胸に抱く紅葉
SEN
第1話 本編
「散歩に行こう」
そんな彼女の誘いに乗って外出したはいいものの、冷たい秋風に晒されながら歩くのは現代人には辛いものがある。しかも提案した彼女は私の手を引いて先導するだけで何も喋らない。普段の騒がしいくらいの彼女がそんな様子だと少し不安になる。けれどなんて言葉をかければいいのか分からなくて、彼女の後ろ姿をじっと見つめていた。
近くの公園の並木道まで歩いてきた時、突然彼女は走り出した。私の腕が強く引かれて少し痛かったけれど、なんとか歩を合わせる。そして道から外れた先まで走ったら、彼女は足を止めた。やっと目的地に着いたということだろうか。息を整えて顔を上げる。
すると、巨大なイチョウの木と敷き詰められたイチョウの葉のカーペットが私の目に映った。眼前に広がる幻想的な光景に圧倒されていると、私の目の前に立っていた彼女が振り返って満面の笑みを見せた。
「どう?きれいでしょ」
「あぁ……うん」
「よかった。ここね、あんまり掃除されないからイチョウの葉がカーペットみたいになるの」
彼女の説明にコクリと頷く。私と少し離れた位置で彼女は語り続ける。
「私ってすぐに顔に出ちゃうからさ、ずっと黙ったたんだ」
彼女の説明でいろいろなことが腑に落ちていく。けれども一つだけわからないことがあった。
「嬉しいけどさ……突然どうしたの?」
今日は誰かの誕生日でもなければ記念日でもない。気分と言ってしまえばそれまでだけど、とてもそうは思えなかった。
「私ってほら……ドジじゃん」
「まぁそうだね」
「うっ、いざ肯定されるとつらい。まぁそれで色々迷惑かけて、その度に助けてもらって……」
彼女がポツリポツリと自分の悪いところを話す姿は、いつものハツラツな彼女からは想像できないくらい弱々しかった。何か言葉をかけてあげたかったけれど、不器用な私は何もできなかった。
「だから何かお礼をしたいなって思ったの。……どうだったかな?」
「うん。すっごく嬉しい」
私がようやく捻り出した答えに、彼女はくしゃっと笑った。普段の彼女の可愛らしい笑顔を見たら、私も釣られて笑うのだけれど、今の彼女の笑顔は何だか儚くて、胸が締め付けられた。
だからだろうか、無意識のうちに彼女に向かって手を伸ばしていた。
その瞬間、秋風が怒り大量のイチョウを舞いあげた。私の視界は黄色で埋め尽くされ、目の前の彼女が消えた。
嫌だ。
そう思った私はすぐに行動に出た。秋風に浮かされていたわけではなく、明確な意思をもって。秋風に奪われてしまいそうだった彼女を、奪われるくらいなら私が奪ってしまおうと思って……
私は彼女の唇を奪った。
秋風の怒りが収まり、イチョウは地に落ちた。辺りが静寂に包まれる中で、目の前の彼女の熱があからさまに主張している。
「えっ……えっと……」
「自分のこと、悪く言わないで」
戸惑いの目をしながらも紅潮する彼女の頬に手を添えて、溶けてしまいそうなくらい優しい声をかける。彼女の熱が私にも伝わって、私の声にも熱が与えられる。
「キミのドジなところも、今日みたいに私を想って行動してくれるところも、勉強が苦手なところも、強く私の手を引いて連れ出してくれるところも、みんな好き。キミの全てが愛おしいって思ってる。だから暗い顔なんてやめて、いつもみたいにキラキラした笑顔を見せて」
私の言葉で彼女はさらに赤く染まる。お互いの心が高揚する音が聞こえる。熱を持ったこの空間で、ほんの少し間があってから彼女は意を決したように顔を上げた。
「ありがとう」
目の前の紅葉がそんな言葉と共に唇の上まで舞い上がる。イチョウに包まれるこの場所で、私はたった一枚の紅葉をそっと抱く。
ひらりはらりと紅葉が落ちる音がした。
胸に抱く紅葉 SEN @arurun115
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