素っ気ない幼馴染と夫婦役で大名行列をすることになった

剃り残し@コミカライズ連載開始

第1話

「馬場(ばば)ぁ。頼むよぉ。先生だって教頭から言われてて、教頭も校長から、校長も市の偉い人から、その人もまた更に偉い人から言われて大変なんだって」


 言い出しっぺを遡っていくと総理大臣まで行くかもしれない勢いで担任の軽足(かるあし)先生が頼み込んでくる。


 先生の頭を悩ませているのは、市のお祭りでやる大名行列の殿様と姫役のキャスティングの件だ。なので、遡った先は行っても市長くらいだろう。


 大名行列と大層な名前がついてはいるが、武士のコスプレをしたおっさんと一緒に駅前を練り歩くだけのイベントだ。


 毎年、市民から有志の男女ペアを公募していたらしいが応募があるのは数組程度。今年は不作の年でゼロとなり、市内の高校でも随一の歴史があるうちに男女一人ずつ生徒を出せと話が回ってきたらしい。


「いや……まぁ……大人の事情っていうのは分かりますけど……」


「だろ? ここは先生を助けると思ってさ。そもそも、馬場にしてくれっていうのは相手役のお屋形様からの指名なんだよ。家臣筋の馬場が断れる話じゃないだろ?」


「そんな何百年前の話をされても……」


「武田、可愛いじゃないか。先生が学生だったらこんな美味しい話は断らないけどなぁ」


「高校生に手を出すのは犯罪ですよ」


「冗談だよ。先生には愛する妻がいるんだ。すまないな、馬場の気持ちには答えられないよ」


「俺じゃなくてのお屋形様の話でしょ!」


「シーッ! 聞こえるぞ!」


 軽足先生に頭を抑えられて机に身を隠す。


 職員室の入り口にいるのは武田琴(たけだ こと)。あだ名は「お屋形様」。琴は有名な戦国武将である武田信玄の子孫で、歴史の授業で出てくる前からこのあだ名だ。もっとも、本人はそう呼ばれることを嫌がっているけれど。


 そんなイジリに屈することなく、昔から頭が良くて運動もできる。そのくせ見た目も抜群に良いとかいうチートっぷりで中学の時から戦国大名の如く生徒をまとめ上げているカリスマだ。


 そして俺は馬場信(ばば しん)。俺も武田家の重臣だった武将の子孫らしい。とはいえ有能な先祖の能力は欠片も遺伝せず、自分は平凡なスペック。親は普通の公務員だし、家も今風な一戸建てで、それっぽい掛け軸も具足も日本刀も家には無い。


 昔から、家臣団の集まりなる親戚の飲み会みたいなものがあり、同い年の俺と琴は小さい頃は対等に遊んでいた。幼馴染と言えば聞こえはいいけれど、所詮は家臣と殿だ。大人達の関係性を見ていると何となく察するものがあった。


 その影響を受けたのか、中学くらいから琴は俺と対等に接さずやたらとツンケンしてくるようになった。主君と家臣なので琴の態度は仕方ない部分もあるとはいえ、どこか気まずさと寂しさを抱えながら同じ高校に進学した。


 高校に入ってからはクラスも違うので俺達の事はたまにいじられるくらいに落ち着いていたところでこの大名行列の話が舞い込んできた訳だ。


 琴の親は市議会議員もしているし、こういう地元密着の話は断れないのだろう。どうせ巻き込むなら知り合いの俺というのも話は通る。


 だがどうしても拭えない懸念点がある。それは、琴がコスプレイヤーという事だ。絶対に好き放題にいじられるに決まっている。何なら俺が姫役をさせられる可能性すらある。


「あら、馬場君。軽足先生もどうしたんですか?」


 隠れていた俺達を発見した琴がニコニコと笑っている。


 物音を一切立てずに近づいてきていた。徐(しず)かなること林の如くだ。


 握りしめられた右手はプルプルと震えているので、俺の「お館様」呼びが聞こえていたのだろう。


「た……武田さん、ちょっとここでスクワットをしていてな。そうだ! 馬場が例の話、受けてくれるらしいぞ! 先生は教頭に報告に行ってくるからな! 衣装とかは市の担当者から連絡が来るらしいから待っていてくれ!」


