第13話 最悪の真相
「――つまり、悪夢に悩まされているから何とかして欲しい……ってのが、今回の依頼でいいのかな?」
ミサキは『依頼人』に向けて、そう問いかける。
図書準備室、部屋中央のテーブルを挟み、二つあるソファ。片方にはハルトとミサキが。対面には、めぐる、サク、シホノが座っている。
「はい……。本当に、すみません。何度も、迷惑をかけて……」
うつむきがちに話すのは『依頼人』――松原サクだ。『透明ストーカー事件』に続いて、連続での依頼になってしまうことを気にしているのだろう。
プールでの《七不思議》との対決から数日。
ストーカー事件に続く、新たな依頼だった。
「遠慮しなくていいんだよ。依頼はどんどん持ってきてくれた方が嬉しい。松原さんって、巻き込まれ体質みたいなやつなのかな? それって私達と相性ぴったりじゃないか」
「お前は少しは遠慮して喋ってくれ」
真剣に申し訳なさそうなサクに対して、あんまりな物言いだとハルトは思った。
そこでめぐるが、
「はいはい、はーい!」
と、元気よく挙手。
「はい、辻さん」ミサキが教師のように指をさす。
「悪夢を見せる怪異? って結構いるんじゃないの? すぐに対策がぴこーんっとわかったりしない?」
「あなたはまたすぐそうやって……」
焦るめぐるに対して、呆れたように口を挟むのは、シホノだった。
「なんだよ、シホ」
「白銀さんだって、何かわかってるなら言ってくれるでしょう。また焦ってから回るんですか?」
「…………から回るのはシホも同じでしょ」
「……ぐっ」
めぐるもシホノも、サクを思うがあまりに怪異を使った事件を起こしている。そのあたりはお互い様だ。
「というか……、なんか、失礼だけど、仲良さそうだね」とハルト。
「え~?」と、めぐる。
「……え?」と、間が空いてからシホノ。
「いや、前回の事件の捜査中は険悪なのかと思ってたから」
「それを言うなら、春日くんと白銀先輩も仲良しじゃないですか」
「――平戸さん、何か誤解をしている」
「……じゃあ春日くんも誤解してますよ」
「なるほど、そうみたいだね。この話は置いておこうか」
「それがいいと思います」
停戦協定。お互い、触れられたくない話がということがわかった。
「……いたっ。……なにすんだよ」
その時、ミサキがいきなりハルトの手をつねった。
「いやあ~。実は私は、ハルトくんの手をつねらないと推理力が落ちてしまうという弱点があってね」
「わけわかんねー設定を作るな。今までそんなことなかったろ」
「必死に健気に隠していたのかもしれないだろう?」
「なら俺に会う前はどうしてたんだよ」
「……」
設定の矛盾を突かれて黙ったか……とハルトは勝ち誇る笑みを浮かべた。
ミサキは無言でハルトの手をつねりつつ、サクへ視線をやってから、
「それで? 悪夢というのはどんな?」
「……はっきりしなくて、断片的なイメージみたいな感じなんだけど……、めぐとシホが、倒れてて……。こういうのって、予知夢みたいなものだったりしない?」
「不安になるのもわかる。でも、この私は、一体なんだったかな?」
ん? ん? としきりにサクへ目配せするミサキ。
ええい鬱陶しい……と睨みつけるハルト。
「――……名探偵」
「その通り。キミは既に、この名探偵を知っているわけだ。不安がることもないさ」
■
今日のところは、サクから事情を聞くだけで、まだ具体的には動いていない。
というのも、悪夢を見るというだけでは打てる手もない。が、これはサクへの建前だ。
既にミサキは、原因を掴んでいる。
「――さて、では二人には真相を話しておこうか」
めぐるとシホノには、サク抜きで話したいことがあると伝えておいた。
サクを騙す形になっているものの、これも彼女を守るためだ。
「松原さんの悪夢。これは《怪異》由来のものだし、既に私達はその原因と接触してる」
