56 疑惑


 病院で麻子と落ち合い、車の中でリサとの一件を話した。「あなたたちが事実を全部把握してるわけじゃない」とはっきり言われたことを。


「うーん、隠し事ねえ……」


 麻子はしばし考え込んでいたかと思うと、唐突に、


「ねえ、実はできてなかったんじゃないかしら」


「あ?」


「美香さんとの赤ちゃんよ。あのとき、何となーく、ちらっとほんの一瞬思ったの。もしかしたら美香さんの策略なんじゃないかって」


「何!?」


 できてなかった? あれだけの大騒ぎを起こしておいて、実は妊娠自体が嘘だっただと!?


「わかんないわよ。別に根拠はないの。ただの勘よ。アテカン、ヤマカン」


「それにしたって、なんであのときに言わないんだ!」


「だって、私がそんなこと言ったら、あなた絶対信哉に言うじゃない。本当にできてんのかって。ちゃんと確かめてから出直してこいって」


――言う。私ならそう言う。おそらく一字一句違わない。


「確かめた結果、実はだまされてたなんてわかってごらんなさいよ。かわいそうじゃない。それこそ人間不信になっちゃう」


「だからってなあ、あいつが騙されたままでいいってのか」


「そんなこと言ってないわよ。妊娠が本当か嘘かなんて、いずれわかることだもの。もし彼女の自作自演だったとしたらね。シナリオはこうよ。まずはとりあえず、適当につわりっぽい演技をしておく。でも一向にお腹が大きくならない。だから疑われる前に流産しちゃったことにすればいい。でも信哉はああいう性格だから、一度出た結婚の話は撤回しない。めでたく速やかに結婚に持ち込めて万々歳」


 私はただただ唖然とするしかなかった。


「じゃあ何か? そんな嘘つき女と結婚させようって腹だったのかお前は?」


 麻子は首を強く横に振る。


「もし嘘つき女だったら、婿養子云々うんぬん以前の話じゃない。だからそのときは、純粋に美香さんとやっていくこと自体に対して反対するのがすじよ。あなたの頭が冷めてきたらそう話そうと思ってた。でもそれは、本当に彼女の筋書き通りになった場合の話。現実は結婚しないことになったんだから、めでたしめでたしでしょ?」


 あのときの麻子の脳内でまさかそんな計算がなされていたとは思いもよらなかった。おろおろしたような顔をしておいて、これだから女は怖い。


「リサのその感じだと、美香さんの妊娠が嘘だった可能性はかなり高いわね」


「何てこった……」


 妊娠したと嘘をつかれたのだとしたら……。


 この件について、これまでに味わったことのない感情が湧いた。結婚をかしたかった事情があるにせよ、いうなれば禁じ手中の禁じ手。生涯をともにしようとしている相手にそんな肝心なことを偽られて、平気でいられる男などいるものか。


「あのときは私もね、もしかしたら本当に流産したのかもしれないし、嘘だったとしても結局信哉は気付かないまま終わったんだと思ったの。本当に流産したんだと信じて、そこで一回区切りがついちゃったっていうか、熱がちょっとおさまって、勢いに任せたところがあったのを考え直して、やっぱり仕切り直そうとしたのかなって。ほら、山代やましろさんの家業を継ぐことだってそれなりに重荷だっただろうし」


 しかし、リサが知っているとなれば、当然信哉も知っているわけだ。先ほどのリサのきつい目つきを思い出す。


「リサを問い詰めたところで……自分の口から明かすわけにはいかないと言ってたしなあ。ありゃ言い出したら聞かないって顔だ」


「こうなったら国際電話ね」


「あの女にか? 今さら……」


「違うわよ。美香さんはとっくに用なし。ちゃんと話してくれそうな人がいるから、任せといて」



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