 軽足先生は名に恥じない軽快な口調でまくし立てると、さっさと教頭の下に駆け足で行ってしまった。


 まだ受けるも拒否するも言っていないはずだったのだが、無理やり受ける事になってしまった。


「馬場、話があるわ。評定(ひょうじょう)よ」


 評定とは会議の事だ。お屋形様に評定だと言われたら断れる訳がない。後ろに続いて職員室を出て空き教室に入る。


「琴、本当にやるのか? こんなので目立ちたくないだろ」


「仕方がないでしょ。お爺ちゃんの知り合いだから断れないのよ。協力して」


「協力しろっても……どうせ俺に断る権利は無いんだろ?」


「当然じゃない。私はお屋形様で馬場は家臣なのよ? 主命に逆らうの?」


 さっきの俺の発言を根に持っているらしい。琴が自分から「お屋形様」だなんて言う事は滅多にないのだから。


「悪かったって」


「何が? とにかく、週末に準備をするから家に来て」


 お屋形様呼びの件はしばらく根に持たれそうだ。


 琴の家は苦手だ。まずデカすぎる。ウィキ〇ディアに祖父の名前まで載っているような家系なので当然といえば当然なのだが。


 それに、ウィ〇ペディアに名前が書かれている琴の爺さんが事あるごとに俺と琴をくっつけようとしてくる。適当に躱すと「主家からの縁談を断るとは何事か!」と怒ってくるので爺さんはまだ戦国時代に生きているらしい。


 今の時代そんな事で結婚相手を決められてはたまらない。俺は自分の選んだ相手と普通に恋をして普通に結婚をしたいのだ。


「準備って……衣装とかは市の人が用意してくれるんだろ?」


「あぁ。馬場は知らないのね。予算の都合で衣装はほぼ自前よ。用意してもらえるのはカツラくらい。お爺ちゃんが大見得を切ってしまったの。一応家に古い服はたくさんあるからそこから似合う物を探すのよ」


 見栄っ張りな爺さんだ。孫たちがそのせいで苦しむというのに。琴の家にはデカい納屋もあるし、先祖代々伝わる服なんかもあるので、そこから何かしらを見繕うのだろう。


 渋々だが「分かったよ」と返事をするといい匂いを残して琴はさっさと教室から出ていった。



 ◆



 週末、重い足を引きずって琴の家に向かう。


 目の前に続く漆喰の塀の横を何百メートルも歩き続けてやっと正面玄関に到着するのだ。そこからは爺さんの縁談攻めが始まるはずだ。やってられない。


 ため息をついて一歩目を踏み出す。


「何がそんなに憂鬱なの?」


 壁の中から声がしたので驚いて振り向く。


 白い壁を見ると、塀に設けられた小さな扉から琴が顔を覗かせていた。


「ビビらすなよ……」


「こんなので驚く方が悪いのよ」


 驚かせて満足したのか琴はニヤリと笑う。


「うるせぇな。玄関から入るから、また後でな」


「玄関はダメ。こっちから来て」


「何でだよ。正面から入らないと見つかった時にグチグチ言われて面倒だろ」


「今日はそんなに人はいないから。一番厄介な人を除いてね。それに目的地はこっちの方が近いわ」


 琴の爺さんがいるのだろう。会う度に縁談だとか言い出すので俺も会いたくはない。


 琴に導かれるまま屈んで扉をくぐる。庭の茂みを抜けないといけないため、琴を先頭にして四つん這いで茂みの中を進む。小さい頃は屈むだけで進めた扉も茂みも、大人になるととても邪魔だ。


