第14話 たとえ泡になっても

 



 ――水面に映る月が、波紋によって歪められる。


 パーカーのフードを目深に被ったスクール水着という風体の少女。足で水面の月をかき混ぜる。

 ばしゃん、ばしゃん、水音が響く。退屈そうに、足で月を弄ぶ。

 けれど退屈は続かないようだ。


「――夜分遅くに、リベンジいいか?」


 制服姿で刀を構えた少年を見つめ、フードの下で笑みを刻んだ。


 ■


「作戦を確認しておこうか」

 ミサキが軽い調子で言う。

 ミサキとハルトは、並び立ってスク水パーカーの少女、《七不思議・人魚》と向き合う。

「とりあえず、時間を稼げばいいんだよね?」

「ああ。それから、なるべく《人魚》を水源であるプールから引き離して、意識もそこから逸らすのが条件だ」

「オーケー」

 言うや否や、ミサキは引き抜いた拳銃で、《人魚》を弾丸を放つ。

 当然、以前と同じく水流を利用した壁で弾丸は絡め取られ、無力化。

 構わない。水流を操作させている時点で、相手に多少のリソースを割かせているのが重要だ。思考領域であれ、怪力であれば、ミサキに対して費やせば、それだけハルトが楽になる。

「マルチタスクは生産性を下げるからね。嫌がらせしてキミの生産性を下げてやろう」

「嫌がらせが似合う女だ」

「褒められた~」

 ミサキがハルトが射線に入っているにも関わらず、引鉄を引いたが、ハルトはそれも利用する。

 ハルトの体をブラインドとして迫る弾丸。弾丸が放たれた時点では、銃口が隠されていたため、狙いが読みづらくなる。

 それでも、水流の壁は防御範囲が広い。この程度では崩れなかった。

 その時だった。


「――わざわざ出直してきて、この程度ですか?」


 声。フードの奥から。つまり、スク水パーカーの少女が発したということだ。

 その声は、松原サクと同じだった。

「うわ、喋った!」

「リアクションが軽い……」

 今まで喋っていなかっただけで、喋らない道理もないだろうとは思うので、ハルトも特に驚きはないが。

 しかし、嫌な感じではある。

 松原サクの――恩人の、推しの声で、彼女が口にしないようなことを言うのは。

「……あんたは、松原さん……ってことでいいのか?」

「そうですよ? えー、春日くん、ライブの時にあんなに熱っぽく見てたのに、忘れちゃったの~?」

「見てたのか」

 敵よりもミサキがウザかった。

「…………」

「…………」

 ハルトと、松原サク(?)が、あまりのウザさに閉口する。

 なんでケンカした後でもあの調子でいられるんだろう……と、ハルトは本気で疑問だった。こっちはもう目も合わせたくない。いつもそうではあるが。

「キミは松原さんの記憶を持ってるみたいだけど、同じ人格って考えていいのか?」

「ワタシは……そうだな~。言いたいことなーんにも言えない、ダメな『表の私』とは違うかな。そりゃあ、いろいろ我慢するのだって大事だけど、それで壊れちゃうんじゃダメだよねえ……? だからぁ……ワタシは、我慢しないワタシだよ。『表の私』の、願いを叶えてあげるんだ」

 いつもサクとは違う、間延びした甘ったるい猫撫声。

「……願いっていうのは?」

「守らないと! めぐを! シホを! だって私、『セイサイ』のリーダーなんだよ!?」

 それに対してハルトは、

「……守るって、そんなの……っ!」

 ――何から? 《怪異》からだとでも言うのだろうか。

 確かに、サクが『ストーカー』に狙われたことで、めぐるもシホノも、それに《怪異》の力を使って対抗しようとしていた。

「俺がいる! 白銀がいる! 松原さん、きみが戦う必要なんてないだろう!?」

「アナタに全部任せておけないよ。それに、ワタシ、人魚になれたんだよ? 『守る』っていうのはね、戦うことだけじゃない。人魚になれば、もっともっとすごい歌が歌える。それが、アイドルとして、『セイレーン・サイレン』のリーダーとして、みんなを守るっていうことなの!」

「《怪異》に頼らなくたって、きみの歌には力がある! みんなを守るだけの力があるんだ! 俺だって、きみに救われたんだ!」

「……ありがとう。……でもさあッ!」

 サクの周囲へ、水で形成された矢が大量に浮かぶ。

「――ワタシよりもよわよわの雑魚に、なに言われたって、全っ然っ! 響かないよね!? それじゃあ、ワタシの心は凪いじゃうなあッ! もっと強いやつがきたらどうするの!? その時になって、『あーあ、あの時あっさり説得されて《人魚》を捨てなきゃよかったなー』って、そう思えっていうの!?」

