38 意識


「意識の回復がイコールすべての解決なら、もちろんそれがベストよ。でも、ショーンの場合は必ずしも元気になるとは限らないわけでしょ? もし……意識が戻ってしまったら?」


 意識、だけが。


「つまり?」


れられていることもわかるし、目の前で起きてることや周りでの会話もわかる。そんな中、オムツを当てられて、下剤で用を足させられて……言いたいことがあっても伝える手段がない。そんなの、長く続けば続くほど辛いだけよね」


 そういう話をどこかのSF映画などでは聞いたことがあるが、実際にそんなことがあり得るのだろうか。麻子が日本語で応じる。


「意識がない方がいいなんてことないわよ。ほら、普通の病気で手術した人とかだって、術後はそりゃもう死んだ方がましってぐらいしんどかったりするけど、それはあくまで治るための途中経過なんだから」


 それを訳して伝えたが、リサは納得しない。


「その途中経過が、十年も二十年も続いたとしたら? 意識があるまま動かせない体に閉じ込められてずっと苦しんで、結局治らずに死んでしまったら? だって、実は意識があったことが後でわかったケースっていうのは、最終的に反応できて回復に向かった人だけよね? 死んでしまったケースにももしかしたら、誰にもそうとはわかってもらえないまま意識あった患者さんもいたかもしれないじゃない。公式に記録されてる症例数よりも多い可能性があるってことよ」


「うーん……」


 麻子には悪いが、リサの言い分は筋が通っている。


「つまり、君は胃ろうには反対なのかな?」


 リサはしばし黙り込み、長い睫毛をまばたかせた。


「わからない。何が一番いいのか」


 何か、触れられたくない傷にふっと息を吹きかけられた気がした。希望を持てる時間が増えることは周りにとっては喜ばしい。だが、それが本人にとって地獄を意味するとしたら?


「……そうだね。まあ、今すぐに結論を出す必要はないから、じっくり考えよう」


「ショーンは感情面がどうであれ、最終的にはイスラムの教えに従いたがると思います」


「ほう」


「イスラムでは基本的に、人工的に死期を延ばすことは禁止です。一方で、安楽死も禁止。要は、いずれにしても神の意図に逆らうことがダメってわけね」


「なるほどな」


「機械のようにただ心臓を打たせておくっていう無意味な治療については、打ち切ることが認められてるの。だから、ショーンの意思もそこに行き着くでしょうね」


 イスラムの死生観、か。息子の命がまさかそんな異文化に左右される日が来ようとは思っても見なかったが、延命の是非という点では我々の考えと同じところに収まりそうだ。


「信哉ー。あんた、聞こえてんの? 調べようがないってのは困っちゃったわねえ」


 麻子が呼びかけるが、今日の信哉は眠っているかのように目を閉じていた。呼吸は穏やかで、何の悩みもなさそうだ。少なくともそう見える。


 こいつが実はすべてを知覚していたら……。医学的な検査でわかることには限界がある。人の心を読む方法があれば話は早いのだが。


――こいつの心、か……。


 耳を澄ませるようにして息子の心の中に思いを巡らせてみる。その感覚が決して慣れ親しんだものではないことに、胸がチクリと痛んだ。



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