 ここで待ち伏せしていたくらいなのでスカートを履くような失態は犯していないが琴は計算違いをしていた。


 部屋着のジャージもピッタリとお尻に張り付いていて目に毒なのだ。盛り上がる事、山の如し。


 一度しっかりと目に焼き付けた後は、なるべく前を見ないようにして茂みを抜けた。


 納屋の目の前に出たので、確かにかなりのショートカットになったみたいだ。


「お尻、見てたでしょ?」


「見てねぇよ」


「どうかしら」


 全てを見透かしたような顔で俺を見てくるので居心地が悪くなる。


「きょっ……極力見ないようにしてたんだよ」


「つまり、見ていたのね?」


「納屋だろ! 早く行くぞ!」


 見ていたか見ていないかの二択になると「見ていた」なので俺に分が悪い。


 琴の追求から逃げるように納屋に向かって早足で歩く。


 中に入ったことはないが、琴の家から続く石畳の終着点が納屋なので庭で鬼ごっこをしている時はよくこの辺りを走り回った。


「さ、この中に古い着物があるの。暗くなる前に見つけちゃいましょ」


 琴が立て付けの悪そうな引き戸を持ち上げたり叩いたりしながら入り口を開けようと四苦八苦している。


「修理しないのか?」


「市の指定文化財なのよ。防火設備とかはきちんとしろって言われるのにそれ以外は現状維持なの。修理するにも伝統的な方法で、とか言われて高いんだってさ」


「大変なんだなぁ」


 他人事のように言うが本当に他人事だ。面倒くさそうというのは分かった。


「開いたわ。お先にどうぞ」


 別に中に罠が仕掛けられているとも思わないが、少し警戒しながら中に入る。


 納屋の中は埃や土煙が凄い。明かりも木枠の窓から漏れてくるものだけなので、夕方になるとまずそうだ。晩秋なので、早めにケリをつけなければ。


 琴が中に入ってきたのを確認して、もう一度納屋の中を見渡す。


 タンスや木の箱、社会科の教科書で見た農具なんかが所狭しと並べられていた。かなり広く、学校の教室くらいの広さがありそうだ。


「これ……どこから探すんだ?」


「手前からよ。早く始めちゃいましょう」


 琴が目の前にあったタンスを開くなり長年に渡って積もり続けた塵が舞い上がり、琴の顔を覆い尽くす。こっちまで塵が舞ってくるので二人してゲホゲホと咳き込む。


「マスクくらい持ってくれば良かったな。取りに行くか?」


「えぇ……想像以上ね」


 二人で納屋から出ようと出口に目を向けた瞬間、開ける時とはまるで違う勢いで納屋の扉が閉まっていった。


 心霊現象とは思いたくないが、何の前触れも人の力も使わずに閉まっていったので琴と顔を見合わせる。


 恐る恐る琴が近づいて扉を開けようとするがビクともしない。勢い良く閉まったせいで更に立て付けが悪くなってしまったみたいだ。


「馬場……開かない……どうしよう……」


 不安そうな顔を向けてくるが、納屋に閉じ込められたとはいえ、自分の家の敷地内なのだ。琴が居ないことに気づいた誰かがここを見に来るだろう。


「まぁ後で考えようぜ。まずはやる事があるだろ」


「え……あ……そうね。衣装探しからしましょうか」


 琴は何かが想定外だったようで意外そうな顔をして服の捜索を始めた。




 ◆




「なぁ……見つかったか?」


「無いわ。はぁ……疲れた……」


 かれこれ一時間は探したが服っぽいものは何も出てこない。小さい頃に書いたであろう落書きがいくつか見つかったくらいだ。


 秋とはいえずっと動き続けていたので熱くなってきた。上着を脱いで適当なところにかける。


 俺が上着を脱いだのを見て、琴もジャージのチャックを下げて脱ぎだした。


「お……おいおい! 待てって!」


 ジャージの下はTシャツかと思ったいたらタンクトップだった。胸元をかなり強調したデザインだし、尻にも増して目に毒だ。


