第32話「勘(side neige)」

 窓から弟が妻を呼ぶ声が聞こえて、足を組んで本を読んでいたネージュは立ち上がり外を見た。


 どうやら、偶然歩いている姿を見掛けたので彼女の方に走って行っているらしく、今は人の姿をしている癖に速度が尋常ではない。あれを見ただけで、どれだけ彼が妻のことが好きなのかわかろうものだ。


 魂が呼び合うという『運命の番』とは言え、弟があれでは執着を受ける対象であるティタニアも大変だろうとネージュは思った。


(……ティタニアもスノウの事を好きだから、成り立っている関係だろう。あれだけ好意を剥き出しにされれば、引いてしまうことだって考えられる)


 周囲から見ればあまりに熱烈な求愛行動でも、お互いに好きだからきっと何も問題もないのだ。


 雪が良く降るプリスコット地方とは違い、ノーサム地方は湿気が多く暖かい気候だった。妖精に愛されているという伝説を持つ土地のせいか、緑が多く夏は熱い。


 ここ何年かそうとは言わずに愛する弟のために旅に出ていたネージュも、ユンカナン王国は大陸でも北の位置に属しているのに、ここはやたら緑の多い珍しい気候だと思っていた。


「……さて。どうするかね」


 爵位を継ぐなどとは思わずにこれまで生きて来た不肖の弟スノウは、周囲からやたらと甘やかされたせいか、領地経営などの教育も受けずにいて、父も兄も爵位付きの令嬢を妻とし伯爵になるなどと大丈夫かと心配していた。


 ここ半年ほど真面目に取り組んだせいか複雑な内容も理解出来たようだし、自発的に教育係として残ったネージュも用無しだから去るべきかと少し前から考えていた。


 去るのなら何も言わずに、置き手紙だけで去りたいとネージュは望んでいた。


 イグレシアス伯爵は温厚で実直、それに弟嫁であるティタニアも真面目で律儀。弟の教育のために多くの時間を使ったネージュがこの地を去るならば、彼らが謝礼を用意し盛大に送り出すことは容易に想像出来た。


(別に、礼なんて……要らないしな)


 金ならば有り余るほどに持っているし、それは自身で稼いだもので、プリスコット辺境伯たる父親から譲り受けたものでもない。彼は不思議と先見の明があり、偶然出会った若者の始めたいと言った商売に投資し、大当たりした事業の出資者として配当を受けているだけだった。


 しかし、ネージュは特に財産に執着を持っていなかった。金額が多ければ生活が楽になる。その程度の認識だった。


 何年もたった一人の弟の命を救うために旅をしたことも、スノウから何か礼を言われたい訳でもない。弟は兄から大事にされることを当たり前のように思い、改まっての感謝の言葉もないが、ネージュ本人もそれで良しとしていた。


 弟が妻を抱き上げて怒られている姿を見て、ネージュはそれを羨ましくなった自分が不思議だった。


(なんだろう……スノウが羨ましい。あいつが運命の番に会えたからだろうか)


 スノウは城で偶然ティタニアを見た時から、彼女のことを欲して彼女のことだけを考えていた。結ばれないと絶望し憔悴した姿は兄二人も心配するほどで、だからこそネージュは旅に出たのだった。


 父も弟も『運命の番』に会っている。だから、自分も出会うんだろうと、ネージュはなんとなく思って居た。


(……勘だよ。すべては根拠のない勘なんだけど、外れたことがないんだ。不思議だね)


 幼い頃に会った『神』の存在、そして、救われるはずだった弟。今思えば別に自分が動いても動かなくても、スノウはティタニアに会い恋をし、結ばれていたように思う。


 それが、彼らの運命だから。


 弟スノウが結婚した時、ネージュはなんとなく思ったのだ。自分にも運命の番が現れそうだと。


 扉がコンコンと叩かれて、窓を見ていたネージュは返事を返した。


 プリスコットに居る母からの手紙で、久しぶりに姪に会いたいから、同行するようにと書かれていた。本当は同行するのは父か長男か三男が良いと思っているけれど、暇そうな次男で我慢するとも。


 母はネージュのことをやたらと非難したがるが、あれはあれで可愛がっているつもりなのだ。


(……僕が真っ向から甘えられる息子ならね。あの人も苦労しなかったんだろうが)


