殺人鬼と日記帳

朝霧

彼女は殺人鬼なのか?

 4月9日(金)

 今日殺したのは若い女だった。

 財布の中の学生証を確認すると名前は安西南、もうすぐ二十歳の誕生日を迎えるはずだったらしい、というか同じ大学の生徒だ。

 今日の殺しは派手にやった、腹の中身を抉って太腿を裂いて骨を露出させた。

 血も酷いけど内臓とその中身の処理がとても悲惨だった、掃除屋じゃなかったら何もかも投げ出してしまっただろうけど頑張った、私を褒め称えるといいよ。


 5月14日(金)

 今日殺したのは大柄な男だった。

 財布の中の免許書を確認すると名前は矢部満、年齢は五十六歳。

 先月に引き続き今日の殺しも派手にやった、手を千切り、目玉を潰し、腹を裂いた。

 あたり一面にこぼれた血の処理が大変面倒だった、私が掃除屋をやっていなかったら途中でくじけたと思うけど頑張った、超褒めてくれ。


 放置されていた恋人の日記帳を何気なく開いてみたらそんな文面が飛び込んできたものだから、眩暈が。

 これは、なんだ?

 実は別人が書いたものなんじゃないだろうかと思ったけれど、これは紛れもなく彼女の字だ、こんな下手糞で特徴的な字を彼女以外が書くわけない。

 なら、これは事実か?

 それはないと大きく首を横に振る、だって彼女が人を殺しただって?

 そんなわけがない。彼女はただの大学生だし、それに掃除屋のバイトをしているとかそういった類の話も聞いたことがない。

 ならこれは小説か何かだろう、ただの作り話だ。

 だけど4月9日に殺されたという女子大生、その名前に心当たりがある。 

 学内で噂を聞いたことがある。

 一ヶ月くらい前に姿を消したという噂を、確かに耳にした。

 ぞっと背筋が凍った、まさかと思った。

「……いや、ただそういう噂話を知って、それでこんな作り話を書いただけ……かも?」

 不謹慎極まりないが、あの子はそういう事をサラッとやらかすちょっとおかしい子だから、そういう事なんだろう。

 あっさりと人を殺しそうな子だとは思っていたけど、実際にやらかしているわけがない。

 そう笑い飛ばしてしまいたかったけれど、喉がひきつって身体もガチガチに強張って、笑うどころか声すら発する事もできなかった。


 日記帳を綺麗に元の状態に戻して、何も見なかったふりをしていつも通りの日常を続けた。

 僕の恋人がひょっとしたら人殺しかもしれないだなんて漠然とした不安を抱きつつ、それでもいつも通りの自分を演じた。

 頭がよさそうに見えて、実は愚鈍で非常に察しの悪い彼女は何も気付いていないようだった。

 それでいい。

 僕は何も知らなかった、何も見なかった。

 そういうふりを続けていれば僕はこのかわいい人と一緒にいられるのだから、それでいい。


 ふと目を覚ましたら彼女が何かの前でぶつぶつと呟いていた。

「しくったな……これじゃあはいらな……さてどうする?」

 頭がぼんやりとする、ここはどこだと周囲を見渡すと、見た事がない薄暗い部屋の中だった。

 嫌な予感がして、何かを呟き続ける彼女の背に声をかける。

「あ? 何?」

 振り返った彼女の胸から腹が赤く汚れていた。

 それがペンキの類ではなく血だと気付いたのは、彼女が振り返ると同時に鉄臭い臭いが漂ってきたからだ。

 同時に彼女の前に置かれているその何かが、手足が歪に折れ曲がり頭部が砕けた老人の遺体である事にも気付いてしまった。

「え……? なに? ……それ、君が?」

 思わずそう呟くと彼女は自分の顔を見上げて、慌てるわけでもなく何故か怪訝そうな顔をした。

「……何言ってんだよ、ついさっきお前が殺ったんだろうが」

「……え?」

 意味が分からないことを言われて、思考が一瞬完全に停止した。

 その隙に彼女は何かに納得がいったようで、ポンと両手を叩いてから片手で顔を覆った。

 その一連の動作がめちゃくちゃかわいくて、普段だったら咄嗟にぎゅぎゅっと抱きしめていたところだけど、状況が状況なので全身がガチガチに固まってしまっていて動けない。

「あー、お前表の方か……メンドくせ……こういう時は……」

「なに言って……」

 譫言のように自分がそう問いかけると、彼女は勢いよくこちらの襟首を掴んで引き寄せる。

 そして乱暴に唇を重ねられた、それと同時に舌を引きずり出され、思い切り噛まれる。

 激痛と、溢れた血の味に意識が遠ざかっていく。

「起きろ、殺人鬼」

 最後にそんな声が聞こえた気がした。


 舌を強く噛んでからそう言った直後、離しかけていた頭を背後から強い力で鷲掴みにされた。

 そして押し付けられるように重ねられた唇からずるりと入り込んできた舌にこちらの舌を引きずりだされ、強く噛まれて血と唾液を啜られた。

「情熱的な目覚めのキスをありがとう」

 顔色と雰囲気を変えた恋人が、彼の血と唾液と自分のそれが混じったものをぺろりと舌で舐め上げる。

「……殺しの後は寝ないでくれ、表が出てくると面倒だから」

「どうしようか? またああやって起こしてくれよ、凄くよかったから」

 自分よりも血で汚れた彼は猫撫で声でそう言ってくる。

「冗談じゃない、ゴミ処理以外の手間を増やすなボケ」

 私がそう怒ると、二重人格の殺人鬼は薄く笑った。


 6月18日(金)

 今日殺したのは老人だった。

 財布の中の保険証を見ると名前は太田勇、年齢は八十七歳。

 今日の殺しも随分と派手にやった、手足をひん曲げて折った後に頭をかち割った。

 血の処理がたいそう面倒だったし途中で表が出てきやがったのでクッソ面倒くさかった。

 だけど私、掃除屋。ついでにあいつの恋人。

 だからがんばった。

 それにあいつは私のお父さんとお兄さんとお母さんと妹を殺してくれた大恩人なので恩は返さなきゃならない。

 なので全部ぜんぶがんばった、すごくがんばった。

 だから私を褒めろ、できるだけ盛大に。

 全部終わって家に帰った後しばらくして表が目を覚ましたけど、今回も何も覚えていないようだ。

 ひとまず、厄介ごとが避けられて私は嬉しい。

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