朔ちゃんはあきらめない

 なぜ振られたのかと理由を聞かれたが、それになんと答えればいいのか。ピッタリと当てはまる理由が見当たらないのだ。

 

「わたし、旭さんのこと好きだったのかな?」

「はぁー!?んなこと俺に聞くなよ」


 ごもっともである。わたしが朔ちゃんの立場でもそう言うだろう。苦笑いを返したわたしに、本日初めてのため息を吐いた朔ちゃんは「俺にはすっげぇ好きに見えたけどな」と告げた後、乾いた笑みをこぼした。笑って誤魔化しながら、朔ちゃんは傷ついているのだろう。自然と下がった眉がその感情を主張している。


 朔ちゃん、泣かないで。そう思ったのと、わたしが朔ちゃんの目尻に手を伸ばしたのは同時だった。朔ちゃんの白い肌にピアスの跡と瞼の傷が痛々しい。

 わたしの指先が朔ちゃんの肌に触れると、くすぐったそうに目を細めた朔ちゃんは「なんだよ」と、これは照れ隠しだ。瞳の熱を交換し合うように見つめ合えば、先に根を上げたのはわたしだった。


「朔ちゃん、髪、全然傷んでないね」


 恥ずかしさを隠すように肌に触れていた指先を髪へと移す。朔ちゃんの黒髪は、何度もブリーチをしたとは思えないほど艶々だった。


「あ?あー、そうか?割と傷んだと思ってたけどな」


 色気のない話題を突然投げられたのに、朔ちゃんはそれに素早く順応し、わたしが触っている方とは反対側の髪を自分で触った。

 

「えー、そうなの?わたしより全然艶々じゃん」


 一度も染めたことのないわたしよりサラサラツヤツヤなんて……元々のポテンシャルが違いすぎる。そんな風に、生まれ持った違いに打ちのめされていると、朔ちゃんが唐突に「どっちが好きなんだよ?」と尋ねてきた。


「え?なにが?」

「いや、結局ひまりは青いのと黒いの、どっちが好きなんだよ、って」


 青いのと黒いの……?……あぁ!髪色の話か!びっくりしたぁ。一瞬旭さんと朔ちゃんのどっちが好きなんだ、と聞かれたのかと思った。


「うーん、似合ってるならどっちでもいいけど。てか、そもそもその人の好きにしたらいいと」

「……っなんだ、それ!!」


 結局という言葉に若干の違和感を抱きつつも素直に答えたわたしへ、朔ちゃんは非難の声を上げた。え、なんでそんな怒ってんの?

 非難される心当たりが全くないわたしは、きょとんとしながら「え、なんなの?」と疑問を呈した。まじで、なんなの?である。


「これは!お前が青い髪の男がかっこいいって言うから……!」


 そこまで言って、しまった!、と思ったのだろうか。朔ちゃんは語尾を弱め、口を閉ざすにとどまらず、ふいと顔を背けてしまった。

 しかしわたしの耳にはバッチリ届いてしまっている。今さら誤魔化しても遅いのだ。


「え、わたしそんなこと言ったっけ?」


 それがわたしの感想だった。本当にこれっぽっちも覚えていないのだ。

 そんなわたしの言葉を聞いた朔ちゃんは、はぁー、と長く大きなため息を吐き、「お前が好きなアイドルが青い髪してるって言ってた」とモゴモゴとハッキリしない声で付け足した。

 そこまで言われて、あぁ!、と合点がいく。それは朔ちゃんと初めて会った中一のわたしが夢中になっていたアイドルのことだ。青い髪に眉と口元のピアス。一見すると幼い顔に不釣り合いなそれらがとても魅力的だった。

 

「あぁー、わかった。好きだったわ、中一のとき」

「だろ?だから染めたんだよ」


 開き直った朔ちゃんは恥ずかしさなど忘れてしまったようだ。どうよ?俺すごいだろ?というセリフがついてきそうなほど、清々しい得意げな顔を見せた。


「けど、まーじで変な奴に絡まれ出してさぁ……」


 口元を歪めながらそう言った朔ちゃんの苦労が、わたしにまで伝わってくる。


「会ったときも、痣が残ってたもんね」

「……あー、あれが一番最悪だったな」


 朔ちゃんは思い出しながらより一層顔を歪め、眉間に深い皺を作った。感情をそのまま乗せたかのような表情がなんだか愛おしく、「そんなに?」とクスクス笑いながら返せば「そのせいでお前に声かけられなかったからな」と拗ねた子供みたいに唇を尖らせた。


「え?どういうこと?」


 またきょとんとしたわたしに、朔ちゃんはばつが悪そうに語り出した。





 小学5年生の時にした家出で、俺は生涯唯一だと思える人に出会った。


「どうしたの?ママは?」


 行く当てもなく歩いて着いた場所は、不恰好なタコの遊具がある公園だった。同じ年ぐらいの奴らが元気いっぱいに遊び回っている。そんな中に一人いることで悲しみは増幅して俺を襲う。

 あ、泣きそう、と思った時にはもう遅かった。ボロボロと流れ出てくる涙を隠したくて、一番目立つ遊具の中のトンネルに入った。薄暗いその中で、周りの騒がしい声を聞きながらひたすらにこぼれ落ちる涙を拭う。

 なにがこんなに悲しいのか。涙を流しているから悲しく思ってしまうのか。それすらも分かっていなかった。


 もう帰ろう、と思うのに足が動かない。俺は一生このままじゃないのか、なんて非現実的なことだとは分かっているのに、ふと恐ろしくなる。そんな暗闇でもがいているときに、柔らかな声が聞こえたのだ。それは俺を暗闇から拾い上げてくれた。