 苦笑するしかない。お互いに大事と思わないような軽口を叩くことで、母は大事に思っていることを婉曲で伝えている。


 ネージュは自分でも、説明のつかない欲求を持つ面倒な性格をしている自覚はあった。そして、手紙を仕舞おうとした時になんとなく思った。


(ああ。これか。これがきっかけで、もうすぐ会うんだな……)


 それは、ネージュ本人にも、どうにも例えようもない不思議な予感だった。


 運命の番というのは、ひと目見た瞬間に心奪われ、すべての葛藤を消してしまう特別な存在らしい。


 机にある便箋に『母に呼ばれた。帰る』と書いて、ネージュは半年居たイグレシアス伯爵邸を後にすることにした。荷物を持たずに部屋を出れば、従兄弟のユージンと行き当たった。


「わっ……ネージュ兄さん……もしかしたら、これから何処かに行かれるんですか?」


 まじまじと自分を見つめるユージンに、ネージュは苦笑をした。


(どうしてそれがわかるんだ。荷物も何も持たずに、廊下を歩いているだけなんだけどね)


 ユージンは従兄弟であるネージュが、何も言わずにふらっと出て行くことを知っている。だが、それが今だと確信してそう言ったことに驚いていた。


「……君って、不思議と勘が良いね。そうだよ。これからこのイグレシアス伯爵邸を出て行く。スノウには別に言わなくて良いよ。どうせなんでどうしてとうるさいからね。だが、どうしてそれがわかった?」


 兄二人を邪魔と言いながらも慕っているスノウは、半年も傍に居たネージュが出て行くと聞けば、それはそれで騒いでしまうだろう。


「あの、目が違います。これまでとは違うような気がして」


「ふーん……そう見えるのか。不思議だね。なんとなく、そろそろ運命の番に会う気がするんだよ。ユージンと次の会う時は僕の結婚式かもしれないね」


 すべて、なんとなく思うだけだ。必ず起こるという、確証などある訳もない。


 だが、ネージュはもうすぐ自分の運命の番に会い、彼女と恋に落ち、結婚するだろうと。


「ネージュ兄さん。運命の番に恋をすると、死にたくなるくらい苦しいですよ。スノウを見ていたでしょう」


 ユージンはそう言ったものの、今は毎日が薔薇色の弟も間近で見ていた。


「まあね。けど、あいつはそれに見合う幸せだって、味わっただろう。だから、僕も楽しみにしているんだよ。どうせ苦しむのなら、それを楽しんだ方が良い」


 肩を竦めてネージュはそう言って笑い、笑みを返したユージンは行く手を退き礼をした。


「幸運を祈ります。ネージュ兄さんなら、心配など何もないとわかっていますけど……」


「面白いことを言うね。さっき、運命の番に恋をすると、苦しいとは言わなかった?」


「いえ。ネージュ兄さんが女性に振られるところは、想像出来ないです……」


 確かにネージュの外見は美しい。言動がおかしい事も、女性から見ると謎めいていて魅力的に見えるようだ。


「……ユージン。なんだか不思議なんだけど、僕は運命の番に何度か振られる気がするんだよ」


 ネージュがそう言うと、ユージンは苦笑して頷いた。


「それは……兄さんのよく当たる勘なら、きっと間違いないですね。是非その女の子を見てみたいです」


「ああ。そうだね。振られに行ってくるよ。初体験で、なんだか、楽しそうだ。じゃあね」


 ネージュはいつものように歩き出し、使用人にも何も言わずに外に出た。貴族が所有する馬車に乗って行くより、見知らぬ誰かと話しながら辻馬車に乗って風景を見るのが好きなのだ。


(それでは、戻るか。あの雪山へ)


 母が姪に会いたいと言うと、よその土地に嫁いだ叔母に会いに行くのだろうが、付き合えと言うなら現地集合という訳にはいくまい。


 これから何日か掛かるプリスコットへの道程を頭に巡らせながら、ネージュはふらりと道を歩き出した。

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私の運命は、黙って愛を語る困った人で目を離せない。~もふもふな雪豹騎士にまっしぐらに溺愛されました〜 待鳥園子 @machidori

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