第2話 時限爆弾
時限爆弾とは、ある一定時間の後爆発する爆弾の事である。その時間内に対処することで逃れられる可能性がある一方で、何もしなければ確実に最悪の事態を招くという意味合いで、病気や怪我のなど、そういった隠れたリスクの比喩に使われる事もある。
時限付きというのはその時間までの猶予が有るという側面も持っていて、猶予といえば聞こえは良いが、こと「恐怖」の場合それを感じ続けなければいけない時間がそれだけ長い事となり、場合によっては残酷さを増す事につながりかねない要素の一つともいえる。
目の前の爆弾のタイマーが刻一刻と0に近付いていく。あるいは、水槽に入れられて刻一刻と水没していくなど、予想の上で進む恐怖には計り知れないものである。
…そういえば幼少の頃、こんな事が有った。
小学校2年だったか3年だったかのある日、どこでどう拾ったかは忘れてしまったが友達と二人で捨て犬を拾った。柴犬の血が強いと思われるような雑種で黄土色のいわゆる日本犬らしい犬で、まだ鳴き声も幼くそのあまりのかわいらしさに放ってはおけず、親には黙って二人で近所の建物の陰で飼う事にした。
昭和から平成に変わろうとしていた昭和60年代当時、まだそういった光景は世の中に珍しくなく、野良犬はいたるところにいて、時に成犬になった野良犬から噛みつかれた等の被害も発生していて、いわゆる毒ダンゴで都市部の野犬狩りが行われる少し前の時代の話である。
俺と友達は幼稚園から一緒の近所の幼馴染で、二人とも大人しい性格でどちらかというと気の弱いタイプだったが、二人とも犬が大好きで、二人にとっては大博打だったその隠れて犬を飼うというハプニングに今までになく興奮し、何とかこの犬を成犬に育て、近くの山で自由に暮らせるようにしてやろうと、ある種決意をもって本気でその出来に臨んでいた。
…最初は順調だった。
初日、その物陰に犬を置いて、一旦帰った家から持ち寄った舟焼(ホットケーキのようなもの)やハム等を与えたら、その犬は喜んで食べて千切れるほどにしっぽを振って舐めて来た。その様に何とも言えない愛らしさを覚え、友達と二人で名前を付けて(何だったかは覚えていない)これ以上無いほどに撫で回してかわいがった。
そしてこの事で、同じ秘密を持った仲間としての連帯感が生まれその友達との仲も一気に強化されたように感じ、それは本当にわくわくと充実した時間だった。
…やがて陽が落ち始め、さすがに帰らなければという時間になって、俺たちは犬に簡易的な首輪(ビニール紐だったかもしれない)を付けその物陰に括り付け、帰路につこうとした。今思えば当然のことだが、犬に「明日また来るからね!」とか、「もう帰らなきゃだから我慢して!」とか何度言っても、その犬はすがるように泣き叫び、それは完全に陽が沈んでからも収まらなかった。
困った俺たちは仕方なく、鳴き叫ぶその犬を置いて帰路についた。
その晩、当然ながら俺はその犬の事しか頭になかった。うわの空で食べた夕飯、犬のいる物陰に行こうとして何度も忍び出そうと試みた玄関迄の居間(結局親がいて出来なかった)の光景を今でも覚えている。しかし、そうこうするうちにいつの間にか眠ってしまって、次に気付いた時は翌朝だった。所詮は子供だったという事であろう。
翌朝起きてすぐ、俺は行動に出た。今日は学校に早くいかなければならない日だったと親に嘘をつき、なんでそんな事を忘れていたのと叱る母をよそに早々に家を抜け出し、あの物陰に走った。
物陰につくと、そこには友達がいた。そしてキュンキュン言いながら何かを食べているあの子犬がいた。
「良かった~!この子大丈夫だったね!」俺が話しかけると友達はゆっくり振り向いて俺に頷いた。見るとその目には涙を浮かべ、昨日寝れなかったのか目の下に子供には似合わないしっかりとしたクマがのぞいている。
「…どうする?」その時、突然友達が聞いてきた。
「…何?」意味が良く分からなかったが、気付くと俺は聞き返していた。
「こいつ、多分そのうち見つかるよ。そして、飼うのやめさせられるよ。」
「…大丈夫じゃない?今日も大丈夫だったし。」
「本当にそう思う?絶対無理だよ。多分近所の人にもう気付かれてるけど、
まだ様子見てるだけだよ。こいつ、多分ずっと鳴いてたしすぐ見つかるよ。」
「…そうかなぁ。」
「そうだよ。そして、見つかったらこいつ、保健所だよ。多分殺される。」