「もう……!?」とめぐる。
「さすが白銀さん……!」とシホノ。
「え……? 私達……、って、俺もか?」とハルト。
「いや、ハルトくんは驚くなよ」とツッコむミサキ。
「あんな格好、忘れるか? まあ忘れてもいいというか、忘れて欲しいけどね。私の水着姿とか見たら、上書きされないかな?」
「……水着?」
水着。スクール水着の、七不思議。
ランから聞いていたのでわかっていたとはいえ、やはり信じがたい。だからこそ、今初めて聞いたようなリアクションの演技もやりやすいが、いずれにせよ複雑な心境だ。
「……あれが、松原さんってことか?」
過剰になりすぎないよう、演技を続けるハルト。
「? どれよ?」と、めぐる。
「ちゃんと説明するよ。いきなり二人の世界に入ってイチャつきたかったわけじゃない、今はね」
「『今はね』の注釈いる? 一度たりともそんなことないが?」
「うるさい、話の腰を折るなよ」
ミサキがハルトの腰に手刀を入れた。理不尽では? とハルトは思った。
「二人も既に怪異を使っているからわかると思うけど、怪異に注ぐエネルギー……《怪力》って言うんだけどね……、《怪力》の量は人それぞれ異なる。……そして、松原サクはね、桁外れの怪力を持っているんだ。天は二物を与えてしまったわけだ。歌でも、怪異でも、彼女は天才だよ。……そんな二物は、いらないかもしれないけどね」
そこでミサキはスマートフォンを取り出した。
二人にある画像を見せる。
「……え? なに? なんかえっちな画像?」
首を傾げるめぐる。
「どうかな? よく見てごらん」
画面に映るは、スクール水着にパーカー。フードを深く被って顔を隠しているものの、大胆に脚を露出させている少女。
しばらく見つめて――……。
「「あっ」」
めぐるとシホノが、同時に声を漏らす。
「これ、サクちゃん?」
「わかるかい?」
「だって……、」「――この脚。この肉付き、肌ツヤ、松原さんだよ」
シホノの言葉を、ハルトが引き継いだ。
「――え……、春日くん……?」と、シホノ。
「……ハルトくん、マジ……?」と、めぐる。
「――ハルトくん、キミをクビにする」と、ミサキ。
「待ってくれ。だってライブでいつもこれくらいの露出は……、スカートから見えてるし普通に、俺が何をした?」
焦るハルトを、シホノがジト目で睨みつけた。
「だからって、わかる……? もちろん、私はわかるけど。……春日くん、こわっ」
「1秒で自分を棚に上げていく!」
「ハルトくんが吐き気がするほど気持ち悪いキモオタクなのはこの際、脇に置こうか」
捨て置けない悪口がとんできたが、このまま脇に置かれるのなら好都合……とハルトは断腸の思いで、甘んじて脇に置いた。
そしてミサキは二人へ、七不思議や別位相の空間など、今のサクを取り巻く状況について理解するための要素を説明していく。
「つまり、サクちゃんは別の空間にある学校で、変な格好で徘徊してるってこと?」
めぐるのざっくりとしたまとめに、頷くミサキ。
「でも、サクちゃん、ずっと私達と一緒にいましたよ……?」
シホノが疑問点を口にする。
「この場合、アリバイについて考える必要はないんだ。別位相にいる松原サクは、肉体を持った存在ではない可能性もある。同時に二つの地点に存在していてもおかしくないし、松原さん本体に、スク水怪人の方の記憶はないかもね」
「スク水怪人……」
あんまりな言いぐさに引きつつも、今のトンデモな状況についての理解は進んでいく。
「今はまだ『悪夢を見る』くらいで済んでるけどね、当然ロクなことにならないと思うよ。……例えば、本体の松原さんが、怪異の力で、現実で人を襲う……とかね」
ミサキの言葉に、表情を曇らせていく二人。
だが、すぐに二人は、不安を振り払って、決意を宿らせた瞳でミサキを見据える。
「「――どうすればいい?」」