「何が? 部屋着だから良いじゃない」


「俺に見せるのが変だって話だよ!」


「昔は風呂にも一緒に入ったのに。今更何を恥じらう事があるの?」


「そりゃ昔だろうが! だいたいその台詞は昔っから同じような関係が続いている奴らが言うやつだろ! 俺達はどう見ても疎遠になってるじゃねぇか!」


 琴が悲しそうな顔をする。


「そんなこと言わなくてもいいじゃない……私は仲良くしたいのに……」


 顔を覆ってその場にうずくまる。泣かせるつもりは無かったのだが言い方がキツかったのかもしれない。


 恐る恐る琴に近づく。


「なぁ……悪かっ――」


 琴が縋っている柱に近づいて慰めようとした時、柱にある落書きのようなものが目に入った。相合い傘だ。ご丁寧に傘の先端にハートマークまでついている。


 名前は信と琴。つまり、俺とこいつだ。俺はこんなところに書いた記憶はない。


 だから、これを書いたのは琴。


「琴……これ、いつ書いたんだ?」


「中学の時くらいかな。もっと前かも。いつからかなんて覚えてないもの」


 何がいつからなのかなんて聞くまでもなかった。琴は俺の事を好いてくれていた。中学くらいからぎこちなくなったのもそれが原因なのだろう。


「この納屋、文化財なんだろ? 良かったのか?」


「じゃあ書いたのは文化財に指定される前なのよ。それに今言うことじゃないでしょ」


 本来ならもっと込み入った話をするべきなのだろうけど、いきなりで心の準備も出来ていないからどうしたものかと思っていた。


 それに、日が暮れてきている。


「まぁ……後でゆっくり話そうぜ。とりあえずここを出るぞ。あの扉、開かないけど壊しちゃだめなのか?」


「市の偉い人に怒られて、百万単位の修理代を出してくれるならいいわよ」


「じゃあやめとくよ。そもそも、なんでこんなとこに住んでんだよ……」


「順番が逆よ。住んでいるところが文化財になったの」


 順番はどうでもいいが、少し寒くなってきている。最近、夜は冷えるし、防寒のぼの字もないこの納屋は外と変わらないだろう。


 どうしたものかと考えながら沈黙の中にいると、ふと閃く。


「そうだ! 携帯! 誰か家の人に連絡してくれよ!」


「部屋に置いてきたわ」


「じゃあ俺のを貸すよ。電話番号を打ち込んでくれ」


「電話番号なんて覚えてるわけ無いじゃない。電話帳に一度登録したら番号なんて見ないんだから」


「それもそうだな……」


 さすがに俺の親に連絡して迎えに来てもらうのは付き合い的な意味で色々と面倒だし最後の手段にしたいところだ。


 また沈黙が続く。とうとう琴が諦めたようにため息をついた。


「はぁ……お爺ちゃん! もう開けていいわよ!」


 外に向かって話しているようだが一向に反応しない。


「ちょっと! お爺ちゃん! もういいって!」


「どうしたんだ?」


 琴は俺の質問を無視して文化財の扉を何度も叩く。


「やられた……」


「琴、どうしたんだよ」


 琴は首を横に振りながら俺の方へ戻ってくる。


「ハメられたわ」


「最初から説明してくれって」


「え……あぁ。ごめんなさい」


 琴は横にストンと座り、下を向く。


「私が一人っ子なのは知ってるでしょ?」


「そうだな」


「後継ぎがいないの。つまり、私の代で武田家が終わってしまう」


「実質は勝頼の時に滅んだんだからいいだろ」


 琴にピシャリと頭を叩かれる。琴は長篠の戦いを授業でやった時に感情移入しすぎて気分が悪くなり保健室に行くほどだった。俺の先祖もそこで撃ち殺されたらしいけど、自分はなんとも思わなかった。


「とにかく、婿を取らないといけないの。でも、私はそんな事で将来の相手を決めたくない。そもそもこんな田舎は嫌いなの。東京で服飾の勉強をしたい。その相談をしたら、お爺ちゃんは私に取引を持ちかけたの」


