3


 なんやかんやで到着。考えてみれば俺もこっち側の海は初めてだった。もっと岩とかごつごつでありえない波の高さで到底近付けない海を想像していたのだが全然静かだった。


「今日は楽しかったなー」


 小石の多い浜辺を歩きながら、三谷がひとりごとのように言う。車を降りる必要などなかったのだが、夕日が沈む瞬間を見るよ!と叫ぶ三谷がウザすぎて海辺まで来るはめに。

 向こうに見える崖が自殺の名所で波の流れ的に沈まずにここの浜辺に戻ってくるので死体がばんばん上がるなどという三谷の情報を耳に入れながら太陽が落ちていくのを見ている。

 俺は何しにここにいるのだ、と普通に疑問だ。三谷といると、自分に対する疑問ばかりが浮かぶ。それは今この瞬間にも増幅を続けている。


「桐野くんにはつまんなかったと思うけど、付き合ってくれて嬉しかったな」


 三谷が振り返る。


「何回か殺そうとしちゃってごめんね。仲直りということで、握手で終わり、はい」


 手を差し出してくる。背後には、沈みゆく夕日。影を載せたその顔には、一日の終わりに相応しい穏やかな笑みが浮かんでいる。光に縁取られた、闇の形で。


「……お前、なんか企んでるだろ」

「え? なにそれ失礼だなぁ。これからもよろしくねって言ってるだけなのに。……ん? うっ、うわぁああ幽霊!」

「は!?」


 いや幽霊なんているわけないだろというまともな思考の速度より、自殺の名所云々の話が脳裏に浮かぶ速度の方がわずかに上回った。思わず振り返ってしまったその時、左腕がねじり上げられた。

 倒される、と思った頃にはもう倒されていた。うつ伏せになった視界には、砂浜が遥か向こうまで続いている。はっきりとわかるのは腕の痛みと、背中に乗る三谷が大声で笑っていることだけだった。


「すごい! ほんとにできた! 人間の関節ってこんなに融通効かないんだね! おもしろー!」


 動画見て練習したんだー関節技、と楽しそうに笑う三谷。もう片方の腕もご丁寧に後ろでねじり上げ、跨って座る三谷の膝の辺りで固定してくれているようだ。おかげでこちらは両腕のあらゆる関節の痛みのせいで首を上げることすらできない。


「ごめんね。ちょっと我慢してて」


 弾んだ声で言うと、じゃーん、と言いながら俺の視界の中に何かを突き付けてきた。顔が上げられず全貌は掴めないが、たぶん銃。


「僕の作品。というかまぁ、モデルガンを改造した模造拳銃。ちゃんと撃てるよ。かっこいいでしょ?」


 なるほど、そういう遊びか、と一応納得する。今日の目的はこれだったんだな。

 試しに、と言いながら、三谷は銃口を俺の目の前に広がる砂浜に押し当てる。それから、撃つ。発砲音と衝撃が砂の中に吸われ、遅れて薬莢らしきものが落ちる。煙と、火薬臭。


「分解して組み立てて、自分だけの物に作り替える。こういう工程が楽しくてさ。ふふ、創造ってこういうことだよ桐野くん。頑丈な物ほど、分解するのが楽しいんだ。だから僕は、桐野くんをぶっ壊したいんだよ」


 なにかコメントあったらどうぞ、と言って、三谷は俺の背中にかける重心をわずかにずらした。ほんの数センチ、俺は顔を上げる。


「……お前、自分が俺にとって特別ななんかだと勘違いしてんなら、今訂正しといてやる。俺が檜山を蹴ったのは、あいつにあいつの理論を正しく適用してやった結果だ」

「おぉ、珍しく桐野くんが過去を語ってる! いいよ、続けて」

「あいつが喋ってるのを聞いた。三谷は才能と存在感が釣り合ってないから、身の程を知れという意味で突き落としてやったって。折れたのが利き手じゃない方の腕だったことを残念がってたよ。だから俺は、あいつの理論をあいつに適用してやった。才能は、それに相応しい人間のみが所有するべきだ、という理論をな」


 背中で三谷が笑う。振動が伝わってきて不快だ。


「だから俺はあの時、正義を振るったわけでもなく、ましてやお前がされたことへの仕返しをしたわけでもない。自分で掲げて他人に行使したルールはもれなく自分にも適用される。当たり前のそのことを、あいつにわからせてやっただけだ」