「どうすればいいかは見えてるんだよね。それは簡単なんだ。もう犯人はわかってるわけだから、やっつけちゃえばいいんだけど……問題は、スク水怪人をどうやって倒すかだ。ハルトくんも逃げちゃったし」
「……それなんだが」
ハルトは悔しそうに眉間にシワを寄せつつ、手をあげた。
「はい、ハルトくん」
「――あいつを倒す方法なら、思いついてる」
「へ~、どんな?」
「まず辻さん、相談なんだけど……」
なにやらハルトとめぐるが、二人で密談を始めた。
それから次に、
「平戸さん。透明化って、自分だけじゃなく服とか、持ってる物にもされるよね?」
「え? え? えっと……、され、ます、けど……?? でないと、服、脱がないといけなくなっちゃう……」
「――ハルトくん、セクハラ!?」
ハルトはミサキの腰を手刀で軽く叩いた。話の腰を折るな。
「腰に触るなんて、私にセクハラ!? 私はいいよ! 平戸さんはダメだけどね!」
誰がお前になどするか(誰にもしない)と思いつつ、ハルトはめぐるとシホノから得られたピースをもとに、勝利の絵図を描く。
「……うん、勝てるな」
「へ~……?」
「なんだよ」
「松原さんの脚がどうだの、透明人間って全裸なの? とか、好き勝手言ってくれたね」
「言ってねえ!」
「――勝てるんだね?」
「……ああ」
いきなり話を真面目な方向に戻されて戸惑いつつ、ハルトは力強く頷いた。
戦闘に関してなら、ハルトは負けるつもりはない。
《七不思議》は別格だったとはいえ、やり方次第では打倒する方法はある。
ミサキも『事件の推理』ではなく、『《七不思議》を打倒する作戦』ならば、ハルトの方が向いていると信じてくれたからこそ、聞いてくれたのだろう。
『――勝てるんだね?』と、そう、彼女は聞いてくれたのだ。
「……勝てるさ」
頷き合うハルトとミサキ。そして。
「…………推しのためだからな。サークは必ず、俺達が救う」
決意をこぼしたハルトに対し、ミサキは無言で、ハルトの腰へ手刀を叩き込んだ。
「『俺達』って言ったのはポイント高いけど、『推しのため』でイラッときた」
「理不尽……」
■
強大な力を持つ七不思議。一度はその力の前に撤退を余儀なくされたハルトとミサキだったが、しかし打開策は出来上がった。
作戦決行の日取りも決まって、あとは細かいところを詰めるだけとなった時だった。
いつもの図書準備室。
ハルトとミサキは向かい合って座っている。
「これは?」
ミサキがテーブルの上に、何かを置いた。お札くらいのサイズの古めかしい紙片。
何が書かれているかも読みとれないが、いわくありげなものであるなら、何かの《怪具》かもしれない。
「――《空白符》。二枚ある内の片方にぬりかべくんが入ってて、ハルトくんにも使えるようになってるから」
「前のスマホでやってたのとはちがうのか?」
「あれは制限があって、私が目の前にいないとダメ。完全に権限をあげたわけじゃないからね。こっちは、操作権限をフリーにして誰でも使えるようにしてるって感じかな。だから、敵に取られちゃダメだよ?」
「なるほど、気をつける。……これは、助かるな」
「ふふ~、だろ~?」
「……(うざっ)。二枚あるのは?」
「予備。二枚目は空っぽだけど、慣れてる《追儺師》なら、《空白符》を見たら警戒するからね、取り出せばブラフにはなるよ。《きさらぎ》にも有効なはずだ」
「お前が持ってなくていいのか?」
「戦闘はそっちに任せる。バトルに役立つアイテムはハルトくんが持っててよ」
「了解。ありがたく使わせてもらう」
ハルトは受け取った《空白符》とやらを眺めて、考え込む。
ぬりかべの有用性は、かまいたち事件の時によくわかっている。
防御力のない、紙装甲のハルトには助かる一品だ。
(……これは、使えるな)
二枚の符を、改めて見つめるハルト。
「で、だ……。次に、これなんだけど」
