「子どものことがわからないのは、子どもに興味がないから」?

わからないのは「子どもの知識がないから」

そんな時に、赤木和重さんの「目からウロコ!驚愕と共感の自閉症スペクトラム入門」を読み、「子どもの姿に感動するには何が必要か」という一節があり、心を惹かれた。



そこで

一つは、子どもに学ぶ姿勢です。子どもは私たちがもっている価値観をはるかに超える豊かな存在です。子どもを教え込む対象として見ている限り、たとえそれが善意であったとしても、子どもの姿から感動することは少なくなるでしょう。


これはまあ、わかる。僕は子どもを「教える対象」として見る傾向が強いことは、認めざるを得ない。

そしてもう一つ、赤木さんは「発達検査で用いられる「はめ板」課題を例に、次のように言う。


もう一つは、発達や障害の知識、その子の生活の歴史を学ぶことです。…1歳半ばの子どもが、「え〜っと、この円板はこっちじゃなくて、あっちかなぁ」と「〜ではない〜だ」と試行錯誤している様子です。私たちはこの姿を見て、「すごいぃぃぃ!」と思います。それまでには見られなかった新たな発達を創造する姿に感動するからです。しかし、こうして感動できるのは、私たちが「一次元可逆操作」や「〜ではない〜だ」といった発達の知識を学んでいるからです。もし、学んでいなければ、「あ、できた」だけで終わっていたかもしれません。もしくは、「お手つきなしでできるようになるにはどう教えたらいいかしら」と、「さらなる」教え方を考えていたかもしれません。


なるほど。感動を可能にするのは知識なのだ。発達や障害の知識、その子についての知識がないと、その子について感動することもできない。赤木さんはこうした議論を元に、「保育・教育の原点は子どもの姿に感動すること」といい、そのために、発達や障害について学ばなくてはいけないと書く。


こういう言い方をされると、僕にとっては納得しやすくていいなあ。「子どものことがわからないのは興味がないから」よりも「子どものことがわからないのは知識がないから」の方が、よほどトレーニング可能な気がして気分が楽だし、知識大事派の僕には受け入れやすい。知識があれば、子どもを見るときのレンズの解像度が上がって、子どもの世界を想像して、そこに沿ってアプローチするのもやりやすくなりそう。


というわけで、勉強だなー。子どもの発達についての本を読んで、「子どもの世界が見える」人がどうやって見ているのか話を聞いて、自分でも実践して。先は長い。


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「子どものことがわからないのは、子どもに興味がないから」? 西村洋平 @gabigon

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