〈5〉
——身の回りがある程度落ち着くまで、たぶんひと月くらいはかかった気がする。
「もうやだ。なに聞かれてもなんにも説明できないんだもん。結局、ジンはジンで最初から、いきなり神様名乗っちゃうし」
もっとも、おかげで完全に〝困った人〟と見做されて、それで逆に楽に済んだという面もある。わたしはわたしで何もわからないし、むしろ大変だったのは大聖堂の方だと思う。炎に巻かれて消滅したはずの司祭は、でもなんか普通に生きていた。ブタの頭と大きくなった背丈が治って、普通に元の人間の姿に戻った状態で。
「だからそう言ったじゃないですか。悪しき存在のみを焼き尽くす、って」
無益な殺生はしない主義なんです、とジン。どうせならその後の複雑なあれこれも焼いてあげたらと思うけど、でも「そんな都合のいい話はありません」とのこと。結局、大聖堂の人たちには「神様のお嫁さん選考会」なんてヤバげなことをやっちゃった事実だけが残って、でもその後始末はあくまで彼ら自身の仕事だ。己の中の欲望に負け、心を飲まれてしまった分のツケ。
そこはまあ、筋が通っていると思うのだけれど。
「わたしは? わたし、そんな悪いことした覚えないのに」
と、何度もそう言いそうになっては飲み込んだ。だって、ある。悪いことした覚えが。欲に飲まれるのが悪いことなら、お駄賃目当てで行動していたわたしが、あるいは一番の邪悪かもしれない。
「下手したらあれかな、わたしもあんな感じのブタ頭になってたかもしれない?」
わたしの言葉に、それは困りますね、とジン。彼とわたしは、いま再びあの大聖堂前に来ていた。特に理由はないけど、でもなんとなく。いろいろ落ち着いたし振り返ろっかな、くらいのノリと、あとこれが最後の見納めってことで。
旅立ち。今日、わたしはこの神様とともに、長年過ごしたこの街を出る。
「あんな恥ずかしいとこ見られちゃった以上、もうこの街にはいられないから……」
「嘘をつきなさい。そんな大袈裟な話じゃなかったでしょう? みなさん別れを惜しんでくださいましたし、それに私、止めましたよね?」
確かに、止めた。ミカルにそこまでさせるのは忍びないからと、それは確かにわたしもそう思う。でも、今のジンにはどう考えてもわたしの信仰が必要で、そしてそのわたしがここでのんびり生活し続けるとなると、こいつもここに居座り続けることになってしまう。
「ジンの信仰、取り戻さなきゃだし。わたし
「でもそうなると、教会なんてあちこちにありますから、相当な長旅になりますよ?」
まあそれはそれで、という以前の問題、むしろわたしからすればちょうど良かった。
わたしの生まれはちょっと複雑で、ただの捨て子ならまあ良かったのだけれど、でもそこに何か意味深長な手紙や宝飾品が添えられていたのだ。こうなるといろいろ気になってくるというか、別に生みの親に会いたいとは思わなくとも、でも自分のルーツくらいは知りたくなってくる。もしかしたら、わたしは何かものすごい家の生まれで、そこにはわたしが何か相続するはずだった、莫大な「好き」があるのでは——?
「ミカルミカル。よくないです。外でしちゃいけない顔になってます」
いけない。人を見た目で判断するのは良くないとは言ったけど、でも自分があんなブタ頭になるのは実際のところ嫌だ。ぐいぐいほっぺたを引っ張るわたしに、なんだか諦めたような様子でジンがこぼす。
曰く、まあミカルがそんなに言うのでしたら、もうわたしからは引き止めようもないのですけれど——。
「でも、
ジンの指した先、大聖堂の正門から、「待たせたな」と大股に歩いてくるひとりの男。
下っ端。その場の勢いで花嫁姿のジンに求婚したあいつ。なんでこいつがついてくるのか、そんなのわたしに聞かれたって困る。別に頼んだ覚えもない。ただ、一応教会の人間であるこいつがいれば潜入が楽なのと、あと若い女ふたりの——少なくとも見た目はそう——旅路はいろいろ面倒に巻き込まれそうなのと、あと「君達、路銀はあるのか?」と痛いところを突くから。すごい。こうして並べてみるとなんというか、むしろこいつがいないとまったく成り立たない旅のように思える。
「私は認めませんからね? 彼、なんか臭いんですよ。すごく濃密な性欲の匂いがします」
それジンの前にいるときだけだよ、とも言えない。言えなくなった。実は一度、この下っ端に同行を諦めさせようとして、「でもジンって男だよ」と教えてしまったのだ。そうすれば諦めるに違いないと、なんならショックで寝込むはずだと、そう信じて疑わなかったわたしのなんと幼く愚かなことか。
結論から言えば、下っ端は諦めなかった。「そうか……」としばらく考え込んだ後、なんだか余計に爛々と目を輝かせるようになって、そして、それからだ。ジンがこの下っ端のことを「臭い」と言うようになったのは。果たしていったいどういう欲望がそこに渦巻いているのか、わたしにはまるで想像もつかない。知識と経験が足りていないのだと思う。やっぱり勉強は何より大事だ。
「まあ大丈夫だよ。最悪、完全に欲に飲まれてしまえば、そのときは燃やしてしまえるわけだし。そのときは協力する。わたしがそばにいれば、ジンのことを守れるんだよね」
わたしの言葉に、でも「約束ですよ?」とジン。旅支度を整えたその姿は、花嫁衣装とはまた趣が違って——いや、あっちはあっちで結構好きだったのだけれど、でも頼もしさはだいぶ増して見える。
彼は言う。わたしにだけ聴こえるように、小さく囁くような調子で。
「わたしを男にしたのはあなたです。いずれ責任は取ってもらいますからね、ミカル」
任せて、とは、でも言えない。責任ってなに。ごく普通のどこにでもいる娘が、神様に対して負うべき責任とは。というか、それ以前にこの人、本当に神?
わからない。きっとわたしには勉強が足りない。旅路の先、いつか否応なく学ぶことになるかもしれないそれに、でもわたしはまだ知らないふりをする。
これはわたしと神様の、出会いと友情の物語。
それ以上はまったく畏れ多いし、何より単純に、もったいない。
どうせ長い旅路なら、先を急ぐ必要なんて、きっとどこにもないのだから。
〈世界は「好き」に満ちています! 〜怒りん坊の神様と普通のわたし〜 了〉
世界は「好き」に満ちています! 〜怒りん坊の神様と普通のわたし〜 和田島イサキ @wdzm
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