テーブルの上に置かれた資料を見て、ハルトは僅かに顔をしかめた後に、ミサキの顔を見つめた。
提示された資料。それは――宮地ランについてのものだった。
「……こいつは俺の知り合いだけど……、ランがどうかしたか?」
「とぼけても遅いよ。転校の時期をズラしても、怪しいことに変わりはない。それに、私が、カイサンや育成機関についての情報を持っていたとしたら? 隠しても意味ないよね」
ランのことが、見透かされている。
そもそも、ミサキがカイサンと関わりがあることは、ハルトには知らされていなかった。この件については、ハルトとしてはカイサンの上に対して文句を言いたい。
とはいえ、それはまともに任務を遂行するならば、の話であって、根本的に、ハルトは私情で任務をめちゃくちゃにしている。
めちゃくちゃと言うのなら、今の状況は全てがめちゃくちゃの混沌だ。
――ハルトは、ミサキに隠していることがある。
――ミサキも、ハルトに隠していることがある。
――ハルトは、カイサンの言うことを聞いていない。
――カイサンも、ハルトに対してミサキの情報を全て明かしていなかった。
「今の俺が信じられるのは、ランくらいのもんだ」
「なんだよ、私がいるだろ?」
「お前は……、探偵としての実力はともかく、秘密が多すぎるだろ」
「良い女には、秘密はつきものさ。名探偵にも、ね」
「はいはい……。で? ランがどうした?」
「……まず、資料を見てくれ」
ハルトは言われた通り、ミサキの提示した資料に目を通す。
まず一枚目。ゆっくりと、書いてあることを読み込んで、咀嚼していく。
一枚目を読み終えて、ミサキへ視線をやる。
彼女はじっと、こちらを見据えていた。
次に二枚目。そして、ハルトは――……、
「……お前、ふざけてんのか?」
――静かに、怒りを滲ませた。
「書いてある通りだよ――宮地ランが、《きさらぎ》だ」
「……だから、ふざけてるのか? 姉さんが手に入れた手がかりを忘れたのか? 相棒だったお前が?」
ミサキは応えない。黙って互いに、睨み合う。
ハルトは言葉を続けた。
「いいか? きさらぎは女だ。その時点で、ランは容疑から外れる」
「キミこそふざけてるのかな、ハルトくん。どうしてきさらぎが、アキラと私が追っていた時と同一の人物でなければならない?」
「別人だって証拠は?」
「…………かつてのきさらぎはね、アキラと一緒に死んだんだ」
「……え?」
「黙ってて悪い。でも、キミに話しても意味がない」
「なぜだ?」
「宮地ランには姉がいるって話だろう。姉の名は、宮地アイ。それが、初代のきさらぎ。言うならば、宮地ランは『二代目きさらぎ』だ」
「……いつまでふざけるつもりだ?」
「……そうやって相棒を疑うことすらできないから、話しても意味がないって言ってるんだよッ!!」
ミサキが、これまで見せたことのない声を発した。
明確に、ハルトに怒りを向けている。
「甘ったれるなよ。アキラの弟だろ? アキラの後を継ぐんだろ? だったら、相棒に裏切られた程度で動揺するな。それくらい、アキラだって経験してるよ」
「……姉さんが?」
「宮地アイはね、アキラのかつての相棒だったんだ」
「そ、んな……」
ハルトが握りしめた拳が、震えている。
「推理の時は、余計な情は捨てなよ。それは推理を曇らせる。どれだけ受け入れがたくても、そこにある真実から目を逸らすなよ」
「…………うるせえよ。だいたい、もうランで確定したわけじゃないだろ」
「それは……。そうだが……、それでも一番可能性が高いのは――……」
「だったら、俺が真犯人を探し出してやる。ランは違う。それでいいだろ」
「だから……、そんな私情にまみれたままじゃ……」
「……しつこいよ、サルマネ女。いつまで姉さんの真似してんだ。役に入り込みすぎて、今度は俺の姉気取りか? 冗談じゃねえ……うんざりだよ」