 よくもまぁべらべらと昔話を喋れるもんだと、自分で自分に感心する。

 ガキ時代に自力で構築した理念が、その根幹が、未だに自分に根付いているという事実。わりとバカバカしいことだと思う。それでも、死ぬほどフェアじゃないこの世の中で、せめて自分だけはフェアでいたいと、それを貫こうとすることが強さなのかどうか俺は知らないが、そうしたいからそうしてきたし、そうしていくだけだ。

 三谷は満足げな溜息をつくと、そうだね、と言った。


「わかってるよ。桐野くんは強固だ。自分を疑うこともなく、強気で傲慢で。でもさ、気付いてる? 君、なぜか僕にだけは介入を許してるよ。今日もこうして海までついて来てくれたし。つまりさ、桐野くん。君に侵入して君をぶっ壊せるのは、僕だけなんだよ」


 傲慢だろ、それこそ。俺はそれを口に出そうとするが、こめかみに押し当てられた銃口の、その熱さに驚いて息を止める。

 三谷が俺の顔を覗き込む。奴の髪の毛がこっちにまで垂れる。その奥で、目が笑う。


「君がぶっ壊れるところを見たい。その骨を拾って組み上げて構築して、そうやって僕が、新しく君を創造するんだ」


 ――楽しそうな三谷だ。まったく不可解で、どうにもイラつかせる顔だ。

 それで知る。俺はこいつに介入を許している。許可を出したという意味でなく、抗っていないという意味で。そしてそれは十分に、俺の理論に反している。

 俺が俺の中で唯一アンフェアを許している部分。それが三谷なのかもしれない。でもそれが、のこのこと殺されてやる理由にはならない。


 俺を覗き込む三谷の目の、虹彩の色が薄いせいで良く見える瞳孔の、その中心にある殺意を睨む。


「人を、物扱いするんじゃねぇ」


 下半身に最大の力を込めて体を起こす。重心を前にずらしていたせいで不安定になっていた三谷は、突然持ち上がった俺の背中に弾かれて前方へ倒れた。こぼれ落ちた銃を拾い上げ、転がる三谷の方へ銃口を向ける。


「ごめんごめんごめんごめんそれ弾出ない! 発火式モデルガンっていってね、撃てるけど弾は出ないやつ!」


 だろうなぁ、変に軽いもん。


「ただちょっと強度上げて、火薬がちょっと多い! だから火花は吹く! 下手にやると下手するよ!」


 へぇ、と思って撃ってみると、なかなかの衝撃と同時に、銃口から一瞬だけわずかに火花が散った。三谷がうわあああ、と歓声のような声を上げる。


「桐野くんがやるとリアルだからやめてよ! 怖い! 怖いーー!」


 走って逃げ出す三谷を追う。その背中を狙って、もう一発撃つ。飛び散る火花が手に熱くて笑った。

 確かに俺はある部分ではすでにぶっ壊れ始めているのかもしれない。夕暮れの海辺で、俺を殺そうとする男を追いかけ、走り回りながらモデルガンを撃ち、自分の中にある殺意を確かめて、声を上げて笑っている。まともじゃない。


 やっているうちに弾は尽きた。反動やら音やら匂いやらの感触が爽快でよかった。

 三谷はぜぇぜぇ息を切らしながら戻ってきて、殺されるかと思ったぁ!と言って座り込んだ。


「まぁいいや。実弾は無理にしても、殺傷能力くらいはあるやつにしていくよ。んー、次は桐野くんの頭に穴一個開けるくらいのやつを目指すかぁ」

「ふーん。そしたらまた貸せよな。けっこう楽しかった」

「普通に怖いからね、桐野くんのそういう発言は」


 鼻で笑って、まだ熱いモデルガンを三谷に返す。三谷はそのよくわからない構造の自作品を開けて閉じて、わざとらしく長い息を吐いてから言う。


「まぁ、これからもゆっくりやっていくことにするよ。解体は丁寧に、時間をかけてやった方が綺麗に完了するからね」


 俺を見上げて笑う。風に、髪が踊るように揺れている。

 こいつをこいつの理論の元に正しく殺すためには、提示されたルールに則り、真正面から受けて立つ以外にない。銃弾がぶっ放されたとしても、それより速く殺してやる。


 とりあえず今日はどっかそのへん一泊してこっか、と言う三谷に、死ね、とだけ返事をして浜辺を行く。

 日は沈み、海が鳴っている。


〈了〉

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銃弾より速く死ね 古川 @Mckinney

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