43 姉妹


「例えばリサなんかは、私から見てもつくづく不思議な子」


「ほう」


「あの子、四年前にカナダに行ったでしょう? もともと旅行が好きだし、他の国に住めるチャンスがあるなら生かさなきゃ損って、表向きはそう言ってました。でも、その頃、ちょうど私たちの従妹いとこがトロントで離婚したばかりだったんです」


「あ、離婚……できるんだね、ムスリムも」


「ええ。結婚はもちろん軽々しくすべきではありませんし、維持する努力も必要です。ただ、よくよく考えた上で本当にどうしてもうまくいかないときには、別れることはできます」


「なるほどね」


「彼女の場合は、両親までもが旦那さんの味方に付いてしまって……離婚して独りぼっちになってしまったのね。子供がまだできてなかったのが救いでした。一時は身の回りのこともままならない状態だったらしくて、それをリサは放っておけなかったんだと思うの。シェアハウスに一緒に住んで、いろいろと話を聞いてあげてたみたい」


「へえ、いいとこあるじゃない」


「しかもあの子、そういうことを宗教を理由にせずに、ごく自然にできちゃうんですよね。神様に褒められるかどうかなんて考えずに、自動的に体が動くとでもいうのかしら。天国に行きたいから善行に努めるっていう人は少なからずいるでしょうし、私もその一人。でも、リサはそういう打算抜きで、純粋な愛情から本能的に人助けをする子なんです。ひけらかすことも嫌うどころか、良い行いほど隠すようなところがあって……精神的に不安定になってた従妹を気晴らしに連れ出したり、家事を引き受けたりしてたっていうのも、従妹の方から聞いて初めて知ったんだもの」


 黙って動く。不言実行。つい「男らしい」という形容を連想してしまう。出会って間もない嫁ながら、私まで誇らしくなる。


「あの子はねえ、もしかしたら誰よりも真の意味でムスリムなのかもしれない」


 サフィナが物憂げに中空を見つめる。


「いい年して恥ずかしいけれど、負けたような気分になることがあるわ」


 落ち着いた大人で、立派に子育てまでしているサフィナがそんなことを言うのは意外だった。


「我ながら愚かねえ。信仰に勝ち負けなんかないし、人と比べるべきじゃないのに。人として、ムスリムとして、私は妹より劣ってるんだなあって。そんな風に落ち込むのは日常茶飯事でしたよ」


 人の心は見えない。それなのに、いや、だからこそ、人は心に囚われる。自分の、そして他者の心に。本来は神にしかわからないものを良くも悪くも勝手に推測する。


「自分ですべてに納得できるときが来たら、リサは中途半端なことはせずにどっぷりこの道にひたるんじゃないかしら。時間はかかるかもしれないけど、きっと


 その後の「イン・シャー・アラー」が私とハモり、笑みをこぼしたサフィナはしかし、すぐに真顔を取り戻した。


「それにしても、大変な試練よね。シンがこんな目に遭って、こんなときですら神を恨んではいけない。わかってはいても……簡単じゃないわ」


 ファイエドと比べると、サフィナは神を信じているというより「信じようとしている」のかもしれない。存在自体に疑いは抱かなくとも、神の意図に対する疑問を完全に排除できていないとでも言おうか。


 すべてに意味がある、というファイエドの言葉を思い出す。二人とも我々に気を遣って明言しなかったのかもしれないが、すべての事象が神のわざという観点から見れば、今回の交通事故は、リサに心を改めさせるために起きたように思えるのではなかろうか。私にしてみれば、うちの息子がなぜその道具にされなきゃいかんのだと苦情を申し立てたくなる。だが……。


 もし、万が一これからリサが信心を取り戻し、さらに信哉が元気になったとしたら? それほどの「奇跡」を果たして単なる偶然として片付けられるだろうか。


 先日目にした光景が脳裏に浮かんだ。モスクから徒歩圏内の無関係な場所に、人目を避けるかのようにひっそりと停められたソラーラ。


 うちの長男の命運はもしかしたら嫁の行いにかっているのかもしれない。そんな無神論者らしからぬことを、アーカンソーの田舎町で漠然と考えた。



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