「取引?」


「馬場を婿にしたら、私は好きに生きていいって言われたのよ」


「おいおい! 俺かよ!」


 爺さんには何故か気に入られているので薄々そんな気はしていた。


 俺が武田家に婿入して一人でこの屋敷で過ごす。その間、琴は一人で東京ライフを満喫する。そんな筋書きだったのだろう。


「色仕掛けにしても、ジャージがめり込んだ尻やタンクトップなんてマニアックすぎるのよね。爺さんの趣味全開って感じだったでしょ?」


「そ……そうだな! そうだよなぁ! ほんと、趣味が古臭いよなぁ!」


 爺さんと趣味が合いそうな事は悟られないように全力で琴に同調する。何だか疑いの目を向けられている気はしたが、無理矢理話を逸らすことにした。


「それで、その作戦の一環でここに閉じ込められたって訳か。この相合い傘も後から書いたのか?」


「そうよ。昔から気になっていた可愛い幼馴染が女の身体に成長した姿を見て、ついに納屋で……という筋書きよ。私達がくっつかないから、いつまで経っても扉が開かないの」


「どっちのアイディアか知らないけどエロ漫画の読み過ぎだな」


「あら。そういうシチュエーションが好みだったなら良かったじゃない」


「そんな事は言ってないだろ! でも……ネタバラシをしたってことはもう諦めたって事か?」


 琴は首を横に振る。


「諦めたというか……ここを出るために一度うまくいったフリをして欲しいの。お爺ちゃんを納得させるためにね。今後の振る舞いはここを出たらまた考えましょ」


 あくまで恋心は無い、という事らしい。何が本当で何が嘘なのか分からなくなってくるが、とりあえず納屋から出してもらわない事には話が進まない。


 一つ気になる事があって、口を開こうとしたのだが、ちょうどそのタイミングで琴が抱き着いてきた。空き教室で嗅いだ匂いと同じだ。香水かシャンプーか知らないが花の香りでずっと嗅いでいられる。


