最終話
馬が嫌い。-23
新年は仕込みから始まる。店自体は開けないので、比較的穏やかに作業は進んでいく。
仕事を終わらせて明日のミーティングを終え、帰り支度をしていると、梨瀬シェフが無表情で一通の葉書を差し出してきた。
「店に浦良さん宛の年賀状が届いているわ。読む?弁護士に写真撮って送って、シュレッダーにかけても良いわ。畑の肥やしにもならないし」
そう言われて渡された年賀状を見ると、Sとその彼女が映った写真。その下に手書きで一言
『フルーツバー、俺の助言を生かして上手に作れたじゃねぇか。皆に話しておいてやった。
この前見た映画が感動した。泣かない奴は人じゃない。お前はそんな奴じゃないと俺は評価している』
まあ、何かあった時の為に記録は取っておいた方が良さそうだな。
「うげ〜。バッカじゃね?こんなの送って来てさ。そんなにウラ君が羨ましいんだったら、自分の身の振りを改めて生活しろってな」
「新年早々、不幸の手紙か。弁護士にやってもらいなよ。」
「…何で僕が羨ましいんですか?」
僕の発言に、3人がピタリと止まった。
「いや、だってさ。どう見てもそうだよ。フルーツバーの製作秘話は、カリソンのホームページのブログ見ないと知らない事だし」
「あー、怖っ!寒っ!さあ、帰ろう。明日も早いし。お疲れ様でした」
狭山さんと加賀さんがさっさと帰って行った。僕は梨瀬シェフに話をしたくて、事務所に残る。
「あの、シェフ。いいですか?」
「何ですか?」
「時間があったので、自分の事を振り返って考えてみたんです」
「へぇ…それで?」
椅子に座るよう言われ、腰掛ける。ふうと息を吐き言葉を続ける。
「僕は、競馬が嫌いなんです。ギャンブルの場だから。
父は家のお金を全てつぎ込んで、僕の人生もめちゃくちゃにして。僕は馬が憎かった。馬の存在が許せなかった。でも、競馬が無かったとしても、父は同じ事をしていたでしょう。
僕は馬に憎しみをぶつける事で自分を保っていた。憎む相手は父なのに。逆らうのが怖くて、父が死んでからも僕は怯えていたんです。
前の職場でも、暴力や暴言に怯え、思考を停止止させていたんです。そうすれば、明日を生きられると自分に言い聞かせて。
馬を憎み、暴力に従う。僕は馬鹿です」
「その環境しか知らなかったから、仕方ないわ。今は違う。そうでしょ?」
「そう、ですね…。今は、僕を慕ってくれる人達がいるのが嬉しくて。Sを慕っている人達も沢山いますが、僕はあの人のようになりたくないから。そうならないように心掛けて生活していきたいです」
僕の話を聞くと、梨瀬シェフは優しく笑ってくれた。
「馬は経済動物。乗用馬であっても人を乗せる事ができなくなれば、先は無い。
ここを作る時に、有馬オーナーに何かあった時に、この乗馬クラブはどうなるのか聞いた事があるの。そうしたらね、アフロさんに譲渡される事になったわ。
公的に手続きは済んでいるから、この経営が維持できれば長くはもつ。その間に、何頭の馬がここで余生を過ごせるか…。未来はわからない。けど、それまで私はここで一緒に生きていくわ」
「梨瀬シェフは、どんな経験をしてこられたんですか?こんなに才能も経験もあって。ここまで気を何故回せるんですか?」
梨瀬シェフが机に置いてあったペンを手に取り、くるくると指で回す。そして、重い口調で続きを話す。
「そうでもないの。ある料理大会に出場した時の話よ。見た目も味も料理のプレゼンも、私が一番優れていたという自覚があった。…でも、最下位だったの。
それなのに、新聞に乗せる写真を私の料理を使いたいと言ってきたの。私は怒ってね。ふざけるなって、自分の作った料理をゴミ箱に投げ捨てたわ。
そのまま会場を出たら、腕を掴まれたの。怒っていた私は反射的に振りほどいた。誰だと振り返れば、審査員として参加していた料理評論家の女性だった。