「ハルトくん、私はそんなつもりじゃ……」
「だったら! お前が隠し事だらけなのはどういうことだよ! 姉さんのことも話さない! 姉さんに何があったのかも黙っているまま! 隠し事だらけで、謎だらけのお前は自分が《きさらぎ》じゃないって証明できるのかよ!? 俺はお前のことをどうやって信じればいい!?」
「それは……」
「できないのか? ランに濡れ衣着せて逃げようってか? やっぱりお前が《きさらぎ》なのか?」
「……そんな証拠はあるのかな?」
「お前だって、ランがきさらぎだって確定させる証拠はないんだろ?」
「…………。もういい。この話は、今はここまでにしようか。キリがない、不毛だよ」
「……ああ。いずれにせよ、まずは七不思議を倒さないといけないことには、変わりないんだよな」
「……そうだね」
「……松原サクが《きさらぎ》って可能性は?」
「……それも、否定する材料は、今のところはないよ」
「誰がきさらぎでも……クソったれな結末だよ。……それが、お前だったとしてもさ」
「…………こんな話の後じゃなかったら、嬉しい言葉だったかもね」
いつものヘラヘラとした口調ではない、時折滲ませる真に迫る様子で、ミサキはそう零した。
――出会いは最悪だった。姉を殺した復讐の対象だち、そう思い込んでいたけれど、真実は未だにわからない。だが、ミサキを見ていて、彼女が姉を殺すとは思えない。
彼女は《カイサン》が警戒しているように、危険人物なのか。人に仇あす怪異なのか。
怪異の力を持ってはいるようだ。しかし、ミサキのやっていることは、探偵として、《怪異》の力に振り回されて、道を誤る者を救うために、謎を解き明かし、心を救うこと。
ハルトが憧れた、かつての姉のように、誰かを救うヒーローのようだ。
かまいたち事件でも、透明人間事件でも、それは同じ。謎を解いて、人を救う。
言動こそめちゃくちゃで、態度も鬱陶しい。心の底から不快に思ったことなんて何度もある。
思い返せば、本当に不愉快な女だった。
彼女の甘ったるい声は耳に蜂蜜でも塗られたように気持ち悪い。彼女の軽薄な態度にはいつまでも慣れず、いつ見ても新鮮な苛立ちがあった。距離感が近く、いちいち触れてくるのも虫唾が走る。ハルトはパーソナルスペースが広いのだ。あの女のことを、激しい羽音を鳴らして耳元で飛び回る蚊の擬人化か? と思ったことは何度もある。毎日眠る時に、明日もあんな女に会うのかと辟易したし、元から不眠症気味だったのが、さらに悪化した。夢にミサキが出てきた飛び起きたことだって何度もある。
本当に、心の底から、嘘偽りなく、あの女が嫌いだった。
そのくせ外面がよくて、実態と評判が乖離しているのも腹が立つ。クラスであの女の顔が良いだの付き合いたいだの、真実を知らない民の声を聞く度に、『あの女は寝っ転がってアイスばかり食っている醜いブタだ!』と真実を叫びながら全校生徒に訂正して回ってやろうと思ったことは一度や二度に留まらない。
正直、もう姉のこと抜きに、ただ純粋に一個体が持つ人格として嫌いで、殺してやろうかと思っていたが、それでも――……。
それでも、だ。
――……もう少し、彼女の助手をしていてもいいと思っていた。
だが、もうここまでなのかもしれない。
スク水パーカー――《人魚》の《七不思議》は倒す。松原サクを救う。そして、きさらぎを捕まえる。
それで終わりだ。 元から、そういう約束だった。
何もおかしいことはない。けれど、きっと――彼女との、白銀ミサキとの関係は、どうしようもなく、修復不可能な破壊と決裂で終わるのではないだろうか。
そんな予感がしていた。
おかしな話だ。殺すはずだった相手に対して、今更何を思っているのだろう。
これでいい、これが正しい結末なのだ。
だってハルトは決めている。一番大切な、姉との関係が壊れてる時点で、もうこの先の人生で、何が壊れても、受け入れると、そう決めている。