「馬場! 婿に来て欲しいの! いいよね!?」


 俺に向けてと言うよりは、外で聞いている爺さんに向けて言っているような声量だ。スンスンと匂いを嗅ぐのをやめて口から息を吸う。


「わ……分かったよ! まずは付き合うところからだからな!」


 琴に合わせて外にいる爺さんに聞こえるように大声で言う。


 祈るような気持ちで二人で扉を睨む。すぐにガタガタと音を立てて扉が開いた。入り口に立っていたのは爺さんだ。


「おぉ! 琴、ようやったな! 後はワシに任せておけ。馬場の倅もご苦労さん。飯、食ってくか?」


「お爺ちゃん、馬場は塾があるの。今日はもう帰らないといけないらしいわ」


「そうかそうか! まぁ、気を付けて帰りなさい」


 爺さんは挨拶もそこそこに扉を開け放ったまま立ち去った。


「何か……意外とあっさりしてんな」


「良かったじゃない。下手にあれこれ言われたら大変でしょう? 衣装は家の人に探してもらっておくから、また明日来てね。じゃ、お疲れ様」


 琴も一仕事終わったとばかりに一人でさっさと部屋に戻ってしまった。疾(はや)きこと風の如しだ。


 結局爺さんと琴の掌の上だった訳だが、聞きそびれたことがある。


 それは、服を探している時に見つけたもう一つの落書き。


「しん」と「こと」と平仮名で書かれた相合傘だった。これも俺は書いた覚えが無い。


 だから、あれを書いたのも琴。本人はその存在すら忘れていただろう。


 なぜなら、漢字すら書けない程に幼い時の事だから。それが初恋なのかとか、今も同じ気持ちなのか、とかは聞きづらいけれど、知りたくなってしまった。


 聞きそびれたのでまた今度聞くことにしよう。爺さんが開けたことで扉の立てつけが良くなったようで、納屋の扉はスムーズに閉まった。




 ◆




 祭りの本番がやってきた。


 俺は武田信玄の役らしく、白いファーのような毛があしらわれた兜に「風林火山」と書かれた軍配を持たされ、重たい具足を着こんでいる。


 流石にレプリカだろうけど、それでもかなりの重さだ。こんなのを着て命懸けの戦いをしていたなんて信じられない。


 遠くから、化粧を終えた姫役がやってきた。琴だ。


「馬子にも衣装ね。先祖が撃ち殺されたと聞いてなんとも感じないサイコパスとは思えない仕上がりじゃない」


 開口一番嫌味が飛んでくるが、言い返す気にならなかった。


 琴に見惚れてしまったからだ。お市、茶々、ガラシャ。今までに伝わる戦国の美女と言われていた人でも敵わないと思わされる程だった。そんな事を言っても「今とは美的感覚が違うから云々」と琴に返されそうなので何も言わない。


 それでも、琴を見ていると胸が高鳴る。照れてしまい、顔が熱くなる。顔が火照ること火の如しだ。


「……何よ」


「な、何でもねえよ!」


「褒めたい時はきちんと褒めるものよ。家臣なら当然でしょ?」


「残念だが俺は今、家臣じゃなくて主君なんだな」


「なら私は奥方ね。さ、行きましょ」


 琴は着物でも軽やかな身のこなしで俺の横に来て、ロボットのように歩く俺と腕を組む。関係者やら親戚やらが遠巻きに眺めているので、かなり恥ずかしい。


「おい。見られてるだろ」


「だからよ。こうやってアピールをしておくのが重要なの」


 爺さんがその日のうちに言いふらしたので、気づけば外堀は完全に埋められていた。


 琴も「問題ない」と言うので、一応付き合っているフリは続けている。いつまで続くのかは知らないけれど、進学する前には解消するのだろう。このまま武田家に婿に来いだなんて言われたらたまったもんじゃない。