「そんな!?そんな事無いよ!もしそうならお父さん達に言って、どっちかで
飼おうよ!」
「無理だよ。僕んち、この前姉ちゃんが拾ってきた犬、堤防近くに捨てに行った
んだ。姉ちゃん、めちゃくちゃ泣いてたけど父ちゃん絶対許してくれ
なかった。」
「そんな!じゃあ、お父さんに言って僕んちで飼うよ。」
「無理だよ!お前は知らんだけなんだ。絶対無理なんだ。こいつは「いる」って
事が知られたら捨てられるんだよ。」
「…。」
「ここに縛ってても、こいつ鳴くから、気付かれるのは時間の問題なんだ。
でもそれまでは、どうにか、ここで、、、僕とお前で、、面倒見よう。。」
「いいよ!見るよ面倒!僕、毎日餌もってくるし、朝もこうやって来るよ。
だからこいつ、成犬に育てよう。」
「…。…うん。」
今思えば、たかだか10歳にも満たない男の子があんな表情をする時がどういう時かっていうのは想像はつくというものだが、こちらも10歳も満たない状態の俺ではその後の展開は全く予想できなかった。
そして、その日の放課後の事だった。
俺は学校が終わった直後に帰路につき、一直線に犬を飼っている物陰に向かった。クラスの違う友達は一足早く帰りの会を終えていたので、恐らく既にそこに向かっていると思っていた。本当に一生懸命、かけっこでもなかなかそこまでは出さないといった本気の走りで折れはその物陰にたどり着いた。
物陰についた瞬間まず感じたのが、臭さだった。強いて言うならば鉄臭い。その時までそんな匂いは嗅いだことが無かったので、何の匂いか全くわからなかった。…なんというか不安な匂いだ。うまく表現が出来なかったが、一言でいえばどうしようもない悲しい匂いだった。
友達はもちろんそこにいた。そして犬もそこに「有った」。
マンションとマンションの間に出来た暗がり。それがその物陰だった。両サイドをマンションのブロック塀に囲まれた隙間の空間。何ケ所か、ブロック塀をつなぐ金属の柱がこげ茶色にサビたような色で飛び出ているところが有る。両サイドのブロック塀は当時の俺たちよりゆうに高く、おそらく2M近く有ったんじゃないだろうか。
無機質で陽の入りも悪いその空間に、飛び散った脳や内臓と、ワタを抜いたように小さくなったように感じた犬の亡骸が散乱していた。その手前に友達が向こうを向いて座っている。俺に気づいたのか、こっちを左から振り返りそうになり、友達の左目の際がゆっくりとのぞいてきた。
「ワアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!」
俺は一目散に逃げ出した。
怖い!怖い!怖い!怖い!怖い!犬とか友達とかもうどうでも良かった。とにかく怖い!この状況を忘れたい!何が有った?僕はやってない!悪くない!殺されたくない!死にたくない!犬なんてどうでもよい!僕のせいじゃない!なにしてるんだ!やめろ!めいわくだ!ころさないで!僕をたすけて!とにかくたすけて!!
完全に混乱して自分の事のみしか考えれなかった俺は、当然後ろから追いかけて来た友達を死ぬ気で振り切り、家に帰るなり喚き散らして親を使って自己防衛のみに走り、何とか事なきを得た。
実はそこからしばらく記憶がない。一週間後くらいだった頃だと思うが、友達が学校に復帰した。色々と意味が分からない俺に、友達は何とも無しに話しかけて来て、「ごめん。ただいつかいつかと考えてたら待てなかったんだ。だから許して。」と言ってきた。その瞬間、俺より彼が真剣だった事、事の重大さにより真摯に向き合っていた事、その事実の重さに負けてしまった事、最悪な解決策を取って後悔しているが背負っている事の全てを悟って、「…うん、いいよ。」と答えるしかなかった。
いつかそこにある恐怖。それに打ち克つのは並大抵の人間には難しい。それが時限爆弾の怖さである。
…。
…。…。
…。…。…。
「すみません、ここで…。」
…俺の袖を引っ張って話しかけて来たその中学生から問いかけられた刹那に、なぜか鮮明に巡る過去の風景の中、俺はその子に聞き返した。
「ここで、何だい?」
すると彼は時間を気にしているよう落ち着かないそぶりでこう答えた。
「…ここで、死んだんですよね。」
異色 setsukake @setsukake
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