■
ハルトは一人、ある場所に向かっていた。
かつてアキラが捜査に使っていた資料を保管してある倉庫のような場所だ。
ランに頼んで調べておいてもらってもよかったが、ここは自分の手で調べたかった。
元からそのつもりであったが、今はランに対して《きさらぎ》の疑いがあるため、なおさら全てハルト一人でやらねばないだろう。
紙束だらけの部屋をかき分けて、今の事件に繋がりそうなものを探す。
改めて、ミサキに関する情報が執拗に消されているのがわかる。
不自然な空白期間。これが、ミサキとアキラが一緒に捜査をしていた期間なのだろう。
ミサキの推理。
――《きさらぎ》は、宮地ラン。
ランの推理。
――《きさらぎ》は、白銀ミサキ。
一体、どちらが真実なのか。
それに、松原サクも容疑者から外れてはいない。
他の可能性としては、アキラが《きさらぎ》というものまで浮かぶ。アキラは怪力の扱いでも天才だ。可能・不可能だけで見れば、可能だろう。
――だが、アキラが亡くなっていることは、動かない事実として、ハルトもわかっている。葬式には出ている。遺体も、遺骨も、この目で見ている。これを覆すトリックがあるのなら、それこそハルトが縋りたいくらいだ。
荒唐無稽な説のことはいい。それよりも、今はランについてだ。
ハルトは知っている。
ランは、《怪力神経》という、追儺師が持つ器官の異常によって、怪力が上手く扱えないのだ。だから彼は、サポートに回っている。
ハルトのように先天的なものではなく、後天的なものだと聞いていた。
事前に持ってきていた、ランのカルテを眺める。右手の図解。無理な怪力の使用が原因、という医者のコメントも書き込まれている。
これがある以上、ランは《きさらぎ》というのは、ありえない。
部屋の整理を進める。すると――……。
「……、」
アキラが《きさらぎ》について残した資料が見つかった。
《きさらぎ》の服装は、駅員の制服にも、軍服にも見えるような、既存のものではない独自のものを着ている。
顔は狐面で隠している。右手には、包帯のようなものを巻いている。
「……、……」
《きさらぎ》の外見。これはミサキも知っているのかもしれないが、ハルトの前では口にしていない情報だ。ここから何か、繋がりはしないか。
さらに別の資料にも目を通す。
『宮地アイの《怪力》を調べた結果、《きさらぎ》の起こしてきた犯行は不可能と確定。しかし、判定結果自体に偽装を施したか、共犯の可能性など、依然として宮地アイは事件において重要な人物だと判断する』
アキラは、ランの姉である宮地アイを疑っていた。
ここはミサキの主張と一致する。
「……そうか」
――繋がった。
真相が、見えた。
フーダニット――《きさらぎ》は誰なのか。
ワイダニット――《きさらぎ》はなぜこんなことをしているのか。
ハウダニット――《きさらぎ》は、どうやってこの犯行をしているのか。
全ての真相が見えてきた。であれば、どうするか。
《きさらぎ》を倒し、この事件を解決し、望む結末を手に入れるためには、どうすればいいのか。そもそも、望む結末とはなんだ?
この事件、ハッピーエンドはどこにある?
(…………俺は、何を望む? 俺は一体、どうしたいんだ?)
ハッピーエンドなんて、そんなものがあったとして、そこに至る方法は?
そんな方法はあるのか?
――そのためには、誰を信じ、誰を欺くのか。
「やってやるよ――名探偵」
白銀ミサキは、名探偵だ。
春日ハルトは、名探偵ではない。
春日ハルトは探偵ではなく――――スパイだ。
探偵は真実を推理する。
では、スパイは?
――――騙し、欺き、工作し、スパイは、望む真実を作り上げる。
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