 フラフラとほっつき歩いていると、すぐに本番の時間になった。


 大人が十人がかりでかつぐ御輿に乗ると、不思議な揺れに襲われた。船とも地震とも違い、何だか慣れていない揺れ方だ。


 少し進むと琴が手を掴んできた。


「どうしたんだよ」


「揺れが気持ち悪くて……しばらく繋いでいていい?」


 さすがに体調が悪いなんて言われると断れない。手を握り返して了承の返事とした。


 御輿はズンズンと進んでいき、祭りのメイン会場に到着した。何が目当てなのかは知らないけれど、何百人分もあるパイプ椅子にみっしりと人が座っている。


『さぁ遂にやってまいりました信玄公と奥方。今年は市内の高校生が扮しております。なんと、お二人は実際に婚約をされている仲だとか!』


「琴、どうなってるんだよ。婚約なんてしてないだろ」


 いきなりの事に驚いて隣に座っている琴に小声で尋ねる。


「わ……私も知らないわ。お爺ちゃんがきっと何かやったのよ」


「あのジジィ……」


 城攻めのコツは血を流さない事。包囲、兵糧攻め、水攻め。そんな風にじわじわと追い詰めていく。


 俺も爺さんに追い詰められているみたいだ。このままだと本当に琴と結婚させられかねない。


 美人だし別に悪い事ばかりではないけれど、きちんとした恋愛結婚をしたいというのが夢だ。だからこんなやり口は受け入れる訳にはいかない。


「琴からも何とか言ってやってくれよ。このままだと結婚されられちまうんだぞ」


「わ……私は別に……悪くはない……むしろ……好都合」


 いきなり顔を赤らめてそう言われるので面食らう。


 何が言いたいのかは分かるのだけど、それを口にするのが怖くて押し黙ってしまった。


 結局、無言で手を繋いだまま大名行列は終わった。




 ◆




「馬場、お疲れ様……いつまで着てるの?」


 着替えを済ませた琴が迎えに来る。戦国時代の姫からいきなり現代人の服装になったのでタイムスリップしたみたいに感じる。


 俺は甲冑が一人で脱げないので手伝いの人を待っていたのだが、祭りの締めと被ってしまいスタッフの人が誰もやってこなかったのだ。


「一人で脱げないんだよ。手伝ってくれ」


「いいけれど、これを脱いだらまた馬場は私の家臣よ。それなりの態度で接する事を覚えなさい」


「分かったよ。早く脱がせてくれ」


「『脱がせてくれ』だなんて、同級生の女子に頼む文言ではないわね」


 ケラケラと笑いながらも琴は鎧を脱ぐのを手伝ってくれる。


「昔の人も戦に行く前はこんな風にしていたのかしらね。今回こそは死ぬかもしれない。そんな時に相手には何を伝えるべきなのかしら」


「何だろうな。『脱がせてくれ』じゃなさそうだけどな」


 冗談で返すことしかできない。何を求められているのかは分かるのに、その一歩を踏み出すのが怖いのだ。


 多分、琴は「好き」と言って欲しいのだろう。そんなの言える訳が無い。どうせならこのままなし崩しで結婚してから伝えた方が安心できるくらいだ。負け戦はしたくない。


 言い訳をするなら俺は家臣で主家が琴。琴の方が目上なのだから、そっちから言ってくるのが筋だろう。そんなのが通用しないのも分かっているが。


 結局、この日は琴の誘い水には乗らず家まで帰ってしまった。





 ◆




 祭りが終わってお爺ちゃんと真っ直ぐ家に帰った。両親は寄り合いでいないのでお爺ちゃんと二人でご飯だ。


 馬場はいつになったら告白してくれるのだろうか。これだけ隙を見せているのに一向に気づかない。馬鹿なのだろうか。馬鹿に違いない。そんな馬鹿を好きになった私も馬鹿なのだろうけど。


 納屋に閉じ込められるというコテコテのシチュエーションと、家族との関係に悩む設定でなんとか偽装カップルまでは持ち込めたのだが、あと一歩が遠い。


 それにしてもあいつの信玄は似合っていた。今度は上杉謙信のコスプレでもさせようかな。宿敵である上杉の格好なんてさせたらお爺ちゃんに怒られそうだけど。


 他人事のようにビールを手酌しているお爺ちゃんを見ていると今日の失敗について沸々と怒りが沸いてきた。


「あぁぁ! なんでアイツはいつまで経っても言ってくれないのよ! 会場のアナウンスも棒読みすぎる! なんでもっと上手な人を置いてくれなかったの!?」


「琴ぉ。もう諦めて琴から告白すればいいじゃないか」


 お爺ちゃんがビールを一口飲んでそう言う。


「絶対に嫌よ。こういうのは男から言って欲しいじゃない」


「そうじゃが………家臣とかなんだとか言ってたら向こうも委縮してしまうだろう。ワシもいつまで手伝えばいいんだ?」


「どうにかなるまでよ。進学先を決めるまでに付き合わないと一緒に東京に進学できないじゃない。可愛い孫のためなんだからもっと頑張ってよね」


 お爺ちゃんは私の言葉を聞いて諦めたようにビールに口をつけたままテレビの方に体を向けた。


「そういえば、納屋の落書きは消しておくんだぞ」


「消えないわ。間違えて油性ペンで書いちゃったの」


「おいおい! ワシが怒られるじゃないか!」


「良いでしょ。一つも二つも変わらないわ」


「琴! 別のところにも落書きしたのか! やめんか!」


「はいはい。もうやめるから。そんなに怒ると血圧上がるわよ」


「誰のせいだと……」


 お爺ちゃんはグチグチと文句を垂れながらテレビを見ている。


 まじない程度の気持ちで書いた相合い傘は不発。幼稚園の時に書いたものも効果が無いのだからあんなものに頼っていてはダメなのだろう。


 あと一歩な気もするのだが決め手にかけてしまう。外堀は完全に埋まっているのにどうしても本丸が落ちないのだ。


 次はどうするべきだろうか。


 お爺ちゃんとカラフルな着物を着たおじさんの大喜利を見ながら次の作戦を練るのだった。

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