58 秘密
「美香さんね、軽い気持ちで嘘ついたはいいけど、演じてるうちにだんだん自分でその気になっちゃったみたいで、想像妊娠みたいなことになってたらしいの。後から罪悪感も湧いてきたんでしょうね。結局、信哉から問いただす前に白状したんだそうよ」
「全くしょうもないな」
その程度の覚悟で邪悪な道を行けば、破綻を招くのは当然だ。
「お前、勘付いてたのか? 志穂が裏を知ってるって」
「まさか。でもね、隠し事って聞いてぴんと来ちゃったの。志穂にね、信哉がデキ婚するってよ、って知らせたとき、もう聞いてるよって言ってて、でも流産と破談の連絡したときは、え、そうなの、ってびっくりしてたの。それが何となく引っかかったのよ。今思えば、流産に対するあの反応の方は芝居だったってことよね」
何だかいろいろと複雑すぎて、ついていけない世界だ。
「志穂もね、信哉の狂言流産のことは墓場まで持ってくつもりだったって。美香さんの嘘を信哉がそこまでして隠し通そうとしてたわけだから、こんなことにでもならなければ私たちにも一生言うつもりなかったってよ」
しかし、リサは志穂ではなかった。夫や昔の女の意図がどうこうよりも、信哉のことを誤解したまま勘当し、今なお彼の心を痛め続けている父親に忠告することの方が彼女にとっては大切だったのだろう。自分から真相を明かすことだけは賢く避けつつ、匂わせやほのめかしで私が事実を察するよう仕向けたのだ。
時計を見ると、まだ十時前。リサをつかまえて話をしなければ。
昨日の件で話がしたい、と携帯に電話すると、リサはちょうど病院に向かうべく家を出ようとしているところだった。話の内容を察してか、じゃあアパートに来てくれ、と即答してくれる辺り、やはりなかなかだ。少なくとも、あいつがいる病室でする話ではない。
一時間後、麻子と二人でアパートを訪れた。志穂から本当のことを聞いたと告げると、リサの表情に安堵の色が
「まさかそんなこととは思ってもみなかったよ。あいつもそれならそうと言ってくれりゃいいものを……」
「自分一人がここで悪者になっておけば、あちらの家族は円満なままでいられる。それがショーンの結論だったんです」
私ならまずしない発想だ。自分に置き換えて考えてみても、損しかない。理解しかねた。
「もちろん、自分が嘘をつかれたこと自体にも参ってはいたのよ。私たちの子だよって見せられてしみじみ感動してたエコー写真が、実は全然関係ない他人のだった。そりゃショックよね。つくづくひどい女。インターネットかどっかからそんな画像持ってきて……日常の小さなことならまだしも、妊娠とか流産とか、そういうことで平気な顔して嘘をつけるっていうのは、人として幻滅するでしょ?」
そのときの信哉の嘆きや憤りは、あいつが安易に振り出しに戻ろうとしていると思い込んだ私の比ではなかったかもしれない。
「でも、それだけならまだよかった。ショーンが一番許せなかったのは、彼女が彼女自身の親や親戚にまで嘘ついてたってことなの。意図的にぬか喜びさせて、その後で流産したとか言って心配かけるなんて、どういう神経してるんだって、かなりきつくお説教したみたい。今さら嘘だったなんて絶対に言うな。せめてもの親孝行だと思って、娘が最低な人間だっていう事実を責任もって隠し通せって、ショーンは言ったの。お前がでっち上げた流産のせいで心を痛める親の姿を見て反省しろ。自分のしたことなんだから一生背負えって」
あいつがそんなことを……。私の記憶の中の約三十年分の信哉と、その辛辣な言葉は、すれ違うばかりでどうしても結びつかなかった。
「もう一つショーンが怒ったのはね、本当に流産した人がどういう目に遭ってるかわかってんのかって話。急に出血したり、赤ちゃんが入った袋が出てきちゃったり……お腹の中で死なれちゃって、陣痛みたいな痛みに耐えながら出すだけ出さなきゃいけないとか、そういう人たちの気持ち考えたことあんのかって。実際に経験した人のブログを読ませたら、彼女もさすがにしおらしくしてたそうです」
「やけに詳しいな。あいつがなんでそんなこと……」
「調べたんですって。お姉さんのときに」
「お姉さん?」
――志穂がどうしたんだ?
意味を測りかねて隣を見やると、麻子が「しまった」という顔になっている。
「おい」
「ごめんなさい。志穂も最初のときに一回ね」
「何、流産か?」
「うん、まあ、ごく初期で……余計な心配かけたくないから父さんには言わないでくれって」
隠しようのない嘆息が長々とこぼれた。余計な心配をかけたくないといえば聞こえばいいが、実際には私が出てくると必要以上に騒いで面倒だとか、夫の
父さんには言わないでくれ。そのセリフを子供たちから、麻子は一体何度聞かされてきたのだろう。
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