多く、金銭を取られている人も少なくはないみたいで。重要な臓器を避けて刺されるって事件が起きているんです」


 刑事からの話を聞いて、河本は『刺し屋』の存在を確証していた。しかし、そう言った事情は一切話さなかった。


「そうなんですか」

「えぇ。しかも、この事件の犯人は同じ被害者を何度も狙う傾向があるみたいです。くれぐれも、夜中に外には出歩かない様にお願いします」


 一頻り、注意喚起を促すと刑事は去って行った。その話を聞きながら、河本は湧き上がる笑いを必死に堪えていた。

 自分以外にも利用する人が居て、リピーターも居るんじゃないかと。そう考えた時、彼女の中にあった『刺し屋』を利用する事への罪悪感は一気に薄れた。


「よっし」


 起きてから始めてスマホを操作した所。会社から連絡が入っていたが、彼女はそれらを一切無視して『刺し屋』と言う単語を調べていた。出て来るのは創作や都市伝説の様な物であり、彼らに繋がる物は何も出てこなかった。

 それから、彼女は完治するまで療養の日々を快適に過ごしていた。スマホでゲームやネットを楽しみ、落ち着いたころには会社にも連絡をして現状を伝えていた。


「そうか。――君や皆が、君の分の仕事までやってくれているから。ゆっくり休みなさい」

「ありがとうございます」


 つまり、自分が戻った時には。その事に付いてをネチネチ言われるのだろうと思い、僅かながらに表情が掻き曇った。

 やがて、刺傷も傷痕が見られない程に治り、退院した頃。彼女は急いで名刺に書かれていた電話番号に掛けた。


「退院。おめでとうございます」

「え? どうしてわかったんですか?」

「そうなる様に刺したからですよ。そして、またご依頼ですか?」

「……はい。これも予想済みと言う事ですか?」

「えぇ。連続で依頼する人も珍しくはありませんから。ただし、今回からは有料です。バッグの中に10万円お入れして下されば、それだけを取って行きます」


 使用を躊躇う理由はなく、彼女は銀行で10万円を下ろした。そして、指定された場所へと向かって、そこを通り過ぎようとした時。再び軽い衝撃が走り、意識が途切れた。次に目を覚ました時は病院だった。


「あ……」


 再び自分が刺されたのだと分かった。バッグの中からはキッカリと10万円だけが消えており、1回目と同じように刑事から色々と事情を尋ねられた。


「退院して間もなく刺されたって事は、犯人は貴方の状況を知っている人間だってことです。何か心当たりは?」

「……分かりません。ただ、私。元々、どんくさくて。会社でも結構嫌われていたから、ひょっとして」

「既に事情聴取も行っていますが……」


 犯人と思しき人間は居なかったという。それは当然の事だった。自分を刺したのは、プロの『刺し屋』だ。会社内に犯人が居る訳がない。

 電話の履歴を見れば、会社の方からも掛かっていたが。今度はリダイヤルすることに何の抵抗も無かった。


「警察の方からも指導を頂いて。君は暫く、身の安全の為にも休職して貰う事にした。傷病手当で6割支給になるが……」


 会社から説明を受けている最中、河本は笑いを堪えるのに必死だった。

 『刺し屋』に出会ってから、自分の運命は良い方向へと向かっている。この心を病気にしていたのは、病巣へと案内していた肉体に他ならないと思った。


「はい。分かりました。それから、その。先輩達は」

「君は気にしなくても良い」


 説明を受けた河本は退院してからも、暫くは自室にいた。散らかっていた部屋を片付け、ネットで漫画を買ったり。映画を見たりと、今まで出来なかった事を謳歌していた。この休職がいつまで続くかは分からなかったが、貯金には問題は無かった。

 そんなある日の夕方。彼女はコンビニへと向かっていた。ネットで使う電子マネーの購入の為だったが、アルコールを買いに行く時とは違い。その足取りは軽かった。


「(最近、始めたソシャゲも面白いし。ちょっと位、課金しても大丈夫だよね)」


 働かなくても、嫌な思いをせずとも金が入って来る。その精神的余裕の赴くままに、電子マネーの他にも幾らか無駄遣いをして帰路へと付こうとした時だった。突如として脇腹に違和感を覚えた。振り向けば、雨も降っていないのにレインコートを被った人間が居て、その手には出刃包丁が握られていた。


「あ」


 隙間から除く顔が見えた瞬間。彼女は、目の前の人間が刺し屋でない事に気付いた。ジワリと傷口から出血が広まり、彼女はかつてない程の痛みの中。意識を失った。


~~


「ニュースです。昨日、---で会社員の河本桜さんが同僚の女性に刺されて、亡くなりました。動機については『自分だけ仕事を休んだから』と述べており、警察は……」


 翌日、テレビではごくありふれたニュースとして、事件の顛末が放送されていた。関係のない者達は、直ぐに消化されるネタに関心を向けもしなかったが、初老の男性だけはそれを見ながら呟いた。


「おやおや。彼女もどうやら心を病んでいたようですね」


 そして、彼の関心も直ぐに失せた。そして、スマホには次の仕事を求める声が入って来て、彼は懇切丁寧に穏やかに仕事を受諾していた。

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刺し屋稼業 ゼフィガルド @zefiguld

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