 水矢が一斉に射出される。

 一つ一つが別々の軌道を描く、同時並行・精密操作の攻撃。

 《結界》内も、現実世界と同じように構成されている。ハルトはプール周辺の地形を把握していた。周囲に生える木々を遮蔽物として利用し、水矢を防いでいく。

 それでも間に合わない分は、斬り伏せ、さらにミサキの援護射撃が撃ち落とす。

 ミサキに背中を任せる心強さが不快だった。

 だってそれは、その位置は――ハルトが背中を任せる相手は、ランのはずなのに。

「だからさぁ、この展開やったよねえ? こっちの弾切れより、ハルトくんがバテちゃう方が絶対早いよ。見たところ、アナタって全然怪力ないみたいだし……よくそれでワタシと戦おうって思ったよね?」

 サクが水矢を浮かべていきながら、獲物を見据える狩人の目で、ハルトとミサキへ視線を這わせていく。

「白銀さんだってさー、《怪異の王》だったみたいだけど……昔の話だよね? 今は全然怪力感じないし、ばんばん鉄砲撃ってくるだけ? なにそれ、反社会勢力的な? アイドル的にお付き合いNGだなー」

 ハルトは動き回り続けて、さすがに息が上がってきたのだろうか。立ち止まって呼吸を整えている。

「25メートルプールの水ってどれくらいあるかわかる? 50万リットルくらいかな。ピンとこない? お風呂二〇〇〇杯くらいだよ? あと何杯分残ってるのかなー?」

 途方も無い数字だ。

 それだけの水量が撃ち尽くされるまでに、ハルトのスタミナが続くことも、全てを避けきるということも、絶対に不可能だろう。

 だが――。

「――気づかないか?」

「…………は? なにが?」

「水の弾、さっきより減ってないか?」

「………………、……なんで……」

 ハルトの指摘通り、明らかにサクの周囲の水が減っている。

 おかしい。つい先程サクが口にした通り、プールの水量を考えれば、残弾が尽きるはずがないのに。

「見てみろよ。お風呂二千杯分がなんだって?」

 ハルトは、サクがプール側へ近づくのを止めない。

 ふらふらとした足取りで歩くサク。

 彼女の目に飛び込んできたのは――

 空っぽになった、プールだった。

「なんで……なんで、なんで……!?」



「なんでって――――そんなの、アタシが、アタシ達が! 親友のピンチに颯爽と吹いた一陣の風だからに決まってるでしょ!」


 プールサイドで仁王立ちしているのは、辻めぐるだった。

 その横には、平戸シホノもいる。

「…………ダサい……。『アタシ達』って言い直してくれたのに悪いけど……音楽性の違いで解散……一人で吹いてて……」

 嫌そうな顔でボソボソと喋るシホノ。

「解散しない!」

 詰め寄るめぐるを、両手で押し返すジェスチャーをするシホノ。

「……二人とも、いたんだ……」

「ふふ。いつでも一緒だよ」

 サクを見つめながら、微笑むシホノ。

「こわあ……」

「怖くないし……っ」

 ぎゃーぎゃーと言い争い始めるめぐるとシホノ。ストーカーの一件から、本音を話せるようになってから、ずっとこの調子だ。

 以前、図書準備室でハルトが思いついた作戦――それが、めぐるとシホノの《怪異》によって、プールの水を全て奪うというものだ。

 めぐるの《かまいたち》が持つ風を操る力で、プールを水を巻き上げる。それだけでも十分だったかもしれないが、もしもサクが気づけば、そこで失敗となってしまう。

 そこで、シホノの《透明化》の力で、シホノとめぐるの体、さらには『プールから巻き上げた水』を透明にした。

 これにより、視覚から気づくことはできなくなる。

 あとは、《怪力》の動きなどから察知される可能性はあったが――だからこそ、ハルトはサクへ話しかけ続けて、意識を散らしていたのだ。

 めぐるが水を巻き上げるような風の操作ができるか。シホノの透明化の細かい条件など、全てハルトは作戦を思いついた時に聞いていた。

「……負けちゃった。これじゃ、前と同じ……」

 ストーカーの件で、ストーカーを倒したのはめぐるとシホノであることを言っているのだろう。

「同じじゃ、ダメなの?」

「…………私は、もっと、もっともっと、頼ってほしい……。サクちゃんは頼れるリーダーだけど、それでも……、私が頼りないと思われるのは、イヤ……」

「……そっかぁ……、そうだよね……バカだなあ私……。泡になって消えちゃいたい……」

 その場に座り込んで、膝に顔を埋めてしまうサクに、シホノが駆け寄る。


「ダメだよ、サクちゃん……泡になっても、人魚になっても、声が出なくなっても、風の精霊になっても……、絶対に、私は、サクちゃんを見捨てないから」


「こわあ……重っ……」

「重くないし……っ」


 ぺちーんっ! とシホノがめぐるの太ももを引っ叩いた。シホノは普段、手が出ないし、手を出す相手もいないが、めぐるにだけは手が出る。


 それから、めぐるも駆け寄ってきて、三人はその場でしゃがみこんで、抱き合った。

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