『貴女は誰よりも素晴らしかった。それは全員の共通認識よ。でも、だから駄目なの。女同士だから、この意味がわかるわよね?とても美味しかったわ。ご馳走様でした』
そう言って優しく微笑むその人は、私の胸に染みた。そして、2度と大会に出ないと決めた」
梨瀬シェフには、そんな過去があったんだ。男性社会で生きていくという事は、腕が良いだけじゃ駄目なんだな。
「店に帰ったら『ほらみろ。女が男に敵う訳ない』って先輩に馬鹿にされてね。店長も笑って馬鹿にしてきたわ。その日でその店は辞めた。
『女なのに雇ってやった恩を返せ』って言われたから、才能の無い女なんて店に要らないでしょって突っぱねてやったわ。
これからどうしようかと求人を探していたら、運良くカリソンのオーナーが私を拾ってくれてね。これから先を見据えて、副料理長になって店をより良く変えてくれって誘ってくれたのよ。私は運が良かっただけ。
ああ、でもさ。自分で現状を変えようと努力すれば、少しは良くなると思うの。少しずつ変えていけば良いわ」
「僕は、シェフを尊敬しています」
「ありがとう」
そう言って笑うその人の笑顔は、年齢より深みがあった。もっと沢山の事を乗り越えてきたから、ここにいるんだろう。
聞いてみたい事を、このタイミングで聞いても良いかな?
「あの、梨瀬シェフ。『馬が嫌い。』と聞いているのですが、理由を聞いても良いですか?」
「……今の貴方なら、わかると思うわ」
そう言うと、梨瀬シェフは悲しく笑った。馬を心から愛するこの人だからこそ、僕は、何となく理由を悟る。それ以上は聞かなかった。
ーーー
冬も過ぎ、梅が咲き終わり、そろそろ桜が咲く時期になった。
「いや〜単位落とすって思ってたのにさ、無事に進級できたよ。良かった良かった」
一輪車でボロを運んでいると、上機嫌で琢磨が話す。早朝から無駄に元気なのはこれが理由か。
「琢磨ってさ、いつも試験前に3時間勉強するだけで上位取ってたもんな。勉強の才能があるのは凄いよ」
「いやいや〜!努力の天才、ウララちゃんの方が凄いよ。俺は休みの日は寝ていたい」
琢磨だからこそ、似合う台詞だ。他の人だったら僕は嫌味と捉えているだろう。
「琢磨はさ、将来どうするんだ?来年度から就職活動だろ?」
「そうだな〜。休みの日は愛しのルフナに会いに行きたいから、私生活に影響が無い仕事かな」
「漠然としてるな」
「お前と違って、俺は仕事に楽しみを見出す気はない。私生活を充実させるのさ。また自分を探しに行くのも良いと思っているしな」
「……その時は、何日間行くか教えろよ。」
ボロを捨て、空になった一輪車を押していると野外運動場が賑やかなのが見える。会員さんやスタッフさん達が楽しそうに、挙って柵越しにゴボを見ていた。違った、セイロンだ。マチルダゴボは紅茶乗馬クラブに来て、セイロンという新しい名前を貰った。
アフロさんがセイロンに乗り、わざと姿勢を崩しながら負担をかけている。初心者の乗り方に慣れさせる訓練だそうだ。見ていて危なっかしいけど落ちないアフロさん。素晴らしい体幹だ。カッコイイ。
「セイロン、ここに来てから顔つきが変わったよな。穏やかになったというか」
「わかるわかる。ここが安心できる場所ってわかってるんだろうな。あと一年で乗用馬としてデビューさせるんだって。それまでの過程を見られるのも楽しみだな」
セイロンも新たな馬生を歩んでいるんだな。
「カフェ前の柵もさ、すっごい強化されたよな。大きな注意看板も設置されて。ウララちゃんが頑張った成果だ。自分を褒め称えろよ」
「僕だけじゃ無理だった。琢磨や梨瀬さん。沢山の人達に助けられたからさ」
「そっか」