「あ、ごめん。ママは?って歳じゃなかったか……」


 制服に身を包んだその人は、俺に断ることもせず無遠慮にトンネルの中に入り、俺の横に腰を下ろした。驚きとともに涙は引っ込んでしまった。


「えっと、月島ひまりです。何くん?」

「……朔」

「さく……朔くんって言いにくいね!朔ちゃん!」


 人様の名前をつかまえて言いにくいとは随分と失礼な人だな。そう思ったのに、屈託のない笑顔を向けられて息が詰まる。胸が締め付けられる心地に思わず眉を顰めた。


「あ、ごめん!突然で驚かせちゃったね!めっちゃ泣いてる子がいるなぁ、って思って!なんかあった?」


 顰めた眉を嫌悪感ないし不信感と捉えたのだろう。月島ひまりは慌てたように状況を説明した。


「別に……。ただ、お父さんもお母さんも、お兄ちゃんばっかりかまうから……当て付けだよ」


 言葉にすればあまりにも幼い。拗ねて不貞腐れて臍を曲げて家出までして……なにしてんだろ。そう思うのに傷ついている心は本当で、止まったはずの涙がまた頬を濡らす。

 泣きたくない。恥ずかしい。見ないでほしい。見て、俺を見て、俺を愛して。


「大丈夫だよ、怖くないよ」


 ふわりと柔らかく温かいものに包まれて、冷え切った心が溶かされていく。俺の欲しいものはこれだったんだ。ここにあったんだ。





「で、その青い髪とピアスがたまんなくかっこよくてさー!」

「へぇ……」

「え、聞いてる?だから、わたしはそんな人と付き合いたいのよ」


 俺は今いったいなんの話を聞いているんだろう。いい加減寒くなってきたので帰りたいんだけど。そう思うのに「帰ろう」の一言が言えない。だってもうこんな風に話せないかもしれない。

 この公園の近くに住んでいるのなら、中学校は調べれば分かる。し、フルネームも把握しているのでその気になれば再び会えるだろう。

 だけど2歳も下の奴を男として見てくれるだろうか。理想の男性像を話す彼女の顔を見ながら、俺は校則が緩い森ノ宮高校に進学することを決意した。そこに入って髪を青く染めて、ピアスを開けて彼女に会おう。

 そう決意すれば、あれだけ嫌だと思っていた中学受験へのやる気が漲ってきたのだ。







「で、いざ声をかけようと思ったら絡まれて痣ができて……」

「う、うん……」

「こんな顔じゃビビられるよなーって躊躇してたら、兄ちゃんとセフレになってた」


 そう言った朔ちゃんは嘲るように笑った。それはわたしへではなく、「タイミングが悪すぎた」と評した自分自身への嘲笑であろう。


「そっか……」


 とだけ言葉をこぼした後すぐに、ふと疑問が湧き上がる。


「え、ちょ、ちょっと待って!」

「あ?」

「わたしのこと小5から好きだったの?」

「そうだけど?」


 なんてことないみたいにさらりと認めた朔ちゃんに、心臓も頭もパニックでついていけない。


「よく諦めなかったね」


 と率直な感想を漏らしたわたしに、「俺は一途だからなぁ」と、当てつけのように意地悪く笑う。……わたしだって一途だよ。浮気するわけじゃないんだから。

 朔ちゃんの発言に言葉を詰まらせていると、「で?兄ちゃんと別れたってことを俺にわざわざ報告にきたのはなんで?」と核心に触れた朔ちゃんに、またドギマギしてしまう。


「……分かんないの」

「あ?どーゆーことだよ?」


 またそうやって凄む。だけどほんとに分からないのだ。どうして朔ちゃんのことがこんなに気になるのか。どうしていつも朔ちゃんのことを考えてるのか。


「それって、俺のことが好きって言ってるように聞こえるけどなぁ?」


 本音をつらつらと述べたわたしに、朔ちゃんはそう言うけれど。わたしは今しがた本気の恋だと思っていた全てを否定されてきたばかりなのだ。これを早計に恋だと決めつけて、また違って、褪せていくのが怖い。


「……分かんないの!好きってなんなの?」

「さぁ?俺も知らね」

「えー!?朔ちゃんはわたしのこと好きなんでしょー?」


 そう叫んだわたしを見て、朔ちゃんは楽しそうに笑い出した。そして「ざまぁみろ」と嬉しそうに目を細めたのだ。


「ざ、ざまぁみろー?人が真剣に悩んでるのに!」

「おーおー、悩め悩め。俺のことで悩んで戸惑って、四六時中考えてろよ。それが好きってことだろ」


 そして今度は胸が苦しくなるほど綺麗に笑ったのだ。


「ふ、ふん!悩んで悩んで、結局、朔ちゃんのこと好きじゃなかったー!ってなるかもよ?」

「いーんじゃね?」

「え、いーの!?」


 強がりを言ったわたしのことなどお見通しなのかな。それとも本気でそれでいいと思っているのだろうか。分かりやすいと評される朔ちゃんに翻弄されて、なんだか悔しい。


「いーよ。それでも俺はひまりが好きだから」

「……朔ちゃんは諦めないねぇ」

「おう、俺は諦めないんだよ」


 「覚悟しとけよ」と整った白い歯見せて笑った朔ちゃんには、きっとこの先一生敵わない。

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朔ちゃんはあきらめない 未唯子 @mi___ko

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