「子どものことがわからないのは、子どもに興味がないから」?
西村洋平
「子どものことがわからないのは、子どもに興味がないから」?(前編)
「書くのが嫌い!」な子への保育スタッフのタイプ
先日、この風越ワークショップの中で、僕もライティング・ワークショップの体験会をした。絵本の読み聞かせからお話のタネを探すワークをしたのだけど、そこで、「書くの嫌い!」と言って全く参加しようとしないある小学生男子がいた。僕が「わあ、むっちゃ嫌がってる。無理やりやらせるのも良くないし…」と手を打ちあぐねていたところ、ある保育スタッフの女性がその子に関わり始めて、最後にはその子と一緒に文章を書いていた、という一コマがあった。あとの振り返りで、そのスタッフは、
嫌だ嫌だとは言ってたけど、私がそばに行って「どこか行こうかなー」とつぶやいても、ついてこないんだよね。だから、ここにいたい気持ちはあるんだ、葛藤があるんだなと思った。
と言ってて、そこからどうやって一緒に書くようにしたかを話してくれたのだけど、書くのを嫌がる子にそういう言葉がけから入るのってホントすごいなと恐れ入った次第。書くことについての知識自体は彼女よりも僕の方が数段上のはずなんだけど、ちょっとかなわないな。
「子どもから見た世界」を知ることへの苦手意識
僕は中高生を相手にコンテンツの質を柱にした授業をしてきたこともあるし、「まずは知識大事でしょ」「知識ないのに自分で考えてもろくなことにならないでしょ」という僕自身の価値観もあって、どうしても「学習者から見える世界」を見る・想像するというのが苦手だなと自覚している。「今のあなたがどう感じるかはさておき、これは先人が価値あると認めてきた知識なんだから、つべこべ言わずに全て学びなさい」と押し付けたい気持ちがあって、自分の子どもには遠慮なくそう言うし、「教養主義」を掲げる前任校でも似たようなことは言ってきた。まあ、お勉強が得意だった人間特有の知的マッチョ主義なのだろう。
一方、風越学園の、特に幼児教育に関わるスタッフは、みんなごく自然に「子どもから見た世界」「子どもにとっての意味」を考えてるし、子どものちょっとしたことをとても面白がっている。正直なところ、僕には「それ何が面白いの?」と思うことも多々あるのだけど、風越の保育スタッフが、「子どもから見た世界」を楽しんでいることは事実だ。こういう視点は僕に本当に欠けてて、特に今回みたいなケースで、自分の「子どもから見た世界を想像して、そこにアプローチする」弱さを感じてしまう。
ということで前篇はここまでとさせて頂きます。
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