僕は僕を慕ってくれる人達がいる。僕は一人じゃない。何かあれば頼れる人達がいる。幸せな事だ。
「琢磨。相談したい事があるんだ」
「おおっ!?ウララちゃんからだなんて、初めてだな。どうした?恋愛か?馬についての愛か?」
「いや、違う。僕の名前はさ、父が付けた。でも、母と叔母さんから『うらよし』って呼ばれていたんだ。何でだと思う?」
サクサクと草を音を立てながら踏みつつ、琢磨は難しい顔をする。難しい質問だったようだ。僕も未だ予想すら立てられていない。
だけど、1分も悩まず琢磨はサッと顔を上げて、僕に真剣な顔を向けてきた。
「ウララちゃんに選択肢を与えたかったからじゃないかな」
「どういう事だ?」
「ウララって有名な馬がいたんだ。競走馬。親父さんはそこからとって執着していたんじゃないかな。その呼び名に。それで、叔母さん達はそれに反対してたんじゃないかな。
いつかウララちゃんがそれに気づいた時に、傷ついた時に。ウララって名前が嫌で、変更したいと思う時が来た時の為に、読み方だけでも変えられるように、そう呼び続けたんじゃ無いかな。
名前って変えられるけど、手続きが大変らしい。通称があると変えやすいって聞いたことがある。母の愛ってやつだよ」
「…母さんが、僕の為に…」
「ウララちゃんって呼ばれるのが嫌だったんなら、謝るよ。ごめんな」
そう言って頭を下げる琢磨。僕は彼の肩を掴んで辞めさせる。
「ありがとう。ありがとう、琢磨。これからもウララって呼んでくれ」
「いいのか?」
「お前なら」
僕は空を見上げる。
所々、膨らみ始めた桜の蕾。小学生の時に習った染色の話を思い出す。桜色に染めるには花でなく木の皮を使うのだと。あの淡いピンクは木の皮から滲み出ていたのかと驚いたんだ。
白い薔薇の花に色水を吸わせて、青い薔薇を作った。環境を変えれば花はどんな色にも染まる。変われる。
「父が何故この名前を付けたかは、本当の所はわからない。けれど、僕は母さんからも名前を付けて貰えていたんだ。これは、母さんと叔母さんからのプレゼントとして大切にするよ。
それに、ウララって名前は嫌いじゃない。お前がそう呼んでくれるからな」
「そうか」
僕は琢磨に笑顔を見せる。琢磨はホッとした様子だ。気を遣わせてしまったかな。
「大和さんから、川を掘ったら温泉が出る場所を教えて貰ったんだ。雪も溶けたからさ、終わったら行かないか?」
「マジ?行く行く!」
素早く仕事を終わらせて、琢磨はバイク、僕は原付に跨る。
「置いていくなよ」
「当たり前だろ」
僕は、馬が嫌いだった。自分も嫌いだった。
僕は馬に乗らない。馬を眺め見つめる。それは、馬を知ったから。
僕は、自分を見つめ続ける。自分の弱さを補う術を見つけたから。
「春の匂いだ」
春は、手の届く眩しさに見えた。
終
ーーー
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
私は物心ついた時から、人としての価値の無い物だと言われ育ってきました。出来損ないと呼ばれ、社会人となってもそれは続きました。
ですが、地元を離れて初めて世界の広さを知り、私を私として見てくれる人達に出会え、今は過去を思い出しても大丈夫なまでになりました。
弱っている時ほど、優しく甘い言葉に惑わされ易いです。優しくしてくれるから無碍に断るのが申し訳なく、誘いに乗りそうになった時に止めてくれた人が本当の友人です。
勧誘する人、強要する人。怖い人は沢山いますが、今は相談できる人が周囲にいます。有り難い事です。
最後に、他に書いた小説も読んでいただければ幸いです。
馬が嫌い。 シーラ @theira
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